記事タイトル:考えてみれば 


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お名前: 北村@    URL
 これは一連のドローの法則騒動の続きなんですが、

 プシッタコサウルスは手の指の数が4本であり、5本指のケラトプシア(<トリケラトプスなどのこと)
の祖先たりえない。

 これ、ドローの法則ウンヌンもそうなんですが、分岐学の立場/あるいは最節約の立場からも
おかしな文章ですね、考えてみれば。

 なぜなら、以下のことを仮定して考えてみましょう。


 1:トリケラトプスの姉妹グループがレプトケラトプスである

 2:トリケラトプス+レプトケラトプスの姉妹グループがプロトケラトプスである

 3:トリケラ+レプト+プロトの姉妹グループはバガケラトプスである

 4:トリケラ+レプト+プロト+バガの姉妹グループがプシッタコサウルスである

 そして、

 5:レプト、プロト、バガ、プシッタコの指は4本とする(<事実と異なる仮定なので注意!!!)

 この場合、手の指が5本であるトリケラトプスの祖先は”手の指が4本である”ことになります。
最節約に考えますとね。


 つまり、トリケラトプスの5本指(以上の仮想の話では)は4本指という状態から生まれた
ことになる。


 ようするに場合によってはこういうこともありうるってことですね。


 ようするに最初の文章の確からしさは、”4本指→5本指”はありえない、という仮定に
基づいているわけで、この仮定はさんざん他の書き込みで書いたように、確からしさが見えない。
ようするに最初の文章の確からしさを与えてくれるかも知れない”仮定”の確からしさが
見えない。


 ようするに最初の文章はまるで確からしくない。


 ぶっちゃけ間違いですね、最初の表現は。

 4本指だから5本指の祖先ではない、というのはおかしな表現です。
[2002/11/11 18:25:11]

お名前: yamanaka   
ドローの法則は、どこかで聞いた、読んだことはあるんですよ。ただ、それが思い出せない。
いつの間にか頭に刷り込まれた”変なもの”ですね。
「指が5本、6本・・・」と書き込みがありますが、それは「個体発生」の結果ですね。
多細胞生物の体は、最初は受精卵=単細胞から始まるから、発生の結果、形態がある。

「陸にあがった魚たち、講談社新書、ジェニファー・クラック」に簡単ながら、指の発生に
ついて書かれています。(絵で説明すれば簡単ですが、文章では簡単に表現できないから省略)
この感想ですが、「指の数は簡単に変わることができるのだ」と思いました。
ついでに、進化発生学(ブライアン・K・ホール)の本にも、ドローの法則は全く出てこない。
この掲示板を読んだり、書き込んでいる人の中には生物学の基礎知識を持っているか、
現に生物を相手に研究や仕事をしている人が多いと思っていますが、すべての人がそうでは
ない。

分類にせよ、系統にせよ、大学で生物学を学んだ人なら、生化学、細胞生物学、発生学、生態学
をひととおりの知識をもっているから、そう混乱はしないし、だいたい理解もできます。
混乱をつくっている元は、生物学を体系的に学んでいない、自分で消化し切れていない人たちが
生物の一面だけを捉えて、例えば「恐竜本」を書いて世の中に出すからだろうと思いますね。
目立つ部分だけを取り上げるのは簡単ですが、それを結論づけるような表現は慎まないといけ
ない。

生物を論じるときは、1+1=2ではない。つねに、測定値には誤差あり、ゆらぎがある。
その測定値をもとに、演繹すれば、その差はさらに拡大されますから、統計的手法を抜きに
語ることはできません。短絡的なきめつけは、間違った理解につながりますから。
[2002/11/12 07:58:22]

お名前: 北村@   
 yamanakaさん>そうですねえ、ドローの法則、過去のある時点で聞いているのですが、
どこで聞いたのか、どこで覚えたのか、どこに書いてあったのか、それがまるで分からない。

 本日、1960年に出された「岩波 生物学辞典 第3版」を読んだら、第4版とは
違いがありましたね。第4版では、

 系統推定において、形質状態変化の不可逆性は、きわめて厳しい仮定である。

 が末尾に付け加えられています。まあ、もともとの古い文章もあまりかんばしいものではない。

 ーしかしもともと”歴史はくりかえさない”ものであり、この法則はそれを進化の場合に
ついて述べたものにすぎないともいわれるー


 ーこの法則の例外の存在を強調する立場もあるー


 などなど。こういった慎重な文章に、第4版ではさらにさきほどの文章が付け加わっている
わけで・・・。少なくとも、研究者はそう考えているってわけですね。

 これはyamanakaさんがいっているー生物を論じるときは、1+1=2ではない。ーと
同じことであろうと思います。ある系統で成り立つことがそのまま演繹/拡大して適用
できるわけではない。

