企画手紙二通目Ame1
君は随分心配して居るようだから結論から言うけれど、私は所謂家出をしていないと思う。そうだね、少なくとも永久に帰らないと言うつもりはないよ。
ただ、多分私達は少しの間離れていた方がいいのかも知れない。
たぶんこれは上手な手紙の始まり方じゃないね。けれどもう「していない事」の羅列から始めてしまったのだから、それで続けてしまおう。
こうなった事の原因は、どうも君がそう思っているように、君が語った内容だけの内にはない。
あの夜、君が私にしたのは確かに泥と淀んだ水の話だ。でも思うのだけれど、そういったものを構成して居る成分を全て純化させ結晶化するとしたら、非常に透明で美しいものばかりが出来上がるんじゃないだろうか。自分でどう思っているか私は知らないけれど、とにかく君はいつだって、そんな風に話す。薄汚いものとだって正面から向き合うから、私の前にそれらが投げ出される頃には君の中ですっかり精錬されたそれらは、どうも醜さとは遠いものになっている。
あの夜、私は掌の上で黒耀石でも転がすように君の言葉を聞いていた。君のした事はつまり、きれいな石を私にくれた事だけで、それで傷付くのは私の勝手だ。
君の言葉は時折、永遠に溶けない氷の温度と匂いを持つ。
君がかつて海の彼方にある場所で何を考えて居たのか、私が正確に知り得る事は決してない。けれど君がそこで闇を相手に、一人で闘い抜いた事は知っている。その時気の遠くなるような忍耐を以て、君の過去を精錬し結晶化していっただろう事は想像に難くない。
君は私にそんな風に話す。君の目の中には凍るような海と世界の果てがあり、君は時折私やあの夜君が上手に残したワインや私達の庭をすり抜けて、そこへ向かってそこへだけ意識を飛ばす。そうじゃないのかい?私の言葉はあの日最後まで君に届かなかった。君は海の向こうの私の知らない場所で私の知らない君と会話をしていた。たぶん言葉が本当に鉱物の類いになるのなら、あの日の君の言葉は不純物度合いの極めて低い、美しいものになったろう。私は実際うっとりしてすらいたのさ、パッドフット。君も知っての通り私は少し感覚のおかしい所があるからね。
君の言葉が私の心臓を圧迫するまで、私はその酔いが哀しみから来て居る事に気付かなかった。
私は恐らくそう怒っていないし、哀しみだって度を超えたものではない。私は待つ事には随分長けているからね。君がいつか幸福と希望の物語を始める日を、君とはまた別種の忍耐でもって待ち続ける事が出来る事を、経験から私は知って居るのだもの。けれど君が私を捜す羽目に陥ったのは、つまりそういった理窟で説得し切れない感情が私の中に確かに存在した為だ。
白状するとたぶん私は君が私を見ていない事実が単純に哀しかったんだと思う。理性では君の眼球がやがてここではない何処かとは違う、君の目の前にある確かな世界に開かれる事を私は正確に判って居るのだけれど、感情と言うものは得てしてそういった幾何学的な世界観について来てくれないものなんだ。
私は果てを持つ君の眼と知らない温度の宝石を作る君の口を塞ぎたかった。感情の話だ。同時に私はどちらもしない理性をも持っていた。けれど君が眠った後、私は一度だけ君の眼を掌で塞ぐと、それから君の部屋をあとにした。君がこの感情に何か名前を付けようというのなら、まあたぶんそれで当たっている。それは一先ず認めなければならないだろう。
多少順序が前後して居る所はあるけれどこれが大体の顛末だ。
私はこの手紙を読み返さない。けれどきっと読み返したら十五歳のそれのようなんだろう。この年になって十五歳になるのは中々大変な事だね。まるで酷く単純で小さいのに、出口だけがまるで判らない迷宮に居る気分だ。
棚には向こう半月分の食料に充分な缶詰めが入っている。足りなければベンスン食料品店に電話して(番号はBの二番目に書いてあったと思う)取り寄せると良い。その際留守にして居ると伝えてお金をポストに入れておけば君は出なくても勝手に置いていってくれるだろう。
L
追伸:そうそう、忘れていたけれど、私が今居るのは美味しいワインの出来る国だ。
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