on the rainyday





 その夜は雨が降っていた。
 シリウスが暗い目をしてルーピンにとある申し出をした時には、外は本降りになっているようだった。
 新聞を読んでいたルーピンは、別段驚いた様子もなく、
「今から?」
 と、ただそれだけを尋ねた。
 シリウスが黙って頷いたので、
「じゃあ、その前に少しバスを使うよ」
 と彼は微笑みに近いものを浮かべて言った。




 暗い階段を前後になって登っている間、2人には互いが何を考えているかが全く読めなかった。シリウスは感情を押し殺していたし、ルーピンはいつも通り穏やかな顔をしていた。ただ、2人の関係がこれをきっかけに予測不能な方向へ変化していく事を肌で感じていた。
 相手は彼にとって、一度失って、また取り戻せた、かけがえのない友人だった。けれどこれから先に彼が自分にとってどういう種類の人間になるのかは、もう見えない。
 その行為はこれまでに彼等の間で数度行われた。
 その時間、一時ルーピンはシリウスにとって大切な友人ではなくなった。ただの裸の肉体であり、憎むべき誰かであり、そして欲望を解消する誰かになった。
 シリウスの現状把握能力は極端に低下し、彼は幾つもの過去の自分に戻り何人かの名前を呼んだ。そして恐れ、泣き叫び、時に怒った。暴力と挿入が繰り返され、それが済むとルーピンはそっと起き上がり、眠るシリウスと自分から痕跡を消した。毎回彼はそうした。
 行為について2人の間で話し合われた事はこれまでになかった。シリウスは自分の愚行を直視するのを恐れていたし、ルーピンは友人の神経に触れる事は極力避けるようにしていたからだ。
 シリウスの寝室の前に辿り着いたルーピンは迷うことなくドアを開け、中へ入った。
 窓を背にして立つ彼とシリウスはベッドを挟んで対峙する。ルーピンはさっさと服のボタンをはずし始めた。性急ではなく、緩慢でもない動きで。しかし同じ部屋にいる人間の目を少しも意識していない動作だったので、まるで彼の寝室で覗き見をしているような、そんな錯覚にシリウスは陥る。
 肌を覆っていた布地が少しづつ取り払われ、ルーピンの様相が普段見る事のない姿となってゆくにつれ、シリウスの非現実感は強まる。
 自分が彼に言った、信じ難い言葉にシリウスはショックを受けていた。そしてルーピンが逡巡なしにうなずいたのにもショックを受けている。いつの間にか彼が自分と同じ部屋にいて、ベッドの脇で服を脱いでいる事にも、それをただ見ている自分にも。
 ルーピンの背後の窓から夜の雨が見える。
 そしてその雨の音と同じくらい静かに、彼は服を脱いでいる。
 これがもし現実なのであれば、ルーピンは怒るべきだとシリウスは思った。裏切られたと。とんでもない侮辱だと。
 シリウスにはルーピンの考えが分からなかった。
「さすがにそんな目で見られると落ち付かないから、あっちを向いてくれないか」
 気付くと手を止めたルーピンが、困ったような顔でこちらを見ている。シリウスは自分の顔に片手で触れて首を傾げ、言われたように背を向けた。
 しばらくは様々な布の音が鳴っていたがやがてそれも止み、室内にふたたび雨の音が満ちた。
 彼に詫びて部屋を出て行くなら、機会は今だけだとシリウスは思った。欲求を解消したいならその手の場所に自分は行くべきで、友人にそれを望むのは異常だと彼は知っていた。
 しかし彼は飢えていた。人間らしい暖かい接触に。そして自分が完全に許容される事に。そしてただ一人残った友人に妄執するあまり、その精神や肉体の所有を狂おしいほど望んでいた。シリウスの手が葛藤で細かく震える。
 ほとんど意識が肉体から乖離した状態でシリウスの指は自分のシャツのボタンへと上がり、それを一つ一つはずした。シャツを脱ぎ、靴とズボンを脱ぐ。その動作のすべてを彼は部屋の隅に視線を据えたまま行った。
 掛け布をめくって寝台に身をすべり込ませると、いつもはうっすらと遠くにあったルーピンの体の匂いが今は間近にする。体温に燻らされて、たじろぐほど強烈に。
 シリウスは、情交した後の他人の匂いがどれくらい自分の体に染み付くかを知っていた。それは翌日になっても取れる事なく残る。
 自分の体からは明日、友人の匂いがしているのだろうかとシリウスは思った。
 自分はこれから彼に何をするのだ?とも。
 体温の低い彼の身体の上に乗ると、表情は平生と変わらないままであるが、ルーピンの眼の奥に戸惑いの色が浮かんだ。
 正気の自分と裸で抱き合うのは、彼も初めてなのだ。シリウスは気付いた。
 深い口付けをすると、たどたどしく彼は応える。唇で眉を辿り、頬をなぞり始めるとルーピンは右を向いたものやら左を向いたものやらという落ち着かな気な素振りをしていたが、やがて大人しく瞑目していることにしたようだった。