 なにか、なんといいますか。ドローの法則って生物学を物理学と勘違いしているような
ふしがあるように感じます。ある時点で起こったことがすべからく適用できるという、
かなり生物的でない考え・・・・^^;)

 恐竜本のことはまさにいわずもがなですね^^;)。今までの人は生物学どころか
科学を理解していなかったり、よくても進化に関してかなりまずい考えをしているんじゃないかなあ・・・。

 北村が子供向けのQ&Aで書いたみたいに、グレッグ・ポールのように科学者としての
教育うけたのにメチャクチャ言ったり書いたりする人がいますしねえ・・・。


 指の本数に関してはまた後ほど書きますです、はい^^)
[2002/11/13 01:12:37]

お名前: 北村@   
 実ははずかしながら北村は「手足を持った魚たち」講談社現代新書を持っているのに
まだちゃんと読んでいないのです^^;)きゃ〜〜〜〜。ともあれ、初期のテトラポードの
指が5本以上あったということは理解しております。

 今、北村は「動物の発育と進化」ケネス・J・マクナマラ 工作舎を読んでいるのですが、
この本のpp121でイヌが品種によって過剰な指(後足で6本)持つことが書かれています。
でもって小さな品種は逆に指の数が少ない。指の本数なんて変わっちゃうわけですよね。
クジラや絶滅した海性爬虫類でも指の本数や骨の数が増えているやつらがいますし・・・・。

 指の本数が5→4にはなるが、4→5にはならないって、いったいどんな前提なんでしょうねえ???^^;)


 追記:ちなみにこのマクナマラさんの本、書き方が悪いのか、それとも北村の読み方が
悪いのか、発生における変化を強調するあまり、自然淘汰とかそういう視点が軽んじられている
ような印象を与えちゃうかもしれません・・・。

 

 
[2002/11/17 14:03:42]

お名前: yamanaka   
書名を間違ってましたね。「手足を持った魚たち」でした。

ドローの反証になりそうなこと、思いつきました。
「ヒレ」です。
魚のヒレ → 陸上脊椎動物の四肢(指) → イクチオサウルスのヒレ
                    → クジラ・イルカのヒレ
失われた形が復活した例では。。。
[2002/11/17 15:50:17]

お名前: 北村@   
 yamanakaさん>退化したり、あるいはまったく消滅した器官は、その後の進化においても
復旧されることなく、あるいは別の器官によって元の器官の役割が果たされること。

 でもって、クジラの鰭がその典型例と書いてあります。「生物学辞典」では・・・・、


 と思ってよく考えたらこれ↑本当にドローの法則の例か?、と思いました。たしかに、

魚のヒレ=条鰭類のヒレ

 と考えると、クジラのヒレは明らかに条鰭類のヒレではないですよね。

 つまり、

 魚のヒレ→陸上脊椎動物の四肢→クジラのヒレ(魚のヒレ≠クジラのヒレならば、これは0→1→2とでも言うべき)

 しかし!!、短い上腕骨、曲がらないまるでブロックのような下腕(<尺骨とかですな)、
そして5本以上ある過剰な指・・・。クジラやイクチオサウルスのヒレって、アカントステガや
イクチアオステガとかの腕じゃありませんかね?、これ。

 そう考えたら、yamanakaさんが言っているように失われた形が復活しているんじゃないかなあ???。

 だいたい、魚というと条鰭類を私達は連想しちゃいますけど、肉鰭類や、その中でも
アカントステガとかでもいいはずですよね。クジラの鰭って実はドローの典型的な例
ではなくて、反証だったのか。


 なんかなあ、ドローの法則って考えれば考えるほど訳が分からん。
[2002/11/17 22:50:53]

お名前: yamanaka   
だから 自然法則 じゃなくて ドローの思いつき(の法則) というところでしょうね。
この法則について、突き詰めるなら、「相同」とは何か、と 
「異なる生物の器官が相同か否かの判定」 について、検証と考察そして議論が必要だ・・・。
[2002/11/19 07:16:51]

