このQuodlibet とは「ごたまぜ」、「寄せ集め」とか、「メドレー」という意味のドイツ語です。
過去の Quodlibet: 2001年 12月


実家に帰省しています。いろいろと仕事をやり残してきたおかげで、宿題を抱えての帰省です。ともあれ、一区切り、です。実家のノートパソコンでネット情報をチェックしていたら、驚くべきニュースが飛び込んできました。指揮者の朝比奈先生がお亡くなりになった、と......

5分前に気づいたので、まだ信じられません。そういえば、名古屋での公演のあとに、体調不良で入院された、という記事を新聞で見かけて(それも小さな記事でしたが)、不安がよぎったことを思い出します。93歳。

私は朝比奈先生のコンサートには、残念ながら行ったことがありません。ただ、先生のCDや、著書、ドキュメント映像からは強い影響を受けていると思っています。私のブルックナーは朝比奈先生から入っていますし、バンカラというか、職人気質への憧れは、「朝比奈隆」という人が生きてきた世界への憧れでもあります。

指揮者として、先人の残した作品と対峙する時、自分が立つ「基点」を定める。その土台がしっかりとしたものでないと、その上に頑強な構築物=交響曲を組み立てられない。だから、指揮者は「哲学」を学ぶべきだし、幅広い知見を持っておく必要がある。そして、それを包容する人間性も...。

朝比奈先生の魅力の一つは、上に書いたようなことを、頭でっかちにならずに、ユーモアを交えて語れるところではないかと思います。愉快なエピソードは枚挙をいとわず、そうした経験を日本語で残してくれていることは、私達日本人の音楽愛好家にはたまらない財産だと思います。しかし、しかし、です。

今、「モリムール」というCDを聞いています。バッハの無伴奏バイオリンパルティータ第2番のシャコンヌの解釈として、バッハの最初の妻であった、マリーア・バルバラ(バッハが旅の最中に病気で突然亡くなり、バッハが旅から帰った時には、すでに埋葬まで済んでしまったあとだったという)への追悼曲ではないか、という説が最近発表されたそうです。このCDは、その説にのっとって、シャコンヌに織りこまれているコラールを洗い出し、声楽を交えてバッハの考えていた音楽を表現しようという試みのようです。

この新説には疑問も多いようですが、愛妻家のバッハが、バルバラの死と同時期にまとめた無伴奏バイオリンパルティータを、平常心で書けたとは思えません。

そこに織り込まれていると言われるコラール。ぞっとするような言葉。「死に打ち勝てるものは誰もいなかった」。

きっと、これから朝比奈先生の追悼として記事がでることでしょう。いくつかCDも出ると思います。きっと、こんなフレーズと一緒に。「世界最高齢の指揮者の....」。そんな言葉で飾られるのが、朝比奈先生の本質ではないのに。きっと、私はその言葉を聞くたびに、むなしさと怒りを覚えるに違いありません。

年齢という数字が大事なのか? ブルックナーの交響曲全集が,何回出たかが大事か? 少なくとも、音楽に携わる者ならば、その音楽家が何を目指していたか、何をやろうとしていたのかを思慮すべきでしょう! もう、あの偉大な音楽家は死んでしまったのですから! 

もう、朝比奈先生の音楽に直接触れることは出来なくなってしまいました。世の中から、一つの音楽が止まってしまいました。こんなことを書いてはいけないのでしょうけれど、私もしばらくは空虚な状態が続きそうです。(2001/12/30)


職場からです。暮れも押し迫ってきましたが、実験データの揃いが悪く、祝日出勤して測定をしております。

いつからかクリスマスで心を弾ませる、ということが無くなってきた気がします。私はクリスチャンではありませんし、何か特別なイベントに参加するとか、誰かと時間を share するという事も、ここ10年以上ご無沙汰してます。
ま、いいじゃん。クリスマス商戦に踊らされている(ように見える)日本社会を斜めに見つつ職場に籠もる、というのも、1つの過ごし方。けれど、正直、寂しいですなぁ。

一度でいいから、やってみたいイベント。教会ミサに出席してトランペットを吹く。これねぇ、是非とも一度やってみたいのです。私の長年の夢です。場所は北国。寒い場所が好きな私としては、やはり雪は必須要項。教会の規模としては、100人弱入れる程度の大きさで、こじんまりしている割に天井が高い所がよろしいかと。

ミサが夕方5時からだとすると、リハーサルは午後1時くらいからですな。と、言いつつその日に合奏があるというだけで、いてもたってもいられない私としては、昼前から会場に行ったりする。そうすると同類項の「遠足前の心を抑えきれない小学生」のような人たちがすでに来てたりして、頼まれてもいないのに、椅子を並べたり、マイクのセッティングをしたり、ロウソクを並べたりしている。「間違えて早く来過ぎちゃってさー」なんて言っているTb吹きの人は、確か東京から飛行機で来ている人だったような。毎年恒例の行事なのに、勘違いで間違えるはずないのにね。

