延安の娘

"聖地"に置き去りにされた娘は

それでも一目

実の親に逢いたかった

2008年6月21日
現在

池谷 薫

蓮ユニバース(公式サイト) NHKエンタープライズ21  (2002年)

記録映画 カラー ビスタ 日本語字幕(オリジナル言語中国語(北京語及び陜北方言)) 2時間

何 海霞(フー・ハイシア)  王 露成(ワン・ルーチョル、海霞の実の父)  黄 玉嶺(ホアン・ユーリン)
趙 国棟(チャオ・グオトン、黄玉嶺の同級生)  王 偉(ワン・ウェイ)  王 雄驥(ワン・ジョンジー)

「ワイルド・スワン」「大地の子」そして「延安の娘」

黄土高原が果てしなくつづく「中国革命の聖地」延安。貧しい農村の娘・海霞(ハイシア)は、生まれてすぐに自分を棄てた実の親を捜していた。

彼女の両親は、文化大革命の時代、毛沢東の指令によって北京から下放された紅衛兵だった。「私は、なぜ生まれ、棄てられたのか?」。

彼女の激しい思いが引き金となり、かつての紅衛兵たちの間に忌まわしい記憶がよみがえる。その一人、海霞の親探しに奔走する黄玉嶺(ホアン・ユーリン)には、拭い去ることのできない痛ましい過去があった。実は彼にも海霞と同じような境遇の子ができていたのだ。しかし、恋愛さえ御法度という時代の中、彼には<反革命罪>が宣告され、相手の女性は中絶させられた。

30年の封印を解き、海霞と黄玉嶺は真実を明らかにする旅にでる。 

赤い部分が中華人民共和国→

その真ん中あたりの文字部分が黄土高原(延安)

人間の尊厳を問う

いつの時代も、もっとも弱い者が権力の犠牲者となる。毛沢東が全国の中高生を煽動して、自身の権力奪還闘争のために繰り広げた文化大革命。

30年の時を経て、いま50歳の働き盛りを迎えたかつての紅衛兵たちの中には、政治・経済の両面で大きく変貌を遂げた中国社会から見捨てられようとしている者も多い。「命を賭けたあの革命とはなんだったのか?このままでは自分たちの存在が歴史の闇に葬り去られてしまう」。

海霞の親探しは、彼らにとっても、自らの存在と尊厳を問う旅でもあった。  

世界各地で絶賛!! 

「延安の娘」は当初、NHKのハイビジョンチャンネルのために制作された。2年にわたる取材の結果、記録したハイビジョンテープは170時問に及んだ。

撮影は、黄土高原の壮大な風景と主人公たちの溢れる心情を見事に対比させ、力強い映像を生み出した福居正治。

編集は、歴史のうねりに翻弄されてきた人間の複雑な心理を、喜怒哀楽を絡ませ詩情豊かに切り取った2003年度の芸術選奨受賞者・吉岡雅春。

音楽は、「あの子を探して」「初恋の来た道」でチャン・イーモウ監督とコンビを組み、情感溢れる美しい旋律でいまや中国を代表する三宝(San-Bao)。

そして監督の池谷薫は、89年の天安門事件以降ひたすら中国を撮りつづけ、異様なまでの執念でタブーとされてきた文革に挑み「延安の娘」を完成させた。

壮大なスケールで描かれたこのドキュメンタリーは、ベルリン、モントリオール、シカゴ、プラハ、釜山、香港、シンガポールなど世界各地の映画祭で上映され、どの会場も国境を越えた感動の嵐に包まれた。

言葉の説明

文化大革命(ぶんかだいかくめい)

正式名称はプロレタリア文化大革命。毛沢東が発動し、1966年から76年まで中国を激動させた大政治運動。その実態は、“実権派"に党内の主導権を奪われることを恐れた毛沢東による、壮絶な権力奪還闘争であった。81年に共産党中央によって採択された「歴史決議」は、文革を「党と国家と各民族に大きな災難をもたらした内乱」であるとした。(文章に戻る)

毛沢東(マオ・ツァートン1893-1976)

中国の革命指導者。1921年、中国共産党の創立に参加し、「農村が都市を包囲する」という革命理念のもと、抗日戦争・国共内戦を勝利に導いた。1949年、中華人民共和国を建国。中国共産党内部の激しい権力闘争を勝ち抜いて、死のまで党中央の主席だった。(文章に戻る)

下放(かほう)

主に1960年代から70年代にかけて行われた、大量の都市労働者、学生などを農村に移住させた政治運動。文革中の下放は「上山下郷運動」とも呼ばれ、1968年、毛沢東の指令によって行われた。(文章に戻る)

紅衛兵(こうえいへい)

文化大革命の初期に学生たちが自発的に組織した大衆造反組織。その中心は、主に十代半ばの中高生であった。やがて紅衛兵は、毛沢東の積極的な支持を得て、文革の火を全国に燃え広がらせていった。しかし文革発動の翌年には、早くも紅衛兵同士の主導権争いが表面化し、激しい武闘に明け暮れるようになっていった。(文章に戻る)

長征(ちょうせい)

1934年から1935年にかけて、中国共産党が行った2年にわたる大移動。長江の南、江両省瑞金を出発した共産党軍は、途中、国民党軍と激しい闘いを繰り広げながら幾つもの山河を徒歩で越え、黄土高原の陜西省延安に辿り着いた。総行程1万2千5百キロ。当初10万あった兵力は1万以下に激減したが、これによって毛沢東は、抗日戦争の根拠地を以後10年間にわたり延安に築くことができた。

造反運動(ぞうはんうんどう)

「組織や体制の中から、そのあり方に対して批判・抵抗を行うこと」(拠:三省堂刊『大辞林』)。文化大革命時、紅衛兵たちが<毛沢東語録>を手に、「造反有理」(造反には道理がある)と叫び町中を行進した姿は、世界中の新聞・テレビ・雑誌など多くのメディアで紹介された。

老紅軍

かつて毛沢東の指揮のもと長いゲリラ戦を戦った兵士。作品中に登場する老紅軍の一人は、西安事変(1936年)の際、周恩来の通信兵を務めていた。老紅軍は、いまでは延安地区に、わずかに数十人しか生存していない。

本文及び写真・画像は「延安の娘」パンフレット他、蓮ユニバース提供資料等より
(C)2002NHK

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