保護者/読書紹介/種まく子供たち


種まく子供たち(小児ガンを体験した七人の物語)

   本を読むのが好きな人のためのページです
             千葉昌之 HIP


1.本について
  
書名「種まく子どもたち 小児ガンを体験した七人の物語」  佐藤律子 編   ポプラ社  第1刷発行 2001年4月  定価1300円(税別)
 この本にはルビ(ひらがな)がふってありますので、小学生高学年・中学生には読むことが可能かと思います。

2.その日に欲しい
 4月19日、この日は夕方5時ごろまで家庭訪問でした。6時からは知人の葬式がありました。
 この日は「種まく子供たち」が書店に置かれる日です。しかし、書店に行く暇がありません。朝、地元の書店に電話すると、「本日、入荷になります」とのこと。私だけなのか、誰でもそうなのかわからないですが、出るものはすぐにでも欲しいものです。
欲しい本は、1秒でも早く読みたいというのが、人情(?)ですよね。
 葬式は夜7時半すぎに終わりました。その後、3年ぶりに会う友人と夕食をとりました。そして、9時になったのです。
 やっと、1軒目の書店へ行きました。「うちは、一般書ではポプラ社のは入れていません」とのこと。がっくりして、車で別の書店へと向かいました。2軒目は、「うちは入荷していません。お取り寄せ、できますよ」とのことでした。
 「いいです。ありがとうございました」ということで、3軒目と向かいました。もう9時半過ぎです。「だめだったら、明日にしよう」ということで3軒目に入りました。
 「1冊だけ、入荷されています」と、書店のお姉さん。「えっ、本当ですか」と目を見開いて喜びました。探しましたが、ありません。5〜6分ほどしてやっと「この本ですね」とお姉さんが取り出してくれました。

 前置きが長くなりました。こんなことはどうでもいいのですが、出たその日に読めるという喜びは、最高なのですよ。

3.「種まく子供たち」とは?
 副題に「小児ガン」とあるから、小児ガンの体験記なんだろうなとわかることでしょう。
 「小児ガン」とは15歳までに発症したものをいうのです。作者の佐藤律子さんは、「はじめの言葉」の中で次のようにおっしゃっています。

 闘病している子供たちは、世の中にたくさんの「種」をまきつづけています。元気の種、勇気の種、思いやりの種‥‥。そして、どの子供も野の花のように凛としています。その種がいつか芽ばえ、たくさんの人の心のなかで育つことを願って、書名は「種まく子供たち」としました。
                                                            (『前掲書』3頁)

 私は、このタイトルに強くひかれました。「種まく子供たち」のHPも「お気に入り」に半年前から入っていましたが、タイトルにひかれたせいもあります。
 自分の息子もそうですが、クラスの子どもたちも、種をまく存在であります。落ち込ませる時もありますが、「元気」の種、「勇気」の種、「思いやりの種」をいつも私はもらっています。
 7名の子ども達には、それぞれ「種」に名前がついています。海いろの種、マシュマロいろの種、ひまわりいろの種、草原色の種、ミニバラいろの種、おひさまいろの種、空いろの種‥‥。

4.「感謝」の種をまき続けた子供たち
 7名それぞれにドラマがあります。再発して亡くなってしまった子。治癒して、現在は大人になっている子。共通しているのは、小児ガンと闘いながら、「感謝の種をまき続けた」ということです。この種で、大人が(私も含めて)どれほど、勇気づけられることか。  元気になることか。
 
 ミニバラいろの種をまきつづけた加藤祐子さんは、次のように書いています。

 お父さん、お母さん、十八年間育ててくれてありがとう
 二人の子供に生まれてきて幸せだったよ
 中二のころからずっと闘病して、ずっと心配かけてきたよね。
 私は病気に負けないと思ってきた。ずっと。
 でも治すこと、できなかった。
 治せなくてごめんね。がんばったんだけどな。
 ごめんね‥‥お父さん。ごめんね‥‥お母さん。
 ありがとう。本当にありがとう。
                                  (『前掲書』126頁)

 つらく厳しい治療、「もう治らないかも知れない」という絶望感を持った時でさえも、子ども達は感謝の気持ちを忘れていません。私だったら、このようなことを言えないのではないかと思います。

 また、空いろの種をまきつづけた佐藤拓也くんは、次のように書いています。

 でももしかしたら、いやたぶん、母がいなかったら僕は正月をむかえることができなかった。そう思います。母に今までずいぶんひどいことや言葉をかけてきたなあと思います。だから僕は母におわびの意味をこめて、長く生きていたい。母が年をとって亡くなるまでそばにいてやりたい。そう思います。僕の時間は終わった。あとの時間は借りた時間だと。それがどれだけありがたいことか。
 だから明日からは時間に流されないようにして、自分が死ぬときまでしっかりと生きたい。目標を持って‥‥。今はそう思っています。

 これが16歳の子の書いた文なのです。
 先ほどの文の加藤さんが「みんな平等にしないで、神様は意地悪だ」と書いています。こんなにも生きたい、こんなにも親孝行していこうと考える子を旅立たせてしまうのは、本当に意地悪なのかも知れません。

 「体験しなければわからない」「失ってはじめて、その大きさに気づく」‥‥、よく言われる言葉です。「7名の手記を理解できたか」と考えると、難しいなと思います。
 でも、「知る」ことはできました。「理解する」という深いレベルではないですが、7名の手記をこうして知ることができました。種は、自分の心にまかれたわけです。私は、7名の子の手記を読み、正直、「自分の息子だったら‥」と考えました。少し怖い気持ちにもなったのも事実です。それとともに、安堵感も覚えました。何でこんなに安らかな気持ちなのかなと考えてみました。7名の子どもたちが病気に一生懸命に立ち向かい、感謝の気持ちを忘れないという態度を知ったからでしょうか。
 
 「感謝の種をまく子供たち」。「感謝」。私も忘れていることです。「ありがとう」より「ごめんなさい」を多く言っている自分に気がつきます。
 7名の子ども達からいただいた「感謝の種」を私の心の中で芽ばえさせたいものです。    

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