合奏隊の編成は、基本的に吹奏楽。希望としては、平均年齢が40歳くらいで、かと思うと高校生くらいの子が混じっていたりする混成チーム。だいたいが、その教会の音楽好きな牧師さんのツテで集まった物好き集団で、今となっては年に一度だけ顔を合わせるくらいなもの。長老組の人たちが若い頃に立ち上げた集まりが母集団だったりしたそうな。不思議なほど閉鎖的な感じがしなくて、もう、10年以上も一緒に吹いているような感じがする。

楽譜も、なぜか in C だったり in D が混ざっている(オケじゃ当たり前ですが)。なんでこんなのが紛れ込んでるのか分からないけど、毎年やっている曲はこれでも可としときましょ。そう思っていると、本番直前に楽譜が配られたりして。「初見で悪いけど、やってくれ」。まいったなー、とか言いながら、顔がニヤけている人が何人か。ギャンブルをしない私には分かりませんが、独特のピリピリした感じは近いものがあるのかと。

曲目は賛美歌が主体の他、2,3曲は楽器だけの演奏がはいる。賛美歌の伴奏は、歌詞が5番、6番まであったりして、合唱にあわせてえんえんと吹き続けるのは結構疲れる。そろそろきつくなってきたな、と思っていると、隣で同じパートを吹いている人が、次休んでもいいよ、と無言で合図を送ってくれる。お言葉に甘えて休息したのち、次は私が吹きますからどうぞ、って合図を送って、何事もなかったかのように演奏を交代する。

曲の最後の和音は是非、ドミナントを吹きたいですなー。主音を吹くのは他の方々にお任せして、音量は mp くらいで、響きだけがフォルテで聞こえるようにカッチリと仕上げたいものです。

ミサ終了後。打ち上げ。これはコーヒーとビスケットがあれば言うことなし。こういう雰囲気でお酒はヤボなのでやめときましょ。(打ち上げというよりは、ご苦労さん会?)。「今年も良いミサでしたねー。」とか言ったりしていると、50歳くらいのおじさんが、「新しく出たヤマハのトランペット、どう思う?」とか話しているのが聞こえたりする。50歳過ぎのアマチュアが楽器を買おうなんて、と半分あきれて話しているうちに、こっちまでひきずりこまれたりして。悪くない。悪くないぞ。

「じゃ、また来年」。短く挨拶して、楽隊仲間と別れる。考えてみれば、この人たちと楽器を一緒に吹いているなんて、不思議な巡り合わせだよな、と一瞬、雪の舞う夜空を見上げた次の瞬間に、こういう奇跡のような機会に巡り合えるということは、神様って案外本当にいるのかもな、と思いつつ、家路をたどる...。

なーーんてイヴェント。どっかにないかねぇ。ここにラッパ吹き一人、あまってます。(2001/12/24)


蕁麻疹(じんましん)になってしまいました。8日(土)は、楽しみにしていた、グスタフ・レオンハルトさんのチェンバロの演奏会で名古屋に行っていたのですが、演奏会中から、どうも体が痒いな、と思っていたのです。そうしたら、案の定、夜中になって体中に蕁麻疹が現れて、痒くて眠れなくなってしまいました。あまりに酷いので、電話帳で夜間救急病院を探して、自分で車を運転して駆け込みました。

診察を受けて、注射を打ってもったらラクになりました。夜中の3時半頃の話ですが、こういう時間帯に診察してくれるお医者さんというのは、本当にありがたいと思いました。原因は分からないのですが、食べ物かストレスではないか、ということでした。そう言えば、先週はデータ整理やら仕事の片づけで夜遅くまで仕事をしていたことが重なっていたので、そのせいかもしれません。まる1日前に、職場の会合で出た寿司にエビ、カニの類が紛れ込んでいた偶然があったのかもしれません。今まで、蕁麻疹が出たことは無かったので、本当にびっくりしました。私も歳をとってしまった、ということでしょうか。

とにかく静養したほうが良い、ということもあって、日曜日の市民バンドの練習はお休みさせて頂きました。聞いたところによると、京都からSさんがいらっしゃっていたということでしたが、そういう顛末があったのでお休みさせて頂きました>Sさん。月曜日から実験ために出張に出なければならなかったのですが、そちらは無事に終えて、今日(水曜日)、帰ってくることができました。

今は薬で症状を抑えられているので、大丈夫です。でも、しばらくは用心しようと思います。みなさまも年末とはいえ、体にはご用心を。(2001/12/12)



