1971年の初夏、私はストックホルムに居た。
街はしらじらと白夜の底に沈んでいて、まるで人気のない
映画のセットに、一人とり残されたように思われた。
「とにかく来てしまった…。」
羽田の送迎デッキで、見えるはずのない私に、ちぎれる程
手を振る紀子の姿が、胸をよぎった。
「もう帰れないかも知れない…。」
「タージマハル トラベラーズ」という前衛バンドに随行する
決意をしたものの、当時の私に用意できたのは、本を売り
払ったり、仲間からのカンパなどで、片道の航空運賃が
やっとだった。それでも仲間は、この愚行を惜しみない拍手
で送り出した。
「もう帰れない。」
私は白夜の底でそうつぶやいた。
4年に一度の前衛芸術の祭典、「UTOPIA
& VISIONS」は、
ストックホルム湾を望む、小高い丘の上の、国立近代美術館で
こじんまりと開催されていた。日本からの唯一の招待者は、
「東洋のピンクフロイド」と宣伝され、いつのまにか、この国の
人々の注目の的となっていた。ストックにたむろしていた邦人
フリーク達も、見知らぬ同胞に好奇心を抱き、この丘に三々五々
集まってきていた。
このフリークと呼ばれる連中が、果たして何をもって生活して
いるのか理解はできなかったが、そのものおじしない風体は
妙に魅力的であった。。中にはもう5年も世界中を歩き回って
いる者もいた。私は「自由」という言葉を思い浮かべた。彼らが
何者にも拘束されないつわもの達に思われた。私もカッコウ
だけは彼らに負けてはいなかった。腰まで伸ばした髪、あごひげ
を生やし、服装もそれ相応にしていた。しかし心の持ち様は
明らかに違っていた。彼らの目は、私を見抜いているかの様に
冷ややかに感じられた。
つづく
写真 上 白夜のストックホルム(深夜)
中 スウェーデン国立近代美術館
下 美術館に集まった日本人フリーク達
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