お名前: 北村@   
 yamanakaさん>ドローの思い付き・・・、^^;)なんといいますか、さもありなん。

 相同の検証。北村なんかは系統樹を編み上げれば同じもの=相同、が分かる、と思います。
少なくともある基準(というか、いずれにしても最節約)に基づいて系統を組み上げ、
そして起源が同じ特徴(形質)を探し出したわけですから、それは相同ですよね。

 少なくともひとつの方法で示された”相同”なわけですな^^)<「恐竜と遊ぼう」を参考〜〜〜〜。

 ドローの法則、・・・これを使って系統解析する問題点は、相同を探るさいに、すでに
”進化とはこういう法則で進む”と仮定しちゃっていることですよね。それでもって
相同を判定するには系統解析が必要なので、これでは困っちゃいそうです。

 
[2002/11/21 00:21:28]

お名前: yamanaka   
2つの異なる生物の器官が相同か否かを判定して結論を導くのは、簡単ではないと思いますよ。

近縁の生物群間の比較は容易ですが、これが離れていると難しくなる。
脊椎動物の起源(H.ジー)でも、相同の判定・解釈を巡って議論が展開されています。
特に、「カルポイドが持つ体側のスリットを鰓孔」と考えるジェフリーズに対し、反論が
提示されていますし、
また、中国で澄江から得られた「シダズーン」が新口動物と考えられた理由も、体側の孔
(あな)を鰓孔と見なしたからですね。
この孔が鰓孔でなければ、両方とも間違っていたことになりますから、やはり難しい。
[2002/11/21 06:59:23]

お名前: 北村@   
 yamanakaさん>簡単ではないですねえ^^)。それでも判定のひとつの方法、というか
それしかないのですが、系統解析をする、がその方法であることには変わりない。

 問題は、系統解析するときにAとBが同じものである、とした過程がそもそも正しいの
だろうか?、ということなんでしょう。

 ジェフリーズのAとBが同じ、という判断(<形質のコーディングというやつです)
がそもそも妥当なのか?。

 そうした問題があるから「脊椎動物の起源」培風館 pp290/291 では

 古典的/伝統的なA≠B

 と

 ジェフリーズのA=B

 という2通りの”これとこれが同じである”というデーターをそれぞれ系統解析して
検討しているわけですな。つまり仮説を検証しているわけで、テストの真っ最中^^)

 つまり、相同を調べるのは、調べる原理自体は簡単(系統解析すればいいんでしょ〜〜〜♪♪)
だけど、当然、場合によっては難しい事例もあるってことだと思います。

 

 ひどい場合だと、背索動物だと思ったら、おもいっきり節足動物じゃん、という化石があったりしますし^^;)

 これなんかは相同ウンヌン以前の問題ですよね・・・・。
[2002/11/21 16:44:53]

お名前: 菅谷中   
K子R一先生は、ドローの法測は、法測というより経験則だと言っておりましたが、
それって法則じゃないじやーん?!
[2003/04/02 18:09:51]

お名前: 北村@   
 菅谷さん>まあねえ、経験則と法則をどう区別するのかって問題もありますかねえ。
色々な系統を調べた結果、一度失われた特徴/形質が再進化しないって結果が何度も
現われたら、それは”ドローの経験則”になるのかなあ〜〜〜。

 もっとも、それを他のこれから研究する系統の解析に”最初から”前提としてあてはめて良いのか?、という
疑問は常に生じるでしょうね。

 例えば、過去の記録から近い将来の天気を予測する、それは多分、過去の経験やデーターに
基づいて予測している。つまり過去のデーターに基づくと、Aという状態であればBという結果が
生じる場合が80%である。

 という場合、

 明日の天気は本日の気圧配置から考えると8割の確率でBである

 と予測する(らしい、天気予報はそういうもんだという漠然とした仮定で北村は話をしております^^)。

 これは多分、経験則に照らした未来(あるいは結果、あるいはありえそうな結論の)予測

 なんでしょう。

 でも、実は地球がゆっくりと温暖化していて、過去のデーターから予測されるのとは
別の出来事が起きるようになった場合、以上の経験則は当てはまらなくなる(<本当に天気予報が
そういうことをしていたら、そうなる、あるいはそうなりうる)。

 北村は遺伝子をやってましたから。でもって遺伝子では、一度機能を失った塩基配列が
復活したり、あるいは状態は違うが見た目の機能が復活する場合があるんですよね。
 ようするにいずれの場合も、外見では失われた特徴が復活するわけですよ。

