誕生日とプレゼント9










 「トム・マールヴォロ・リドル犯罪博物館」がとうとう完成し、落成式が間近に迫っていた。

 その施設は、あの犯罪者によって奪われた多くの犠牲者と、あの犯罪がどのようにして行われたかを後世に残すための場所だった。発起人には公的機関や団体から文化人、様々な業界の人物が名を連ねており、もちろんハリー・ポッターの名も末の方に遠慮がちに並んでいる。
 当然ながらシリウスとルーピン両名には招待状が届いていた。
 彼等はそれを未処理書類用のコルクボードにピンでとめておいて、しばらくは見ないようにして生活していたが、その日が近付いてくるにつれ不承不承食卓の話題にするようになった。
 しかしそれまで様々な冗談で盛り上がっていた会話は、この施設の話になるとぴたりと勢いを失ってテーブルの上に落下する。
「どうする……?」
「うーん」
 彼等は時間をかけて恐怖や憎しみを克服していたので事件に対して平静を失うようなことはなかったが、当時に親友が負った酷い怪我、それに関する果てのない言い争い、疲れきった自分の言い放った心ない言葉、対する相手の表情などが思い出されて気分が塞ぐのだった。
 常識的に考えて、2人揃っての出席が望ましいのは彼等にも分かってはいた。しかし作業現場を3度ほど見学に行ったハリーから聞いたところによると、夥しい犠牲者の写真が並ぶ部屋、拷問の光景を詳細に再現した部屋、同じく支配されたホグワーツの再現、そしてアズカバンの部屋もあるらしい。写真の中に混ざる懐かしい人々の顔、リリーやジェームズの写真を見ても自分達が平静でいられるかどうかは彼等にも分からなかった。ましてやアズカバンの部屋におそらくいるであろうシリウスの姿を見て、どんな精神状態になるかは全く不明だった。
「クジのようなもので決めて、どちらか片方が出席してはどうだろう」
 ある日、しばらく沈黙した後にシリウスがそう言った。
 じっとその眼を覗き込んで、ルーピンは返事をした。
「君がそのクジで不正をしないと誓うならそれでもいい。でも考えてくれシリウス。仮に私が出席したとして、君は1日おとなしく家で過ごせるのか?」
 シリウスは正直な男だったので、本当に困ったという顔をした。気の毒になったルーピンは「私は平気だよ多分。心配なのは君のほうだ」という言葉を飲み込んだ。
「……せめて3月10日じゃなければ良かったんだが」
 ルーピンは曖昧な笑顔を浮かべた。落成式は3月10日に予定されていた。



