旅行日記#1 ロンドン&スペイン+シンガポール16日間(3)

旅もいよいよ中盤。歴史の舞台アンダルシアへ


メ ニ ュ ーコ メ ン ト
★ロンドン編歴史と伝統の街ロンドン。そこがこの旅の始まり・・・
★スペイン編@バルセロナ地中海の風に吹かれながらバルセロナの街を歩く。
★スペイン編Aアンダルシアアラブの香り漂う情熱の世界アンダルシアを満喫。
★スペイン編Bマドリード・トレド新旧の都対決は旧都に軍配?
★シンガポール編+おまけ旅のクライマックスは"獅子の都"で。


★スペイン編A〜アンダルシア〜


8日目/天気:くもり時々晴れ/「セビリアで闘牛観戦!」

バルセロナで歩きつかれたせいだろうか、日付が変わる頃には眠りに陥っていた。気がつくと空はかすかに明るかった。夜行列車は予定通り8:50にセビリア駅に到着。 ホームは大きな荷物を抱えた人々であふれている。
とりあえず駅舎内のベンチに腰を下ろし、これからの行程を相談した。 友人の1人が予定を早めて帰国することになっていたので、彼は翌日のマドリード行きAVE(スペイン版新幹線)の切符を購入。 一方残留組の私達2人は、明日のグラナダ行きの列車の席を確保することにしたのだが、当日購入のみといわれ言われ断念した。
そして、インフォメーションで今晩泊まる宿を格安でゲットしたのち、駅にあった喫茶でパンとコーヒーの簡単な朝食をとった。 ちなみに、スペインのコーヒーは"cafe'"(「カフェ」の「フェ」にアクセント)といってメチャメチャ濃く、それに多量のミルクと砂糖を入れて飲むのが現地流らしい。

▼セビリアの日曜の朝
朝食を済ませると、徒歩で宿へ向かった。日曜日の朝だからなのか、車や人通りが極端に少なくあたりはシーンと静まり返っていた。 ただ、さすがアンダルシアと言うか、白壁の建物が多く、あちこちにやしの木が生えていた。

インフォメーションで教わった通りにゆっくり歩いて約20分、どうやら宿のあるあたり来たらしい。
が、なかなか見つからない。3人で手分けしてかれこれ15分探した結果、ようやく発見した。 玄関のドアは鉄格子で出来ていたのでかなりびっくりしたが、呼び鈴を鳴らすと太ったおじさんが迎えてくれ部屋に案内してくれた。
部屋に窓がなかったので少しじめじめしていたが、値段(4,500pts.当時のレートで1人当たり約1,400円。今なら約1,000円)の割には バス・トイレ付だし、なかなかの部屋だった。

宿に荷物を置いて、まず向かったのはスペイン最大のカテドラル。このカテドラルは世界で3番目に大きい教会で、建物内のステンドグラスが素晴らしかった。
教会のベンチにしばらく腰を下ろして雰囲気を堪能した後、今度は道路を挟んで向かいにあるアルカサル(王宮)に入った。 このアルカサルは、もともとイスラムのムワッヒド朝の要塞として建設されたもので、その内装は大理石の柱やアラベスク文様などまさにアラブ風だった。
建物に隣接してカルロス5世が設計した広大な庭園が広がり、これまた「南国に来たー!」って感じで素晴らしかった。


▲カテドラル(左)とアルカサルの庭園(右)

アルカサルを出たのはちょうど昼過ぎ。昼食を食べることにした。いろいろ店を見て周っていると、パエリアの看板を掲げた店があったので、本場のパエリアを 食べとかなあかんやろうということでその店に決定。
店に入り、それぞれ違う種類のパエリアを注文した。注文してから調理し始めたのだろうか、待つことかれこれ約30分、目の前に大きな鉄なべ入ったパエリアがグツグツと音を立てながら登場した。 「めっちゃうまそー!!」。一口食べてみると、まさに最高。さすが本場の味はちゃうなぁーと思いながら、あっという間に平らげてしまった。 うー食った食った。満足満足。

