お天気ボックス

 ここにお天気ボックスという天気を当てる箱があります。この箱はある人の持ち物なのですが、箱の中身はまったく不明です。ようするにお天気ボックスが天気予報をどう行うのか、その仕組み(あるいはアルゴリズム)はまったく不明なわけです。さて、その箱の中から明日の天気は晴れと書かれた紙がコトっと出てきました。あなたはそれを信用するべきでしょうか?。

 あなたの友人は天気予報士です。友人は気象庁から発表されたデーターや低気圧や高気圧の位置を知っていますし、どんな気圧配置の時にどんな天気になるのか知っています。さらにどのような時にどう考え予想すればいいのか、自分はどう判断するのか、友人はそのことをあなたにちゃんと説明できます。友人の予想ではかなりの確率で明日の天気は曇り後、雨です。

 さて、現時点ではあなたはどちらを信用しますか?。多分、大部分の人は友人の天気予報士を選ぶのではないでしょうか。なぜでしょう?。それは友人の天気予報士の判断の方がデーターとアルゴリズム(どうデーターを処理したのか)がはっきりしていること、そしてそのアルゴリズムを検討してみて(直感的にせよ、感覚的にせよ、あるいは考えた結果であるにせよ)これは信用できそうだと思ったからではないでしょうか。

 では、今度はこう考えてみましょう。

 翌日の天気が晴れだったのなら、あなたは今度は箱を信用しますか?。すぐ信用する人もいるはずです。しかしまだまだ箱のことを信用しない人もいるでしょう。

 信用する人はいうでしょう。答えがあたったのだから箱を信用していい。

 信用しない人はいうでしょう、1回当たったぐらいでは信用できない。

 確かに、答えが当たったのだから答えを導いた箱をアルゴリズム不明のまま信用することもできます。

 確かに、アルゴリズム不明では正解が偶然なのか必然なのか分からないのだから箱に疑問を抱くこともできます。

 実際、答えが当たったからといってその答えを導いたアルゴリズムが正しいとは限りません。テストの答えを予想する方法は鉛筆サイコロでもできます。ですが誰もそのサイコロにテストの答えを予想する能力があり、それが正しいなどと考えません。またそのアルゴリズム(例えば鉛筆サイコロ)がこれからも正しい答えを導くとは限りませんし、そのアルゴリズムが導いた他の答えが正しいことになるわけでもありません。同じように、お天気ボックスも1回天気を当てたぐらいではおいそれと信用されてもらえないわけです。

 人によってはお天気ボックスは不当な疑惑をもたれている、そう言うかもしれません。ですが原因は私達の疑り深さにあるのではなく、お天気ボックスのあり方にあるのではないでしょうか?。。お天気ボックスは中身を見せていないのです、ようするにアルゴリズムを隠している。これでは評価のしようがありません。お天気ボックスがある意味で不当な評価をされるのは自分自身の態度にあるわけです。

 では中身を見せたらどうなるか?。

 例えばお天気ボックスを開けたら中身に印刷機とノートパソコンが入っていて気象庁の最新の情報や気象予報ができるソフトを搭載したスーパーコンピューターとアクセスしていたらどうでしょうか?(実際にそんなことができるのかどうか知りませんけど、これはもしもの話)。さらに気象衛星とも直結していたらどうなるか?。さらに優秀な気象予報士ともアクセスしていたらどうか?。これなら箱を開けら、とたんに信用度がアップしそうです。なぜか?。それは箱の中身をみて、その予想の仕組みを見た人の多くが、

 ”このお天気ボックスが翌日の天気を当てたのはどうやら必然的な理由があったかららしい”

と思ったからでしょう。

 では逆のケースを考えてみましょう。もし箱を開けたら、天気についてあらかじめ書かれた紙がランダムに出てくる仕掛けが入っていたらどうでしょうか?。ようするに、おみくじよろしく、あらかじめ晴れだの雨だの曇りだのと書かれた紙が入っていて、それが時計仕掛けかバネ仕掛けかなんかでランダムに出てくるってカラクリです。これならどうなるでしょう?。多分、箱を開けた途端にお天気ボックスの信用度は大暴落するでしょう。なぜか?。それは箱の中身を見たほとんどすべての人が、

 ”このお天気ボックスが翌日の天気を当てたのはどうもまったくの偶然らしい・・・・”

と思うからでしょう。

 ようするに、

 答えがあたっても中身が中身だったら当たったのは偶然だろう、と判断される

 反対に中身がそれなりにしっかりしていたら当たったのは必然らしいということになり、信用の度合いが上がり、はずれていても”何かの不可抗力(確率とか)に違いない”と判断されて、極端に信用の度合いが下がるというわけではない

わけです。でも中身が見せてもらえなかったら?。最初のように予想が当たってもそれが偶然なのか必然なのか、私達には確信がもてないままなわけですね。

 だから当たっても信用の度合いは無批判に上がるわけではない。

 科学の世界ではいかなるデーターを使ったか、そしてそのデーターをどう処理したのか(どのようなアルゴリズムで処理したのか)を明らかにすることを求められます。それがどうしてかは、これを考えれば分かりますね。実際、君には言えないデーターを君には言えないすっごいすばらしいやり方で処理したらこのような結果がでた。結果は僕が保証するから信用してね^^)って言われても、それでは困る。

 逆にいうと占い師や心霊鑑定士とかがウサンくさい目で見られたり、科学からは相手にされないのはそのせいなんでしょうね(彼らのアルゴリズムはしばしばまったく不明である)。

 

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