夢 を 追 って |
一路がパソコンをやるなんて、それこそ夢にも思っていませんでした。
昨年のことです。春休みに、子供や孫たちと総勢10人で、古希の祝
い?をしました。飲めや歌えのその挙句、ボケ防止にはパソコンが一番
と衆議一決!難聴でもいいよと言われ、すっかりその気になってしまうと
いうか、好奇心旺盛なところは昔も今もおんなじ一路。そこが可愛い?
しかし、あとがたいへん、ご想像のとうりでした。
翌日、軽くて持ち運びができるからとノートパソコンを購入。
しかし、難聴で講習はダメ。結局、「はじめての何とやら」と
いう本を片手の独学です。でも、近くに住んでる孫(高2)の
手も借り、5/1無事メールを始め、インターネットでのサーフィン
が楽しみに。さらに、プリンターやスキャナまで揃えると、もう
止まらない。安物のデジカメを取り寄せ、ついにホームページ
に挑戦することに。というのも孫のゆう君からソフトをプレゼント
されてしまったのです
「一路の夢一途」という本を出してから、まもなく10年です。
その後「輪になって和」(年金者組合と一路)という小冊子も。
また、地域の「消費税をなくす会」でニュースも発行しました。
でもいまは、病院通いと難聴で思うに任せられない状態です。
一路が本を出したとき、「続編を待ってるよ」と言われたことを
思い出しています。このホームページで、書き始められたらい
いのですが、いつになるやら。夢路はるかです。
一路と俳句
一路が初めて俳句を作ったのは、小学生のとき。五七五と
指を折っていたことを覚えている。短歌や童謡なども興に
任せて書きとめていた。活字の虫でもあった。手当たり次第
に本を読みまくり、図書館にも出かけていた。そんな一路に
決定的な欠点があった。すべて直覚的で、感覚だけに頼る
のである。我流もいいところ。そのまま今日まで来たとは!
去年、PC俳句会に入会し、勇んで投稿した挙句は?
「一路さん、<祭り>の五句は<兼題句>の要件を満たして
いないので、推敲再提出を」の指摘に愕然!図書館に行って
句会や兼題句がわかる本を5冊借り出し、うーん、成る程とは!
そんな一路の<祭り>の句。記念に掲載、お許しあれ。
雨音をかさね祇園のみだれ打ち
いなづちにあばれ太鼓のかさね打ち
茶髪娘も三歳児も居て無法松
撥振う若衆の眼涼しけり
ときは今たぎる生命を秘めてあり
デカンショを歌って酔って一路あり
一路と五月
5月が来ると血が騒ぐ。和と初めて会ったのが19歳の5月。
勤め先を辞めて上京したのも22歳の5月。ニコヨンになったのも 5月。
再び前の勤務先に舞い戻ったのも5月。そしていま、5月。
おーい夢五月の空を一路舞う
一路と酒
「一路」というお酒知っていますか?出羽桜酒造(山形・天童市)
から、数量限定で製造されています。純米吟醸酒で美味しいです。
ちょっと値が張るのですが、「一路」は安物ではないぞ!なーんて
言っては、見つけると買っています。
もっとも、このごろは焼酎オンリーです。軽い脳梗塞をやってから
焼酎は血液サラサラでいいなんて言われましてね。
晩酌がなにより薬あー美味い
< no.3 >
道遠しされど更なる夢多し 何かを極めるには、それなりの苦労はつきものです。根性 が求められます。でも、見果てぬ夢を見つづけることの喜び は、なにものにも替えられません。そんな毎日が生きている 証明、自己の存在性を教えてくれます。 |
後になり先になりする坂の道 前の人を追い越さないと気が済まなかった青年時代。 5人前は働き、活動したと自負していた壮年期。そして 高齢者の仲間入りしたいま、ゆっくりゆっくり休みながら 坂道を歩いています。 |
紫陽花や微笑みひろう風の丘 6月2日、詩人であり、俳人であり、クリスチャンでもあり 反核平和に生涯を捧げた故工藤茂又氏の5周年の日、 庭に咲いた純白のあじさいを献花しました。遺影の横に は自筆の句(短冊)が飾られていました。 (工藤さん愛用の歳時記、大切にしています。) 野牡丹やむらさきにほふ風の丘 子冬 |
あじさいや交わす微笑み君もいて 毎朝、庭に咲く花と語るひとときが、最高!。あっ、アネモネが! さつきが!ピンクだよ。そして、あじさいが!新しい出会いに夢 がふくらむ。名も知らぬ小さな黄色や夢色の花々に、幸せを胸に 抱き今日も<元気発信!>。傍に君が居て、最高! |
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< NO.4 >
乙女御の羞じいるように花葵
昨年のある夕暮れ、二人で散歩をしている道肩で、
見事な立ち葵をみつけました。花の種ができていた
ので、少しばかり持ち帰り門の入り口に蒔きました。
以前、葵の家と言われるくらい咲いていたのですが
もう何年か前から絶えています。その種とは違うもの
で、触れなば散らんの趣きがあり気に入っています。
西日受け主(ぬし)待ち居るや立葵
梅雨さなか白粉花(おしろい)咲けり二つ三つ
玄関横に咲いている紫陽花に、寄り添うように白粉花があります。
門からずっと生えているのですが、それらの先を越して早くも
咲いているのを、和がみつけました。(6/25) 梅雨真っ盛り
の昨日・今日のことで、びっくりしています。白い花で毎日、
二つ、三つです。
紫陽花にそっとおしろいめかしけり