次に向かったのはスペイン広場。食後の運動も兼ねて、街並みを楽しみながらだらだたと目的地まで歩いた。
ここセビリアのスペイン広場はごく最近作られたみたいで、半円形の建物に囲まれるようにミニ運河や広場が整備されていた。 またツアーの観光ルートにもなっているようで、多くの観光客でにぎわっていた。

とその時、運悪く日本人のオバハンツアー客に遭遇。その中の3人グループにいきなり、「にいちゃん写真とってー」と声をかけらてしまった。 「うわぁー。つかまってしまったー。」と思いながら写真を撮ってあげると、今度はここで出会ったんもなんかの運やとか何とか言いながら一緒に写ろうやって。 早くその場を離れたかったので、さっさと一緒に写って、適当な理由をつけてその場から逃げた。 日本人のオバハンパワーには勝てないと思った。

▼闘牛の観戦チケット


スペイン広場からグアダルキビル川沿いに歩いて、闘牛場に向かった。夕方から行われる闘牛のチケットを確保するためである。

闘牛場前は既に人が集まり始めていた。闘牛を見る機会なんてそうそうあるもんじゃないので、少し奮発して3000pts.を払い2階のsol(日なた側)席をとった。
まだ入場時刻にはけっこう時間があったので少しその辺をぶらぶらしたのだが、なんせ太陽の日差しがきつく気温も高かったのでバテてしまい、 闘牛場前の影でおとなしく座って待つことにした。

ようやく入場時刻になった。どっからこんな人が集まってくんねんと思うぐらい大勢の人で闘牛場はあっという間に満員になった。 それにしても西日が強烈に熱い。しばらくすると生演奏の音楽が鳴り響き2時間にわたる闘牛が始まった。
本場の闘牛はそれまで思っていたものとは全然違った。非常に芸術的・礼儀的であり、一連のストーリーから成り立っていた。

▼観客で満員の闘牛場
マタドール(闘牛士)の華麗な技に合せるように観客は「オーレ」と声をかけ、大技に成功した時には大きな歓声と拍手が、 失敗したマタドールに対してはブーイングが飛んでいた。
そして、勢いよく登場した牛が次第次第に弱り最後の一撃で死ぬと、観客は一斉に立ち上がり音楽に合わせて引きずられながら退場するその牛を見送った。

約2時間かけて5頭の牛が次々と登場し殺されては退場したが、そのうち1頭はマタドールが殺すのに失敗したため、勇敢な牛としてたたえられ生きたまま退場していった。 それにしてもあっという間の2時間だった。うーん満足。
ちなみに、闘牛で殺された牛は市内のレストランで料理として生まれ変わるそうだ。

闘牛場を出る頃には、あたりは薄暗くなっていた。 感じの良さそうなレストランで夕食をとって、夜のセビリアの街をゆっくり歩いて宿に戻った。


9日目/天気:晴れ時々くもり/「歴史の舞台グラナダ」

グラナダ行きの切符を確保しなければならなかったので、朝は早かった。荷物をまとめ、急ぎ足でレンフェの駅に向かう。 朝早かったせいか、切符売場の窓口は思ったよりすいていた。グラナダ行きの切符をなんとかとることが出来た。 ここで、一足早くマドリードから日本へ向かう友人に別れを告げ、私達二人はグラナダ行きの列車に乗りこんだ。

列車は非常に新しく、座席もゆったりしていた。車窓から見える風景は見る見る変わり、たいへん見ごたえがあった。 途中停車した駅でちょっとしたトラブルが発生した。
その駅から乗り込んできた多くの人たちの席がないのである。どうやらダブル・ブッキングらしい。 途中で乗ってきた人たちは、座席指定料金を支払って乗ってきたにもかかわらず座席がなかったので、車掌にずっと文句を言っていた。
そんなこんなで約3時間、列車はグラナダ駅に無事到着した。

