誕生日とプレゼント16













 たぐいまれな魔法使いである親友と恋人になり、かつてはレジスタンスでもあったルーピンは見た目とは裏腹に修羅場を何度もくぐり、九死に一生を得、あらゆる珍事を体験し、驚いたり楽しんだりして暮らしてきた訳であるが、それ故にもう自分は並大抵のことでは驚かないだろうという、うっすらとした自信を持っていた。
 しかしそれは奢りだったと彼は、まさに今、そう痛感していた。
 ルーピンの額には珍しく、血管が浮いている。それは彼が笑いをこらえているからであった。
 まさかシリウスが光りながら歌う姿を見ることになるとは。ルーピンは浅く呼吸しながらしみじみと感心していた。

 その日はルーピンの誕生日であったので、普段より少し上等の装いで2人は出掛けた。
 芝居を見て、食事をして帰るという予定だった。巷で大変流行している劇団で、最新作はホグワーツの少女4人組が冒険を繰り広げるという内容だった。ちなみに劇団の主宰はシリウスの弟で、ブラック家は劇団に出資をしていた。魔法界で流行している舞台劇の作者が自分の身内だったと知り、彼は驚いたが、同時にルーピンが前もって知っていた様子なのを訝しんだ。「まあ作者が君を知っている前提条件がまずあって、ブラック家の血筋のひとの多才ぶりを目の当たりにしていれば、おのずと出る結論だと思う」と、ルーピンは応えた。しかし劇団の演目は毎回シリウスをモデルにしたとおぼしき少女が主人公で、ルーピンは言いたいことがなかったわけではないが沈黙していた。 シリウスは気付いていないか、あるいは気にしていないようだった。
 舞台初日の今日、シリウスは出資者の1人として舞台関係者全員に行き渡る食事のサービススタッフを連れて楽屋に入った。しかしそこで、トラブルによる欠員を知る。その役者は自宅玄関で転倒し、腕と足と肋骨を折ってしまったらしい。命に別状はないが絶対安静とのことで、急遽代役が必要になった。彼は舞台において主人公たちに、問題解決のヒントを与える教師役だった。代役が可能で、セリフを覚えている劇団員がいないのではないか、という結論に達して劇団のメンバーたちの顔色が青くなり始めたころ、シリウスが手をあげて発言した。通し稽古を一度見ているので代役は可能だと思うが役者として訓練を受けた経験があるわけではないと。後ろで聞いていたルーピンは少々意外に思った。大人になり脱獄犯として追い回され、その後パートナーの件で追い回されたシリウスは、子供の頃と比べて目立つことを好まなくなったので。それとは別に、ルーピンはこの舞台の作者レギュラス・ブラックが、代役が務まる程度には台詞を諳んじていると(おそらくは)言いかけて開いた口を、速やかに閉じたのを目撃した。「まあ確かに、シリウスの芝居を観たいという気持ちは理解できなくもない」などとルーピンは若干のシンパシィを覚えたが、偶然目が合ったレギュラスはルーピンに対して「ぼんやりした平民だと侮っていたが油断のならない男だ」と警戒心を持った。
 そんな2人をよそに劇団スタッフたちは色めき立った。何しろいまだに魔法界でその動向が注目されている人物シリウス・ブラックが突然舞台に登場するのだ。劇団の宣伝として、これ以上の効果は考えられないうえにスタッフの中には普通にシリウス・ブラックのファンたちがいた。彼等は特別ゲストのシリウスが、主人公の少女たちと会話して退場するという平凡な流れをよしとしなかった。台詞を歌ってもらうのはどうだろう主題歌のメロディで。その際に踊ってもらうのはどうだろう。いっそ客席の上を舞ってもってはどうだろう浮遊魔法で、勿論安全のための魔法で補助したうえで。星をイメージした光をエフェクトにしたらいいのではないか。アイディアはすべて採用された。 名乗りを上げたことを後悔し始めているのがシリウスの表情から読み取れてルーピンは少し笑った。それが上演3時間前の出来事だった。
 このように舞台裏は演出プランの変更で混乱していたが、劇場外の混乱はそれ以上だった。「今日の舞台劇に、あのシリウス・ブラックが特別に出演するらしい」という噂が漏れ出て、魔法界を駆け巡ったのだ。ありとあらゆる通信手段が空を飛び交い、マグルの生物ホラー映画のように地上を陰らせる。
 すでに完売していたチケットは常軌を逸した価格で再取り引きされた。最高値は正規チケット料金の28倍になったとも、37倍だったとも噂された。法外な値段のチケットが売買され、通りではチケット目当ての強盗まで発生して、記者が劇場の外に詰めかけるなか、舞台劇は開演した。
 明らかに普段観劇などしない類の人々が劇場内の混雑に拍車をかけていた。 開始の音楽が鳴り、場内の照明が消えても、まだ幾人かは着席できず座席を探している状態だった。中央の席に座ったルーピンは、いつまでもざわめきのやまない客席を少し心配していたが、物語が始まると周囲のことはまったく気にならなくなった。別々の寮の4人の少女たちの友情。勇気。主人公はスリザリンの美しい黒髪の少女。参謀役の眼鏡の少女。優等生タイプの地味な少女。コミカルなシーンを担当する食いしん坊の少女。冒頭で殺人が起こり、事件を見事に解決する4人だが、次は幽霊騒動が持ち上がる。その過程で友人を信じられなくなった主人公に、ある教師が助言をする。シリウスの登場シーンだった。