 少年の頃、彼の残酷な病に対して涙を流したとき、確かにシリウスは純粋な友情を持っていた。あの時の自分を自ら捻じ曲げ泥を塗り、汚している。その嫌悪感は頭の片隅に僅かに残り、シリウスを痛めつけた。
 あの少年が今ここに現れて。
 シリウスは考える。
 友人が無抵抗なのをいい事に、彼に酷い侮辱と苦痛を与えようとしてるこの男の息の根を、いっそ止めてくれればいいのに、と。
 そこにある部屋の扉が開いて、あの少年がそこに立っていれば。シリウスは切望したが、少年は姿を見せなかった。彼はルーピンの喉に舌を這わせる。
 昔に幾度か見た傷跡、そして知らない位置にあるホクロやソバカス。暗闇の中でそんなものを見ているうちに、目の前にあるのが誰の身体であるのかが胡乱になってくる。
 しばらくは雨の音と、唇の鳴る音が部屋に響いていた。
 ルーピンは時折目を開き、自分の身体のあちこちにキスをするシリウスに戸惑っていた。これまでにそんな風に扱われた事がなかったのだ。シリウスにこうされている間、自分は何をするべきなのかを彼は知らず困惑していた。
 そのルーピンの様子を見て、シリウスは彼の足の間へと手を伸ばす。
 そんな行為を予想していなかったルーピンは、思わず上体を起こしてシリウスの手首を押えた。
「なぜ……?必要ないだろう」
 彼は弾む息を押えるような声をしている。
「必要?」
「その……君の欲求には必要ない……」
 2、3度唇を開閉させてシリウスはルーピンを見た。どちらも大真面目に動揺していた。
「違う」
「え?」
「すまない……俺が悪いのだと思う。お前が誤解するのも当然だが、俺は……違うと思う」
「違う?何が」
「俺はお前に痛みを与えたい訳ではない」
「それは勿論……」
「人間のセックスは2人の欲求を追及するものだ。……これまで散々暴力的にお前を扱った男が言える事ではないが」
「・・・・・・」
 ルーピンは自分に要求されている態度がどういうものか、理解できず瞬きを繰り返した。
「リーマス、済まない。俺はお前をどうしたいのか、自分でも分からない」
 12年前までは見たこともなかった表情。あの牢獄で学んだのであろう、恐ろしく疲れた表情がシリウスの顔に浮かぶ。正視に耐えなくてルーピンは目を伏せる。
「お前は逃げるべきだと思う」
「シリウス、私は逃げないよ」
「何故?一体お前は、自分が何をされていると思っているんだ?」
「私は君に何かされたことはない。だって、これは君と私の2人で「する」行為だろう?」
 シリウスの呼吸が発作の前兆時に似た音をたてはじめたのに気付いて、ルーピンは極力穏やかに言った。
「落ち着いてゆっくり息をしてシリウス」
「こんな風に何でも許されるような、そんな価値のある人間じゃない……俺は」
「君も知っているとは思うけれど、私にとって殆どの事は別にどうでもいい問題だ。世の中のことも、モラルも、自分の肉体についても特に執着がない。でも君の事はどうでもいいとは思わない。それだけなんだよ。私は単に優先順位に従って行動しているだけだ」
 ルーピンはすこし迷って、それからシリウスに唇を寄せた。随分と不慣れな、子供のするようなキスだったがそれは優しかった。
「男女の愛とは違うと思うけど、私は君を大切に思っている」
 ルーピンの言葉とともに、動く唇の感触をシリウスは味わった。柔らかい言葉と柔らかい唇。
 吐息。体温。赦し。好意。どれも12年間シリウスが断たれていたものだった。この世界に戻って、渇望していたものだった。すべての権利と生命の意味を失ったと思っていた彼が、それでも無意識に求めていたものだった。
 シリウスはルーピンの額に額を寄せ、髪に鼻を埋め、何度も摺り寄せた。その感触だけをただ楽しむような無心な表情を彼はしていた。ルーピンは応じて彼の鼻梁に口付けたり、同じく額を寄せたりしていたが、やがて自信がなさそうにシリウスの背に腕を回し、彼を抱き寄せ言った。 
「私はこの手の行為には全然詳しくないけど。まあ、何でも試してみようシリウス。きっと何かの形には落ち着くだろうから。2人が納得さえしていれば、それがどんな形でも構わないだろう。たぶん」
 耳元からルーピンの唇が離れて、シリウスはきょとんとした顔で友人を見た。ルーピンは小さく笑う。
「続けようと私は言っているんだよ。呆けているのかいシリウス?それとも中断させた意趣返しをしている?」
 美しい形をした眉が僅かに顰められ、シリウスは恐る恐るといった風にルーピンの胸に触れた。彼の眼と指を見つめながらルーピンは黒い髪を撫ぜる。
 それからシリウスは指で触れていた箇所へ唇を寄せ、ルーピンは暖かいと呟いた。彼の乾いた指は下腹へと降り、そこを他人に触られる事に慣れぬルーピンの身体に力が篭る。
