|
皆のぶんまで 生きていこう
上映時間 1時間54分 公式サイト |
2018年2月5日
現在 |
|
|
新藤 兼人(脚本・原作) |
|
豊川悦司 大竹しのぶ 六平直政 柄本明 倍賞美津子 大杉漣 津川雅彦 川上麻衣子 絵沢萠子 大地泰仁 渡辺大 麿赤兒 |
|
戦争ですべてを失った男と女。
彼らを巡り合わせたのは「一枚のハガキ」だった。
戦争末期に徴集された100人の中年兵は、上官がクジを引いて決めた戦地にそれぞれ赴任することになっていた。クジ引きが行われた夜、松山啓太は仲間の兵士・森川定造から妻・友子より送られてきたという一枚のハガキを手渡される。
今日はお祭りですが あなたがいらっしゃらないので 何の風情もありません。 友子 |
検問が厳しくハガキの返事が出せない定造は、フィリピンへの赴任が決まり、生きて帰って来られないことを覚悟していた。そして宝塚へ赴任する啓太に、もし生き残ったらハガキを持って定造の妻を訪ね、そのハガキを読んだことを伝えてくれと依頼した。
戦争が終わり、100人いた兵士のうち6人が生き残った。その中の一人だった啓太が故郷に帰ると、待っている者は誰もいないばかりか、邪魔者扱いされ、バカにされ生きる気力を失ってしまった。何もかも嫌気がさしブラジルに渡ろうと荷物を整理している時に、定造から託されたハガキを見つける。
一方、夫を亡くした友子は定造の家族に請われ、家に残り次男の嫁になったが、その次男も戦死し、舅も姑も次々と亡くなってしまった。ひとり残された友子は、定造の家族が残した古い家屋と共に朽ち果てようとしていた。
そんなある日、ハガキを持った啓太が訪ねてきた・・・・・。
|
|
映画を愛するすべての人、いまを生きるすべての人に、観てほしい。
日本映画界の至宝、新藤兼人が99年の人生をかけた最後の最高傑作。
日本映画界で最高齢の映画監督である新藤兼人は、2011年4月22日に99歳の誕生日を迎えた。手がけた映画本数は脚本と監督作品を合わせると230本を超え、国内が出数々の賞を受賞している。なかでも、『原爆の子』『裸の島』『午後の遺言状』は、海外の映画祭でも高く評価され、新藤監督の存在を世界に知らしめた。
本作『一枚のハガキ』は、監督自身が32歳の時に徴集され経験した戦争での実体験を元に作られた。上官がクジで決めた戦地から生きて戻ってきた仲間の兵士は100人のうち6人のみで、その一人だった新藤監督は、戦争が終わっても亡くなった94人のことが忘れられず、彼らの魂を感じながら生きてきたという。人の命がクジに左右され、一人の兵士の死は働き手を失った家族のその後の人生をも破滅に導く。そんな戦争の愚かしさと不条理を、体験者ならではの目線で時に激しく、時に笑い飛ばすように描いてみせた。
最後の監督作品となる本作で、自分自身を主人公に投影し、人間が“生きる”ということを真正面から見つめている。
|
生きているかぎり 生きぬきたい |
-生き延びた者として、監督は今の時代をどう見ていらっしゃいますか?
戦争をやると国が保てない。国家が成立しない。だから核兵器をやめようと言ってますが、それは当たり前のこと。私は、戦争は二等兵がやるんだということを告げたい。戦争は偉い人がやるんじゃない、二等兵、一等兵がやるんです。貧しい家庭をやっと保っているのが、二等兵である民衆。一人の兵士が死ねば家庭はむちゃくちゃ。無くなってしまうんです。そういうのが戦争なんだと、それが戦争の本質なんだと。私も二等兵として体験しましたから、そのことを伝えたい。戦争の本質は、一人の戦士の死のあとに家庭はどうなるんだ? という視点のもと、核のことも原爆のことも考えてもらいたい。事実に基づいた私の身の上がありますから、私は力強く自信をもって発言したいと思い、この映画を作りました。
(第23回東京国際映画祭『一枚のハガキ』公式記者会見での発言。作品プレスシートより抜粋) |
- 第54回ブルーリボン賞 監督賞
- キネマ旬報ベストテン 日本映画作品賞
- 第36回報知映画賞 特別賞
- 第66回毎日映画コンクール
日本映画大賞 脚本賞 美術賞 音楽賞 録音賞
- 日刊スポーツ映画大賞 作品賞 監督賞
- 米アカデミー賞 外国語映画賞日本代表(ノミネートならず、残念)
- 第23回東京国際映画祭 審査員特別賞
|
|
監督・脚本・原作/新藤兼人 製作/新藤次郎 渡辺利三 宮永大輔 プロデューサー/新藤次郎 制作プロダクション/近代映画協会 撮影/林雅彦 編集/渡辺行夫 照明/山下博 永田英則 美術/金勝浩一 録音/尾崎聡 ラインプロデューサー/岩谷浩
助成/文化芸術振興費補助金 配給/東京テアトル 宣伝/ビターズ・エンド
2011年 日本 |
|
(C)2011「一枚のハガキ」近代映画協会/渡辺商事/プランダス |
|
35mm Blu-rayDisc |