カンボジア2004 カンボジア2005
プノンペン初日 トンレサップ船旅 シェムリアップ アンコールワット プノンペン観光
アンコールトム バスの旅 キリロム国立公園 ボコー国立公園 倉田胡椒店

 カンボジア
には2004年9月に初めて訪れた。愛知県の奨学生として留学予定のマム・チャンセン君の研究テーマ設定のために一度下見しておきたかった事と、カンボジアの植物、ランのことが知りたかったためである。個人的な嗜好としては食べ物にも大変興味があった。雨季のためもあって、飛行機からみるカンボジアの町は水の中に浸かっていた。プノンペン到着初日、早速問題が発生。いつまで待っても荷物が出てこない。荷物だけはタイに残されたようだ。カメラ、パソコンなどと当面の必要なものは手荷物として持っていたので、その日は特に問題はなかった。愛教大の名誉教授の金森先生とチャンセン君の出迎えを受け、National Institute of Education(NIE)に向かい、スタッフの皆さんと夕食をご一緒した。町は照明が少なく暗く感じるが、人は多く活気に満ちている。荷物は翌日到着するとNIEに連絡はあったが、翌日早朝にパイリンへ向けて出発のため、帰るまで受け取ることが出来ない。下着類は市場で購入し、衣類は金森先生にお借りした。
 カンボジアは自然が豊かと言うのが率直な印象である。水に浸かっているのでそんな印象をうけるのかも知れない。市場には、野菜、肉、魚、果物が満ち溢れている。ポルポトに殺された人はたくさんいたかも知れないが、餓死者はいなかったのではないだろうか。田舎の高校生は、学校の近くに簡単な住処を作り自炊しながら学ぶ子もいるそうである。農家の周辺には有用な植物しか植えられて居ないそうで、食材はどこにも豊富に存在する。
 園芸植物は特に珍しいものはない。タイから入ってきたと思われるデンファレがどこでもよく見られた。パイリンに近づくと、道端の民家では山採りのランをぶら下げて売っている。値段は、小さいものは1ドル、大きなものは3ドルと言った具合である。
 パイリン地区はポルポトが最後まで頑張っていたところで、他の地域とちよっと違った感じを受ける。パイリン地区に着くまでの道はデコボコで橋は全て破壊されていた。ランクルが日に3回パンクするほどの道であった。あと少し行けばタイ国境でカジノがあるそうである。ポルポト支配地域では道も整備され、大農場で換金作物が作られていた。パイリンの市場は、戦後の闇市といった趣で、宝石や金が売られ、木の若芽など見慣れない食材も売られていた。味噌、漬物、燻製など加工食品が目立つのは内陸部だからであろうか。

 
二度目のカンボジア 前回の訪問から一年後2005年9月、チャンセン君の里帰りに合わせて、再びカンボジアを訪問した。今回は学生たちと一緒で11名の大所帯である。プノンペンからトンレサップ川を船で遡上し、シェムリアップに行き、アンコールワットを観光し宿泊。翌日、半日観光のあとバスでプノンペンに戻り宿泊。翌日はクリロム国立公園を探索の後、ボコー国立公園に向かい宿泊。翌日、国立公園内で植物の観察を行いプノンペンに戻るという、チャンセン君の立てた計画で動いた。予想とは相当違った部分も有ったが、結果的には何の問題もなく無事に旅を終えることが出来た。多くの学生は始めての海外旅行にも関わらず、全く下痢もしなかったのは奇跡的にも思われた。ただし全員に納豆を持参し食べておくようにと事前の指示は徹底しておいた。
 トンレサップ川、トンレサップ湖
はカンボジア国土の中心部に広がる広大な水域であるが、その面積は雨季と乾季で大きく変化する。雨季には水がメコン川から逆流し、みずうみ周辺は水浸しになる。プノンペンからシェムリアップまでの船旅はおおよそ6時間、単調ではあるが時間が気にならない快適な船旅であった。シェムリアップはアンコールワット観光の都市で、交通の要所でもある。遺跡だけではなく、カンボジアの歴史文化を紹介する新しい観光地も作られている。
 
