科学はなぜUFOを”異星人の乗り物”と見なさないのか?
UFOを目撃した人はたくさんいます。その正体は何でしょうか?。そもそもUFOとは何でしょうか?。
UFOとは未確認飛行物体の略です。このことは重大な意味を持っています。つまりUFOの正体が分かった瞬間、その空飛ぶ物体はUFOではなくなってしまうのです。だって正体が確認されてしまったのですから当然です。正体が分かったら、それはもはや”未”確認ではありません。
もっともこれは私達の問い、すなわち
”科学はなぜUFOを異星人の乗り物とみなさないのか?”
に対してなにも答えていません。でも次ぎのことが言えそうです。つまりこの問題は2つに分けて考えた方がいいのではないか、ということです。
まずはUFOの正体が分からない場合です、つまりUFOはUFOのままの場合を考えましょう。具体的には
”なんだか良く分からないものが空を飛んでいる”
のを目撃した場合ですね。これは以下のような質問になるのではないでしょうか。
問い1:”UFOの正体は分からない、だから推測するしかない、なぜ科学はUFOの正体を異星人の乗り物と考えないのだろう?”
次ぎに考えるのはUFOの正体が分かった、UFOがUFOではなくなった場合です。具体的に言うと
”異星人の宇宙船や異星人そのものを見たあ〜〜〜〜”という場合です。
問い2:”UFOではなく、異星人の乗り物としか思えないものを目撃した。また異星人に連れ去られたという人たちもいる。科学はこれをどう考えるのだろうか?”
(問い2は工事中です→)
では順番に考えてみましょう。まずは1番からです。
問い1:UFOの正体は分からない、だから推測するしかない。なぜ科学はUFOの正体を異星人の乗り物と考えないのだろう?
有限の証拠から導き出される仮説は無限にあります。つまり、幾つかの、たとえば1つか2つの証拠から考えられる答えは数えきれないほどあるのです。ですから私達は数限り無い答えの中から、もっとも妥当な答えを選ばなくてはなりません。
さて、あなたはある日、見たこともない物体が空を飛んでいるのを見てしまいました。この正体の分からない飛行物体、つまりUFOの正体を推測できるでしょうか?そもそもあなたの見たUFOの正体の候補、つまり正体を説明する仮説の数は幾つあるのでしょうか?。
先に述べたように仮説の数は無限です。例えば、あなたの見たものは星かもしれません。例えば、雲が動くと星がすごい勢いで動くように錯覚してしまう時があります。意外とあなたの見たものは星かもしれません。あるいは飛行機や、人工衛星かもしれません。流れ星かもしれません。
雲の合間から星を見ていると、雲が動いているのにまるで星の方が動いているように見える時があります。また、夕方、西の方向に向かっていくジェット機は、夕日を反射してギラギラ輝きます。反射する角度の関係なのでしょう。急に暗くなってしまう時もあります。これは頭上を飛んでいる航空機でも同じことが起こることから推測できます。
また、はるか地平線にまで飛び去った航空機の飛行機雲は、まるで火の玉のようにきれいなオレンジ色になります。夕暮れ、地平線の彼方まで飛行機を目で追いながら、ぼんやりと空を眺めたことがあれば、そうであるのならこういうことが分かるでしょう。でもあまり暇がない人では驚くでしょうね。
もしかしたら、あなたの見たものは異星人の乗り物かもしれません。あるいは幽霊や人魂かもしれません。渡り鳥かもしれないし、妖精かもしれません。あるいはタヌキやキツネが化けたものかもしれないし、私達が想像もできない変なものかもしれません。
このような無数の仮説から私達はどれを選べばいいのでしょうか?
