60



「ああ、なかなか美人だ」
 テレビを見ていたシリウスが突然そう呟いたので、ルーピンは顔を上げた。再会後の彼が人の造作を褒める事は滅多になかった。きっと12年間、あの門番共のおぞましい姿しか見てこなかった所為で何がしか壊れてしまったのだろうとルーピンは痛ましく思っていたのだ。少年の頃のシリウスは大変気軽に異性へ賛辞を送っていたので。
 見れば、画面にはタイトなスーツを着こなした女性キャスターが映っていた。黒い髪で理知的な顔立ちをしている。こういうひとが今風の美人なのか、とルーピンは納得するところだった。顔立ちだけを純粋に比較するなら、おそらくシリウスのほうが優れているのでは?という疑問が浮かばなければ。ルーピンはシリウスとは違って生まれた頃から人の顔というものに興味がなかった。なのであっさりと同意してしまいそうになったのだが、よくよく考えると、これまでの記憶にある「人々が美人だと賞賛していた女性の顔のパターン」と、この女性の顔は違うように彼には思われた。
 もう一度、キャスターを注視する。きりっとした眉、好奇心の強そうな大きな目、そして黒縁の眼鏡、……少し癖のある黒髪。
 すぐに気付かなかった自分もどうかしている、とルーピンは溜息をついた。
「この人、誰かに似ていないかな?」
「そうか?誰に?」
 無意識だ。
 振り返ったシリウスの無心な眼差しにいたたまれなくなって、ルーピンは「さあ」と笑って首をふり席を立った。
 キッチンで、紅茶缶の蓋を無意味に開けたり閉めたりを繰り返しながら、ルーピンは心の中で、どうすべきかをジェームズに問うた。「とりあえず殴ったら?正気に返るかも」と心のジェームズから返事が返ってきた。彼本人が何か悪い事をしている訳ではないのだから、ルーピンはそのアイディアに賛同しかねた。
 しかし、もしも。
 そんな事は有り得ないとルーピンは信じているのだが、シリウスがまたもや女性の顔を褒め、その時テレビ画面の中に鳶色の髪のひどく痩せこけた女性を見たとしたら自分は何と言えばいいのか。ルーピンには皆目見当がつかなかったし、心の中のジェームズも返事をしてくれなかったのだった。





たぶんシリウスの、人の顔に対する審美眼は壊れた。
「好ましい顔立ち」と「綺麗な顔立ち」が混濁している。
しかしもしもこれを指摘されたら、彼は10秒間石像と化し
その後ものすごい詭弁で反論をするに違いない。
ていうか否定するためなら彼は悪魔に魂だって売っちゃうだろう。
2003/11/20

BACK