記事タイトル:証拠がないよりまし、でも間違っている 


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お名前: 北村@   
 先日、ある文章の中で、証拠がなくていう人たちより、証拠があって
いうこの人はエライという表現がありました。納得いくような気もするけど、
この表現だけを読むと、本当か?、と疑問をもたれるかもしれないと思いました。

 証拠があると検討できそうなので、ないより良いかと思いますが、
証拠がその意見の正しさを必ず示せるわけではありません。

 たくさんの事実のなかには、何かしら自分の意見に都合のよい事実があるはずです。
自分の意見に都合のよい事実を証拠にすれば、どんな意見でもそれなりな証拠を持つ
ことになります。

 大事なのは証拠ではなく、その証拠が検討に耐えられるかということのように
感じます。証拠は無いよりましだが、有ってもそれだけでは意味がない、そんなも
のかもしれません。

 昨夜、「脊椎動物の起源 Before the Backbone : H.Gee 培風館」の第2章で紹介
されていた果てしない議論を読んでいると、都合のよい証拠はいくらでも見つかる
ものだと感じました。

 読書中の感想でした〜〜〜〜。
[2001/04/29 17:28:21]

お名前: やまなか   
ある現象Aがあったとして、それを引き起こした何かが「証拠B」で残っていたとして、
何が言えるのか。
現象A:池で魚が大量に死んで浮かんだ。
証拠B:前日に池のまわりに除草剤をまかれていた。
結論として、Bは、Aの原因と断言できるでしょうか?。できませんよね。
ですが、次のようには表現できます。
「除草剤が池に流れ込んだことが、魚の大量斃死に結びついた可能性は、高い。」
「除草剤が池に流れ込んだことが、魚の大量斃死に結びついた可能性は、否定できない。」
どちらがより適当な表現かというと、「可能性は否定できない。」なんですね。

だから、証拠が検討に耐えたとしても、やっぱり「可能性は否定できない。」なんだと思い
ます。
「生物は進化した。」のではなく、「進化した可能性は否定できない。」どうですか?・・・
[2001/04/30 19:49:30]

お名前: 北村@   
 現象Aと証拠B>系統分類学 分岐分類の理論と実践 文一総合出版 の20ページに
次ぎのようなことが書かれています。

 1・一致の基準。複数の観察事例が一つの状況を共有する場合、その状況は観察事例の
原因か結果のどちらか一方である。(この基準を適合生の基準ともいう)

 2・相違の基準。ある現象が一方で起こり、他方でその現象が起こらず、また、両者
が一つを除いてすべての状況を共有したとすると、この現象が起こるためには両者に共通
しないその一つの状況が不可欠である。

 これら二つの基準は帰納主義と論理学的経験論で使われているが・・・・・省略

 系統分類学 pp20:英語の部分を省略、()は北村が挿入。

 これが少し関連してくるかなあ〜〜と思ったのですが。さてどうでしょうか。
それとも複数の観察が明らかに必要だから適用できないのでしょうか。でも、

 1)除草剤や農薬が自然界にまかれた

 2)生き物が死んだ

 という例は幾つかありますよね。これからすると除草剤と魚の大量死には関連があると
考えてもよさそうな気がします。(<内心は誰もが原因に決まっとる!!と叫ぶでしょうが・・・
でもここでの主眼はそういうところにないので取りあえず置く)

 でもまて、似たような例があっても、すべての状況とやらを共有しているわけでは
なさそうな・・・、例えば事件があった同じ池の1年前を見れば、場所は同じだし(当たり前)
事件があった時とほぼ同じ天候、日時、状況があったと思いますが、まったく同じではない・・・。

 とは言え、”除草剤がまかれた”以外の状況は何かしら池の周りで起こったことが
あるのではないでしょうか?。
 つまり事件が起こった日の前日は晴れのち曇りで、明け方パラパラと雨が降った、あるい
は明け方、この季節にしては冷え込んだ、池の水位は少し下がっていた・・・。

 そうしたことはほぼ同じ季節、ほぼ同じ状況で起こってきたことですよね。少なくとも
記録(その地方の気象記録や写真や近所の人の記憶や証言)があれば多少ともそうしたこ
とは言えそうです。

 すると、事件が起こった日とほぼ同じ状況は同じ場所でくり返されてきたが、何かが
起きたことはなかった。にもかかわらず、その日その時大量に魚が死んだ。私たちが
考え、思い付く限り