 彼は拍手と歓声で迎えられた。
 悩める主人公に自分の経験を語るその途中で彼の体はふわりと持ち上がり、客席の上へと舞いあがった。演出効果の微風が吹き、彼の黒髪と衣装が程よくたなびく。
 シリウス演じる教師は歌の一番で生徒へのアドバイスを、二番の歌詞でこの劇の主題歌を歌った。主題歌の歌詞は星をテーマにしたもので、まるでシリウス・ブラックのために用意された歌のようだったが、歌の作詞者はレギュラス・ブラックだったので、ある意味シリウスのために用意された歌だと言えた。客席はどよめき、拍手が起こった。
 歌が上手すぎるので、歌手が吹き替えているのではないかという囁きがルーピンの席まで届いたがシリウスの歌声だった。何もかも完璧にやってのける彼は、当然ながら歌唱力も高く、常々それを聞くのが自分だけなのを心苦しく思っていたルーピンは、世間一般に彼の歌声が披露されるのを喜んだ。しかし同時に彼はひどく苦しんでもいた。
 なぜならば、美しい容姿と歌声を惜しみなくさらして、星屑のようなエフェクトを振りまきながら宙を舞うシリウスが面白過ぎたのだ。
 大半の観客はシリウス・ブラックの姿に魅了されていたが、ルーピンはそうではなかった。しかしルーピンにも言い分はあった。見慣れた同居人が光りながら歌っているところを見て、それがいかに美しい人物だったとしても、おかしな気持にならずにいられるひとが果たして何人いるだろうか?という。
 ルーピンはひたすら笑いをこらえた。なるべくシリウスの方を見ないように昨日の夕食に何を食べたか、おとついの夕食はどうだったか、その前の、などというあまり関係のない事を一生懸命考えた。
 上から客席を見ていた当のシリウスは、笑顔で見上げている群衆の中、一人だけ上を見ずに膝の上で拳を握りしめている人物が目について、すぐにそれが恋人であると分かった。彼が笑いをこらえているであろうことも勿論察した。しかし上から励ますわけにもいかず、シリウスはただ無力に光って歌っていた。
 やがて歌は終わり、何事もなかったようにシリウスがスッと舞台に戻って会話を始めたのを見て、我慢しきれずにルーピンは軽くふきだし、咳ばらいを装ってごまかした。
 額に少し汗を浮かべてルーピンは自分の奮闘を称えた。この満座の中にいて自分だけが笑いをこらえていることに孤独を感じもしたが、ふと、今日の舞台初日のチケットをボランティアで関わった子供たち、短期間預かったり、学業補助をしたりした人狼の子供たちに送ったのを思い出した。彼らのうち何人が今日ここへ観劇に来ているか分からないが、シリウスを知っている子たちなら、自分の気持ちを理解してもらえるかもしれないと彼は考えた。同時に、シリウスが代役を申し出た理由にも思い至った。知り合いの子供たちを落胆させるのに忍びなかったのだ。彼は。そう考えると、ルーピンは微笑んだ。日頃、子供には忍耐を学ばせるべきだとか、子供など好きじゃないとか、言いたい放題にしているシリウスだが、子供が虐げられた話を聞くと憤るのは決まってシリウスのほうだったし、子供を優先するのは当たり前で議論の必要などないと考えている節があるのだった。
 しかし彼は一体どこでその健やかな価値観を身に着けたのか。ルーピンは考える。人の実家を悪く言うのは褒められたことではないが、ブラック家が子供の健全な情操教育にふさわしい場だったとは到底思えない。
 ジェームズだろうか。ルーピンは親友を思い浮かべた。思えばルーピン自身も、欠けていた相当な量の一般常識を友人たちから教わった。我々は学生時代に補い合って成長したのかもしれない。
 彼が感慨にふけると同時に、奇しくも舞台では4人の少女達が友情を取り戻すシーンが始まった。彼女たちは高らかに、自分たちの絆が永遠であると歌いあげていた。モデルとなったルーピンやシリウスたち4人の絆は永遠ではなかったのだけれど。
 ルーピンは、普段は考えないようにしている、もう1人の事を思い出す。ああいった結果になってしまったが、彼も最初から他の3人に害意があったわけではおそらくないし、学生時代の彼はルーピンに実に多くの知識を教えてくれた。主に魔法界の一般的な家庭がどのようであるかについて。子供を大切にしなければならないという感覚を教えてくれたのは、思えば彼ではなかっただろうか。ルーピンは後で親友に話してみようと記憶にとどめた。何分繊細な話題なので、慎重さが必要そうだったが。
 そうこうするうちに舞台はやがて意外な結末を迎える。その残酷な真相は、おおよそを知っていたルーピンの胸にも迫るものがあった。客席からはすすり泣きが聞こえた。主人公の黒髪の少女が前を見据えてテーマ曲を歌い、舞台は終劇した。登場人物たちが出てきて次々にお辞儀をする。ルーピンは演劇のこの瞬間が好きだった。死んだ人々も生き返って、皆笑っている。現実もこのようであればよかったのに、と彼は過去の様々な出来事を思い出す。彼の苦い追憶とは裏腹に舞台初日は大成功をおさめたのだった。


