146



 リーマス・ルーピンはマグルの航空機というものが少し苦手だった。特に夜の時刻のフライトが。頭痛の強弱のリズムによく似た、規則正しいエンジン音。その絶対的に重厚な音。窓のシェードが下ろされた機内は巨大な寝室となり、乗客は皆ブランケットに包まれてじっとおとなしくしている。目を開けている者、閉じている者。遠くで小さく咳払いや、囁き声がする。ところどころに点いている読書灯。あれに照らされると、どの人物もひどい悩みを抱えているようにルーピンには見えた。さながら戦火に焼け出されて避難して来た人達。絶望と疲労と。当時の魔法界が暗い時代にあったので、発想も自然とそういう方面に向いたのかもしれなかった。尤もそんな情勢であるからして、彼等は余程のことでない限りマグルの交通機関の使用を慎んでいた。巻き添えの惨事を恐れてのことである。ルーピンも結局のところ、あの巨大な丸い頭をした鳥に乗った経験は3度ほどしかない。


 魔法界が狂人による支配を2度も免れた後、シリウスとルーピンは第三の人生の模索を始めたところだった。残りの人生を魔法界における同性愛者の地位向上活動に捧げるか、或いはしばらく気ままに旅をしてみるかどちらがいいだろうとシリウスが問い、ルーピンが所要1秒で後者を選択したため彼等はとりあえず住み慣れた家を出たのだった。知人に頼んでこしらえてもらった2通のパスポート。シリウスはその仰々しいデザインを気に入り、時折取り出しては赤い表紙と動かない自分の写真が貼ってあるページを眺めていた。
 シリウスが、航空機に乗るのは実はこれが初めてのことになると告白したとき、ルーピンはかなり驚いて友人を凝視した。彼はマグルの発明品や、あらゆる珍しいもの一切合財を試してみずにはおれない青年だったので。シリウスは「若者というのは何かに跨ってハイスピードでかっ飛ばすのが大好きな生物なんだよ我が友」とただ笑うのだった。

 初めてジャンボジェット機に乗ったシリウスは、それはもうあらゆる体験に一々と感じ入っているようだった。座席の両脇についたボタンを見て感心し、目の前の小さなテレビ画面を興味深そうに撫で、そして自分の足が前の座席につかえると、真面目な顔で困っていた。ルーピンにシートベルトの使い方と着用のサインを教えられ、2度3度着脱を試したりもした。心なしか女性の客室乗務員が通りかかる回数が多いように思われたが、地上のどの国でも体験する、顔の整った男性に対する女性の当然の反応にルーピンは慣れていた。(もしかするとジェット機に乗ったことのない客を、彼女達が敏感にそれと察して監視していただけなのかもしれないが)それでなくても航空機のサービスはきめ細やかである。雑誌や、飲み物、軽食、食事と、ひっきりなしに与えられるもてなしにシリウスは「マグルはみな物語の王なみに贅沢に慣れているんだな」と目を丸くした。
 配膳された航空機の食事は器が小さく、シリウスの大きな手の中に収まるとそれはどれも玩具めいて見えた。もしかすると味のほうは彼のお気に召さないかもしれないとルーピンは危惧したが、彼はただ不思議そうに
「この夕食もワインも、ジェット機の味がする」
 と呟いただけだった。
 ジェット機の味、という形容がよく理解できずルーピンは首を傾げる。
「それは美味しいという意味?それとも逆の?」
 彼曰く、それ以上は形容しようがないという事だった。


