手紙五通目シリウス
今に始まった事ではないが、お前の強情さと来たら全く折り紙付きだ。俺が言うべき事を言う迄決して帰らないと言うのなら、宜しい、全て正直に話そう。だがこの手紙がお前の期待に添えるかどうかは確約しかねる。
しかしどう言えば伝わるだろう。そうだな、マグルの例の本だが、お前も読んで居るのかい?ではその中の、ペトロについて話す事で
始めたいと思う。
お前はここ迄読んだだろうか。イエスの弟子の一人で、彼に「あなたは鶏が鳴く迄に三度わたしを知らないと言うだろう」なぞと言われた男だよ。そしてイエスが磔刑になり、予言は事実になった。こいつは師であり友の事を知らないと言い続けた。
俺はこの箇所で随分長い事ページを捲る手が止まった。その理由がちょっとの間判らずに居たが今なら判る。俺はかつてペトロの見た風景を見た。鶏が鳴き予言が成就したと知った瞬間の、彼の絶望を知って居るのだ。
お前が出て行った日、そうと理解した瞬間、俺は一瞬だがこれで良かったのかも知れないと考えた。俺達は共に夜半悪い夢を呼ぶ過去を有して居る。が、俺とお前の決定的な違いは俺は躯の裡にペトロと同じ朝を持ち、生涯捨てる事は許されないと言う事だ。
お前は闘うといい、リーマス。お前が幸福になろうとする闘いは、お前と全く無関係な場所からやって来る馬鹿馬鹿しい運命とのものだ。お前はそれに勝利しそしてその先へ進んでくれ。お前にはその権利があるし、その力もある事を俺は知っている。
けれど俺の過去はお前とは違う。これは傲慢さと自己への愚かしい程の過信から生まれたもので、責任は全て俺にある。これを持ち続け正面から向き合う事だけが俺に出来る唯一の贖罪だ。
絶間なく降るものと、お前は闘うべきであり俺は耐え続けるべきだ。感傷でも何でもなく冷厳な事実として俺達の関係は間違って居る。
俺は誰も居ないお前の部屋のベッドに座り非常に低い温度のこの現実と暫く向き合った。
今少し俺は手紙を置いた。ペトロの、他の弟子の運命もが気になったのだ。彼等は散り散りになり布教をし続けたそうだ。許されたくて?神の話を続けるべきだと思ったから?俺はそうだとは思えない。彼等は師弟というより、友情で結ばれて居たように俺には思われるからだ。ペトロ達はただ、かつて自分にはかけがいのない友が居り、彼を救えなかったという物語に酷く怯えて居たが、同時に一度手放したそれを、二度と喪失したくなかったのではないか。
俺は彼のようになるべきだと考えて居るのかも知れない。俺も許されたいとは考えて居ないからだ。あの日の俺の過ちを一秒だって忘れたくないし、忘れるくらいなら死を選ぶ事に何の躊躇いもないだろう。
リーマス、どうもこうなったそもそもの原因を俺は繰り返して居る様だな。お前はまだ放り投げず読んでくれているだろうか。ここからが本題ではあるんだ、出来れば聞いて欲しい。
その、お前が出て行った直後、その状況を受け入れようとして居た俺迄話を遡って欲しい。俺はそれからもう一度だけ家中を捜す事にした。そこで気付いたんだ。
真昼のひかりのキッチンには、お前が好きな紅茶の葉っぱがそれぞれに微小な蔭を落としていた。酒を飲む時にお前が出した、フランスのサヴォワでとれる甘ったるいチーズが冷蔵庫に(油紙で厳重に包まれて)少し残っていた。庭に出るとスコップがあった。小さな紐がついて居て(俺にはその使用法は全く判らないのだが。きっとお前には判るのだな)仕舞おうと物置きへ向かうと、お前の育てた小さな庭が俺の足下に不意に広がっていた。
どう説明すれば上手く伝えられるだろう?俺が上でだらだらと並べ立てて来た事を、俺はひっくり返す事が生涯出来ないだろうと思う。だがそれと同時に、俺はもう一つの現実をも確かに手に入れて居た事が判ったんだ。
俺はそこから室内を見た。先刻迄俺が居たそこは外よりひかりの届き具合が弱く、中を吹く風も有り得なかった。だが俺が確かにそこからこのひかりの庭に来たように、俺は二つの現実を同時に持つ事ができるのではないかと思ったんだ。一つは永遠に許しがない場所だが、もう一つはお前の居る、真昼の場所だ。その二つの場所は窓で繋がっている。俺は時折開く事すら忘れるけれど、硝子の向こうにはひかり溢れる庭が確かにあるんだ。
