タイ2003 バンコックカセサートサガリック記念館 バンコックウィークエンドマーケット タイの園芸店 タイの果物 チェンマイ
タイ2005 アュタヤ ウィークエンドマーケット 水上マーケット カンチャナブリ
タイチェンマイ
200
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大桂園提携農場 チェンマイセトコン社農場 Thapawong Orchid
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 微笑みの国タイは仏教国で王国である。植民地になったことが無く、街では英語は通じない。バンコックは急速に近代化され、以前の交通渋滞に悩まされ、雨季には水に浸かっていた街の面影はなくなってしまった。地下鉄とスカイレールが整備され、急激に変貌を遂げている。今回(2005年9月)は、禁煙政策の急激な進展にも驚かされた。公共の場所・食堂は完全に禁煙になり、タバコもコンビニでしか買えない。吸殻の投げ捨てはまだ大丈夫のようである。
 日本のラン生産に対するタイの貢献は多大である。私のタイの最初の思いでは、1977年に初めて訪れたタイの蘭園(T. Orchid)には、色とりどりのアスコセンダが並べられ、その色彩の豊富さに驚いたことである。アスコセンダの時代が来るものと確信し、小遣いをはたいて数品種を買い求めたが、結局日本でアスコセンダが栽培されるようにはならなかった。バンダ、アスコセンダなどは、夜間の湿度が年間を通して100%となるタイでは大変育てやすいが、日本では湿度不足のため育てにくく、花も咲きにくい。
 その後、タイは各種のランのフラスコ苗の供給基地、デンファレ、オンシなどのリレー栽培株・切り花の供給基地、そして現在はデンファレ、ファレノプシスなどのリレー株の供給基地に変わってきている。タイのこのようなラン産業の発展は、よき指導者に恵まれたことと、政府の蘭産業保護政策のおかげである。ラピーサガリック氏は、カセサート大学(Kasetsart University)の教授時代に現在のタイラン産業の基礎を作り、多くの指導者、生産者を育てた。Kasetsart University はタイの農業総合大学であるが、バンコックキャンパスは飛行場から町の中心部に向かう高速道路沿いに位置する。キヤンパス入り口近くには、ラピーサガリック教授の記念館があり、ランの培養施設、ランの原種が一般公開されている。新しいキャンパスはカンパンセンに移動している。
 暑いことと言葉が通じないことを除けばタイは非常に楽しい国である。タクシーがメーターで走ってくれることもうれしい。またスカイレール、地下鉄の開通に伴って渋滞が大幅に緩和され、移動が大幅に便利になった。果物も食べ物も美味しい。最近は日本食の大ブーム(2003年)で、スーパーでも百貨店でも日本食が食べられる。モノレールの始発駅MoChit駅の向かい側に、以前はサンデーマーケット今はウイークエンドマーケットがある。日用品はなんでも揃う市場で、一日中人でごった返している。園芸植物もいろんなものが売られている。みているだけで飽きない。しっかり見るには1日あっても足りない。
 ブロックは違うがウイークエンドマーケットに接して園芸専門店の並ぶ一角が有る。マーケットに比べるとお客は少ない。週末は開店休業状態のようである。
 2005年9月カンボジア旅行の帰り道、バンコックに宿泊した折再度行ってみたら、道路拡張工事(?)のためか、全て園芸店はなくなっていた。ウイークエンドマーケットは相変わらず盛況であった。
2002年5月初版、2005年10月修正版
 チェンマイはタイの古都で落ち着いた良い町である。今は定年後の第二の人生を送る人々の多い街としても知られるようになった。この町もラン生産は盛んで、日本から行って日本向けに生産している方々もいる。バンコックよりも標高が高いため、すごし易い。生殖生長に低温が必要なファレノプシスの開花も可能であるが、逆に低温期には暖房が必要となる。2003年2月
 アユタヤもタイの古都で遺跡はカンボジアのアンコールワット(ワットはお寺の意味)に良く似た感じを受けるが、保存状態はよくない。1350年にアユタヤ王朝の都として築かれた東南アジア最大の都市であった。17世紀には山田長政で有名な日本人町も作られた。アユタヤ王国は仏教を奉じ、多くの寺院が作られたが、1767年にミャンマー(ビルマ)の軍勢によって滅亡した。保存状態は良くないが、多くの遺跡が残っている。ワット・プラ・マハタートはビルマ軍によって破壊され廃墟になった。木の根に埋め込まれた仏像が有名な寺院。ワット・ヤイ・チャイ・モンコンはアユタヤ最古の寺院で、境内に有る涅槃仏は建物の中に安置されていたが、建物はビルマ軍に破壊され、周囲には外壁が残っている。境内には巨大な仏塔(パゴダ)もある。現在もタイの人々がお参りに来る現役の寺院で保存状態が良い。バン・パイン宮殿は王の離宮で、パビリオンと呼ばれるタイ、中国など各国の館があり、一部が公開されている。2005年9月
 水上マーケットは以前はタイの人々の生活に無くてはならないものであったが、現在は観光用が主体となっている。カンチャナブリに向かう途中で水上マーケットに訪れた。ミヤンマーとの国境カンチャナブリには第二次世界大戦中に日本軍が英国の捕虜を使って掛けたことで有名な「戦場にかける橋」がある。今は、有名な観光地となっている。


 2007年9月2日から13日にかけてチェンマイ、インドネシアと回ってきた。チェンマイではかねてから、友人である浅井氏の提携農場Grandi Floraを見たいと思っていた。2003年にチェンマイに行った時は、まだ農場は動き出してはいなかった。今回はストップオーバーを利用しての途中降機で、チェンマイを訪れた。バンコクの新空港Suvarnabhumiは初めてである。でかい飛行場であるが、構造は単純で分かりやすい。4階Dゲート前に「金」というラーメン店では、これは紛れも無い日本のラーメンが食える。2階Fゲートに到着し、Aゲートまで移動(端から端に近い)し、入国手続きの後国内線に乗り換える。最近チェンマイ空港では日本人の荷物検査が厳しいらしいが、ノーチェックで通過した。チェンマイには多くの日本人が住んでいるが、日本人は土地は所有できない。したがって、農場経営するにはタイ人と結婚し、妻の名義で土地を購入するか、従業員名義の土地を借り、その土地を使うしかない。土地付きの家の所有についても同様である。
 チェンマイから南東約60km、ランプーン県メータにあるチェンマイセトコン社の農場では、斉藤正二氏の指導でクルクマなど球根植物の育種と球根の養成が行われていた。斉藤氏は千葉大の関係者には有名な方である。還暦を過ぎておられるが、球根類の生産とリゾート開発に情熱を傾けておられた。
 Grandi Flora ノビル系デンドロビュウムのリレー栽培を目指して、2003年にスタートした。現状は、各種の洋ランリレー栽培の可能性を探る段階である。浅井氏の日本の農場大桂園のHPでも、チェンマイ農場の紹介が行われているので、興味のある方は参照されたい。
斉藤氏も浅井氏も私よりも年長の方々である。若い日本の花生産者の方々も、もっともっと元気に頑張って頂きたいものである。
 M KATは1995年(?)に始まった日系では老舗のラン苗生産会社である。ヨーロッパのファレノプシス人気の影響を受けて、生産設備を拡大しているが、ポスト胡蝶蘭対策が今後の最大の課題となるそうである。
Thapawong Orchid 現地資本によるファレノプシスの生産会社である。日本人スタッフがおり日本向けの株供給を行っている。