B大ハンブルク通りの記念碑

ここにはかつて、ベルリンのユダヤ教区の墓があった。壁の碑文には次のように書かれている。

「1672年から1872年まで建てられ、1943年にゲシュタポの命令によって破壊されたベルリンのユダヤ教区の旧墓地を記憶するために」

 

 

 

移送記念碑。

碑文「この場所にはベルリンで最初のユダヤ教区の老人ホームがあった。1942年にゲシュタポはこのホームをユダヤ市民のための集合所に変えた。乳児から老人にまで、ベルリンの55000人のユダヤ人は、アウシュヴィッツとテレジエンシュタットの強制収容所に無理やり連れ去られ、残虐に殺害された。/このことをけっして忘れるな/戦争に抵抗せよ/平和を守れ」

 

 

 

 

 

その近くに設置された記念像

Will Lammertの作品、本来はラーフェンスブリュック強制収容所の記念施設のために作られ、ナチズムからの解放40周年の1985年にこの場に設置された。この像はその強制収容所の女性囚人を表している。もともとユダヤ人をモデルとしたものではない。

 

 

 

 

 

 

新たな記念碑。突然連れ去られ、消えてしまったたユダヤ人をあらわしている。

共産主義政権がその末期に(19888年)設立しようとしたユダヤ人のための記念碑。Karl Biedermannの作品。

 

 

 

 

 

 

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『ホロコーストの記憶』