イタリア旅日記 Part 5 | |||||||||||||
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旅の最後は快晴のヴェネツィアで | |||||||||||||
*12月2日 ヴェネツィア | |||||||||||||
<午前> 晴れ。サン・マルコ大聖堂で、降誕節第1主日の礼拝に出席。 ミサは入祭唱から始まり、聖書朗読と聖歌隊によって進行する伝統的プログラム。金澤先生「このミサは、ラテン語からイタリア語に変わった以外、全く変更はありませんでした」。 ミサの開始と共に内陣正面がぐるりと回り、銀細工の華麗な「正面」が登場。 オルガンと聖歌隊が歌い出し、右手の窓から差し込む朝日が礼拝堂内部のモザイクをまばゆく煌めかせ、奥がよく見える障壁の先では、紫色の衣を着た神父達がチンとベルを鳴らしたり、モクモクと香を炊いたり。 意味が分からなくても、なにやら感覚に迫り、ジンとクル感じがひたひたと。カルヴァンが礼拝堂内部の装飾を剥がし、詩編歌以外の音楽を礼拝堂で禁じたのも、分からぬではないと、少々納得。 障壁のこちら側には、信徒代表的人物が祭壇の端に立って、なにやら朗読したり、歌ったり。その辺りは、最近の変化なのだろうか。 聖書箇所は、旧約聖書、福音書、使徒書とこれも伝統通り。20分程、腕を振り回しながら熱弁を奮った説教は、「9・11以来和が乱れているが、平和の君の訪れを告げるこの時期、希望を持って共に、高みへと登ろうではないか」と言う内容であったと、金澤先生が解説して下さった。 午前中は見学者シャットアウトで礼拝。満席、約300人程はいたか?観光客がほとんどという感じ。 |
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<午後> 昼食はレストラン。誕生日を迎えた参加者に、特製ケーキと、金澤先生、ピネスキ神父、タミンガ氏のサイン入りバースデー・カードをプレゼント(さすがは、西山さん)。 15時からイタリア屈指のオペラ劇場フェニーチェ座が出演するマリ・ブラン劇場でヴェルディ『リゴレット』を鑑賞(オプションだが全員参加)。確かにオーケストラの腕は一流。出だしピッチの怪しかったソリスト達も、どんどん乗ってきて無事にフィナーレ。 18時。路地裏を縫って、ではなく、路地裏で出来ているヴェネツイアの街をつたって一旦ホテルへ。 夕食は自由行動。しかし、放り出すのもどうかと言うことで、4班にグループ分け。 |
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*12月3日 ヴェネツィア / 日本へ | |||||||||||||
晴れ。いよいよ、この旅も最終日。 サン・マルコ広場、ヴィヴァルディが活躍したピエタ教会、向こう岸のサルーテ教会が絵になっている。ヴァポレット(水上バス)に乗ってフラーリ教会へ。ティツィアーノ『被昇天の聖母』、モンテヴェルディの墓など見学。朝日にステンドグラスが輝く。教会前広場の2軒のバールで、29名バラバラに一休み。 バールのトイレに入っていると、耳元で、出発の時に渡されたワイヤレス・イヤホンが「そろそろ集合ですよ」と呼びかける。再びヴァポレットに乗ってサン・マルコ広場に引き返し――急行ヴァポレットは速かった、サン・マルコ大聖堂を見学。昨日の礼拝モードとはうって変わって観光モードの礼拝堂内を、「立ち止まらないで下さい」の掛け声のもと一周。やはり礼拝堂は礼拝するところと実感。 昼から夕食まで自由行動。 最後の夕食は、シーフードレストランで。 |
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*12月4〜5日 ヴェネツィア/パリ/成田 水上タクシーでホテル前を出発。駅の横でバスに乗り換えてヴェネツィア空港へ。道路際の畑に霜が降りて白い。小さな空港なので、搭乗手続きも、荷物検査ものんびり。挙げ句の果てに、税金還付手続きの窓口は、コンピュータが立ち上がらない(確かにDOSの画面のままだった)とのことでギブアップ。途中は順調だったのに、イタリアの初めと終わりが、見事にイタリア。 12月5日午前9時、無事、成田到着。 |
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