 はじめは緊張の所為もあって、それを妙な感触としか捉えられなかったルーピンだが、交互に繰り返されるキスと忍耐強いゆっくりとした愛撫で、どう感じるべきものなのか彼なりに理解したようだった。
 シリウスの指の動きが早まるに連れて、ルーピンの目は閉じられる事が多くなる。そしてとうとう表情を見せるのを嫌ってか、シリウスの肩を引き寄せそこに顔を伏せるようにした。うっすらと上気した彼の瞼を見られないのを、どこか残念に感じている自分にシリウスは気付いた。
 今この瞬間彼がこの行為をどういう風に感じているのか、シリウスはルーピンの表情を無性に見てみたかった。顎を捕えて顔を覗き込み、瞳を開かせてみたいと。
 呼吸が荒くなり、ルーピンは途切れ途切れに、このままでは寝台を汚してしまうから、少しの間自分を部屋の外へ出してくれと小声で言った。しかし当然シリウスは彼を放さなかった。
 ルーピンは不平代わりにうめいて、そうして少し背を痙攣させた。
 息を整えている彼の額にシリウスはゆっくりと口付ける。ルーピンにしては珍しく、シリウスに視線を合わせられないようだった。
 目を逸らせている彼を見ながら、シリウスは足を開かせ指を侵入させる。
 声があがった。
 ルーピンは自分の口元を覆い、シリウスがそれを取り払い、再び口元に伸ばされた手を、彼は握ってシーツに押さえつけた。
 喘ぎと言うよりは、息が声帯を秩序なく鳴らす音だった。
 これまでのように乱暴な行いで出血させてしまうことのないよう、シリウスは彼の局部と全身の緊張が解けるのを待った。指の動きに反応して小さく身を震わせながら、ルーピンはうっすらと目を開けてシリウスを見る。シリウスは小声でルーピンに囁いた。彼はすぐに頷く。もう一度シリウスは何事かを問いかけたが、今度は彼の首が横に振られた。
 ぐっと飲み込まれた空気の音が、ルーピンの喉の辺りで鳴った。
 腸内の形容し難い違和感を、ルーピンは歯を食いしばって堪えた。そして内臓に与えられる刺激で生理反応を起こす性器からは快感。錯綜する2種類の感覚で、彼は微かに吐き気をおぼえる。
 しかしシリウスの漏らす熱い吐息が耳朶に触れ、そして何もかもを忘れたような彼の横顔を見ると、すべての感覚は遠のいて暖かい充足感だけがルーピンに残った。
 囁かれる名と囁く名。伸ばした手に指が絡められる。汗と舌と、その他知覚できない雑多なもの。自分が今ベッドのどの位置にどういう姿勢でいるのかも定かではなくなりルーピンはシリウスを抱きしめる。
 この腕の中にいる彼が、何を思い悩み躊躇しているかルーピンはよく知っていた。
 彼も心が痛まない訳では決してない。
 何より大切な少年の頃の思い出。永遠に変らない事を願っていた関係。
 しかし、それに関してはルーピンの心の内で、もう結論が出ていた。
 思い出を美しいままで守り、シリウスがゆっくりと狂っていく様を見るよりは。
 思い出を冒涜してでも彼を助ける道を選ぶとルーピンは決意していた。静かに。
 例え力が及ばなかったとしても、どんな手段でも試すし惜しむものは何一つなかった。彼は人生において、もう2度と後悔をしないと決めたのだ。
 やがて、自重を支えていたシリウスの腕からゆっくりと力が抜け、ルーピンの上に彼の重みがおりてきた。
 それを受けとめ彼は微笑む。
 部屋の中に響くのは、また雨の音のみとなった。濃密な水の気配。そして2人の肌の匂いをその場に留め置く湿度。
 別に悪くはない、とルーピンは思う。
 自分達が、もう到底友人と呼べないようなグロテスクな関係になろうと、自分の身体がどう扱われようと。彼が悪夢を見ずに眠れて、そして少しでも微笑むようになるのなら、と。

 気遣って何かを問い掛けようとするシリウスの唇を塞ぐために、ルーピンは静かに唇を寄せた。










ぎゃー(ぎゃー)。
一気打ちしました。
誤字脱字、「シリウスがシリウスを愛撫してます!」
みたいなビックリ珍プレイがあっても
当方は関知しません。
薬物もリバもなく、普通にやおっちゃってみよう!
と挑戦してみました。前向きです。一応完遂しました。
や、でも難しいですね。やおい。
古典に忠実にならざるを得ないのがめんどくせー。
(世界一夢のない やおいサイト、ハウチワマメです)

えーと、先生とシリウスの4回目のはなしです。
1回目2回目はシリウスがヒステリーの発作を起して
先生を……、3回目は半分意識のある状態での……。
そして今回。
昔に書いた朝チュンとは若干矛盾してくるなあ。まあいいか。

長い文章のアップは5ヶ月ぶり(ええ?どうしてかな)。
ウラの更新10ヶ月ぶり。

2004/11/20


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