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 一匹の狼が目を覚ました。
 時刻は夜で、月の光が豪奢に何もかもを照らしている。
 そこは一面が白く冷たく光る石に覆われた四角い場所だった。
 狼は目を覚ますのが久しぶりで、最初は自分が何だったか、何をしなければならないのかを思い出せなかったのだが、小さく首を振ると何とか記憶が蘇った。彼は人間を噛まなくてはならないのだ。
 こんな四角い場所にいる暇は1分1秒だってない。彼はそもそも四角い場所が嫌いだった。干涸らびた木の死体や、妙な具合に固められた砂で構成されたそこには生きて動く物がなかった。草も水も虫も。
 腹が立って腹が立って腹が立って、四角い壁に何度も体を打ちつけた事があったような気もするし、なかった気もする。噛む事が唯一の自分の仕事で、食事で、素敵なことなのに、この四角い場所ときたらいつも人間が一人もいないのだ。
 四角い場所であった良い出来事といえば一つだけ。
 狼がそう考えたとき、まるで思い出が闇から溶け出して形を持ったように部屋の隅から黒いものが身を起こした。懐かしい匂いのする犬。

 よお きょうだい、げんきだったか

 疑ったりする必要は彼等には少しもない。その匂いは間違いなくあの大きくて命知らずの仲間のものだった。狼は嬉しくなって不機嫌を忘れた。犬は返事の代わりに尾を振る。

 ものすごくひさしぶりだ。なあ、あんた ちゃんとエサをたべているのかい?けなみがわるい。

 だいじょうぶだ。ほんとうにひさしぶりだな。げんきか?

 さあ。よくわからない。ところであのシカやネズミはどうしたんだ?

……ああ、かれらは きょうはこられない。

 そうか、つまらないな。ひさしぶりに たくさんあそぼうと おもったのに。みんなでガケから かけおりたことをおぼえているかい?おれはおもしろかった。つきはまるくて、あんたたちはいて、さいこうだった。

 ……そんなこともあった。

 あんたたちは にんげんをおそうなと くちやかましいところはちょっとめんどうだが、それ いがいは すきだな。なかまだと おもっている。

 いまも にんげんを かみたいか?

 ああ。かみたいさ。いつだって かみたい。そのために おれのキバはあるんだ。そのためにツメがある。そのために はやく はしれる。あいかわらず あんたは おれに かむなというのかい?

 おまえが にんげんをかむと おれのともだちが かなしむんだ。

 なんだそれは?わかりにくいな。ともだちが かなしむと あんたが どうだっていうんだ。

 ……うん。そうだな。おまえが にんげんをかむと おれが かなしいんだ。だから いけない。にんげんをかんでは いけない。

 ああ、そういうことか。それならわかる。まあ、いいさ。まんげつはまだ なんかいだってある。いちにちくらい あんたと こうしているのも わるくない。でも なああんた、きいてくれるかい?このごろずっと まんげつが へんなんだ。

 どうした?

 おれはおれのからだを じゆうにうごかせないんだ。 なぜだか しかくいところで ずっとまるくなっている。おれは ねむくて ねむくて めもあけられない。あしいっぽん うごかせないんだ。こえもだせない。つきはまるくて ぴかぴかと あかるいのに おれはひとりで さびしくて だれにもあえない。くらくて ひとりぼっちなんだ。どうしてだろう。

 ……すまない。

 なんだ?どうして あんたが あやまるんだ。

 あのくすりは リーマスのからだも いためつけている。それでも かれは のもうとする。おれは……。

 なんのはなしだ?リーマスってなんだ?くすり?なんだか わからないが げんきをだせよ。あんたとおれで こんなせまいところに とじこめられているのは へんだけど まあ ひさしぶりに あえたから いいじゃないか。ほら、いいつきだ。

 ……ああそうだな。

 ちゃんと みてくれよ きれいなんだから。

 ……きれいな つきだな。おおきい。

 うん。きれいだ。なんだ? あんた ないているのかい?

 バカいえ。

 黒い犬は彼の体と同じ色の瞳を天に向け、揺るぎのない姿勢でもう一度繰り返した。

 ああ ほんとうに おおきなつきだ。


なぜ狼になると ならず者喋りになるのかとか
それはまあ置いておくとして(笑)。
たぶん薬を飲む飲まないで2人は
また喧嘩したと思われ。

2003.07.21



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