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 私達は疲れていた。
 途方もなく長い距離を歩いた。我々のような年齢をしたものが歩く距離ではなかった。尾行という仕事の性質上歩かざるを得なかったのだが、私の靴などは道中で底と本体がぱっくりと裂けて分かれてしまい、シリウスは世界中の安物の製品に対する悪言雑言をここぞとばかりにまくし立てながら、それでも器用に応急処置を行ってくれた。彼の靴は裂けたりこそしなかったものの、しかし彼の足は私と同じように腫れあがっていた。筋肉が熱を持ち、宿屋に着くと毎晩水で冷やさねばならなかった。
 漸く仕事を終えて家に戻る際、私達は真剣に杖を購入するか否かを吟味した。それでも駅から我が家までの10キロ弱の距離を、私とシリウスは何とか歩いた。杖なしで。2人とも若者ぶりたいような性質ではないが、さすがに並んで杖に頼って歩くには何らかのプライドが邪魔をしたようだ。
 途中シリウスは何度も呻き、「両足にイタチが喰いついている!俺は靴と間違えてイタチを履いてきてしまったようだ。ちょっと見てくれリーマス」と言っていた。私は「イタチは足がくさいと抗議しているよ」と答え、当然彼は怒った。怒ったと言っても何をする体力がある訳でもない。私も彼も他愛ない受け答えをするので精一杯だった。
 自宅に戻るのと同時に2人して居間のソファに倒れ込んだ。本当なら自分の寝室のベッドまで行く事が望ましかったのだけれど、自宅の階段を昇る体力すら私達には残っていなかった。
 ソファがあと数メートル遠くに置いてあったら、床に倒れていたところだ。忌々しい靴を脱ぐために、数十センチ手を伸ばす気力もなかった。私達の安否を気遣っている人々に書かなければならない手紙や報告書の類が幾つかあったのだが、もはや瞼すら開けられそうにない。少し眠る事以外に私に出来る事はなさそうだった。頭の中には濡れた雑巾が詰り、血管の中を泥水が流れているかのような、恐ろしい疲労。シリウスもまたそうだろう。或いはもう意識がないのかもしれない。ソファに倒れてから、彼は無言である。少年の頃の彼はこういう場合、却って意地になって逆立ちをして歩いて見せたりするような所があったが、さすがに年をとってそういう事はしなくなったようだ。
 しかしついつい忘れてしまいがちだが、彼は昔のままの体ではない。年齢も勿論あるが、あの牢獄でシリウスは酷く体を損ねている。あまり無理の出来る状態ではなかった。そして彼らしい強情さで、不調を隠しているというのは十分考えられる事態だった。
 物を喋れないくらいの苦痛を、歯を食いしばって耐えていたとしたら?あるいは既に気絶して呼吸も絶えかけていたら?その不吉な空想は圧倒的な眠気と疲労を押し留めるに足るリアリティがあった。
 私は辛うじて片目を開けて、彼の表情を確認しようとする。
 すると、ちょうど瞼を開けた彼と目が合った。
 「そういえば満月が終わったばかりだが、リーマスは大丈夫だろうか」と、彼の表情にはそう書いてあった。
 彼にも私の考えは読めたのだろう。また同時に「そんなに痩せている癖に人を心配出来る身分か?馬鹿じゃないのか」とお互い思ったのがありありと分かって、私と彼は吹き出した。そこで体力の全てを使い果たして私は笑ったまま目を閉じた。

 またこの家に2人で戻ってくる事ができて嬉しい。君が無事で嬉しい。そう言いたかった。もしかすると抱擁するのが相応しい感情なのかもしれなかった。或いはキスや。しかしそんな元気は、申し訳ないけれど残されていなかった。だから私は精一杯の力で右手を動かす。手の甲が、彼の体のどこかにほんの少し触れたのが分かった。そしてシリウスの手が動く気配があって、感触が私の肩を掠める。
「これから2時間仮眠する」
 呂律の怪しい舌で彼はそう言った。返事をしたかったが、喉から空気の漏れるような音しか出なかった。
「2時間仮眠して、起きて、お前にキスをして、それから2階へ上がって、寝る。それまで休憩だ」
 彼のその計画を私は完璧だと思った。素晴らしいと。彼を尊敬すらした。相当疲れていて頭が変になっているという自覚が全くない訳ではなかったが、それでも別に構わなかった。特に不都合がある訳ではない。
 私の意識はそこで途切れた。何か楽しい夢を見られるような、そんな気が微かにした。











疲れている時は疲れている話を思いつきますねー。
あんまりお話を「思い付く」事はないのですが
疲れているときは別です。疲れた話を思い付く。

疲れている時に一緒にいても
険悪になったりせずに、それどころか
疲れが薄れてしまうような、
そんな人を好きになって
ずっと仲良くしているのが
一番幸せだなあと思います。←疲れている。

2005/07/04

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