記事タイトル:分類と系統 


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お名前: 北村@   
 さて、これも。、追伸の補足:ドローの法則??、の続きです。え〜〜と、たけむらさんから、

 ドローの法則を分類で使った例があるか?、と問われたのですが・・・、さあて、
北村はそんな例は知らないです。というか分類のことはよくわからない^^;)。やっている作業は
もちろん分かります。生物の特徴を記述する。それはすでに知られている他の生物と
どう違うか、どこが同じか、そもそもその生物はいかなる特徴を持った生物なのか?、
それを記述する。


 そしてそうした生物をまとめて分類体系をつくる。

 それは分かっているんですけどね。それにこの作業がひどく骨の折れるものであることは
うすうす感じています。実際、北村はタマキガイ類(<いわゆる属にまとめられています)
の種の同定すらまごついてしまう。


 なるほど、ベンケイガイ G.albolineata は区別できました。しかし残りが G.imperialis
なのか、あるいは G.vestita なのか、それが分からない。ましてや記載作業といったら
これどころではすまない。おおごとでしょう。



 でもこういうことは言えますね。分類は系統を知らなくても/進化という概念がなくても
成立する。
だからドローの法則(<仮定の妥当性がまるで見えない)なんてそもそも使う理由がない、
そう思えるから、分類じゃそんなことしないんじゃないでしょうか?。

 こっからは北村のいわば感想なのですが。
例えばアリストテレスは生物を分類している。リンネもしかり。どちらも生物が進化する
なんてことは知らなかった人物です。


 ダーウィンは種の起源のなかで、そうした分類が実は進化/系統の漠然と反映されたものだ、
そういうことを明らかにした。種といいながら、ダーウィンは種が人間の作った概念で、
実体は系統であり、種とか人間の作った分類が、実体を漠然と反映させた、いってみれば
影のようなものであることを明らかにしてしまった。

 実はダーウィンって、種っていう概念が実在しない/あるいは実体そのものを正確に
とらえていないことを明らかにしちゃった最初の人(多分)なんでしょう。


 随や唐の話を北村がするのはこのためですね。血縁では連続しているのに、かたや随、
かたや唐。人間が活動していて、それを支配する血縁集団がいる、それはたしかなんだけども
それを人間は異なる2つのものに分けてしまう。随と唐の初期はほとんど同じものですよ、多分。
少なくとも唐の後期、空中分解した残骸とはわけが違う。でもそれでも片方は随、片方は唐


 人間は地形を見ますよね。そしてあれを山だ、とか川という。生物に対しても同じ、あれを
鳥である、あれを爬虫類である、という。ところが、地形と違って生物は虫食い状態に
なっている。

 言ってみれば、霧や雲でところどころ隠れてしまっている風景だと思ってもらうと
イメージしやすいと思います。霧とガスのかたまりでかすむ高原がそうかもしれません。
北村の故郷はそうした場所に近いからよく想像できますけど^^)。ガスが凄い勢い
で通り過ぎる、ジメジメした、寒くて、紅葉と葉を落とした山並がチラチラと見える・・・・。

 もちろん、人間は断片的な風景をながめて、全体像を想像することができる。

ああ、あそこに山がある、あちらにも山がある。

 ところがガスがはれるとその想像が間違っていたことがある。2つの山だと思っていたのは
1つの山だったのだ・・・。


 これが爬虫類と鳥の例ですね。化石記録を調べ、現代の生物を解剖し、最節約に考えたら
同じものの一部であることが分かってしまった。でも、分かってもなお、人間はそうは認識できない。


 つまり地形と一致しない山とか谷を今でも使っている。このように分類(山)は系統(地形/風景)を
正確に反映しないままでいることがある。

 逆に言うと反映させる必要性はかならずしもない。だって、もともと系統をしらないままに
やってきたではないか・・・・。それに第一、分類学は系統学ではない。


 つまりですね、ドローの法則って進化の話ですよね、(仮定の正しさがまったく見えないけど・・・)
それをどうして分類に使うのか、そんなことする人いないんじゃないか・・・、
というのが北村の感想です。


 ところで、ドローの法則で分岐学を説明している恐竜の本ってどの本ですか?^^;)。
[2002/10/29 02:19:11]

お名前: たけむら   
北村さん、こんにちは。
サインとドローの法則、解説ありがとうございます。

>  でもこういうことは言えますね。分類は系統を知らなくても/進化という概念がなくても成立する。
> だからドローの法則(<仮定の妥当性がまるで見えない)なんてそもそも使う理由がない、
> そう思えるから、分類じゃそんなことしないんじゃないでしょうか?。
〜 中略 〜
>  逆に言うと反映させる必要性はかならずしもない。だって、もともと系統をしらないままに
> やってきたではないか・・・・。それに第一、分類学は系統学ではない。

