誕生日とプレゼント4






「誕生日おめでとうリーマス」

 シリウスはテーブルに着席していた。きっちりと正装をして。
 私は昨年と同じように今日が自分の誕生日であったことを思い出し、彼に礼を言う。そして運悪く、襟も袖もよれてしまった古い服を着ているが、今日これから起こる何事かに相応しくない装いでなければいいなと考えながら彼の正面に着席した。
 毎年この日はシリウスが知恵と持てる技能の全てを使って大がかりな悪戯を仕掛ける、それが私達の最近の習慣だ。私は彼の悪戯のファンであり、この日を楽しみにしている。寝起きのぼんやりした頭が、いつになく素早く晴れていった。
 私は今回の趣向を推理しようとする。
 もしかするとすでに窓の外は南の海かもしれないし、家ごと空中を飛んでいる最中かもしれない。あるいはこのシリウスは偽物なのかも。あと50人ほどのシリウスが階上で待機しているのかもしれない。
 私は無言のままのシリウスを見た。彼の姿は何やら今日は念入りに整えられている。幾度ブラシを通したのか黒い髪には艶が増し、しなやかに肩に流れている様は冠のようだ。毎朝見るたびに驚かねばならない美貌は言うに及ばず、いつの間に伸ばしたものか長い爪がやすりで上品に形成されている。新しい香水の匂い。それに偏執的にプレスと糊の利いた服装。前時代的な。魔法使いの服装はマグルほど目まぐるしい移り変わりはないとはいえ、今朝のシリウスの格好は私が見ても何世紀も前のものに見えた。まさか先祖の服を引っぱり出してきたのだろうか?
「もしお前が空腹であるなら、先に食事をするといいリーマス。話はそれからにしよう」
 彼は着席したまま、テーブルの上に古めかしいクロスを広げた。私の目の前には銀の皿に載ったパンと干したイチジクと葡萄、チーズ、銀のゴブレットに入った水があった。クロスをとり出した所も、食べ物をとり出した所も見えなかった。魔法を使う気配もなかった。これは手品だろうか?彼はマグルの編み出した手品も得意だ。
 シリウスは手のひらを上げて私に食事を促した。彼が貴族的な仕草をするのはいつものことだが、今日はそれに加えて何やら古風だった。
 干したイチジクを一口食べてみる。甘い。
「食べながらでよければ話を聞くけど」
 無作法を咎めるような間があって、それからシリウスは口を開いた。
「お前に誕生日の贈り物をしようと思う」
 先ほどの手品師の手つきで、彼は小さなケースを2つ、テーブルの上に置いた。黒いベロアのケース。長い指が留め金をはずし、それぞれの中から2つの黒い宝石らしきものが覗いた。何の細工もされていない、完全な球体。
「黒真珠だ。1つは本物で1つは偽物」
 そう言うと彼はすぐに蓋を閉じてしまった。見入っていた私は我に返って顔を上げる。
「それを選ぶのが今回の企画?」
「いかにも」
「もう一度2つの黒真珠を見比べたい」
「それはできない」
「他にヒントは?」
「ない」
 私に宝石を与えるのが今年のゲームなのだろうか。これまでにシリウスの行った手の込んだイベントからすると、宝石は通過点で何やらまだ先があるのではないかと思える。
「そうそう、ゲームには賭け金が必要だ、リーマス」
 うっすら笑った彼が案の定そう付け加えたので、私はパンを千切りながら逡巡するふりをした。
「君も知っての通り、私の資産は決して多くはないのだけれど、一体何を賭ければいいんだろう」
「お前の肉体を」
 彼の大仰な言葉に私は笑った。もしかするとこの遊びは、私が失敗することでシリウスの好みそうな性的悪ふざけにシフトするのかもしれない。まあしかし彼が楽しいのなら、いくらでも好きにすればいいと思う。私の誕生日であろうとなかろうと全然構わない。
「いいよ。私の体を賭けよう」
 シリウスはちらりと片目を狭める。驚いたというジェスチャなのだろうか。驚かれたということは、もしかすると私は照れや羞恥を期待されていたのかもしれない。彼のファンタジーに付き合うのは、時々ものすごく骨が折れる。
