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 彼をそっけなく追い返すたび、ルーピンも良心が咎めないではないのだ。シリウスは巧妙にルーピンの興味を引くような話題で話しかけてくる。ハリーが、ハーマイオニーが、庭のハーブが、犬の姿の時の冬毛が(昨日などはとうとうスネイプの名前まで持ち出された)。しかしルーピンは彼に一切の返事をせず、笑ってドアを指差す。食事を置いたら去れ、と言わんばかりに。もちろん好き好んで無言を通すのではない。声が出ないのだ。
 ルーピンが風邪を引いてから、もう3週間が経つ。
 シリウスが出来る限りの辛抱をしているのはルーピンも分かっている。家の外にも出られず、話し相手のいない3週間。彼の性質からすれば、どれだけ不満な事だろう。食器の上げ下げの折に部屋を出る彼の表情が、どんどん恨めしそうになっていくことからもそれは見て取れる。しかし病は愛情や義務感や焦りで治るものではない。
「お前は神経質すぎる」
 ある日の午後、昼食の食器を片付けに来たシリウスはとうとう不平を言った。「俺はめったに風邪を引かないし、引いたところで風邪くらいなんだって言うんだ」
 勿論シリウスは、軽度のものであれどうであれ伝染する病気を他人にうつす事を極端に嫌うルーピンの性癖を知っている。ルーピンはにこにこと笑ってドアを指差した。
「そのポーズは見飽きた。俺の友人は銅像か方向指示器にでもなったのか」
 ルーピンは申し訳なさそうに喉を指差す。
「声が出ないって?知ってるさ。だが俺の話を聞いてくれるくらい構わないだろう」
 やはり首が振られた。
「代わりに返事をしてやろうか?『済まないけれど3週間分の会話は風邪が治ったあとにしよう。私も君と話せるのを楽しみにしているよ』こんなところだろう」
 それは申し分なくルーピンの伝えたい内容と同じだったので、彼は瞬きをしながら頷いた。
「いつになるか分からない回復後よりも今話したいんだ俺は。そもそも風邪のたびに1人暮らしの逃亡犯にならなければならないのは不便だ。お前もそろそろ習慣を改めてみてはどうだ。『そうだね、そういえば非合理的だったような気がするよ』」
 シリウスはルーピンの喋り方を真似て一人で納得している。ルーピンは慌てて首を振った。その様子の何が機嫌を損ねたのか、シリウスの片眉が上がった。
「風邪ごときささやかな病でも共有してはくれないという訳だ」
 小声だったが、ルーピンは聞き取りシリウスの顔を見た。シリウスも彼をじっと見ている。
「気に障ったか?お前は熱のせいで自分の気が立っているのではないか、と考えている」
 まったくその通りだったがルーピンは動かず、無表情のままだった。
「熱のせいじゃない。俺が暴言を吐いたんだ。何か言ってくれ」

 子供の頃から見事に成長していないシリウス・ブラックが、感動的なまでに昔のままの我侭ぶりを発揮し、ルーピンの目の前に立っていた。風邪を引いて3週間熱が下がらず声も出ないルーピンの前に。もう30も半ばになるというのに、シリウスは未だ自分勝手で寂しがり屋な王子様そのものだった。姿形は魅力的なのがまた最悪だ、と彼は思った。
 ルーピンは何事かをつぶやいた。シリウスはよく聞こえるように彼の方へ身をかがめる。
 腕が捕らえられ彼は抱きすくめられた。歯と歯の当たる音が幾度かして、シリウスの唇は噛まれ、そして吸われ舐められた。発熱している彼の舌は、紅茶のように熱かった。
 そうして腕が解かれ、ルーピンはシリウスの耳元に声なしに囁く。

 気が済んだかい?
 続きがしたいのでなければ行きなさい。

 さすがの彼もすぐに立ち上がり、部屋を去った。よほど急いでいたのか部屋に食器を置いたままだった。



せせせせ先生が怒った?

先生、犬は散歩に連れて行ってもらえないと
おかしくなる生物なんです。
ゆるしてやってください……。

シリウスには風邪がうつって、
高熱が出て苦しんだと思います。
(でも自分が風邪を引いているときは
先生と会話できるので案外ご機嫌)
みなさま風邪には御注意下さいねー。

2006.11.21



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