 食後少しして、機体が振動を繰り返しアナウンスが流れたとき、シリウスが窓の外を見た。その横顔、その一瞬。それは彼が今はもう浮かべることのない表情だった。あの当時、緊張した時代、頻繁にルーピンが見た彼の表情。
「今日は気流が乱れているんだよ」
 のんびりと言って彼はシリウスの腕をぽんと叩いた。
 シリウスの目元が和らぎ、
「これは時折落ちるらしいが?」
 と悪戯っぽい顔で囁く。
「そういう痛ましい事故もあると聞くね」
「これまで何十機も?」
「そうかもしれない」
「いやはや」
 彼は長い足をどうにかこうにか組み替え、わざとらしく首を振った。
「向こう見ずだの狂犬だのと言われてきた俺だが、マグルの狂気じみた勇気には到底及ばないようだ。彼等に比べたら、俺などしおらしいマルチーズも同然だ」
 恐れを知らぬという点においてシリウスとマグルの違いは、パッドフットとグリムほどしか認められないという自分の意見を飲み込んで、ルーピンはマルチーズと友人の類似点を探した。
「うん、4本足であるところなんかが似ている」
 ルーピンの答えはシリウスのお気に召さなかったらしく、彼は鼻を鳴らして話題を切り替える。
「もしこの飛行機が落ち---」
「しっ。あまり何度も言うものではないよ。世の中の人全員が君のようにピンチにわくわくする気質ではないのだから」
「……そういう事になっても、ここにいる乗客は全員助かるな。なにしろ魔法使いが2人も乗っている」
「ああ、そうだね。浮遊の…」
「いや……それは無理じゃないか?」
「どうして?2人で合わせれば何とかなると思うけど」
「機体の重量に加速がつくんだぞ?無理だ。2人かそこらの魔法では落下をコントロールできない。俺が10人いても無理だ」
「じゃあ私が20人いても無理だね」
 人々はそろそろ眠る準備を始めていて、ブランケットの包装を解く静かな音があちこちから聞こえる。シリウスも周囲の人の真似をして小さな毛布を広げているが、その庶民的な柄は残念ながら彼にはあまり似合っていないようだった。
「では機体の材質を変えてしまっては?羽や毛や」
 ルーピンの脳裏に、もこもことした愛らしい塊りになった航空機が浮かぶ。どうしてかそれは黒いのだった。
「強度が心配だな。風圧で分解しないか?」
 彼は左手を伸ばして窓のへりに触れた。視線が右に左に彷徨っている。暗さといい、ひそひそとした声といい、彼の真剣な顔といい、まったく寮生活での就寝前の密談そのままの雰囲気だった。
「乗客を捨てて自分達だけ逃げるという選択肢は、当然ながら思いつきもしないんだろうね君は」
 とルーピンは言ったが、あまりに小さな声だったのと、シリウスが集中していたので彼の耳には入らない。
 ふいにシリウスはにっこりと笑ってルーピンの耳元に唇を寄せた。
「飛行機の表面積を限界まで広げて揚力を得るんだ。乗客には小さく丸くなってもらう。さやの中の豆みたいに」
 ルーピンも少し笑って返事をする。
「下で見ている人がもしいたら、びっくりするだろうね」
「新聞に写真が載るかもしれないな。さて名案も浮かんで、これで飛行機が落…そんな事態になっても安心だ」
 シリウスは心から満足そうに息をつくと、瞼を閉じて膝の上で手を組み合わせた。そしてそのまま上体だけをルーピンに寄せて呟く。
「なんだかキャンプの夜みたいだな。面白い乗り物だ」

 不思議な事に、暗い機内の様子、同じような読書灯、毛布に包まった人々を見ても、ルーピンの目にそれらは以前のような悩みを抱えた避難民には見えなかった。彼等はみな明日の冒険の計画を練っている最中に見えた。健やかな眠りと明日への期待。ルーピンはまったくその通りだと同意して、友人に就寝の挨拶をした。







何事も起こってない、
文章力に負荷がかかるタイプのはなしですね。(笑)うむ。

君達、次はファーストクラスに乗るといいよ。

むかしの飛行機はもっとエンジンがやかましかった(気がする)。
それから禁煙なにそれ?って時代だった。燻製にされた。
そんなのに15時間とか乗って、すごい根性あったなあ。

ookamikaisouさまの11/5日記の、
わんわんエアラインを拝読して、思いついて書きました。
「でも魔法使いは飛行機が落ちても箒で自力脱出できるので、
マグルが乗るより怖くなさそうで、うらやましいです。」
という部分です。
「えっ。じゃあマグルが乗っていて、もし落ちたら助けてくれるかしら…」
「シリルなら助けてくれるかしら…」
「どうやって助けてくれるかしら…」
とか、どんどん考えまして。

(わんわん航空会社は従業員が黒犬達でシリルが経営者なのです)
(わんわんスチュワードのお尻を撫でたらセクハラかしら…)
Yキチさまの日記のこれまでの黒犬登場数を計ったら
サイヤ人のスカウタがパリーンて割れると思います。


2007.11.15