「どういう反応をすればよかったんだい?」
「……いや、失礼。意外だったので」
「君のおかげで随分慣れたからね。私が負けたら煮るなり焼くなりインドのヨガをさせるなり好きにするといいよ」
 私の悪趣味な冗談をシリウスは無視した。
「この黒真珠には大変な価値がある。よく考えて選ぶといい」
 まさかとは思うが、婚約指輪云々に発展する話ではないだろうな。その可能性に思い至ったが、取り敢えずパンを飲みこんで私は言った。
「君が右手で触れているほう」
 今度こそシリウスは分かりやすく驚いた顔をして私を見た。
「だって左手のやつには影がなかった。一瞬しか見せてくれなかったから難しかったけど、私はもう影しか見てなかったから」
「……驚いたな」
「え?それで当たりなのかい?私はてっきり間違った回答をさせるための引っかけかと……」
 彼が同じ趣向を2回使うのは珍しい。
 その時突然火の入っていなかった暖炉が燃えさかり、シリウスは選ばれなかった黒真珠を炎の中に放り込んだ。偽物の黒真珠も随分と美しいものだったので、私は何も燃やすことはないのにと不平を言う。炎は始まりと同様唐突に沈黙した。
「この真珠に比べれば何の価値もない。さあリーマス、これはお前のものだ」
 彼は優しく笑って、絹のハンカチで真珠を包み、私の手に持たせてくれた。
 素直に言えば私は、これを得て嬉しかった。宝石の類にはまったく興味がないが、この黒真珠には一目で引きつけられた。銀色のようにも、青色のようにも見える黒の球形。美しいが、宝石にありがちな冷やかな印象はない。妙に懐かしい色だ。鍵のかかる抽斗にしまっておいて、時々1人で眺めたらどんなに豊かで幸福な気持ちになれるだろう。男性の私が誕生日に宝石を贈られるという事に関しては若干抵抗を覚えるが、しかしこの黒真珠の魅力には抗いがたい。これはどれほど由緒のある宝石で、彼はどうやって探しだしたのだろう。代価はどれほどのものだったのだろうか。
「ありがとうシリウス。厳密にいえばこれはプレゼントだし、宝石なんて私には分不相応だけど、不思議と嬉しいよ」
「お前には驚かされる。リーマス。勇気があり、知恵もある」
「?……」
 シリウスは立ち上がって優雅に私に歩み寄った。私も立ち上がり彼の抱擁を受ける。
 そこで私は漸く気付いた。
 シリウスの背に触った時にまず違和感があり、そして私の背を抱く彼の手は丁寧ではあったがシリウスの触れ方とはまるで違った。
 私は後ずさり、彼から離れた。シリウスとそっくり同じ姿をした何かから。
「あなたは一体……」
 長い睫毛に縁取られたシリウスと同じ目が、愉快そうに狭められる。
「お前達の言語では発音できない名の者だ」
 彼の外見がどんどんと変化してゆく。しかしその姿は視覚で認識できるものではなかったらしく、私には彼の姿が分からなかった。透明になるという意味ではなく、そこに存在するのに見えないのだ。しかし見えない「それ」が途方もなく巨大であることだけは何故か感じられるのだった。
 黒真珠を大切にするといい
 そういう意味のことを彼は言った、否、私に伝えようとした。
 黒真珠?シリウスはどこにいる?
 右手に持ったままの黒真珠に目をやると、それもまた変化を始めていた。一体全体この騒動はどう収まるのか想像もつかなくなって、私は軽くパニックを起こす。空気が揺らいで、真珠の黒がなにか大きなものに変わっていく。流れるような黒髪。シリウス。随分やつれ果てて、髪も乱れ放題、寝間着姿だが、それは確かに私の友人だった。悲劇的な題材の彫刻よろしく、私は眠るシリウスを抱きかかえていた。
 ああ。私は納得した。一目で欲しくなった訳だ、と。
 先ほどまで私の前にいた黒い衣服を着た何かは、もう姿も気配もなかった。時代がかったテーブルクロスも、銀の食器もなくなっていた。