▼レンフェのタイムテーブル
グラナダの駅は市街地から少し離れているせいか、非常にこじんまりしていた。 とりあえず、明日のマドリード行き夜行列車の切符を買うことにした。 列車の切符を買うのも、もう3回目だったのですんなりと買うことができた。

大通りに出て路線バスに乗り、市の中心地へ向かった。 グラナダでも宿を予約していなかったので、ガイドブックに載っていた宿に飛び込んでみた。 若い女性がフロントにいたので部屋が空いているか尋ねてみると、運良く部屋が空いているというのでそこに決めた。
部屋に入り荷物を置いて、2人で今日の行程を話し合った。 その結果、最大の目的であるアルハンブラ宮殿には翌日行くことにし、今日は街をぶらぶらすることにした。

グラナダは非常にこじんまりとした街で、歴史を少し遡ったような錯覚に陥る大変雰囲気のいいところだった。 1492年イスラム勢力下にあっここグラナダが陥落し、キリスト教徒がレコンキスタを完了させた歴史的な場所である ことを全然感じさせない、ゆったりとした街だった。
時間はもう昼をだいぶ過ぎていたので、適当に喫茶みたいなところをみつけて簡単な昼食をとった。

▼王室礼拝堂の入場チケット

腹ごしらえを済ませたあと、向かったのは王室礼拝堂。
この建物の中には、15世紀後半スペインを統一したイザベル女王とフェルナンド王が眠る墓があった。 2人の王が眠る墓はたくさんの装飾品で飾られ、墓なのか宝石箱なのかわからないくらいだった。 世界史上で有名な人物の墓を見たのは初めてだったのでなんか妙に感動した。
王室礼拝堂の隣にはカテドラルがあったが、2人とも「もうカテドラルはたくさん」って感じだったので入らなかった。

特に何をするともなく、そこら中に立ち並ぶみやげ屋を見てまわったりなんかしているうちに、空が少し暗くなり始めてきた。
ちょっと早いけど晩飯でも食うかということになり、店の雰囲気やメニュー・値段をいろいろと見て回った。 で、オープンテラスを構える一件の店に決めた。
席に着くと明るくて感じの良さそうなおじさんがメニューを持ってきてくれた。 セットメニューが数種類あったので、その中から注文した。 おじさんがニコニコしながら次々と料理を運んできてくれた。 1500pts.(当時のレートで約\1,400。今なら約\1,000)で、ビール・前菜・スープ・サラダ・メインディシュ・パン・コーヒー・デザートが出てくるとは驚きだ。 味も美味しくて、大満足だった。
おじさんに"Gracias."といって店を後にした。
いつの間にか小雨が降っていた。そのまま足早に宿へ戻り眠りに就いた。

10日目/天気:晴れ時々くもり/「La Alhambra〜アルハンブラ宮殿〜」

グラナダの朝はさわやかだった。チェックアウトをすませると、とりあえず荷物を駅のコインロッカーに預けに行くことにした。 今思えば、宿で預かってもらえばよかったのだが・・・
路線バスに乗って駅に到着すると、昨日あることを確認しておいたコインロッカーの所へ向かった。 そこには日本人らしき女性(おそらく35歳前後)が2人いて、同じようにロッカーに荷物を預けていた。
私達がロッカーに近づくと、向こうから話しかけてきた。話によると、彼女たちは海外旅行のベテランらしく、グラナダも2回目だと言っていた。 で、アルハンブラ宮殿に行くなら入場制限があるので早目に行った方がいいと教えてくれた。

大きい方のロッカーは500pts.だった。隣の自動販売機でコインを買ってそれを入れると鍵がかかるという仕組みになっていた。 そこで、コインを購入しロッカーの鍵を閉めたのだが、なんかおかしい。 よく見てみるとしまってなかった。うわぁーやってもーた。接触が悪かったみたいだ。 文句を言ってもしょうがないので、もう1枚コインを買うはめに。 今度は無事鍵がかかった。やれやれ。
駅近く店でパンとコーヒーの簡単な朝食を済ませ、一路アルハンブラ宮殿へと向かった。

