1999年晩夏、友人と3人(ちなみに#1とは別の面子)でアメリカへ。そのスケールの大きさに驚きの連続でした。 いったいどんな旅になったのか?乞うご期待。
メ ニ ュ ー | コ メ ン ト |
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★サンフランシスコ編 | 旅は坂と霧の街サンフランシスコからスタート |
★ロサンゼルス編 | 太陽の光が眩しい真夏のロスはどことなくスリリング |
★ニューヨーク編 | 世界の中心マンハッタンをぶらぶらと・・・気分はニューヨーカー? |
★トロント・ナイアガラ編 | ナイアガラはやっぱりすごかった! |
★サンフランシスコ編
1日目/ 天気:くもり時々晴れ/「一路、サンフランシスコへ」
フライトは夕方だったので、出発当日の朝はゆっくりと起床した。
14時ごろ家を出て三ノ宮からリムジンバスに乗って関空へ向けて出発。
が、いきなりアクシデント。
阪神高速で事故があったらしく高速が大渋滞。
バスは高速を下りて何度も信号に引っかかりながら一般道を走った後、再び高速に乗って約30分遅れで関空に到着した。
チェックインカウンターで急いで搭乗手続きを済ませ、セキュリティチェックから出国審査と順調に通過した。 2度目の海外旅行だったので流れは比較的スムーズだった。
▼ユナイテッド航空(UA)
ウイングシャトルに乗って待合室へ向かい、少し待ったのち搭乗開始のアナウンスが流れた。
ユナイテッド航空810便サンフランシスコ行きの機内(もちろんエコノミークラス)はほぼ満員だった。
飛行機は定刻通り18:00に無事関空を離陸した。
-----ながーいながーい空の旅・・・(あまり記憶がないが、最新の映画を2本観てなかなか良かったのは覚えている。)-----
約10時間のフライトを終え、飛行機はサンフランシスコ国際空港に到着した。
いよいよアメリカに上陸だ。
入国審査を難なく通過しアメリカへの第1歩を踏み出した。
到着ロビーはたくさんの人でごった返していた。
とりあえず周りにいる人がみんな体がデカくて、なんとなく威圧感を感じた。
で、どーやって市内まで向かおうかということになった。
タクシーで行っても良かったのだが、時間もあるし、金も節約できるし、面白そうやし・・・ということで路線バスに乗っていくことにした。
が、バス停にはひっきりなしにいろんな会社のバスが到着しどれに乗ったらいいのかぜんぜんわからない。
そのうえ、札しか持ってなかったので運賃$1.10を支払うための硬貨を作らなければならず、売店で特に飲みたかったわけではないジュースを飲むはめになった。
▼サンフランシスコMAP
で、再びバス停に戻りどのバスに乗るべきか途方に暮れていた。
すると30歳ぐらい(だったと思う)の日本人女性が偶然バス停にやってきた。
私達が困っていることを察したのだろうか?
その女性が「どこにいきたいのですか?」と声をかけてくれた。
「(ホテルのある)シビックセンターのあたりに行きたいんですけど・・・」というと、これこれに乗ったらいいと教えてくれた。
ほんとにありがたかった。
その後少しだけ会話したところによると、その女性はサンフランシスコで暮らしているらしく、
市内はあまり治安が良くないので気を付けた方がいいと教えてくれた。
しばらくしてバスが到着した。$1.10を黒人の運転手に支払いバスに乗りこんだ。
日本の路線バスとほとんど違いはなかったが、下りる時にボタンではなく窓にたれている紐を引っ張って運転手に知らせるのには驚いた。
車窓から見える空港付近の景色は殺風景でなんかイメージと違ってちょっとがっかりした。
なんせ路線バスなので短い間隔で停車を繰り返し、揺られること1時間弱バスはようやくホテル付近にやってきた。
紐をひっぱて下りることを知らせバスを降りた。
間違って1つ手前のバス停で下りてしまったため、ホテルまで少しだけ歩かなければならなかった。
初めて歩くサンフランシスコの第1印象は「なんか恐そう」だった。
まぁ、そんなこんなで日本で予約してあったホテルに無事到着しチェックインをした。
部屋は値段相応のシンプルな部屋で普通のベッド2台と簡易ベッド1台が置いてあった。
ということで当然のように誰がどこで寝るか決めることになった。
3人で「3点先取のじゃんけん」(以後この行事が恒例となる。)をすることになった。
私は1番最初にに3勝し、普通のベッドを見事確保した。(そのおかげで夜は熟睡できた。)