 そういうことを学生時代に学んだ経験からすると、ドローの法則を聞いた時、違和感しか
出てこない。たとえ、ドローの経験則と言い換えてもそれは同じですね。

 いじわるな言い方ですけど、北村が持ってる経験則からするとドローの経験則は
あてはまらない場合が明らかにあるし、系統の解析に最初から組み込むのは、それは
ちょっと危うい仮定に見えちゃうのですよねえ。


 

 
[2003/04/03 02:37:20]

お名前: 菅谷   
オルシェフスキーは最節約をドローの法則だと自分なりに怪釈してしもたんでごじゃり
ますかに。
[2003/04/03 16:38:24]

お名前: 北村@   
 菅谷さん>ああ、さてねえ。彼の脳の中で何が起こったのか?、それはなんとも
かんとも。でも、確かに不思議ですね。例えば菅谷さんも持っている「系統分類学入門」文一総合出版
 原題[The Compleat Cladist : A Primer of Phylogenetic Procedures] Museum of Natural History 
The University of Kansas
 でも、最節約原理は pp28 でさっさと出てくる。

 実はドローも出てくるけど、それはFarris が1977年に提案した、ドロの最節約、
つまり研究者が系統解析するときに仮定として選ぶ、幾つかある最節約の基準のひとつ、
エンドヌクレアーゼの一部の塩基配列から系統解析する時に提案された仮定として出てくる(本文のpp71)
だけですから・・・・。 

 ちなみに、これは遺伝子の塩基配列を最節約法で系統解析する場合の話ですよね。
でも形態のデーターにドロの最節約が使用された例ってあるのかなあ???。
少なくとも恐竜では北村、聞いたことないですなあ〜〜〜。
 
 そもそも分岐学とは関係ない、古い日本の古生物の教科書でも、ドローの法則は循環論法的だって批判されてるの
見たことあるんですよね。

 そういうことを考えると、なんというか北村の印象としてはオルシェフスキーさん、
教科書を読み違えたというより、何かありうべからざる理解(というか誤解)をしているのではないか、
と感じるのですよね。

 誤解のシナリオとして、例えば次ぎのように考えたとしますよね、

 ドロの最節約が形態に適用できて、なおかつ、分岐学の原理が最節約であると教科書にも
明記っされているにもかかわらずなぜか、最節約の部分はすっぽり抜けて、ドローの部分だけが残る

 これがありうる誤解(?)のシナリオかな〜〜とは思うけど、これ、誤解というよりも、
なんというか、無から有が生じたような、どこをどう読むとそうなるのか?、というシナリオですよね。

 もっと最節約なシナリオはないのか、あるいは、分岐学の歴史の中でそんな誤解を生じる
ような事件があったのか?(北村は知らない)、まあ、謎です。


 少なくとも、言えることは、彼の奇妙な主張の原因を考えるよりは、分岐学の歴史と方法論の
発展、さまざまな仮定、とその妥当性について考えればいいということではないでしょうか。

 つまるところ、彼の誤解の原因を考えて寄り道する必要なんてさらさらないですよね。
この宇宙では不可思議なことが時には起こるのですよ。
[2003/04/03 21:48:13]

お名前: 望月直    URL
初めまして。北大理学部地球科学科2年目の望月と申します。(北村さんとはミネラルショーで何度かお話したことありますが)。

ドローの法則ですが、スティーブン・ジェイ・グールド著、渡辺政隆訳の「八匹の子豚」のpp123-124によれば、
極めて数学的な確率論としての不可逆性を述べているだけだそうです。
つまり、十分大きい箱の中にコインを十分大きい数だけ全て表にして入れて、
その箱を良く振ったときにコインが全て表である確率は限りなく0に近いという、
閉じた系でのエントロピー増大の話のようなことで、ここまでは十分確からしい。
問題はこれが進化にも当てはまるか否かですよね。

>(北村さん)ドローの法則って生物学を物理学と勘違いしているようなふしが
と言われてしまうとここで話がポッキリ折れてしまうのですが、
あえてこの数学的法則が生物に適用できることにします。
というか適用できない理由がわからない。