答えを選びだす方法はたくさんあります。テストでどの答えか分からない時、鉛筆サイコロを使ったことはありませんか?。あれもひとつの方法です。山勘を使った人もいませんか?、それもひとつの方法です。他にも占いや宗教、イデオロギー的な解釈もあるでしょう。
このように”無数の答えの中からひとつ”を選びだす手段はたくさんあることが分かります。そして、科学とはそうしたたくさんある手段のなかのひとつなのです。
では科学ではどの答えを選べばいいのでしょうか?。科学の基本的な姿勢にオッカムの剃刀や最節約というものがあります。どちらも単純に言えば、
”その仮説に必要な特別な説明が少なければ少ないほどよい仮説である”
という考え方です。先に取り上げた”あなた”の目撃談は時刻が昼なのか、夜なのかすら決めていません。ですから答えの出しようがないように見えますが、そのぶん余計なことを考えないですみますから、比較がしやすいでしょう。(ようするに普遍的でシンプルに考えられるというわけです)
さて、考えてみましょう。UFOの正体として取り上げた候補は2つに大別できそうです。
1:すでに実在が確認されているもの・・・人工衛星や飛行機
2:まだ実在が確認されていないもの・・・異星人の乗り物や幽霊、妖精
まず、グループ2は1よりも説明が多く必要ではないでしょうか?。それはなぜか?。まず、”存在する”という条件というか説明が必要だからです。つまりグループ2は1よりもその点ですでに説明が多くなっているわけです。要するに最節約とか、オッカムの剃刀という考え方ではグループ1よりグループ2は不利になります。
例えばUFOの正体は妖精であるという仮説を考えてみましょう。
仮説:あなたの見たUFOは妖精である。
1:妖精が存在する(このことがまず第一の条件になる)。
2:妖精がUFOの正体ならば、妖精は存在するが、いつもは私達の前に姿を現さないらしい。目撃されたことがないのだ。
3:また、UFOの正体が妖精なら、彼らが空にいる時か、距離が離れると見えることになる。
4:以上の条件が満たされても説明しなくてはならない矛盾がある。私達は空を飛行機で飛んでいる、にもかかわらず空で妖精を見た者はいない。
5:グレムリンのような目撃例もあるという人もいるだろう。するとまれに人間の前に姿を現すらしい。しかし、このことはむしろ説明を多くするだけのようだ。
結論:UFOの正体が妖精であるという説は必要な説明がちょっと多すぎではないだろうか?
UFO の正体は上のイラストのように、妖精であるかもしれません。もっとも妖精説は本文で述べたように、必要とする説明がいささか多すぎるようです。そうしたわけで”科学”という方法論に基づくと、この仮説を選ぶ理由は見当たらないでしょう。
とはいえ科学はUFO の正体が妖精であることを否定したわけではありません。単に選ぶ必要を認めないだけです。また、以下に本文で述べるように、UFO=妖精説は世間一般で言われるUFO と政府の陰謀説よりは、より健全かもしれません。
以上の文章の妖精の部分を幽霊や人魂に取り替えてもあまり変わらないのではないでしょうか?。そしてこのことは科学という方法論に基づく限り、幽霊や妖精説に無理があることを示しています。では異星人の場合はどうでしょうか?。
少なくとも地球には生物がいる。そして知的な生物、私達、人間がいる。太陽は宇宙では特別な存在ではない。そして私達を作る有機物や水は宇宙でもありふれているものだ。そして火星に生物がいた可能性も指摘されているし、有力な証拠もある。宇宙は広い、近くにいる!!と断言すれば分は悪いが、どこかにいる!!、と言えば賭けに勝つ可能性は非常に高いだろう。
ではあなたの見たUFOは異星人の宇宙船や探査機なのだろうか。考えてみよう。
仮説:あなたの見たUFOは異星人の乗り物か、それに類する人工物である。
1:異星人が存在する。異星人が存在するという積極的な理由はない。いてもよいはずなのだが、私達はいまだに証拠をつかんでいない。近くに高度な機械文明があるのなら探知できそうなものだ。電波を放出しないにしても、少なくと熱を放出してもおかしくない。あるいはよほど遠くにいて私達には探知できないのだろう。宇宙は広大である。
2:異星人が地球にやってきた。いることと、やってくることは同じではない。いること。そしてやってくること、この2つの説明が必要だ。
3:さらに彼らは地球人と接触していない。少なくとも一般にそうした確固たる事実は知られていない。このことには説明が必要だ。彼らはそもそも人類に接触することに価値を見い出していないのかもしれない(そのくせやたら友好的でブロンド女性というずいぶんな宇宙人の目撃例があるのはどういうことだろう?)。
あるいは接触しているのに、その情報がまったく一般に知られないようになっているらしい。(・・・にも関わらず彼らはいけしゃあしゃあと目撃されるようなことをした。情報を隠している人たちがいるのなら慌てているだろう・・)