▼アルハンブラ宮殿へ向かう道
アルハンブラへの道のりは遠かった。ミニバスで行くこともできたのだが、歩いていくことにしたからである。 街の中心部にあるヌエバ広場から、宮殿の外壁に沿って細い山道を延々30分ぐらい上っていかなければならなかった。

すると、何やら行列が見えたきた。どーやら入場チケットを求める人たちの行列らしかった。
並ぶこと約15分。無事入場チケットを手にすることができた。 チケットを見てみると、王宮への入場時刻は13:30〜14:00と指定されていた。

まだ指定時間まで2時間ぐらいあったので、とりあえず宮殿の敷地内に入ってヘネラリフェへ向かった。 ヘネラリフェとは、王宮に隣接する丘の高台にある夏の離宮である。数々の庭園があり、また高台から眺める王宮はなかなかのものだった。

▼ヘネラリフェから宮殿を望む

ヘネラリフェを一通り見終えると、道なりにパラドール(国営の超高級古城ホテル)や土産屋などの横を通って王宮の方へ向かった。
すると、なにやらおいしそうな匂いが・・・。そろそろいい時間だったので、バイキングスタイルの昼食をとった。なかなか美味しかった。

腹ごしらえを済ませ、再び王宮の方へ向かって歩いていくと、大きな建物が見えたきた。
「これがひょっとかして王宮?」と一瞬思ったのだが、地図によるとカルロス5世宮殿ということだった。
この宮殿は、カルロス5世がイスラム宮殿に対抗して建築したもので、大きな円形の中庭を囲む形でルネサンス様式の建物が建っていた。 円形の中庭の中心に立って青いアンダルシアの空を見上げると、何とも言えないいい気分になった。

▼アルハンブラから望むアルバイシン地区
まだ、王宮への入場時刻にはあと30分ほだあったので、城壁沿いに座って川を挟んで対岸にあるアルバイシン地区をボーッと眺めていた。 この地区にはアラブ人が居住しており、白壁の家が一面に広がっていて大変きれいだった。

▼王宮内のパティオ

ようやく王宮への入場時刻になった。 チケットを係員に見せ中に入ると、中世にタイムスリップしたかのような感触に襲われた。
この王宮はイベリア半島最後のイスラム王朝であるナスル朝時代(12世紀)に建設されたもので、パティオ(庭園)を囲む形でさまざまな部屋が配置されていた。
1つ1つの部屋にそれぞれ異なった装飾がきめ細やかになされており、すごいとしか言いようがなかった。
順番に王宮内の部屋を見てまわって行ったので、外へ出る頃にはかなり時間が経っていた。

続いて向かったのはアルカサバ。 そこに向かって歩いていると、怪しそうなスペイン人のおじさんに日本語で声をかけられた。
なんか観光客相手にぼったくるおっさんかと思って警戒したのだが、話を聞いてみると昔フラメンコのギター演奏者として日本を縦断していたそうである。 どこから来たのかと聞かれたので「大阪」と答えると、何度も行ったことがあるし大阪城や通天閣も知ってると言っていた。 終いには写真を取り出して日本を公演で回っていた頃の様子を自慢げに見せてくれた。
話によると今は病気でもう演奏できないそうで、アルハンブラに毎日来て日本人に話しかけることが今1番の楽しみだと言うことだった。 おじさんの持つ手帳には、ここを訪れた日本人のプリクラがいっぱい貼ってあった。 「頑張って病気治してや」とおじさんを激励してその場を立ち去った。

▼アルカサバ跡
アルカサバとは、9世紀ムハンマド1世によって建設された最初の王宮跡である。
今はその外壁と土台と塔のみがその姿を残すに過ぎないが、塔の上から眺める360°のパノラマは最高だった。
ジプシーが住むと言われるサンクロモンテの丘から、白壁の家が一面に広がるアルバイシン地区、 眼下に広がるグラナダ市街、さらには遠く一面に広がるだだっ広い草原まで全てが見える絶好のポイントだった。
心地よい風に吹かれながら、その絶景を目に焼き付けた。

