『テロの地誌』――発掘されたゲシュタポ本部跡

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『テロの地誌』財団⇒http://www.topographie.de/

 この場所にはナチス時代にゲシュタポ本部、SA拠点、秘密情報機関、SS本部が置かれたアルプレヒト皇太子宮殿が建っていた。戦争末期に空襲と接近戦で破壊され,建造物の損傷度合いが再建可能であったにもかかわらず、194556年に完全に撤去。この場所のことは東西分裂とベルリンの壁の構築以後は忘却され、南東部(西ベルリン)にサーキット・コースがもうけられた。しかし、70年代末に工芸博物館をマルティン・グロピウス館再建の計画を機会にこの地に注目が集められ、記念碑設置を要求する運動が展開された。87年のベルリン750周年記念と関連して、この地が発掘され、仮説場で展示会が開催、好評のため常設されることになった。90年に、市政府から任命された専門家委員会は、記念碑の設置をやめて、中心的な展示・記録・会合の場にし、歴史的痕跡を保持−保護すべきことを提案し、市政府はこの提案にしたがうことを決定。921月にテロの地誌財団が非独立財団として、95年4月には公的権利を持つ独立財団として設立、1994年からベルリンと連邦共和国が共同管理することになった。9596年の冬と96年の10-11月の二回、財政状況のために一時的に中断したが、国内外からの抗議でふたたび許可、2000年秋に完成予定となったが,いまなお完成していない。

 

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