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 子供の頃、バイオリンを習っていた。
 当時は技術が前面に出る難しい曲を好んで弾いた。『ひばり』『くまばちの飛行』『悪魔のトリル』。それに好敵手サラサーテ、パガニーニ、バルトーク。ゲームをする感覚に近かったのだと思う。自分の指がどこまで早く動くか。反射神経は何処まで細かい音階を刻めるのか。作曲者と常に勝負をしていた。
 バイオリンの教師はいつも俺を褒めたが、「情感が……」という言葉とともに苦笑いをする事がたびたびあった。俺の嫌いなゆっくりとした曲を弾きこなせていないと言うのだ。俺は憤慨した。誰でも鳴らせるようなあんな音には興味がなかったからだ。退屈で退屈で途中で寝てしまいそうになる曲。
 
 今、俺の手元に楽器はないのだけれど、この年になって思い当たる事がいくつかある。
 あの曲はこういう感情を言いたかったのではないかと。昼下がりの食卓で笑い合ったとき。夜更けに寝息を数えているとき。背中から髪を引かれたとき。
 抱き合った肩に伏せられた静かな重みに、そっと腕を廻すとき、俺はバイオリンを思い出す。
 今なら昔は嫌いだった曲を弾けるような気がする。楽器の銘や温度や湿度、壁面の材質に神経を尖らせることもなく、屋外で、いっそ譜面なしでも。

 きっとリーマスは黙って聴いてくれるだろう。彼なりの熱意を持って。
 上手く言えないが、それは音楽の生まれた理由に一番近い瞬間なのではないかと思う。



春なので、音楽で1作書けというオーダーが入った。
ので書いてみる。受注生産。感謝祭。
2003/04/24



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