 ”事件が起きた日に起こった、他の日と違う状況というやつ”は近所の北村くんが
除草剤を池の周りにまいたことである。

 う〜〜ん、すると除草剤を池のまわりにまくことは魚の大量死という現象に不可欠で
あるということになりそうな・・。(一番身もふたもないことは除草剤が有害であるという
ことなのは取りあえず脇に置いています)

 こういう場合、なんと言えばよいのか分かりません。「可能性は否定できない」という
表現でよいかと北村も思うのですが、付け加えると、

 「それ以外の原因を考える根拠は(私たちの調査からすると)ない」

というところでしょうか。そういえば、今まで何年もここで暮らして(あるいは漁を
している、釣りをしている山菜を採っている)いるが、こんなことは見たこともない。
去年できたあの○○(例えば水門など)のせいだ!!、というのは以上のような考え方
から生まれるのかも知れません。
[2001/05/01 10:34:17]

お名前: 北村   
 進化した可能性は否定できない>証拠から考えると生き物の姿は変化するし、
私たちが自然界を見回して感じる”仲間同士の近い遠いという関係”は血縁を
反映しているらしい・・・・・・。

 とはいうもののこれは推測ですよね。リプレイもできないし、実験もできない。そりゃあ、
進化するのかな?、という実験はできるはずですが、1回こっきり起こった生物の進化の
歴史を再現したり、それをもう一度実験してみようなんて出来るはずもありません。

 実験もできない、リプレイすることもできない、推測するしかない、でも証拠はある。
そういえば系統学は破れた地図の復元に例えられたようですが(生物系統学 三中信宏
東京大学出版会 pp114~ )、完全なものが残っていない破れて断片的になった地図を
復元するすることはある程度できますよね。あるいは似た作業は私たちが絶えずしている
か、できることのはずです。

 例えば、バラバラになった陶器の破片をつなげることは、例えピースが足りなくても
たいていの人にできるし、誰もが幾つかの証拠から何か推論することはないでしょうか、
例えば彼女、彼氏の浮気とか。(^^)

 証拠から何かを推論することは推計学なんかがそうだと思いますが(<よく知らないですが)、
すると推論は科学にもなっているわけですよね。そして系統学も方法論を発達させてきた。

 少なくとも科学という考えで自然を見ると進化というものを推論できるし、他の可能性
を選ぶ理由はない・・・、そういうことのように北村には思えます。

 とはいえ、これは難しい話です。科学哲学をみる必要があるのでしょうけど、困りました・・。
 
[2001/05/01 10:56:41]

お名前: 北村@   
 外出から帰ってきたところで、外出中に抱いた懸念をひとつ>

 やまなかさんの書き込み、除草剤の散布と魚の大量死に関して、北村が書いた書き込み
はどうもおかしい・・・。

 北村は原因をどう見つけるかについて話しているが、やまなかさんはその原因が
妥当なのかどうか、どう判定するか判定できるのか?について話しているように
見えます。

 つまるところ、やまなかさんの問題提起ではすでに済んでいるはずの”原因の候補は何?”
について北村は書き込みをしているようです・・・・。いけませんねこりゃ・・・。
やまなかさん、皆さん、どう思いますか?。(>気楽な掲示板への書き込みもおおむねOK、議論はできないけど)

 閑話休題

 さて、では改めまして除草剤の話。原因らしきものはある。除草剤だあ〜〜〜。
でもそれだけでは本当の原因かどうか分からない。どのくらい除草剤をまいたのか、
まきかたによっては池で魚が大量死するようなことがありえるのか。そもそも
除草剤をまいた本人の証言、あるいは目撃者の証言はあてになるのか。

 そうしたことを考えるとやっぱり可能性が高い、あるいは科学的に考えると
これが原因とみなすのが妥当、そういう結論になるのでしょうか。とはいえ、
状況によっては(例えば北村が除草剤をまいたということは、ある1人の人物の目撃証言
しかなく、おまけに時刻は夜、あるいは遠くから見たから良く分からなかった・・・)、
科学でやっても

 ”結論は出たが、その妥当性ははなはだ怪しい・・・”

ということになるやも知れません。

 可能性というか、確からしさというか、そういったものがなかなかよい(例えば80パーセント
確かだとか・・・・^^;)結論はあるのでしょうけど、推論であることは変わりない。
さて、こうなると推論だから信用できない!!という人もいるかもしれないけど、それは
多分おかしい。