結論:魅力的な仮説だし妖精説よりはシンプルかもしれない。しかしながらやはり説明が多く必要なように見える。特に彼らが接触してこない理由を考えると、とたんに説明が多くなりそうだ。(場合によっては妖精説より分が悪いかもしれない・・・)
あなたの見たUFOは変な異星人の乗り物や探査機だったのだろうか?。
あわてて結論する前に、UFOの正体が飛行機や人工衛星ならどうだろうか?、それを考えてみよう。
仮説:あなたの見たUFOの正体は飛行機である。
1:あなたは飛んでいる飛行機を飛行機であると気がつかなかった。
・・・・・困った。仮説に必要な説明を他に思い付けない。実際、”UFOを見た”というだけの目撃談でこれ以上書くのは難しそうだ。だが、これから分かることがひとつある。科学という視点からすると、この仮説は先に上げた妖精説や異星人の乗り物説より格段に有利であるということだ。
結論:この仮説はとてもシンプルで、余計な説明がほとんどいらない。少なくともUFOの正体が妖精、あるいは異星人の乗り物であるとする仮説よりはずっとよい。
ではあなたの見たUFOは飛行機だったのだろうか?。いやっ、ちょっと待て!!。この仮説の飛行機の部分を人工衛星や渡り鳥、流れ星に取り替えてみよう。飛行機説は人工衛星説や渡り鳥説に比べて有利だろうか?。
そんなことはない。どれも仮説を説明するのに必要な”説明”の数は飛行機説とかわらないはずだ。つまり、科学という立場からはこの場合、飛行機説も渡り鳥説も流れ星説も人工衛星説も同じくらい確かだということになる。
まとめ:あなたが見たUFOの正体は飛行機かもしれないし、渡り鳥かもしれない。
あるいは人工衛星かもしれないし流れ星かもしれない。あるいは私が思い付かなかった同じくらい確かな他の何かかもしれない。もっと詳しい話を聞かないとこれ以上は絞り込めないだろう。いずれにせよ異星人の乗り物や妖精を選ぶ必要はない。
あなたはこの答えを聞いて失望するかもしれない。なんだ・・・それじゃ何も分かっていないのと一緒じゃないか・・・。しかし、科学とはそういうものです。別に科学はどんな問題にも答えを与えてくれる魔法の道具ではありません。
そういえば”科学でも分からない”というフレーズを聞いたことはありませんか?。あれも誤解の一種ではないでしょうか。科学にも分からないことがある・・、そりゃそうです。科学はどんな問題にも答えを与えてくれる、そんな”いかがわしい”ものではありません。
ところで、科学はUFOが異星人の乗り物であるという仮説を否定したのでしょうか?。いいえ、そんなことはありません。UFO=異星人の乗り物説は多くの説明を必要とするから選ぶ必要がない、と言っているだけです。否定してしまったわけではありません。
かといって、選んでよいと言っているわけでもありません。でも、どうしても選びたい人はどうすればよいのでしょうか?
”別に科学という方法論にこだわらなきゃいいじゃん”
それが答えではないでしょうか?。科学以外の方法論は無数にあります。そうした方法論の中にはUFOの正体が妖精であると答えるものも、異星人の乗り物であると答えるものもあるでしょう。
ですから科学の結論に失望した人はそこへ行けばよいわけです。ただし科学の結論に口をはさむことはできなくなります。同じことは科学という方法論を使う人にも言えるでしょう。科学者が、UFO=異星人の乗り物説や妖精説、さらにはブンブクチャガマ説に目くじらをたてることはないのです。なぜって異なる方法論に基づいた異なる世界のお話なのですから、お互い議論のしようがないではないですか。
結論:科学という方法論に基づく限り、UFO=異星人の乗り物説は妖精説よりは分が良い(かもしれない)。だが残念なことに飛行機や人工衛星説などと比べるとかなり分が悪い。もちろん異星人の乗り物説が否定されたわけではないが、この仮説を特に選ぶ理由は存在しない。そしてこの結論は、科学という方法論を選んだ時点で既に決まっていたことなのだ。
一部の人には悲しい話かもしれない。しかし気にすることはない。仮説を選択する方法論は数多くある。異星人説を積極的に推薦してくれる方法論があるであろう。お好みの答えを出す方法論を選べばよい。
ただし、その場合、科学者と議論することはできない。同じ理由で科学者もまた、異星人説を支持する人と議論するべきではない。用いている方法論が違うのだから議論が噛み合うわけがない。そのような議論は不毛なものにしかならないだろう。そんな不毛な時間で人生を削るよりは、ボンヤリと星空を見上げた方がよいのではないだろうか?。
夜、ぼんやりと星を見上げることは目に良いし、また心にも良いものだろう。夜に限ったことではないが、空はたくさんの”飛ぶものたち”で一杯だ。
特に夜の空なら夜行性のサギや人工衛星、流れ星、火球、飛行機、コウモリ、虫などを見ることができる。UFO 騒ぎの多くは、皆が空を見上げてボンヤリ過ごす時間がないためかもしれない。
たまにはこんな時間の過ごし方も悪くはない。
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