俺は夜迄随分そうしていた。庭には何だかお前が居るように俺は思え、その所為だろう、アズカバンから出た後の日々が水のように躯に流れ込んで来るのを感じた。お前の言い方を借りるなら「正気にかえった」という所だろう。そして暗くなった家に帰り俺は明かりを灯し、そしてお前を捜す事を決意したんだ。
だからリーマス。俺は一通目の手紙を出した時点で、俺にはもしかしたら過分な幸福を求め出したのではないかと思ったものなのだ。
俺はペトロが自殺したんだろうと思っていたが、結局そんな記述は何処にもなかった。俺は思うんだが、彼もそういった窓を作ったのじゃないだろうか?友への裏切りと友への情愛を同時に心の中に持つ為の窓を。
そして時折眩しげに窓を開き、それからも生きて行ったんじゃないだろうか。
もしお前が速効性のある忘却と幸福を俺にくれてやりたいと思うなら、麻薬でも放って俺を然るべき場所に放り込めば良い。俺は確かにアズカバンを忘れ、夢にも怯えなくなるだろうから。そうではないのなら、もしお前が朽ちる事のない幸福を俺に求めるのなら、傍に居てくれないだろうか。俺はこれからもお前を傷つけるかも知れないし、夜毎自分を過去の罪へ差し出す事を止める事も出来ないだろうが、それでもお前が傍に居てくれれば俺はいつか暗い部屋を出て、お前の居る真昼に行けそうな気がするんだ。
しかし全くお前の言う通りだ、手紙は喧嘩に向いていない。ではこの手紙は何かとお前が問うのなら、俺は答えるにやぶさかではないが。
以上だ。お前の望む解答になっているだろうか?
これを書いてしまったら、余り見直さずこれを梟に括り付けてしまうつもりだ。そしてお前の返答を大人しく待つ事になるだろう。時間が掛かりそうだったら宜しい雑誌なり本なり投げ与えてくれ給え、プロフェッサー。
それでは最後に、お前の手紙への他の返事を幾つか書いて終わりにしよう。
先ずワインについて。
お前のワインへの大変大らかな態度は或いは尊敬に値するが、だがもう少しワインの当たり外れや味の違いに神経を使っても宜しかろう。この際新大陸のそれでも構わない。そして産地に敬意を払い、今直ぐ移る事だな。お前が寒い思いをした時に喜ぶ趣味が俺にあったなら、人生はさぞかし楽しかったろうと思う。
次に食料について
先ほど述べた何とか言うフランスでとれるチーズだが、先だってB氏の店に他のチーズごと注文した所それだけ届かなかった。思うんだがあれは確実にイギリス人の味覚に合わない。甘いチーズと言うのは何処かその存在が間違っていると俺は思う。とまれあの店はもう置かないようだから、お前が帰って来たら他の店に捜しに行った方がいいだろう。
そしてコーンの缶詰めだが、お前の言う通りだった。俺はお前は余りこういった事に、つまり製造年月日なんかには、その、余り頓着しない人間だと思っていたから
認識を変えなければならないな、謝る。
件の本について
俺は今後の人生で「マタイ」や「マルコ」という名の人物を決して信用しないと心に決めた。何だ彼奴らは。弟子の名前は飛ばす、人物の紹介などする気もない、挙げ句マルコ氏に至ってはユダの裏切りの顛末をろくに書かないとは、宗教者云々以前に人として何ごとか。ハリーはこのようなものを読み育って来たのだろうが、見習わず論理性を重視する大人になって欲しいと切に願わずには居られない。
だがルカ氏は中々いい。弟子も飛ばさず紹介するし、今日は時間があったので連続して読み、集中力が途切れなかった事も手伝っていたのだろうが、俺は漸くユダが何をやってどう友を裏切り如何なる罰を受けたか得心が行った。今日イエスの最期について知り得たのも彼のお陰だ。
リーマス、空にはそろそろ違う星座が輝く。私はこの冬砂糖を入れても美味しいミルクティーのいれ方を覚えるつもりだし、それはたぶん多少冷めたって美味しいだろう。俺はそれをいれてお前を待っている。お前はそれにまたさっぱり訳の判らないジョーク(今回も中々ふるっていた)でも言えばいい。
何処で眠って居るのか知らないが、お前の眠りが安らかな事を。そちらでも雨が降ったのか?こちらでも
ガラス窓を叩くような雨が降り、酷く冷えた。そして俺は耳鳴りが日々酷くなっているようだが。
おやすみ、リーマス。
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