誕生日とプレゼント13













 狼人間の子供たちを支援する団体を主宰するその女性がリーマス・J・ルーピンと知り合ったのは数年前のことだった。
 彼は地味で目立たない容姿をした中年男性で、存在感がないことこの上なかったが、その静かな声と動作が逆に良い方に作用して、感受性の鋭い子供と接するのが驚異的に上手かった。
 ルーピンは子供を警戒させないし、神経を刺激したりもしなかった。ホグワーツで教職についていたこともあるという。子供の扱いに長けているのも、説明や説得が上手いのも納得できる経歴だった。
 なので人伝に、彼がヴォルデモートとその一派に反旗を翻したグループに属して二度も戦い抜き、生き延びた闘士だと聞いた時は耳を疑った。失礼ながら真っ先に命を落としそうなタイプに見えたからだ。そのうえ彼があの、魔法界有数の有名人、シリウス・ブラックの恋人で、マグルの田舎町で暮らしていると聞かされた時はさすがに、ジョークだと思って大笑いをした。
 しかし冗談ではなくて、週刊誌の記事を見せられ、その偶然写ってしまった近所の人にしか見えない暴露記事の男性が、リーマス・ルーピンその人である事を認めない訳にはいかなかった。
 ルーピンは堅実を絵に描いたような、堅実という言葉を擬人化したような人柄だったので、彼とシリウス・ブラックを頭の中で並べてみて、女性は何度も首をひねった。
 本人は何も言わない。彼は自分の話をほとんどしないのだった。
「お誕生日おめでとうございます、ルーピン先生」
 学校へ行けない人狼の子供たちの授業を担当する事もあるので、支援団体での彼は先生と呼ばれている。今日はたまたま、どちらもロンドンに滞在している事が分かって急遽空き時間に落ち合ったのだった。
「ああ、わざわざありがとうございます。まさか誕生日を覚えてくれてたなんて」
「団体所属の人の誕生日は全員覚えてますよ。お時間ないでしょうから手早く済ませますけど、これ私からプレゼント。これはみんなから。これは子供たちから」
「えっ……」
「昨日先生とお話ししているとき後ろに生徒たちもいたんです、みんなプレゼントを渡したいって大慌てで」
「……これは申し訳ない。いや、まさか……でも嬉しい。戻られたらお礼を伝えてください。私も次に出席する時には言って回りますが」
「子供達がね、これ見てください。狼人間ならみんな知ってることをルーピン先生は知らないって言っていて……あら、ごめんなさいね。あの子たち、先生を馬鹿にしてるんじゃないです」
「大丈夫、知ってますよ」
「ほら、これ。有名な料理の本なんですよ。狼人間のための。表紙にもなっている料理家の女性は恋人が狼人間なんですって。月齢別に、満月後の狼人間は肉の匂いを好まないとか、脱狼薬で胃が荒れているので消化の良いものをとか。かえって当事者の私達が気付かなかったような細やかな気遣いでレシピを組み立ててあります。作ってみましたけど確かに気分にぴったりした食事ができるようになりました」
「へえ、それは便利だ……」
「それにほら、この服!新商品なんです。マグルのスポーツウェアをヒントに、30倍伸びても傷まない新素材の生地を開発して、デザインもクラシックなものから可愛いものまで色々。先生のお好きそうな古風な紳士向け衣裳もあるんです。満月の次の朝にぼろ布をまとっていた時代が嘘みたいでしょう?」
「……全然知らなかった。ありがとう」
「子供達からはこれ!先生がご存じなかったので私達全員びっくりしてたんですよ!人狼の少女が主人公のベストセラー!『狼には向かない職業』!いま魔法界の本屋さんはどこも入口にこの本が積み上がってタワーになっています。それがもう、面白いのなんの!夜中に読み始めないほうがいいですよ!眠れなくなりますからね!この病気の人間でこの本を読んでいないのって、きっとルーピン先生が最後ですよ!子供たちはこの本に夢中で、一日中この主役になりきった遊びをしたり、続きを書いたりしてますよ」
 次々と出てくるプレゼントに目を白黒させながら、女性のあまりの勢いにとうとうルーピンは笑い出してしまった。
「そんなに?」
「ええ、そんなに」
「私はすっかり世間に取り残されていたみたいだ」
「勉強してください。もう狼人間が隅っこで隠れている時代じゃないんです。「狼職」のヒットで、狼人間に憧れる普通の子供たちが増えて社会現象になってるんですよ。そのうちに私が子供の頃、床下の食料収納スペースで育った話を子供達にしても信じてもらえない時代が来るかも」
「……そうなってほしいですね。あなたのような人が努力で勝ち取ったからこそ得られた変化だと思いますが」
「ルーピン先生もです。あなたのように戦ってくださった人がいるから私達はこうして生きていられる。それに感謝して毎日を出来る限り楽しく過ごさなくては。これからデートなさるんでしょう?ごめんなさいね、恋人とのお時間を減らしてしまって」