君知るや想いをこめし指先に 背中(せな)の痛みは山の彼方に やさしさに君の横顔見つめいる このひとときの幸せに酔う ふつふつと想いあふれて淡い夢 夢の彼方にちぎれ飛び交う |
< NO.5 >
聞きほれる朝のひととき蝉しぐれ
うれしくて掲示板に「蝉の鳴き声聞こえたよ」と
書き込みました。和は毎朝「うるさいぐらい」とか。
難聴の一路は、一年に1〜2回、運良く聞こえる
か、全く聞こえないこともあります。
今年は窓のすぐそばの木に、ワシワシが止まって
羽根を震わして鳴いていました。補聴器を入れた
耳に手をあて集音すると、なつかしい鳴き声が・・・
嬉しかったなあ。
おーい夢星を土産の散歩道 散歩に出るときの空には、まだ金星が一つ見える くらいですが、あっあそこに出てる、こっちにも出た と星を数えながら、いつか夢っぽい気持ちになります。 あの星のそばに並んで輝けたら、なーんて。 二人で散歩をするときは、あの道この道とコースを変 えて、なにかと新しい発見に心をときめかせます。 帰り着く頃には、星も七つ、八つにも。お月さんも毎日 違った顔を見せてくれ楽しいですね。 散歩して見つけた星を持ち帰り |
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≪NO.6 ≫
秋めくや少し細めに寝屋のまど 熱帯夜の続いた夏の間は、窓を開け放していたが お盆過ぎからは朝夕いくらか涼しくなった。寝屋など はなく、居間であり客間でもあるが、そこで寝るから 寝屋にした。朝方は冷えてくるので少し細めの窓に している。 夢一つまたひとつ追う雲の峰 炎暑、入道雲に魅入られるように、じっと見る夢の また夢。時の経つのも忘れていたあの日あの頃。 |
この朝やそ知らぬふうに芙蓉咲き 何日か前に、芙蓉が木のてっぺんにそっと そ知らぬげに咲いていました。一輪だけです。 それから2〜3日咲かず、今度は別の木で二輪 咲いてくれました。これからどんどん咲き競って 毎朝楽しませてくれます。かわいい薄紅色です。 競い咲く芙蓉ほのかな薄化粧 紅芙蓉に物干し竿が・・、干し場とられる洗濯物。 |
昼酒や二杯ごろ寝の暑気払い 小原庄助さんではないが、朝湯・昼酒・ 昼寝が大好きで・・、それで炎暑をやり 過ごす。あー、もっともだ、もっともだ! 幸せのいびき聞きおり古畳 一杯飲むといびきはつきもの。あたりに 誰もいなければよし。畳はなんにも文句 を言わないものね。 |
昨夜(8/29)奈々ちゃんに、ホームページ用にカット描いてと電話しました。すぐ、フアックスで送ってくれました。ありがとう。また面白いのたのむね。 |
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< NO.7 >
あすを待つ蕾ふえゆく紅芙蓉 わが家には二本の芙蓉の木があります。一本は 鉢植えを隣のビルとの側溝の上に置いていたのが 鉢の底から根を下ろし、大木になってもう十年以上。 もう一本は、玄関のドア前に生えてきて二年目です。 若い方からどんどん咲き始め、そのうち咲き競うよう になっています。もう数えきれないほどです。 |
白粉花をそっと抱き寄せ結える朝 それこそ庭や通路にいっぱい咲き染める紅白 のおしろいばな。夏の暑さをものともせず、秋を 迎えていっそう咲き誇っています。それでも風が 吹き荒れた朝は、ぐったり横たわっています。 弱い茎を折らないように、そっと抱き起こし紐で 結わいつけます。すぐ元気になって、笑顔で応え てくれます。可愛いですね! |
露草やひと足ごとに藍点々 朝のひととき、庭先や通路を一巡りします。 一番に眼に飛び込むのが露草です。小さな 体を清々しい藍に染めて、黄色いつぶらな瞳 でみつめてくれます。「おはよう!」と。 今日も、しあわせをありがとう! |
< 8 >
満月や焼酎の数ひとつ増え 晩酌の途中、いまか今かと待ちうけていた 満月が、見事な容姿を現しました。 和が窓を開けて、ほら見えるでしょ、という。 傍に行って見ると、いくら見ても見飽かない きれいな月が、じっと私たちを見つめている。 |
10月31日夜8時過ぎ窓から写しました。 |
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< NO.9 >
月を背にふらふら二つ影法師
きょう(12月2日)も朝から大忙しでした。車庫の
上のセメントが剥げ落ち、両サイドのブロックが
びしょびしょなんです。昨日から防水モルタルで
応急処置をしています。10k袋を6つ使ったので
すが、まだ足りません。でも4時過ぎでストップ。
5時過ぎから一風呂浴び、和が予約していた華
(はなやぎ)に。美味しい料理とお酒で疲れもふっ
とびました。帰り道、振り返ると十六夜のお月様が。
二人の前には影法師がゆらゆら揺れていました。
こころの風景
こころが通じ合うことの大切さを、よく思います。
こころのあたたかい人、つめたいひとと、単純に
割り切ったり、決めつけたりすることは、そのまま
自分のこころの寒々しい原風景を見る気がします。
同じ人間同士だという思いの大切さを、感じます。
いまあるいのちの明日をも知れぬはかなさ。まさに
いまこそが、自分が生きている!と実感しています。
みんな、わずかな時間をもらって生きているのです。
仲良く、こころを通い合わせ、こころ豊かに今日も!
(12月1日)