北村さんの解説を読んで思った(分かった)のですが、
どうも私は「分類学」というものの認識を間違えていたようです。
例えば、「なぜこの動物とこの動物が同じ目(または綱や科など)に分類されるのか?」を考えた時、
目で見える形質等は当然として、その系統関係、進化も考慮して分類を行うものだと、
つまり分類学の中には、系統学や進化学も多少は含まれるものだと思っていました。
ですから分類学上で系統関係や進化を考える時、そこでドローの法則を数学の公理のように使ったりする事があるのかな?
と思い、質問をしたのです。
しかし言われてみればなるほど、分類は系統や進化が分からなくてもできる作業ですね。
そうなればおっしゃる通り、「分類」に関してドローの法則なんて使う理由も必要もないですね。

>  ところで、ドローの法則で分岐学を説明している恐竜の本ってどの本ですか?^^;)。
これは私の表現が悪かったのですが、「ドローの法則で分岐学を説明している」のではなく、
金子氏の本同様、「AはBの直系の子孫ではない」理由にドローの法則を用いていただけです。
因みに「恐竜図鑑 ポケット版(成美堂出版)」です。

これらの本以外にネット上でも、この法則が「成り立つもの」として、
生物の類縁関係を説明しているサイトを見かける事があります。
分岐学には全く用いられないこの法則が、こうも巷に氾濫しているのはなぜなのでしょう?
逆に不思議に思えてきます。
[2002/10/29 23:41:54]

お名前: 北村@   
 たけむらさん>とはいえ、分類と系統ってよくごちゃまぜにされますよね。系統分類学って
ありますけど、これはたいていの場合、Phylogenetics の訳です。Taxonomy=分類学
ではない。

 どうもそもそも分類学自体が混乱しているというか、う〜〜〜ん、違う立場があると言った
方がよいのでしょうけど・・・・。分かりやすい分類、と、自然な(本質的な?)分類
を目指すという2つの異なる立場があったみたいです。

 なんか分かりづらい話ですよねえ?^^;)。ここで北村がいっている”分かりやすい分類”
っていうのは、いわゆる人為分類ってやつですね。大きな肉食恐竜だから”カルノサウリア”
てやつです(<ただしこの言葉には注意が必要ですね、系統学でカルノサウリアと言った場合、
それは”鳥よりもアロサウルスに近い系統”につけられた”名前”のことですから、ようするに
分類学でいうカルノサウリアと系統学でいうカルノサウリアはまったく意味も概念も違う)

 一方、自然な分類、本質的な分類、ていうのはいわゆる自然分類のことですね。今で言えば、
特にダーウィン以後では系統を反映した分類、そう考えてよさそうです。


 科学の歴史 岩波書店、でこんな文章があります。チェルザレピーノによって作られた
植物の人為分類体系は、きわめて大きい影響をおよぼした。この体系が魅力的だったのは、
ー中略ーこの体系が単純で、実際に便利だったためでもある。チェルザレピーノの体系では
、植物体の中の1個または2個の器官、すなわち根と果実とだけを調べればよかった。
自然分類体系は、植物の客観的類似をより多く反映させる点において優越しているが、
それはチェルザレピーノの体系のように単純ではない。

 pp369 (上)


 リンネなんかは植物の目をオシベの数で、メシベの数で鋼を決めているそうでして。
なしてそれが選ばれたかは不明ですけども^^;)まさに人為分類。根拠が不明。

 進化や系統を反映させた分類をつくるべきである、そういう意見もあるし、そうした
努力も払われたのは事実です。実際、魚の分類体系?、いや、系統を体系的に表現した
とでもいうのか??、[ Fishes of the World 3ed ] John Wiley & Sons, INC はそうした
努力の現われなんじゃないでしょうか?。

 ただし、系統というものを正確に反映した分類体系を作ろう、あるいは進化以前から
作られてきた/あるいはダーウィン以後も系統を無視(?)してつくられたのか、
いずれなのかは知りませんが、既存の分類体系をなるべく崩さずに、系統を表現しようとしたので・・・・、

 だもんだから、私達テトラポードは、SubPhylum Vertebrata 訳すと>脊椎動物亜門の
SuperClass Gnathostomata >有顎超鋼の、 Glade Teleostomi グレード硬骨魚類の
Class Sarcopterygii >総鰭鋼の SubClass Tetrapoda >テトラポード亜鋼、

 という扱いになります。私達はいわゆる”魚=ほとんど脊椎動物と同じ”の一種であるという
扱いですね。これはしょうがない。

 つまりなんでこうなるかというと、私達は系統をたとえ正確に認識しても、それを別々に
分けてしまう。なぜそうなるのかは分かりません。知性では、たくさんの特徴に基づいて
判断する限りでは系統を見ることができるのに、頭の別の部分では

 ”水中で鰓呼吸をする脊椎動物=魚”

 ”陸上、あるいは水中で生活していても一生のうちで一度は肺で呼吸する脊椎動物=テトラポーダ”
 ↑これ、甘い(?)定義ですけどね^^)