「え?はい、とんでもないです。お気遣いなく」
 微笑みながら珍しく支離滅裂な返事をするリーマス・ルーピンを見て女性はくすくすと笑い、2人分のお茶代を支払って素早く去ってしまった。「素敵な1日になりますように」という言葉を残して。気の利いた返事も特にできず、財布を出しそびれたルーピンは暫し呆然と店の前に佇んでいた。




 ルーピンがマグルの街でシリウスと待ち合わせるのは年単位で久しぶりの事だった。
 時間ちょうどに待ち合わせた場所へ辿り着くと、シリウスは見知らぬマグルの女性数人と話をしていた。女性の1人は例のあの薄い板を空へ掲げている。一緒に写真を撮っているのだという知識はさすがのルーピンでも持っていた。そしてこれから一緒に食事でもどうかと誘われている。もう1人は電子的な住所をシリウスに尋ねている(マグルは透明な書簡を送る事ができるのだ)。シリウスは過剰でもないし冷たくもない、最適な笑顔を浮かべて首を振っている。彼にとって誘いを断るという行為は呼吸と同じくらい生命に不可欠な動作で、意識して行うものではないのだった。女性たちは機嫌を損ねたりはせず、残念そうに去って行った。それを見守りながらルーピンは考える。「継続して嫉妬を学習中の私だけど、今の場合はどういう態度を取るのが一般的なんだろう。一般小説では怒りだすケースが多いけども。大体嫉妬というものは怒りや自己卑下と結びつきが強いのは不思議だ。大変そうだし、あまり私の性に合うとも思えない。もっと気楽な感じの嫉妬の表明方法はないものだろうか。たとえば太鼓を鳴らすとか。ラッパを吹くとか」そこまで考えて、つい笑顔になったところでシリウスと目が合った。
 シリウスの片眉が大きく上がって、ルーピンの考え事を大よそ察知しているぞと圧力をかけた。
「こういう場合は女性たちをかき分けてやってきて、腕を組むのが一般的だ」
 こちらへ歩み寄った彼はそう囁く。
「外で見ると一段とハンサムだから、女性が声を掛けたくなる気持ちがすごくよく分かるよ……という発言は?」
「……うーん、まあ及第点かな?お前、出掛ける時にそんな大荷物だったか?旅行か?」
「旅行の予定はないよ。複数人分のプレゼントをもらって……」
 シリウスはルーピンの下げていた紙のバッグにひょいと人差し指を引っ掻けて中を覗いた。包装が半分解けて中身が見えている。ルーピンは無力にそれを眺めるばかりで、珍しく親友の無作法を咎めなかった。2人の目が合う。
「何が言いたいのかは分かるよ」
「……話してないのか?なにも?」
「いつか言おうと思ってはいたんだ」
「お前はいつもそれだ」
「でもなかなか言うのが難しくはないかな?親友が大変な料理上手で、人狼に合った新しいメニューを次々考案してくれます。料理本も出版されるくらいの腕前ですが、プライバシーを考慮して、契約を結んだ女性を影武者に立てているんですよ?」
「おまけに美的センスも優れていて、マグルの新素材で人狼用のファッションブランドを立ち上げ、販売しています。彼にしてみれば、人間が意思に反してほぼ裸のような姿にさせられるのは許し難いようです。なぜ言えない?事実だ」
「そうなんだけど……君の功績を自慢するみたいじゃないか?」
「恋人の功績を自慢するのは変じゃないぞ。それにベストセラーだ。あれには俺も驚いたが」
「ああ、あれね……。あ、「狼職」って呼ばれてるらしいよ」
「知らなかったな……。まあお前は読んでもくれないけど」
「だって君が、私の好きなコマドリの顛末をばっさりと割愛したって言ったからショックで……!」
 世間をにぎわすベストセラー『狼には向かない職業』は、シリウスの執筆した小説で、彼の小説家としての処女作だった。元は彼等の習慣である夜の散歩中にシリウスが気まぐれに語る物語、その中の一つである。「狼職」を毎日聞いている時、ルーピンは歩行すら困難になるほど夢中になった。終盤は何度も立ち止まり、ラストではとうとう声をあげてしまったくらいだった。それほど主人公を始めとする登場人物は魅力的で、物語は鮮烈だったのだ。
 間違いなくシリウスの語った数多の物語の中でも最高傑作だった。ルーピンは感激冷めやらぬ潤んだ目で彼を説得した。これは私だけが楽しんでいい話じゃない。他の人も読むべきだ。絶対に。
 恋人の頼みに弱いシリウスが3日で書きあげた原稿を半信半疑で出版社に送ると、またたく間に刊行の返事が戻ってきた。ルーピンはそのやり取りを少しの誇らしさをもって見守った。原稿を執筆したのがあのシリウス・ブラックであると分かると、俄然本名名義での発刊を出版社は求めたが、シリウスはその要望は頑なに退けた。それどころか出版後には興味を失ってしまい、サイン会や講演会などの依頼が目を通されないままどんどん溜まっているのが現状である。