 どうあっても目を覚まさないシリウスを起こす事を諦め、私は彼を抱き上げて寝室まで運んだ。魔窟と化した彼の私室を見て、おぼろげながら今回の顛末の事情が想像できた。山と積まれた古文書、床に描かれた魔方陣。法円。聖遺物。神器らしきもの。植物の根や、あやしげなマジックアイテム。
 おそらく彼は私を驚かせるために何事か儀式を進めていた。しかしスケジュールに無理があったのか、何らかの事故かで、妙なものを呼び出してしまったのだ。神か悪魔かは知らない。普通は呼び出せないだろう種類のものを。
 私はぐったり疲れてしまって、シリウスを横たえた後、床に描かれた緻密な模様を消し、彼の隣りに倒れ込んだ。そしてそのまま服も着替えずに眠ってしまった。



 その翌日のことである。
 シリウスの無事に比べれば瑣末な事だが、その日は恐ろしいことに4月11日だった。何のどういう作用によるものか、私達は丸々1ヶ月間の時間を失った。(一晩眠って1ヶ月経ったというより、おそらく問答している間に時間が経過したのではないかという気がする)門には数十日分の新聞がたまり、音信不通をいぶかしむ人々から幾通かの手紙が相次いで届いた。彼が間違って呼び出してしまった神だか悪魔だかは、余程強大な存在だったのだろう。
 それからも春であるにもかかわらず、私達の家の周辺だけ雪が降ったり雹が降ったり、または家の中に花が降ったりと数えきれないおかしなことがあったが、ばつが悪いのかシリウスはそのたびに犬の姿になり、私の周りをうろうろとした。
 私の想像はおおむね当たっていて、目覚めた彼は自分の一生で一番大規模な悪戯になるはずだったのに睡眠不足がたたって不覚をとった、と大変悔しがりながら誕生祝いの言葉を述べた。その様があまりに呑気なので、私は昨日の出来事を語って聞かせ(もちろん都合の悪い部分は少々省いて)二度と無茶をしないようにと彼を叱った。しかし私が彼の顔をしたものと抱擁したくだりに特にショックを受けていたようなので、その点ではなく自分が暖炉にくべられかけた箇所にこそ恐怖するべきであると再度叱らなければならなかった。
 あの時もしも間違えていたらと思うと、私の頭は今でも恐れで一杯になる。
 そして黒真珠が私の友人だとあの時知っていたら、私は到底選べなかっただろう。寿命が尽きるまで迷い続けたに違いない。
 勇気があり、知恵もある?あれはそう言ったが、私にはそのどちらもない。鈍感であっただけだ。しかし自分の鈍感さに感謝する日が来ようとは夢にも思わなかった。



 それにしてもシリウスときたら、囚われて宝石にされるなど、物語のヒロインもいいところだ。しかも人の誕生日に。彼にも自分が手痛い失敗をしでかしたという自覚が芽生えたらしく、その後この話は私達の間でちらりとも話題にならない。
 今日も朝から家の中に虹がかかっているので、シリウスはテーブルの下で虎皮の敷物のように伏せている。時折尻尾が床を打つ。実は私はこの現象を愉快に感じていて、今年の誕生日も悪くなかったと思っているのだが、笑顔になるのをじっと我慢して読書をしている。パッドフットのため息が聞こえる。私は気付かれないよう彼を盗み見る。この上なく幸福な春だ。今年も。


 その後「私の黒真珠」という言葉は、シリウスを速やかに犬に変える秘密の呪文になった。
 あれの忠告通り、私は黒真珠をとても大切にしている。







先生おめでとう!

2010.03.10


おまけ