▼急な坂道を登るケーブルカー
しばらく休憩してから、サンフランシスコの街へ繰り出すことになった。
ホテルのあるシビックセンター周辺は、少し治安が悪そうな感じでなんとなく恐かった。
しかし、街の中心ユニオンスクエア周辺に近づいていくにつれて、街の雰囲気も良くなってきたのでホッとした。
ナイキタウンやメイシーズなどいろんな店を覗いてはまた次の店へという感じで街をぶらぶらした。
で、なんとなく恐かったので暗くなる前に夕食を済ませてホテルに戻ろうということになった。
何を食べようとさんざんうろうろしたが、なかなかコレという店が見つからなかった。
結局ホテルの近くまで来てしまい、近くに発見したブラジル料理店に入った。
ウエイターが席に案内してくれメニューを渡された。
当然メニューは英語で書かれているわけで、「chicken」とか「pork」とか知ってる単語をたよりにして想像を働かせ注文にこぎつけた。
初めて口にするブラジル料理だったが、味は可もなく不可もなくという感じだった。
食事を終える頃には外もかなり暗くなっていたので、文字どおり足早にホテルに戻った。
その夜ホテルの部屋には30分おきぐらいにパトカーのサイレンが聞こえてきた。
あぁーアメリカに来たんだなぁーと実感した。
とりあえず時差の関係でこれまで経験した中で1番ながーい1日だった。
2日目/天気:くもり時々霧/「霧の街サンフランシスコ」
朝は少しゆっくりめに起床た。無料サービスのドーナツとコーヒーという朝食をとったあと、さっそく街に繰り出した。
▼ワン・デイ・パスポート
とりあえずサンフランシスコ名物ケーブルカーに乗ることにした。
チケット売場で1日乗り放題チケットを購入して、ターンテーブル(ケーブルカーの方向転換を行う場所)を囲んむように並ぶ観光客の長い列の最後尾についた。
待つこと約15分、ようやく私達がケーブルカーに乗る順番が回ってきた。
運良く座ることができ、出発の鐘とともにケーブルカーが急勾配の坂を登り始めた。
合格率1/3という難関な試験をパスした運転手だけあって、手動で行われる運転はさすがに見事。
しかも運転手は非常に陽気で、ユーモアたっぷりの英語で何度となく乗客を笑わせていたが、私には何を言ってるのさっぱりずなんかわからんけど悔しかった。。
やっぱりちょっとした英語ぐらいできなあかんよなぁーって、この時ふと思った。
▼霧がかかり幻想的なゴールデンゲートブリッジ
バスに乗るとあれだけ遠かったブリッジには、ものの5分ほどで到着した。
あたりは多くの観光客で賑わっていたが、私達もそれに紛れて生のゴールデンゲートブリッジをさっそく眺めた。
ブリッジには霧がかかり非常に幻想的な雰囲気だった。
(どーでもいいことだが、瀬戸大橋と"金門橋"は姉妹橋って書いてあった。この"金門橋"の意味がすぐに分からなかったのは、3人のうちで私だけだったらしい。)
とりあえず記念撮影をして、その後ブリッジを途中まで歩いて渡ってみた。
感想は「寒い」の一言。風がビュンビュン吹いて、おまけに霧が冷たかった。
ということで、ゴールデンゲートブリッジ観光もこれにて無事終了。
次に向かったのは、サンフランシスコ一の観光スポットであるフィッシャーマンズワーフ。
再びバスに乗り一度乗り換えて、何とかフィッシャーマンズワーフにたどりついた。
日曜日だったこともあり、とりあえず見渡す限り人・人・人だった。
魚介類の美味しそうな匂いが漂う通りを西に歩いて、最新のスポット「PIER39」に向かった。
途中無数のストリートパフォーマーがそれぞれ自慢の演技を披露し、私達を含む多くの観光客が足を止めていた。
▼PIER39
そんなこんなで「PIRE39」に到着。
さすが全米第3位のアトラクションと言われるだけあって、多種多様なショップとアトラクションがひしめいていた。
適当にあてもなくぶらぶらと見てまわったあと、時間もかなり昼を過ぎていたので昼食を食おうということになった。
散々迷ったあげく入ったのは、「CRAB HOUSE AT PIER39」と言うレストラン。
店の名前からしてカニ料理がおいしそうな感じの店なのだが、メニューを見てみるとカニ料理はみんないい値段をしていたので、
財布と相談してカニのピザ($12.50)を注文した。
しばらく待つと、目の前にカニの身がたっぷり乗った大きなのピザが現れた。
これこそアメリカンサイズ(日本の宅配ピザのMサイズは優にある)って感じで、残部食べきるのにかなり苦労したが、味はなかなか美味しかった。
