種の起源:

On The Origin of Species

By Means of Natural Selection

or The Preservation of Favoured Races in The Struggle for Life

 

The great power of this principle of selection is not hypothetical.

選択の法則が強大な支配力を持つことは事実である

 

 これまでは飼育栽培品種が自然界の品種や種を説明するのに使える、そのこと自体の妥当性をえんえんと論じてきた種の起源の第1章。46ページからようやく選択(Selection)の話。つまり飼育栽培品種は具体的にどのように作られたのか?、という話です。

 ここからようやく人為選択で飼育栽培品種が作られたこと、そして同じ原理で自然選択によって自然界の品種や同属別種ができることが予想されること、そのことの説明がなされるわけです。冒頭でダーウィンはたしかに習性や飼育栽培条件で変化が起きている部分もあるのだろうけど、飼育栽培品種の特筆すべきところは動植物自身というよりは人間の使用や愛玩にかなった適応が見られることである、と指摘します。

 これは大事な指摘ですね。人間の淘汰圧が飼育栽培品種にかかっていなければこんなことはおきません。ようするに選択というものがあるのはまぎれもない事実。

 そして育種家たちがいかに動植物の形を変えてしまうのか。そして彼らが小さな変異を見い出していかに生き物を形を変えてしまうのか、ダーウィンはその様子を具体的に語っています。また実際に生き物の形が変化してきたこと、例えば正確な記録が残っているグーズベリーが記録の上ではだんだん果実の大きさが増してきていること、花屋の花が何十年か前のものと違っていることなども例としてあげます。

 ようするに選択が具体的にあること、その選択がどのようになされるのか、そうしてその選択が実際にどのように生き物の形を変えるのか、それについてダーウィンは語っているわけ。

 ただこうした育種を自然の品種や、そればかりか飼育栽培品種にあてはめることにさえ反対意見があるらしい。それはすでに前のコンテンツでも述べたこと、例えば飼育栽培品種は異なる原種に由来するのではないか、変化など本質的には起きていないのではないか、などですが、ここでさらに触れられるのは、

 そもそも育種が組織的に行われるようになったのは最近ではないか

という反論です。

 じつはこれ、32ページでも少し触れられた反論です。ようするに古代エジプトでもすでにたくさんの家畜の品種が見つかっており、幾つかのものは現代の品種と同じであるらしいこと、だから飼育栽培品種はそれぞれ野生の原種に由来するだろうし、結果的には飼育栽培品種は自然界の種を説明する役にはたたない、という主旨のものです。

 これに対するダーウィンの反論は32ページでも51ページでも同じ。

 人間は文明を築き上げる前から育種をしてきた。それは野蛮人を見ればわかるし、自分達自身、無意識のうちに育種をしきた証拠があるではないか、そう指摘します。

 ちなみに野蛮人(原本ではSavages)という表現にひっかかる人もいるかもしれません。まあこういう表現を見てダーウィンの種の起源を読んだら人種差別的な表現が多くて驚いた、という人もいるくらいですから。ついでにいうと、だから進化論は差別的で優生学的なのだと楽しい連想をする人もいます。なんとも稚拙な論法でげんなりしますが。

 でも時代は19世紀。野蛮人って言い方は当時、どうも当たり前らしい。しかし、じゃあダーウィンがいわゆる差別主義者(<ここでは相手は劣った野蛮人だから搾取は当然であるとか、そういう主張をする人々のこと)であったかというとどうだろう?。

 ヨーロッパがキリストの御名において文明(と我々が呼ぶもの)を持たない人々を野蛮人と呼んで、制圧して奴隷化、植民地化していた時代。ダーウィン自身、若い時、ビーグル号の調査航海中、あちこちでおぞましい話や状況、殺戮、虐殺、民族や人間集団の抹殺、強制移住、隔離など悲惨な事柄を目の当たりにしています。

 ビーグル号航海記(上中下)岩波文庫を読むと、彼が調査航海中に見聞きしたもの、体験した出来事は科学的に興味深いことだけではありません。現代の我々からすると、あるいはダーウィンにとってもおぞましいことの連続です。

 捕まるよりは自殺を選んだ脱走奴隷の話(上:p44)

 ブラジルの奴隷制度の状況についての話(上pp49~52)

そうしたエピソードとその描写、彼の考えを読むと、たしかにダーウィンはいろいろな地域の人を野蛮人って呼んだけど、じゃあ野蛮人だから彼らを搾取しようとか土地を奪おうとか奴隷化しようとか、そうするのが当然だといっているわけではないことが分かります。彼ははっきり反対の意見をのべている。

 「ビーグル号航海記(上中下)」岩波文庫 にはダーウィンのそういう考えを物語る話がいろいろあって、南米にいけば地元の白人がネイティブアメリカンを虐殺している。女まで皆殺しとはどういうことか??っとダーウィンが憤慨すれば、だってどんどん子供産んで増えるじゃん、って説明されて愕然としてしまう(上:pp159~160)。子供は奴隷にされて売り飛ばされる。

 黒人奴隷を虐待している白人を見て憤慨する(下:pp193~195)。自分は黒人だからとダーウィン一行とは離れて食事をする黒人兵士をみて悲しい気分になってしまう(上:pp121~122)。タヒチでは白人と現地人が水浴びしているのを見比べて、世話をされて色褪せた植物と野生の野外の勢いよく茂る植物(下:pp54)を見比べるようだと書く。