 と分けてしまう。ハイギョはどーすんねん、とか、ウーパールーパーやムハイサンショウウオは
どーするのだ?、ということはほったらかしか、あるいは”ああ、あれはテトラポーダでしょ^^)”
と笑ってすませたりする。


 こうなるのはそもそも分類なんてするからだよ、そういって分類階級をぜんぶ捨てちゃおう、
という提案がなされまして。これがPhylogenetic taxonomy ですね。ジャック・ゴーティエ
たちが提案しました。そのせいなのかどーなのか。例えば恐竜の世界では分類階級は放棄されちゃってます^^)

 農業環境技術研究所の三中さんに言わせれば”(分類学と系統学の)婚姻関係の破たん”
ですね^^)「生物系統学 東京大学出版会 pp37」


 つまり、自然分類を作ろう>自然分類とは何か>それは系統に即して分類を作るのである
>系統を正確に反映する分類を作ればよい>無理がでてくるのですが・・・・>悪戦苦闘
>もうやめましょう、こんなことは。

 というわけで、分類学と系統学は別物・・・。


 まあ、色々な意見があるはずです。でも、系統なくても分類はできるし、分類なくても
系統学はなりたちますのでねえ・・・。いいんじゃないですか?、これで?。というのが
北村の感想ですね^^)


 
[2002/10/30 04:27:57]

お名前: 北村@   
 このあたりの悪戦苦闘の歴史は

 「系統分類学 分岐分類の理論と実際 文一総合出版 pp217~」<絶版だったかな?

 とか、

 「生物系統学 東京大学出版会」


 などで読めます。そうそう、恐竜イラストで有名なグレッグ・ポールなんかは系統を
分類しちゃってますね、それも系統を正確に、ではなくて、系統をあれやこれや良く分からない
理由をつけて”分類”しています。いわゆる系統学と分類学の折衷案として提案されたとかいう
進化分類学じゃないかな・・・、あれ?。

 先に上げた「生物系統学」では進化分類学に対する”評価”が載っていますので、参考に
できると思います。

 北村の意見としてはポールの発想は、まあ、混乱するだけじゃないかな、あれは。


 そうそう、ネットの話ですけど、明日?にでも書き込みます。
[2002/10/30 04:38:36]

お名前: やまだ   
分類学自体はダーウィン以前のものですよね。

ぼくは小学生の頃ファーブルを読んでおおいに触発されたのですが、
子供向けの本ではなく、岩波文庫の昆虫記を読むと、
ファーブルがかなり激しくダーウィンを否定していて、正直驚きました。
敬虔なクリスチャンだったようですしね。

それはともかく、形態分類にはふつう進化概念は入らず、あくまで外部形態で分類します。
上位分類の形質はある程度先例に基づく部分があるようですが、大概ある特定の形質に依存します。
ただ、流行り廃りがあるみたいで、しばしば「根本的に」見直される、と、
そんなことを2世紀半もやってるのが分類学なわけです。

で、まだ未記載種が既知種の数倍〜数十倍はいるとみなされていて、地球上のすべての種が
記載されるまで、あとどれくらい時間がかかるか、まるで見とおしが立たないのが実情。
(そもそも「分類」という行為は人為的なものであって、「自然分類」という語は自己無楯していないだろうか?
 その点において、日本語の訳語ではtaxonとsystematicsが紛らわしい気がする)


とはいえ。ぼくのファーブルに対する意識はあまり変わりません。
基礎的な部分で果した功績はそうとうなものです。
学名につく命名者名で略していいのはL.とF.(リンネとファーブル)だけだそうですから。
[2002/10/31 00:09:02]

お名前: 北村@   
 やまださん>そうかあ、確かにファーブルはダーウィンを批判していましたよね。
ただ、ウロ覚えなんですが、彼、ラマルクのような用不用説を唱えている一方で、
進化そのものに否定的であったような覚えがあります。

 外部形態で分類>

 大概ある形質に依存する>

 ああ、やはり。さもありなんという感じです。でも考えてみれば、そうでないと分類なんて
できないような気がするんですよね。そういえば、生物系統学でも少数の分類形質だけを
選択し、それらの線形結合によって分類をおこなっている、てレポートが引用されてました。


 ダーウィンもなにやら興味深いことを書いていた覚えがあります。読みなおさなくちゃいけませんな^^)

 自然分類という語は自己矛盾>いわれてみれば^^;)。だから混乱が生じるのだと
北村は思います。系統っていう本質を反映した分類を作ろうってわけで。系統学と
分類学をごちゃまぜにしているわけですよね。

 分類学って北村は地図のようなものであると感じています。生物を見つけた時にどこに
配置するべきなのか書かれている地図。あるいはガイドブックではなかろうかと。

 ただ、この地図は系統を漠然と反映していて、まったく系統と違うわけではないが、
まったく一緒というわけではない。そういうことが困る原因だと思うのですよ。
分類と系統をかならずごちゃまぜにしてしまう(<北村も時々混乱するし・・・・・・)
[2002/10/31 00:33:20]

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