ドイツ・オーストリア紀行 |
2006年2月27日
定年退職をした1990年、前年の海外旅行の興奮覚めやらず…、パンフを漁って遂に決めた!
それがこの 「ドイツ・オーストリア紀行11日間」 である。退職後、僅か4ヶ月目のこであった
出発日 1990年7月4日。帰国は7月14日。成田発(14:25)ルフトハンザドイツ航空で フランクフルトへ直行便である。帰路も同じであった。行程は、翌日のライン川遊覧、 ローレライ山頂〜ハイデルベルグ〜バート・メルゲントハイム〜ローテンブルグ〜ノイ シュバンシュタイン城〜インスブルック〜ザルツブルグ〜トラン湖遊覧〜ウイーン…。 正味8日間であったが、名物のワインや料理、チロリアンショーやコンサートの夕べ等 忘れられない旅であった。特記したいのは、素晴しい人柄のダーン運転手さんである。 |
川中島にある税関城。左側がローレライ。ザンクト・ゴアスハウゼンの町とねこ城。山頂で昼食・休憩。 ライン川は全長1300km、古城の数2万と云われる。両岸には葡萄畑がどこまでも続いている。 |
バスで宿泊地のリューデスハイムへ。途中花の街アスマンスハウゼンで小休止。 時間に余裕が出来たので、ニーダーバルトの記念碑に立ち寄った。ドイツ再統一 の象徴として国民の寄付で建てられたという。200人の等身大の群像も…。夕食 時間までつぐみ通りで買物をした。 |
大学都市ハイデルベルグは人口12万人うち大学生が2万人超という。左端は城からの街の眺望。 右は城の地下にあるワインの大樽(22万g)の番人・道化師ペルオケ。隣のフロアーでグラス付き ワインを二杯グイッ!次は学生牢内の落書。学生に人気があり入牢希望者が続出。水彩や蝋燭の 煤で描かれた絵や文句で一杯。テオドール橋の端にブロンズ製の猿の彫刻…鏡を差し出している。 橋上から見たハイデルベルグ城。 |
ハイデルベルグから古城街道の美しい小さな町や村、森林や平原を縫ってバスは温泉保養地の バート・メルゲントハイムに向う。左端はホテルのマリテイム。次は、温度差のある温泉水が出て くる仕掛けの鉱泉飲用療法室。中央は街のスナップ。次はローテンブルグ。市庁舎横の時計の両 側の窓には仕掛があり11時にワインを傾ける市長とそれを見守るティリー将軍が出る。その時間 には60mの鐘塔にいた。自由散策が楽しかった。 |
城壁と数多くの見張り塔に囲まれた中世の面影を残すローテンブルグ。左から、レーダー門・ジーバー の塔・グリンゲンの門・聖ヴォルフガング教会(要塞の機能も兼ねている)右端の左側は城壁。他に刑 罰の塔等も多数。ディンケルスビエールの街で昼食と休憩…ロマンティック街道を走る。アウグスブルグ で市庁舎内部(豪華)を見学。壁画(家の壁にフレスコで絵が描かれている)の町を抜けて二泊するガル ミッシュ・バルテンキルヘンに向った。 |
左は、ノイシュバンシュタイン城内からベツラート峡谷とマリーエン橋。上の写真はこの橋の中ほどから 写した。次はアウグスブルグ市庁舎ペルラッハ塔(78m)17世紀初のルネッサンス建築。中央はリンダー ホーフ城正面。広い庭園には様々な彫刻、人造の洞窟(ヴィーナスの洞窟)、滝からの水が馬の鼻や 口から噴き出す噴水。 |