恐れていた12月が来てしまいました。締め切り、忘年会、締め切り、実験、締め切り、打ち合わせ、締め切り...。無事に年が越せますように。

今週は、学会発表があったので、毎日忙しかったのです。(教え子の前で発表する、というのは初めての経験ですが、緊張しますね)。今日は天気も穏やかで、バンドの練習も無い日だったので、のんびりと楽器の掃除をしました。今の Schagerl を買ってから、1年経ちましたが、あまり手入れをしていなかったので、思い切って洗うことにしました。思い切って、というのも大げさなのですが、なにしろ洗っている最中に楽器をぶつけたりすると、何をしているのか分からなくなってしまうので、覚悟がいるのです。

金管楽器は、基本的に丸洗いが可能です。汚れといっても、殆どがスライドグリスが内壁にこびりついたもの(だと思うのですが)です。今日はちょっと贅沢して、お湯を使ってしまいました。ベルからドボドボっとお湯をいれて、マウスパイプからスライドグリスのなれの果て(と信じているもの)が流れていく様を見ているのは気持ちのいいものです。木管楽器奏者の方には味わえない、一種の快感ですね。(そんなことを自慢しているより、マメに掃除しなさい、という話もありますが)。

午後3時半からはレッスン。大きな壁にぶつかっています。先週は、Es から始まる音階の音程がとれてない、という宿題を頂いていました。そこで、自宅のPCのMIDI音源にEs-durの音階を鳴らさせて、チェックしてみました。その結果、確かにおかしな音が出ているのです。これは抜き差し管の長さを調整すれば、改善できることが判明しました。同じ抜き差し管を使う音の音程も、これで改善されました。

それにしても、これまであの妙な音程で吹き散らかしていたのかと思うと、ゾッとします。それに、前にもこのページに書いたことですが、自分の音痴にはイヤになります。

今日はまた、音程の問題にぶつかりました。トランペットの低いドの音より下の音域の音程が怪しいのです。総じて高くなっていて、音程のツボにはまっていないのです。これは楽器のせいというよりも、自分の力の抜き加減の問題です。先生には、息のスピードをもう少し遅くして、ぐっと手前に引き寄せるようにすると良いですよ、とアドバイスを頂きました。が、実践するのはなかなか難しいです。要練習です。

ネルーダのコンチェルトは、先週、先生からコルノ・ダ・カッチャで演奏したテープをお借りして予習をしていたので、前回よりも、スムースに通るようになりました。テープのマネをするのはどうか、という意見もあるでしょうけれど、今は勉強している身ですから、格好が良いとか悪いとかいっている場合ではないです。いろいろとコピーさせてもらうことにしました。

まずはブレスの場所。この曲は、音が高い上に、ブレスをとれるような隙間がなかなか見つからなかったので、テープを聴いてそこをチェック。基本は4小節単位、ということですが、例外もあるので、フレーズの途中でとっている場合の、音の処理にも注目。

次はトリルの取り方。私の場合は、どうしても「トリルしてますっ!」という吹き方になってしまうので、それを大味にならないようにするイメージをコピー。それにしても、この Ludwig Guettler という人、うまいなぁ。

前回のレッスンでは、音は出ているけど、力が入りすぎていて音が細くなってしまっていたので、その対策も考えてみました。まずは、力が入らないようにする工夫として、立奏中、膝をちょっと曲げて、意図的に重心を下げるようにしてみました。こうすると、ちょっと格好悪いのですが、上体の力を抜けるようです。それと、入ってしまった力の抜き方として、ブレスをするときに、余計な力を抜くようにしてみました。ブレスの度に体にリセットをかけるようにしてみたら、高い音の連続でも、カチカチにならずにすむようになってきました。

いろいろとイメージを作っていったおかげもあり、今日はたまたま調子が良かったせいもあって、前回よりは「らしい」感じが出てきたと思います。4小節単位の構造も、ちょっとずつ意識できるようになってきたし。ただ、あいかわらずテクニカルなところになると、途端に音楽の取り方が狭くなってしまいます。そういうところは、明らかに音が頭に入っていないので、次の展開が自分でも見えなくなっているところです。もっと体に染みつかせていけば、クリアーできると思っています。実に素直な曲ですし、吹いていて楽しいです。

レッスンの帰り道。FM から「椿姫」が流れてきました。フェニーチェ歌劇場の日本公演の録音だそうです。生でみたかったな。

訳あって DVD を買ってきました。3枚も(うち、プッチーニ2枚を含む)。買ったのはいいけれど、見る時間がとれるかどうか、そちらが問題です。職場の Mac で見たら、まずい、よなぁ。