 代役への謝礼話や、慰労の宴席、取材などを固辞して2人は帰路についた。
 退館の途中で幾人かの子供たちと再会し、彼等と空を舞うシリウスについて楽しく会話したルーピンは、帰り道で本人に感想を伝え、シリウスは曖昧な笑顔でそれを聞いた。レストランの予約時間が迫っていたので2人は早足で歩いていたが、シリウスが突然大声をあげた。
「誕生日のプレゼント!」
 なんとはなしにルーピンも大きな声で応じる。
「私への?」
「その通り」
「素晴らしい魔法?」
「素晴らしいかどうかは分からないがそうだ」
「今ここで?」
「そういう予定だった」
「……後日改めてというわけにはいかないかな」
「時間はかからない。レストランには間に合う」
「そうではなく……」
「なんだ?」
「その魔法は、君が光りながら空を舞って歌うよりもセンセーショナルな内容かな?せっかく贈ってもらう魔法を、今日の強烈な記憶で薄めたくない」
 珍しくきっぱりとしたルーピンの辞退にシリウスは目を丸くしたが、やがて悔しそうに認めた。
「……確かに、俺が光りながら空を舞って歌う程のインパクトはない。客観的に考えて」
「ありがとう。きっと僅差なんだろうなとは思ってるよ。でも今日の君がすごすぎた」
「ろくに見てなかったくせに」
「あの高さから私を見分けたのか。いや、呼吸困難で倒れなかった努力を褒めてほしい」
「笑いをこらえるプロフェッショナルを名乗ったらどうだ」
「笑いをこらえるノウハウなら伝授できる。……そういえば昔の私は我慢といえば辛い経験をやり過ごすばかりだったが、最近は笑ってはいけない場面で笑いを耐えることが多い。本当に」
「おっと、恋人への熱烈な感謝のキスとハグは家に帰ってからにしてくれよ。予約の時間に大幅に遅れてしまう」
 シリウスにそう言われてみるとルーピンは、現在の自分の幸福な気持ちとぼんやりとした感謝を、シリウスへの愛情として表現するのがしっくりくるような気がしてくるのだった。
「うーん、分かった。レストランの席で熱烈なキスとハグをしたかったが、懐かしい昔話を優先するよ」
「帰宅が楽しみになってきたな。俺は明日、起き上がれるだろうか」
「それは君次第だ」
「そうだ、帰宅してベッドに行く前にハリーに連絡をしないと。心配しているといけない」
「きっと君の歌を聞けなかったのを悔しがるね」
「同じ歌を歌ってやるさ」
「それじゃ駄目なんだよ」
「何故だ?」
「何故でもさ」
 誰が見ても一目でそれとわかるほど幸せそうな笑顔で、2人は店へと急いだ。数時間離れていただけだったが、その間に互いに色々と話したい話題が出来たのだ。普段の食卓ではあまり登場しない珍しい料理と酒を、彼らは大いに楽しんだ。

 余談だが、2人の心配したハリーは、有能な彼らしく情報をキャッチした瞬間にあらゆる手段を使ってチケットの入手に成功していた。「シリウス・ブラックが舞台劇に特別に出演する」という簡素な情報からは到底想像できない姿を目撃し、口元を両手で覆わずにはいられなかった。そうしてかつての恩師がうつむいて震えている様子もまた存分に眺めてすっかり満足した彼は、「普通のチケット代金の37倍もしたけど、全然価値があったな」と考えながら、その半券を大切にファイルに綴じて机の中にしまった。つまり心配の必要は特になく、その日は誰もが満足する良い一日だったという話である。












色々な話がつながっていますね。
先生とレギュラス君は、シリウスに関してなら
少し話が弾むのではないかという気がしてきました。
いわゆる同担。

舞台劇のオチは、那州雪絵さんの
「誰か−STRANGER」てきなやつだと思います。

2023.03.10