36



 マグルの安ホテルのロビーにそのピアノはあった。
 シリウスはそれを見たとき、何の気なしに昔ピアノやその他の色々な楽器を習っていたという話をした。ルーピンは「君がピアノ弾いているところなど一度も見たことがないが、それは本当だろうか」と、実に上手に疑わしそうな顔をしたので、シリウスは憤然としてピアノの前に座った。椅子はどう調節してもシリウスの長い足と身の丈には合わせられなかったらしく彼は窮屈そうにそこに腰掛けた。
 長年のブランクを感じさせないなめらかさでシリウスは唐突に演奏を始めた。
「なんだか君らしい曲だね」
 と、一見ぼんやりと(その実多大な関心を持って)ルーピンが普通にピアノを聞いていられたのも初めのうちだけのこと、すぐに彼は動悸を押さえる為に胸のあたりを拳で押さえていなければならなくなった。
 長い節による安定した運指、踊るような動きのアルペジオ、人柄のよく表れたフォルティシモ。白と黒の鍵盤の上を舐めまわすようにシリウスの両手は動いた。引き結ばれた唇や懸命な目の子供っぽい表情とは真逆に、彼の両手は当然ながら成熟した大人のものだった。
 シャツの袖から手首の隆起が見えたり隠れたりを繰り返す。その指の動きはルーピンが非常に慣れ親しんだものだった。大切なものに触れるときの彼の手。
 正視できず、ルーピンはそっと目を逸らせる。
 本当に一音一音をはじいているのか、シリウスの手にピアノが応えて声をあげているのではないか。
 シリウスの指とピアノと自分の体という、およそ人には言えないような連想を彼は止めることが出来なかった。それくらいシリウスの指の動きは官能的だった。
 頭の芯が段々と痺れてきて、目元がふらついた。飲んでもいないのにアルコールを体内に入れた状態に近くなり、頬の紅潮が自覚されだした時にようやく音がやみ、黒い眼が実に誇らしげにルーピンを見上げていた。
 上手に芸をした犬を褒めるように軽くシリウスの頭に手を置き、「ああ、いい演奏だった。もう疑わないよ」とルーピンは笑った。
「少なくともピアノに関しては」と心の中で呟きながら。





シリウスはやっぱり文字で表現するとバーンとかガーンとかいう
曲が好きだと思う。ピアノでは。リズムが早くて転調とか多い奴。
ここで弾いたのはショパンの変ホ長調とかイ長調とか変イ長調。
なんか選曲が子供のセンスのままで可愛い。(軍隊ポロネーズとか
英雄ポロネーズとかって超有名なやつです)奴は指が長いから、
もっと高度な曲でも楽々弾けます。一生リストでも弾いてろ。

上手に弾く人とはまた別に、色っぽい弾き方を
する人、というのもいますね。あ、べつに上体を
くねらせるとかでなく(笑)鍵盤の触り方が色っぽいの。
2003/06/05

BACK