 A: これが原因の可能性がある
 Q: なんだ疑わしい結論なのか?
 A: いやそうではない、これが原因であるという確からしさはこれだけあって、
他の原因を考えるよりはよほどよい。少なくとも他の結論を選ぶ理由はない。

とこのように考えればよいかと。しかし、以下のようなこともありえるのでしょう。

 Q: ・・・・でも、根拠のこの部分はおかしくない?
 A: なに?・・・・・・・あっ!!。>結論に影響が出るかどうかはまた別の問題・・。

 それにしても思うのですが、やまなかさんの可能性があるとしかいえない、と北村の
可能性だけど他の結論を支持する理由はない(あるいは結論でませんでしたという
こともあるのでしょう)は、要するに同じことを言っていることになりそうな・・・・。
<長々と書いてこれか?? 
[2001/05/01 19:56:37]

お名前: やまなか   
北村さん、一生懸命考えていただいてありがとうございます。
この問いかけは、「今わかっている事実(=結果)について、状況証拠から原因は特定
できるのか」ということです。
もう少し、状況、条件を詳しく説明しないといけません。

大量斃死が確認されたのは、ある日の早朝で、調査をしてみると、その前日の午後に農薬
がまかれたことがわかった。とします。

1)魚が死亡している状態(=結果)の池から、致死量を上回る濃度の昨日散布した農薬
が検出された。
2)散布農薬が検出されたが、現在は、致死量には至らない濃度であったら。
3)きわめて微量であって、その濃度であれば、死亡しない場合は。
4)検出されなかった。
========================================
1)は、原因は農薬が流入したためと断定できます。
2)は、分解のスピードから逆算すれば、散布直後からの濃度が計算でき、原因と断定
できます。

さて問題は、3)、4)です。
この場合、他の調査、要因の考察なしに、農薬と断定はできません。そのような断定は、
危険です。
他の考えられる原因となるものを考察し、測定し、データを分析して、1つずつ否定して、
最後に残ったものが原因と断定できますよね。
考えられる原因
・風で底の泥が巻き上げられて、貧酸素状態となった。(可能性は否定できない。)
・誰かが、夜に池の水を抜き、また元に戻した。(上と同じ)
などなど。
こう考えると、原因の特定(断定)は、安易にするべきものとは思えないのです。
========================================
日常でも、ある証拠から「原因は何々と考えられる。」と専門家が言って、あとで解って
みると間違っていたことは、よくあることです。(その専門家は黙っている)
なので、よく言えて、「可能性は否定できない。」ではないでしょうか。

脊椎動物の起源とカルポイドの関係についても、ジェフリーズのとおりと”断定”は
できないけど、「可能性は否定できない。」と思っています。

この議論を深くすると、何か禅問答みたいになりそうですが、自然界における現象について
原因の特定や因果関係の証明は、ことほど左様に難しく、慎重になる必要がありますよと
いうことですね。
[2001/05/02 08:17:16]

お名前: 北村@   
 やまなかさん>考えてみれば科学の論文は手法と材料を明らかにすることを要求
されますよね。

 つまるところ、今、私はこのような証拠(材料)を持っている、それを以下の手法
で解析した、するとこのような結果が得られた。そしてその結果からこのように考察
する。そして私の結論はこうだあ〜〜〜。

 というものだと思いますが、さて間違った結論はどうすると出てくるのかと
考えると。

 材料が間違っていたか不十分であった、あるいは解析手法が妥当ではなかった、
あるいは以上の材料に適用するのは間違いであった、あるいは結果は正しかったのに
考察が間違っていた・・・。ということがありえるでしょうし、それがあったのか
どうか明白にするために論文を以上のような形式で書くと(北村は)解釈しています。

 逆にいうと自身満々に何か言っても、それは真実とかそういった手合のものでは
なく、

 彼はこの材料をこのような手法で解析して、このような結果を得て、このように
考察した、

 ということを言っているだけであって、それが事実か事実でないか、あるいは正しい
のか間違っているのかを言っているわけではない・・・、こんなことのような気がします。

 つまるところ、原因の見当がついてもそれは”〜〜である!!”ではなくて、
”可能性は否定できない”というものになる。そういう感じでしょうか・・・。

その点、テレビや多くのメディアの報道は本質的に論評不可能なのかもしれません。
[2001/05/02 17:35:11]

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