 たしかにダーウィンは南米最南端にいたフエゴの人々にあまりいい感じは受けなかった、というか困らせられたらしいけど。結局、それは差別というよりは習慣の違いなんじゃないでしょうか?。なにがあったのかは読んでもらうとして、北村も同じ目にあったら、差別ウンヌンではなくて、正直困ります^^;)。物をくれくれくれくれ言われて果てしなく付きまとわれても困る。それでもマゼランなんかと違って、殺したりしていないところは時代の違いでしょうか?。ダーウィンの記述からするといよいよという場合にビーグル号の士官が威嚇射撃するだけですませていますから。

 しかし、そのフエゴの人々も白人の持ち込んだ病気で全滅してもういません。

 いずれにせよ野蛮人という用語を使うからダーウィンが差別主義者であったと考えるのは相当な飛躍ですね。たしかに彼は野蛮人の教化ということもいっているわけだから、限界はあるかもしれません(例えば異なる文化圏の人々に影響を与えないようにまったく接触しない、という対極的な意見とくらべると干渉的という意味で限界はあるかもしれない)。

 しかしそれ以上のことを彼に望むのなら私達も要求されねばならないことがあるのでしょう。

 まったくもって我々ときたら民主主義のためだよ〜〜〜んといって人の頭に爆弾は落とす、殺す、病院ふっとばす、勘違いして子供の首をすっとばす。それを批判されればごめんわざとじゃない、正義のためだから許してねーって平気でいう。さもなければ、それを黙認している。

 ダーウィンのこといろいろ言う前に人のこと言えますか?。

 さて、本題に戻ると、ダーウィンはエジプトの古い記録でいきなり家畜品種があらわれるのは事実だけど、それだけではそれ以前から育種がなかったとはいえない。記録が残りやすい文明ってやつが成立する前からまず間違いなく品種改良があったのだろう。なぜなら”野蛮人”だって家畜をとても大事にするし、注意深く選抜しているじゃないか。ようするに、比較的古代の生活様式をそのまま続けてきた人々を見ても素朴とはいえ育種が行われているのだから、文明の成立以前から育種が行われていたことは明らかである。

 ダーウィンはこう主張します。

 彼がいわんとすることはこの段落の前までに長々と述べられてきた内容、飼育栽培品種はひとつ、あるいは少数の原種に由来するという主張とかぶっているのですが、ここでのメインはあくまで組織的な品種改良と育種は最近のことではないかという反論にたいする返答。

 それにしてもこれは古代の人間の生活様式を、古代的な要素をとどめた人間集団から推測するっていう考え方ですよね。普通に使われる方法だと思いますが、この考え方って現在ある証拠から祖先形質を推定しようという考えではないでしょうか?。ようするに系統学的な考え方なんでしょうね。実際、人類学とかでも遊牧民や狩猟採集民から古代人類の生活様式を考察しようって考えがあるようですが、このようなアイデアは、

 1:人類社会は祖先的な状態から幾つかの特徴が加わって派生的なものになった(ものすごく乱暴な言い方をすると人間社会は進歩している)

 2:人類社会は幾つもの地域でそれぞれいろいろな状態になった。幾つかのものは祖先的な状態をとどめている

 という前提がなければなりたたない考えです。そしてこれは明らかに進化の考え方です(注:進歩ではない、だから以上の1の括弧内の”人間社会は進歩している”という表現は広く受け入れられている思想なんだろうけど、非常に不適切だと思う)

 さて、個人的に興味深いと思うのは、急に飼育栽培品種が出現したように見えるのは、古代エジプト以前の記録が失われているからではないのか?、というダーウィンの論法が、化石記録から進化を考える後の章でも出てくることです。主語を地層記録と種の出現に代えればまるで一緒。

 ようするにダーウィンは進化を説明するための道具として進化を使っているのでしょう。

 それを循環論法ではないか?と思う人もいるかもしれませんが・・・、でもダーウィンの言いたいことって、幾つかの現象からその現象を説明するアイデアを考えた。そしてそのアイデアに基づいて現象を説明しようと試みているだけなんですよね。

 そしてそのアイデアに反論するような証拠、エジプト文明でいきなり飼育栽培品種が出現しているように見える、という証拠が提出された。それをどう考えるか?。

 1:ダーウィンのアイデア(この場合は飼育栽培品種はひとつ、あるいは少数の原種から育種によってつくられた)が間違っていたと考えるか?

 2:考慮していなかった要素が働いているために一見するとそれが反論するような証拠に見えるだけであると説明するか?

 1よりは2の方がむしろよい考えだろう。それがダーウィンの反論の骨子です、おそらく。

 実際、1が成り立つにはエジプト文明はまったく前駆的な段階をへないままいきなり出現しなければいけない。それはかなり無理のある考え方のように見えるし、この説が成り立つと自動的に異なる品種には異なる原種がいなければいけないことになり、それはすでにダーウィンが指摘したようにそうとう色々無理のある仮定をふまえなければいけない。

 さらにいえばダーウィンはエジプト文明成立以前の土器が見つかっていることを指摘しています(pp32:Horner氏の研究の引用)。ようするにエジプト文明以前から記録を残さない前駆的な段階があったことは確かということですね。これは1の反論であるし、次ぎにのべる2をサポートする証拠です。

 2が成り立つにはエジプト文明以前から育種が作用していなければいけないが、それは古い生活型をとどめている人々がことごとく家畜を大事にしていることを見れば実際にそうであったと考えることができる。さらにエジプト文明成立以前からそういう古い生活型を持つ人々がいたという証拠が実際にある。

 記録が不完全である。

そういう明らかな事実を考慮すると”エジプト文明で家畜の諸品種がいきなり出現したように見える”という反論はダーウィンのアイデアを否定する反論とはなりません。

 そして話はダーウィンのいう”野蛮人”だけでなく、私達自身が無意識のうちに飼育栽培品種を変えてきたことが取り上げられます。その内容は次ぎのコンテンツで。

 

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