オッカムの剃刀

少しで済むのにたくさん用いるのは無駄である

Ockham's razor

オッカムの剃刀

 

 ウィリアム・オブ・オッカム(William of Ockham)は一般にオッカムの剃刀という言葉に名前を残している人物として知られています。

 オッカムはイギリスのオックスフォードにいた神学者で、没したのが1349年。生まれた年は不明ですが1285年頃ということです。神学に関する議論と論争にかかわった人物であるようですが(北村はまだ詳しくは把握していません)、科学の世界において、彼は科学における物の考え方に大きな影響を与えた哲学者であると見なされています。

 オッカムの考え方は例えば次ぎのようなものです。

 少しで済むのにたくさん用いるのは無駄である

 例えば、当時のヨーロッパでは惑星や太陽、月、星は地球の周囲をめぐるとされていました。そして惑星はそれぞれ天使によって動かされる、そう考えられていました。

 そう考えられた理由は、まず第一に当時の人々が、

 ”物体が動き続けるには動力が必要である”

 そのように考えたからです。

 そう考えるのも無理はありません。実際、床の上でボールを転がすと、ボールはいずれ止まってしまいますよね。ボールが動き続けるには人間や動物が押すか、あるいは風がふくなど外から加わる力が必要です。また考えてみれば人間も活力がある間は身体を”動かし”続けられますが、死んだら動きません。ようするに活力なり動力がなくなったら動かない。ですから当時の人々が、物体が動くためには”動力が必要である”そう解釈するのは当たり前のことだったのでしょう。

 さて、星や月などの天体は絶えず動き続けています。それは空を見れば分かることです。

 以上のことから考えると、動き続ける惑星には、動かす動力を与えるものが存在すると考えなくてはいけません。そうした惑星に動力を与えるもの、それはカトリック教会にとっては天使でした。そのためそれぞれの天使がそれぞれの惑星を動かすと考えられたのです。

 

 こうした考えに対してオッカムは

 ”物体は最初に与えられた勢いで動き続けることができる”

 と考え、天体の運行は神が最初に与えた勢いで運動し続けており、天使が惑星を動かす必要はないと考えました。

 以上の文章はイギリスのオックスフォード大学にいたメイスン(Mason)博士の書いた著作の日本語訳、「科学の歴史」(上下)岩波書店 pp125~131を参考にしています。いってみれば文献の孫引きであってオッカムの考えや、以上の主張の要点を北村が把握しきっているわけではありません。

 ちなみに、オッカムはアリストテレス以来の”運動する物体には動力が必要だ”という主張を経験から否定したようです。

 

        

 彼の考えははからずもむしろ現代の考えに近いと言えそうです。しかしそれ以上に注目したいのは、オッカムは天体の運行を説明することから天使という余計な存在を排除したということです。これを彼は、

 ”少しで済むのにたくさん用いるのは無駄である”

 と表現しました(上の文献より引用)。

 具体的には、オッカムにとって惑星の運行は全能の神がいればそれだけで説明できるものです。神で十分説明できるのに、なぜ不必要な天使を説明に使うのか?、これは言われてみれば確かにそうだよな・・・という問いかけです。言い換えれば、

 神で済むのにたくさんの天使を用いるのは無駄ではないか?

そういうことになるのでしょう。

 説明に最低限必要でない余計な存在がある、そうしたものは不必要なものなのだからそぎ落とすべきである。こうした考えは後に、”オッカムの剃刀”と呼ばれるようになりました。オッカム自身がそういう呼び名を使ったわけではないですが、このような考え方はさまざまな人によって主張されてきました。

 例えば17〜18世紀の哲学者ライプニッツ(1646~1716)はこういうことをいったらしい。

「最大の効果が最小の費用で得られるというような最大と最小との考察の上に立っている」

 光は最小の抵抗の道を通る、ライプニッツの原理

(「科学の歴史」上 メイスン 昭和30年より引用)

 また18世紀のプロイセン(注:当時は1870年の普仏戦争によって統一される前のドイツの一地方)出身の哲学者カントの以下のような例

  自然は最短の道をとる 

もあります(「科学哲学の歴史」ジョン・P・ロゼー 紀伊国屋書店1974 pp138 より引用孫引き)。

 現代でも科学はこれに近い考え方で仮説を探します。それは暗黙のうちに、自然と行われていることもあるでしょうし、あるいは原理として意識的に強調されることもあります。

 例えば北村が大きな関心を抱いている系統学の一分野、分岐学ではいわゆるオッカムの剃刀が原理として目立った役割を果たしています。分岐学では最節約と呼ばれる基準によって生物の進化の歴史を探りますが、この最節約とは

 ”無限に存在する仮説の中から、仮定の数が最少ですむ仮説を選ぶ”

というものです。これはオッカムの考え方(オッカムの剃刀)と基本的に同じものです。

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