結論から言うと原義のドローの法則は、広義のドローの法則のような矛盾
(タチウオの椎骨、魚竜の指などの問題)は起こさないと考えます。

例として指の数が5本から4本へと減少した種(どう検証したかを問わないモデル)を考えます。
ブライアン・K・ホール著 倉谷 滋訳の「進化発生学」に出てくる 
・系統発生は個体発生の過程の変化である
・ある段階で形質が発現するか否かはその段階以前の過程に依る(エピジェネシス)
という仮説に従えば、4本指の種は5本指の種の個体発生を受け継いでいるので
・胚の段階では5本指だが(アポトーシスで)4本になる。(指が減少するという過程の追加)
・胚の段階で5本指という段階を経ずに4本である。(5本指という過程の省略)
原義のドローの法則によれば、後者では5本指にはなりえないものの、
前者では指の減少という過程の省略という可能性が残されているので5本指になりえます。
無理して小難しく書きましたが、要は
「無い袖は振れない」ので「祖先の形質を流用するしかない」ということです。
例えば椎骨増加の問題は、椎骨や発生は一本の原基の分節化なので素材はもともとあるわけです。

広義のドローの法則の問題は、その形質がどういう意味で消失したかを
明確に定義していないために生じているのだと思います。
おそらく個体発生の過程全てを形質として取り込めば広義のドローの法則も成立します。
ただ現実の問題として、連続的な過程を記録すると離散的で不完全になってしまうため、
特に古生物の場合は個体発生の情報が得にくいために、結局のところドローの法則は適用できません。
つまり、ドローの法則自体は間違いではないのだけど、ドローの法則を適用できる条件が厳しすぎる
という意味で、0->1->0->1という変化を排除しない手法(分岐学)に従うしかないのだと思います。
[2003/04/17 04:38:09]

お名前: 北村@   
 望月さん>おおう、いらっしゃいませ^^)。

 生物学を物理学と勘違いしている>ああ、これはあれですね。物理学では法則が成り立つ
かもしれないけど、同じ元素で出来ていても生物みたいな複雑なものに法則といって安易に
当てはめてよいのでしょーか?、という素朴な疑問です。

 もちろん、生物も物理的なものだから、別に生物が物理学とか確率からフリーであるなんて
いっているわけではありません。ただ、物理で扱う水素分子はどれも(多分)性質は同じですが、
同じ種(だと人間が考えている)生物の1つ1つは同じ性質を示さないでしょう
(クローンでも場合によっては変異で変わっちゃいますし)。
 

 >胚の段階では5本指だが(アポトーシスで)4本指になる>アポトーシスであれ、なんであれ、
以前の胚発生の過程に何か追加されて5本が4本になった。もしその

 ”何か追加された過程”

が省略されたら5本指に戻る、ということになりそうです(<これは望月さんの言う通りであろーと思います、北村は)

 次ぎに、
 
 >胚の段階で5本指という段階を経ずに4本である(あるいは指が4本になる)>もし、
こうなる原因が、例えば

 ”5本目の指を作る過程が壊れてしまった”

 というのならもとには戻らなそうですね^^)。それは望月さんの言う通り(おそらく)。
ただ、もしこうなる原因が、

 ”5本目の指を作る過程が阻害されている(例えば遺伝子のスイッチが入らない、
塩基配列が1つズレて機能を失った、他の何かの遺伝子が5本目の指を作る遺伝子なりなんなりの
働きを阻止している)”

 とした場合、遺伝子のスイッチが入るようになった、1つ欠失した塩基に1つ塩基が
挿入された、あるいは逆に2つの欠失が起きた(>遺伝子の読み取りはもとに戻る)、
あるいは阻害している遺伝子が機能を失っちゃいました、

 ということが起こればもとの祖先の状態に戻り得ますよね(少なくとも北村はそう思う)。

 まあ、ようするにケースバイケースというわけで。でもって、ドローの法則は
成り立つ条件があるにはあるけど、そうでない場合もありうるということです。

 たんてきに言うと、こういうの法則って呼んでよろしーのですかな〜〜〜???、
という素朴な疑問を北村は抱くしだい(どれを法則と呼ぶのかは人間の認識の問題かも
しれませんが、物理法則と同じかというとどうなんでしょうか?)