アンコール遺跡は、カンボジア北西部、トンレサップ湖岸一帯に広がっている。10世紀前後のアンコール王朝時代に、石や煉瓦で建設された寺院や貯水池などの多数の遺跡群である。シェムリアップ市郊外に、アンコール・ワットやアンコール・トムなど多数の遺跡があり、多くの観光客が訪れる。カンボジア人には全ての施設が無料で開放されているが、外国人観光客は1日券か写真入3日券を購入しなければならない。ただし、1日券を買えば前日の午後5時以降の入場はフリーになる。昼食の後の5時まで時間つぶしで訪れたカルチャービレッジは、新しい観光施設で、カンボジアの歴史を手短に知るには良い。ショーで行われていたカンボジアの結婚式に父親役で飛び入り参加する羽目になった。今年は、娘の結婚式もあり、得難い経験を2回もすることになった。
 時間つぶしの後、夕日名所プノン・バケン観光。夕方になると丘の麓は観光客で一杯になった。登山道は荒れたままで、かなりきつい登りである。空腹で血糖値の下がった身には相当こたえた。みなより先に下りて途中で待った。
 
アンコールワットは日の出の名所、朝5時にホテルを出発。暗いなか懐中電灯で照らされて入場券のチェックを受け、入場。朝早くからたくさんの観光客で一杯であったが、日の出が過ぎると観光客はほとんど他の場所の見学に移動し、貸切状態で見学できた。
 バンティアイ・スレイは967年にラジェンドラヴァルマン2世とジャヴァルマン5世によって立てられ、ヒンズウ教のシバ神に捧げられたといわれている。別名「女の砦」とも呼ばれている。アンコールは町、トムは大きいという意味で、アンコールトムは大きな町を意味する。アンコールトムの中心にバイヨン寺院がある。
 シェムリアップ見学の後はバスでプノンペンに戻った。シェムリアッフからプノンペンハくだりは船よりも早い。カンボジアの人たちは安いのでバスの利用は多い。バスは停車中にはラジエターに水をかけ冷やしながらであったが、なにもなく順調であったが、途中雷で雨が強く降った時には雨漏りがあった。道路沿いの水田と村はまだ増水中で、水位は上がっているようであった。それは雨季には当然のことで、人々の生活は普通に続けられていた。
 キリロム国立公園はプノンペンの西に広がる1000m以下の山岳地帯で、プノンペンから近い。シアヌーク時代には別荘地として開発された。現在は所々に廃墟が残るだけで、松の二次林が広がっている。道は比較的良く整備され、徐々に開発が始まり、休日にはカンボジアの人々がが訪れるようである。植生はあまり豊かではないが、興味ある植物も見られた。
 
ボコー国立公園は、キリロムよりも古くフランスの植民地時代に開発された避暑地で、現在は完全に廃墟になっている。公園事務所には宿泊施設があるが、廃墟を補修して使っており、自炊であった。着いた日は真っ暗で周りの状況は良く分からなかった。自家発電の照明時間を延長してもらって、火をおこし夕食を作って寝るのが精一杯であったが、翌朝分かったが飲み水は前の池の水であった。
 最終日はプノンペン見学、まず倉田胡椒店を訪れた。倉田さんはプノンペンで胡椒屋さんを開き、自分の農園で作った胡椒を売っておられます。あと、トウール・スレイン博物館見学、しかしカンボジアの悲惨な歴史を直視できませんでした。この刑務所で虐殺された多くの人たちと私たちとは直接の関わりは有りませんでしたが、カンボジアの悲惨な歴史を知り、写真を見ることで平和の大切さを教えられました。非常に重い時間の後、NIEの生物スタッフとの昼食会でした。最初は食欲もわきませんでした。中央市場見学、トンレサップ河畔散策のあと、今回のカンボジア旅行は無事に終わりました。