ピザで満腹になったあとは、またしばらくうろうろしてからフィッシャーマンズワーフを後にした。
で、次に向かったのはチャイナタウン。
バスを下りると、そこに広がる世界はアメリカではなく中国だった。
それもそのはず。サンフランシスコのチャイナタウンは世界一大きいのだから。
街の人々からは英語よりもむしろ中国語の方が多く聞こえてきた。
通りに立ち並ぶ店にはお土産から食料品からおもちゃAV機器までありとあらゆる物が売られていて、見てまわるだけで満足だった。
いつのまにか、時間もかなり経っていた。
ということでチャイナタウンを離れ、再び街の中心ユニオンスクエア周辺へ戻った。
そして、周辺のショップで昨日のうちに目を付けていたものをそれぞれ購入し、暗くなると恐いので足早にホテルに戻った。
本日の夕食は本場アメリカのマクドのテイクアウト
(※ちなみにアメリカでは「take out」はあまり通じないようだった。実際注文を終えると「for here or to go?」と店員に聞かれた。
ちょうど旅行の出発前にたまたま見た「NHK英会話とっさのひとこと」でその場面を再現していたので、すんなりと「to go,please.」と答えられたが、もし知らなかったら店員が何を言っているのかわからなかっただろう。)
で、ビッグマックセットを注文したのだが、予想以上の大きさに驚いた。
だって、Mサイズのコーラが日本のLサイズよりもさらにデカく500ml以上あったんやから。
恐るべしアメリカ。
3日目前半/天気:晴れ時々くもり/「ロスへの道は遠かった!?《PART1》」
11:00発の飛行機だったので、8時ごろ起床した。
で、またまたドーナツとコーヒーと言う朝食を済ませ、9時前にホテルをチェックアウトした。
その際タクシーを呼んでくれとフロントに頼んだ。
するとフロントのおじさんが、ちょうどシャトルバン(約10人乗りの乗合タクシーみたいなもの)が来るのでそれに乗ったらと薦められ、ちょっと迷ったがおじさんの押しに負けて結局OKした。
この決断が後で厄介な結果を引き起こすことになるとは・・・。
9:00頃シャトルバンがやってきた。
どーやら私達3人が最初の客らしい。
出発後シャトルバンはいろんなホテルをまわり次々と予約客を乗せて空港へ向かうハズだった。
ところが、なんか同じところをぐるぐる回ってるから様子が変やなぁーと思っていると、
案の定、最後の1人の予約客が見つからないらしい。
運転手は住所の建物を探すのだが、探せど探せど見つからない。
時間だけが過ぎて行く。
乗り合わせた客達も次第に苛立ち始め、(たぶん)「もう行ってくれな間に合わへん」みたいなことを運転手に言うのだが、
本部からの無線の指示もあって運転手はいっこうに出発しようとしない。
それどころか、運転手からは状況の説明も謝りのひとこともなかった。
さすがに気の長い私でさえも我慢できなくなり、文句のひとつでも言ってやりたかった・・・が、英語がしゃべれない。
英語をしゃべれへんって何て不便なんだと身を持ってわかった。
結局30分ぐらい探したあげく、ようやく予約客の女性が見つかった。
女性は涙目で「I'm sorry.」と他の乗客に言いながら、シャトルバンに乗り込んできた。
地理の勉強不足の運転手に全ての責任があるのに謝りもせず、何の責任もないのに謝る女性がなんだか気の毒だった。
車内は重苦しい雰囲気のまま、シャトルバンはサンフランシスコ空港へ急行した。
運転手はぶっ飛ばしたので、アッという間に空港に到着した。
しかし運転手の口からは最後まで謝りの言葉が聞けなかった。
この運転手はサービス業として完全に失格である。
(それとも、アメリカでは交通事故を起こした時に謝った方が負けだとよく噂に聞くが、
それと同じで、運転手は自分に非がある事を認めてしまうと運賃をもらえないとでも思ったのだろうか。
もしそんな考え方が一般的なのだとしたら、アメリカって住みにくい国やな。)
とりあえず、空港に到着した。
あとは時間との勝負。
時計を見ると時間は10:40。
飛行機の出発20分前だった。
これは完全に間に合わないと思った。
が、ここで奇跡が起こった。
なんと11:00発UA2027便ロス行きは1時間delay(延着)していたのである。
ということで、ロスまで自腹(数万円)を覚悟していたのだが、予定通りの便に乗れることになった。
やれやれ。
UA2027便ロサンゼルス行きは定刻の1時間遅れで、サンフランシスコ国際空港を無事離陸した。