「あの物語はお前のために考えたのだから、お前が全部知ってればそれでいい。他の人間が完全な形で読むのは何か違う」
「……うん、そう言うだろうと思ってた。だからショックが薄れたら読むよ。一般向けになったやつを」
 心なしか少し肩を落としたルーピンだが、気を取り直して隣を歩く親友に語りかける。
「もう狼人間が隅っこで隠れている時代じゃない、って今日会った同僚の女性が言っていた。狼人間に憧れる子供がいるって」
「そうだろうな。俺はそういう風に文章を書いたから」
「地位向上にご尽力いただいてどうも!君って男は」
「いや、ジェームズとリリーがいたらこんな程度じゃ済まなかった。きっともう人狼のスターやアスリート、政治家が当たり前の世の中になっていただろう。俺は時々あいつらに怠慢を責められている気さえする」
「いつかはそうなるにしても、私の生きているうちにそこまでは望まないよ……」
「お前の生きているうちでないと意味がない」
「君はあれだね、困難な立場にある色々な人とお付き合いすると、その属性にいる人すべてに恩恵があるから……」
「うん?」
 数年前のシリウスなら眉間にしわを刻んでいただろう発言だが、彼は穏やかに親友の言葉を待った。ルーピンはいつもより少し早口になって続ける。
「……そうするのが公共のためなんだろうけど、そうすると私が少し淋しいから、それはだめだな」
「少し?」
「うん、少し」
 まあ満足しておこう、という風に彼は唇を斜めにして横を向いた。
 ふとルーピンが、シリウスの左腕と胴の間の少しの隙間に注目したあとで右手をそろそろと通したので、シリウスは隙間に顔を突っ込んでくる猫を連想して興味深くその一連の動作を見守った。
 ルーピンは右腕を引き抜いたりはせず、自分の前腕を絡めて朗らかに語る。
「今日もらったプレゼントは全部君の作品で、その作者本人と歩いているなんて変な気分だ」
 間が空いて、シリウスが返事をする気配がないので真横を見ると、彼は驚愕して口を開いていた。
「腕!」
「……うん?」
「腕を!?」
「そこまで驚かなくても……突然襲い掛かって組んだわけじゃなし、君ずっと見てただろう?」
「隙間が気になるんだとばかり……」
「猫か私は」
「わたくしめのようなみすぼらしい男は公道で恋人のように振舞う相手として不足だとお考えなのだと、ずっと思ってたのでございます」
「どうして一昔前の屋敷しもべ妖精みたいな喋り方を?そういう冗談はやめなさい」
「動揺してるんだ。ルーピン教授と腕を組んで歩いている……人類が死滅していない、夜中でもない、普通のマグルの公道を」
「嫉妬の表現として、腕を組むのが一般的だってさっき君が言っただろう。私もとうとう羨望で呪い殺される覚悟がついたんだよ。たぶん。1年に1回くらいはいいんじゃないかな」
「1年に1回」
「君の分と合わせて年2回だね。それで?今日はこれからどこに行くのかな?」
「ショックのあまり自宅へ帰る所だった。今日はシリウス・ブラックデーのようだから、しめくくりに相応しい、スペシャルな場所にご案内しますよ」
「光栄です」
「誕生日おめでとうリーマス」
「ありがとう」
「ではカウントダウンを始める。目を閉じて。体験中ご気分の悪くなられた方は係員までお知らせください」
 大仰な前口上にルーピンは笑って目を閉じた。ロンドンを舞台とした、比類なきシリウス・ブラックの魔法が始まり、ルーピンを楽しませる筈だった。しかしルーピンのほうから腕を組んできた事に対して、見かけ以上に動揺していたシリウスは幾つかの発音ミスをした。ホグワーツの生徒だった頃でもやらなかったような明らかなミスを。
 魔法は設計通りに働かなかった。
 以降彼等は72時間に及ぶ大冒険を繰り広げ、3度ほど死を覚悟する事態に陥り、ハリー・ポッターが捜索願いを出す失踪事件に発展するのだが、それはまた別の話。
 生還した2人は命に別状なく、呑気に笑い合っている写真が各新聞社の紙面を飾り、恥ずかしい思いをするのだが、それは同じく現在の彼等の知る所ではなかった。
 今年の春の誕生祝も、愛情に満ちて幸福に、少々過激に、例年通りに執り行われたのだった。 











シリウスの書いたミステリー、オチはなんとなく分かるのですが
おそらく、舞台となっているのは実は現実の魔法界ではなく、
狼人間のほうが一般的で、
感染していない人間はマイノリティーな世界だというのが最後に明かされて、
不明点が全部クリアになり、
悲劇エンドと思われたものが逆転して終わる話なのではないかと思います。

よ、読みたい。
先生うらやましい。お誕生日おめでとうございます。
2019.03.10