アルハンブラ宮殿を後にして丘を下る頃には頃には、かなり夕方になっていたがまだまだ明るかった。
今日はアルハンブラ宮殿で1日過ごす予定にしていたので、「さぁこの後どーしよー」と言うことになった。 で、かなり危ないけど(※ガイドブックにはツアー以外は昼間でも強盗が出没するので近づかない方が無難と書いてあった。)、 せっかくやからアルバイシン地区からアルハンブラ宮殿を見ようということになった。
ヌエバ広場のバス停で時間調整をしているミニバスに乗り込んだ。なぜミニバスかと言うと、アルバイシン地区の道は非常に狭く、 車2台がすれ違える場所さえも少ないからである。

しばらくすると30歳ぐらいのスペイン人がバスに乗りこんできて、何やらスペイン語で話しかけられた。 が、全然わからない。
すると今度は英語で話しかけてきた。何度か聞き直してようやく言っていることがわかった。 このバスはアルバイシン地区に行くのかと聞いていたのである。 「Yes.」と答えるとその男性は席に着いた。
少し間を置いて、今度は驚いたことにその男性に「もしかして日本人ですか?」と日本語で聞かれた。 「はい。なぜですか?」と答えると、その男性は去年まで京都の小学校で英語の講師をしていたが、 今度アルバイシン地区の学校で教えることになったのだと英語でいった。
またまた日本通の人物に出会ってしまった。スペインはいったいどないなってんねん?
会話は続き、「Where are you going from now?」と聞かれたので、「n・・・,do you know where the best place to see Alhambra?」ととっさに出てきた中学レベルの英語で聞いた。 すると、ええ場所知ってるから連れていってやると英語でいわれた。 ちょっと危ないかなと思って警戒したが、悪い人には見えなかったのでついていくことにした。

▼サン・ニコラス広場から望むアルハンブラ全景
バスを降りると、男性はひっそりと静まりかえった細い路地をずんずんと進んでいった。
今思えば非常に危ないことをしたと反省しているが、運良くその人はちゃんと連れていってくれたのでよかった。 「Glacias.」とお礼を言うと、その人はそのまま立ち去った。

サン・ニコラス広場から眺めるアルハンブラはまさに本当に最高だった。 広場の崖に腰を下ろして、アルハンブラを眺めながらボーッと時を過ごした。

周りを見てみると他にも数組観光客がいたが、みなタクシーで来ては帰って行くようだった。 少し恐かったので、ひっそりとした細い路地を足早に抜け、バス停に戻った。 バスはよーこんな所行くわぁーっていうような細い道をガタゴト揺れながら進み、再びヌエバ広場に戻った。 うー、何事もなく無事戻ってこれてよかった。

時間はもう6時だというのに、まだまだ太陽は高かった。 少し土産物屋を見てまわったあと、ゆっくりと夕食を食べようと言うことになった。
いろいろと店を探しまわり、ようやくあるオープンテラスの店に決めて着席。 もう恒例となっていたセットメニューを注文した。 値段とボリュームを考えれば昨日のメニューにはさすがに劣るが、それでも美味しい料理が何品か出てきて満腹になった。

時刻はそろそろ9時になろうかというところであった。 マドリード行きの夜行列車は23:15発だったのでまだまだ時間はあったが、 暗くなってからうろうろするのは危ないので、駅へ向かい構内で時間をつぶした。
22:30頃に折り返しの列車が到着。 さっそく乗り込んで指定された席へついた。 3人がけの座席が向かい合う形で配置されており、それぞれが6人用の個室みたいになっていた。
しばらくすると向かい合う形で前に若い女性が座った。 その際に「Hola!」とあいさつはしたが、それ以降会話を交わすことは残念ながらなかった。 と言うのも、その女性はすぐに眠りに入ってしまったからである。
結局3人で6人分の席を使う形で列車は出発した。 その時は、この後ちょっとした事件が起こることことなど知るよしもなかった・・・

スペイン編Bへつづく


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