ケンカ


 僕も手塚も喧嘩が出来るほど無邪気な性質では元々ないので、それは大抵ディスカッションという形になる。

 僕達は、自分の感情を重要視しない。よってその悪影響で相手の言動を曲解することはないし、状況を見誤る事もない。話し合いは終始冷静に行われる。
 僕も年齢の割には主観に捕われない方だと思うのだが、手塚の持って生まれた客観性ときたら最早神のレベルだ。
 彼は現状の把握に関して、双方にズレがないかの確認から始める。そして問題を定義し、自分の意見を述べ、僕に意見を問う。
 会話の中で彼は常に2歩、3歩先の流れを読み、幾種類かの筋道を想定しながら話しているのが分かる。ああ、今のは先を読んで使う言葉を咄嗟に修正したな、ということが分かったときなんかは「本当に頭の良い人だなぁ」などと内心で妙な再確認をする。
 いつも必ず100%、彼は正しい事しか言わないし、正しい手段しかとらない。愚かしい勘違いをしないし、必要でない話題には触れない。解決への最短の距離を辿り、最短の言葉で語る。そうやって彼は彼の正しさを相手構わず叩きつける。時にそれは一方的な虐殺の様相を呈する。
 
 生まれた時に呪いにかかって、正しい事しか喋れなくなったのかコイツ。と時折思う。
 いっそその上下の唇を縫ってやりたいとさえ。

 そう、しかし幾ら僕がムカついたとしても、僕はそれを口には出さない。正しいか正しくないかという観点で話をするなら、手塚に敵う人間などこの星にいる訳もないからだ。(そしてそれ以外の観点では、おそらく彼は会話が出来ないだろう)

 話が結論に差し掛かると、僕の言うべき意見の幅は見事に狭められていて、1、2種類程しか残っていない。手塚の論旨に対して妨害も反論もしなければ当然そうなる。結局は手塚の好みそうな理知的な方針に僕は同意する。一向に構わない。それで手塚の気が済むのなら。

 「話し合い」が終わったとき、僕は手塚の前で微笑んでみせる。
 5秒ほど沈黙して、彼は左手をのろのろと上げ、僕の頬に触れる。
 それは普通の人間にしてみればどうという事はない行為だが、彼にとっては公衆の面前で紫色のタキシードを着て僕と踊り狂い、ポーズを決めて情熱的なキスをするくらいの意志と努力が必要だったと知っているので、僕は「よく出来ました」と言って、尚一層微笑む。
 諍いも悪くないな、と実は毎回思っている。
 こういう事は、楽しいほうの勝ちだ。







2005/12/24 再録