ものすごく誤解されそうなスレッドのタイトルなんですけど。
これ、上の書き込みの、質問です/オッカムの剃刀で切り落とされて残るものとは?/
最節約って方法ですので
の続きです/あるいはまとめのつもり。以上のスレッドではかなり北村の文章が混乱しているみたいなので。
くまどさんの引用、スレッドタイトル、オッカムの剃刀で・・・で出てくる文章ですが、
これは北村が思うに、それぞれ個々に違うものを”幸せ”っていうわけのわからん言葉で
くくってしまったことで混乱した文章になっていると思いますですね。
ようするに1日に必要なカロリーの確保っていうすべての人間に必要な、緊急不可欠な要求と、
個人個人の違いに基づくめいめいそれぞれによって違う要求(<逆にいうと緊急不可欠ではない)とを
同じ名前で呼んでしまっているところに問題があるんだろうなあ、と思うのですね。
そもそもそれぞれ由来も違うでしょう。カロリーが必要なのは人間どころか生物全体が
そういう構造になっているからだけど、個人個人によって違う個性的な要求は遺伝の変異だったり
うまれた環境の違いだったりしますから。
まあそれはともかくとして・・・・。
いずれにせよ幸福って言葉は役にたたないともいえるのでしょうね。だって違うものを同じ名前で
呼んで混乱を与えているんだから。これじゃあいけません。
ようするに北村としては幸福という呼び名は役に立たない。すくなくとも個人が必要とするものを
手にれようとする場合に役に立つようなしろものではない、と考えております。実際、
まるっきり違うものを同じ名前で呼ぶわけでしょう?。こりゃあ役に立つわけがない。
例えば砂糖と塩を同じ名前で呼んでも混乱するだけなのと一緒。
後、北村が見た限りではくまどさんの文章では、こういう幸福の定義とかが不明瞭な時代に
最節約という基準がまた有効なのか?、というような疑問が出ているようですが、
これは価値観と確からしさの混同ではないでしょうか?。
例えばの話、地球が平らであるべきだ、と考える人がアメリカなどにはいますが、
平らであるべきだというのは価値観の話ですね。でも平らであるべきで平らであるに違いない
という信念とは無関係に、手持ちの証拠から考えると地球は球体であるらしい。そういう事実あるいはそういう確からしい推測がある。
ようするに
○○であるべきだ、とか○○の方が良い(道徳的に)
という価値観と
手持ちの証拠から以下の方法で次ぎのような結論を得た。この結論はかなり確からしい
と言える
という確からしいか確からしくないか?
という事柄は無関係だってことです。
でも面白いことに人間は道徳的に/価値観的に望ましいものを”正しい”と呼ぶ一方で、
確からしい/科学的/あるいは経験的に考えて/妥当である結論、これもまた”正しい”
って同じ単語でしばしば呼んじゃうんですよねえ〜〜〜。
こりゃあ混乱的です。
つまるところ幸福という価値観があいまいになってきた、ということと、最節約という基準で
説明する仮説をチョイスしてその仮説を検証する、そのことによって確からしい結論を見つける/判断する、
ということとはまるで別ということです。ようするに関係ない。
地球が平らであるべきだということと、地球が球体であることが確からしい、ということとは
まったく別の話。
幸福の定義が無効なように感じる(<北村に言わせると幸福なんてありもしないものを定義しようと
したことがそもそもの間違いだと思いますけどね)、ということと、最節約が便利な基準である、
ということとはまったく別の話で関係ない。
最後に最節約ってのは仮説をチョイスする時の基準でしかないので質問いかんによっては
最大多数の最大幸福を導かないかもしれません。とはいえ・・・・。
最節約によって人間の切り捨てがおきるか起きないか?と問われれば、それは起きるでしょうねえ、
と思う次第。
ちなみに人によると最節約とは無駄な人間を切り捨てるイデオロギーだと思うかもしれませんけど、
実際のところはもともとは説明するのに不必要な余計な仮定を切り捨てるということですから。
あまり関係ないんでしょうねえ。
しかし実際問題として何かする時に人間のすべてを切り捨てないですむかというとそんなことはありえない。
だって人間は全部同じものではないですから。それにそもそも、切り捨てる人間を最小にするためには最節約な判断をするか、あるいは最節約な判断をそういう目的に向けてアレンジするしか
ないんじゃないでしょうか?。
蛇足ですけども誤解している人がいるかもしれないので・・・。
切り捨てるべきでない、という信念は目的にはなるけど、切り捨てないようにするには
どうすれば良いか?、という具体的な方法についてはまるで教えてくれません。
[2004/05/12 11:30:19]