 ですから、>ドローの法則自体は間違いではない>というよりも、一度失われた特徴
(あるいは形質が)2度と復活しないことがありうる、そう言い換えた方がいいのではないでしょうか?。
条件や生物、個体発生の過程によっては使えるかもしれない、という事柄を法則って
呼ぶと誤解をまねきそうです(実際に誤解しちゃった人もいるらしいし)。
[2003/04/17 22:00:34]

お名前: 北村@   
 ちなみに、一度機能を失った遺伝子は、淘汰がかからないのでもとの配列が変化しても
そういう変化が有害なものとして排除されなくなる。というわけで、塩基の配列は
次々に変化する。かくして、もとの配列とは違うものになる。確率的に同じ機能を
果たすものに戻るということは少なかろう。

 それは確かですし、普通はそういうことが起こりそうです。でも、もし仮にその遺伝子が
別の機能も持っていたらどうなるのか?。例えばAを作ることに使われていた遺伝子Z
はAと相同の器官(<見た目からは想像もつかないくらい変化している)Bを作ることにも
使われていたらどうなるのか?。

 Aを作ることがなくなっても遺伝子ZはBを作るという役割があるのだから機能はもとの
ままでありうる。ということは、いつか器官Aを再び作るかも知れない(すくなくともその能力はある)。

 まあ、こういうことも起こり得るかもしれませんなあ〜〜〜^^)


 後、その生物の個体発生がすべて分かってもその生物を生み出した系統のすべての
生物の個体発生が同じふるまいを示すかどうか?。
 
 同じであると仮定することもできますが、それは”変化が起きない”といっているわけで、
ようするに進化が起きないという仮定になりそうです。


 近い系統なのだから個体発生の過程もあまり変化してないのじゃないかな〜〜〜??、
という仮定がもっとグッドに思えますが、どうでしょう(<逆にいうとある生物の個体発生が
分かっても、それを過去に無条件に適用するのはどうだろう?ってことですね^^)。

 鳥とワニの結果を恐竜に当てはめるのはよさそうですけど・・・・、実際はどうなんでしょうね?。
[2003/04/17 22:16:29]

お名前: MOCHIZUKI Sunao   
10日も放置してすみませんです。
自分で書き込んでおきながら消化不良を起こしていたもので、
あらためて読んでみればボロだらけで、なんとも…

> ”5本目の指を作る過程が壊れてしまった”
> こうなる原因が、
> ”5本目の指を作る過程が阻害されている”
> とした場合、遺伝子のスイッチが入るようになった、1つ欠失した塩基に1つ塩基が
> 挿入された、あるいは逆に2つの欠失が起きた(>遺伝子の読み取りはもとに戻る)、
> あるいは阻害している遺伝子が機能を失っちゃいました、
> ということが起こればもとの祖先の状態に戻り得ますよね(少なくとも北村はそう思う)。
(一部省略)

スイッチの機構を考慮に入れてませんでした…。
塩基配列の0->1->0, 0->1->2, 0->1->3…という変化は同様の起こりやすさで
配列が長くなるほど0->1->0という完全な逆変化はありえなくなるが、
配列0,2,3…が引き起こす形質が一様に異なるわけではないので
(例えば0と2が同じ形質を発現する場合を否定できないので)、
その遺伝子の結果としての形質は可逆、という解釈ですかね。

> その生物の個体発生がすべて分かってもその生物を生み出した系統のすべての
> 生物の個体発生が同じふるまいを示すかどうか?。
> 同じであると仮定することもできますが、それは”変化が起きない”といっているわけで、
> ようするに進化が起きないという仮定になりそうです。

これもその通りだと思います。
任意の形質は任意の時刻に変化していいし、変化の量は時間、つまり近縁さに相関すると思います。
# 無数の形質を前提とした分子進化的な考え方だとは思いますが。

>鳥とワニの結果を恐竜に当てはめるのはよさそうですけど・・・・

ちょうど恐竜の外鼻孔の位置に関するWitmer,2001を読んだところで、
これなんか正に鳥とワニによる挟み撃ちを使ってますね。
つまり、ワニと鳥の共有派生形質は2者の間の枝の分類群である
恐竜とも共有されるって論です。
いくら近縁でも奇天烈固有派生形質の出現は否めないけど
近縁であるほど形質の差異も小さいだろう、という前提あっての論ですが、
これ以外の比較解剖学の手法って思い浮かびませんね。
# 少なくとも、祖先が4本指だったから5本指にはなりえない、
# な〜んて具合に原始形質だけで説明するよりは妥当でしょう。
[2003/04/27 06:09:52]

お名前: 北村@   
Mochizukiさん>ながくなったんで、新しいスレッドをたててレスしますね。
[2003/04/27 10:28:13]

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