 その日の朝、焼いた卵やトマトやベーコン、トーストといった普段通りの食事を摂りながら、彼等は互いの様子をそっと窺った。顔色が悪いというような様子はないし、寝不足の兆候はどこにもなかった。会話にも淀みがない。そういえば日常で発揮される機会はあまりないが友人はこんな風にとても強い人だった、と彼等は思い出す。
 妙に硬く感じられる真新しいシャツに袖を通し、鏡の前で姿を整え、彼等は並んで出掛けた。「網を持ったか?」とシリウスは唇の片方を上げてルーピンに問う。「網?」「俺がパニックを起こして犬の姿で会場じゅうを駆け回ったら必要だろう」ルーピンは「大丈夫、吹き矢を持っているから」と答えた。
 陰鬱な曇天の日だった。フォーマルな服装をしている者が多いので、まるでこれから葬儀が始まるかのように見えた。
 予想した通り最初は被害者の写真が壁一面に貼られた部屋だった。その写真は動かないもので、彼等は皆魅力的な笑顔を浮かべていた。こういう場合、知った人間の顔はくっきりと目に留まる。シリウスとルーピンはすぐに親友とその妻の写真を見つける事が出来た。真面目な顔をしている写真が見つからなかったせいか、彼等は学生服を着ていた。
 妻子のいる男が学生の頃の写真を飾られるなんて、公開処刑もいいところだ。ひどくない?ひどいと思わない?
 あの早口が聞こえてきそうだった。
 見学の一団はゆっくりと次の展示室に移る。記者達のカメラのフラッシュが光り、年配の男性の説明が始まった。そこは拷問を再現する部屋だった。ルーピンは焦点を意図的にぼやかして、展示物をほとんど見ずにぼんやりしていた。彼は現実逃避の名手だったので、本日の朝食のメニューの事などを考えていた。シリウスは全くの無表情で、磔にされた女性の人形を見ていた。
 その次がアズカバンの展示だった。そこでは死喰い人たちを閉じ込めていたあの施設がいかに支配され公的施設として機能しなくなったかの経緯について詳しく資料が置かれていた。
 ルーピンはシリウスの様子をそっと窺う。
 アズカバンは取り壊され、近代的で人道的な犯罪者収監施設に建て直されたとしばらく前の新聞に載っていた。説明によれば撤去された牢の幾つかをそっくりそのまま移設してここに展示しているらしい。シリウスはあの懐かしい鉄と石と汚物と血の匂いを微かに嗅ぎ取った。
 牢の中にはそれぞれ人形が据えられていた。有名なクラウチJrの脱出劇、悪鬼のように顔を歪めるベラトリックス・レストレンジ、その肌の質感、薄暗がりの中で光る眼、まるで本人が生きてそこにいるかのようだった。呼吸するために肩が上下しているとさえ錯覚する。
 黒い髪が見えた。
 うつむいて新聞を睨んでいる背の曲がった人物。シリウス・ブラックの牢だった。
 シリウスが短く息を飲む音がルーピンの耳に届く。
 長い手足を折り曲げて窮屈そうにしている、ボロボロの囚人服を着た彼。
 しかしその顔はどうした事か、まるで似ていなかった。2人はショックを受けて歩調を乱した。
 なぜかつぶらな瞳で、なぜか丸い鼻で、薔薇色の頬をしていた。ベラトリックスとクラウチJrの再現度を考えると、誰か別の人間の写真資料を元に製作したのだとしか思えなかった。
 そのシリウス・ブラックは困惑したように新聞を見ていた。友達になりたいと思わせるような、いかにも人の良さそうな顔だった。見れば見るほど似ていなかった。
 ルーピンが咳き込んだ。
 恐るべき笑いの発作がルーピンのみならずシリウスにも訪れようとしていた。朝から緊張していた自分達が馬鹿馬鹿しくなるくらいその人形は彼等を脱力させた。その落差、そして笑ってはいけない公の場、そこには爆笑を助長する要素しかなかった。このままいけば自分は担架でもって運ばれなければならない程のかつてない大笑いに憑りつかれて、午後一日を笑って過ごすことになるだろう、という恐ろしい予感がルーピンの脳裏をかすめた。
 シリウスは頭の回転が速い男だったので、今この瞬間に何を言っても何をやっても、この笑いの発作を止めることは出来ないとルーピンよりも遥かに早く察した。彼はすみやかにそして力強く手首をとってルーピンを引き寄せ、その身を抱きしめた。
 驚きのあまり抵抗も忘れてルーピンはシリウスの腕の中に納まった。一拍遅れてシリウスの意図を察し、この場で笑い袋と化し、記者に写真を撮られながら引きずられて退場するのと、公にもパートナーと認識されている相手と抱擁するのはどちらが世間体が良いかという計算が働いた。彼はシリウスの背に腕を回した。
 これまでも強く抱き合うことは数限りなくあったが、2人とも大人なので勿論渾身の力を籠めたりはしなかった。しかしその時は真実全力で、獲物を絞め殺す南米の大蛇のように本気で、互いの胸部を両の腕で締め上げ続けた。強く抱きしめられて息が出来ないという表現を、ごくまれに小説で見かける事があったけど、なるほど物理的に肺を膨らませられないので息が出来ない訳だ、とルーピンは頭の片隅で感心した。もちろん笑うこともできない。
 カメラのフラッシュが遠慮がちに2回ほど光った。
 互いの生存を喜び合う恋人同士に見えていますように。2人は力の籠め過ぎで震えながらそう祈った。少しでも腕を緩めたら、ふきだしてしまいそうだったのでいつまでもそうしていた。一団がその展示室を出ていくまで。おそらく明日には胸に痣が浮き上がるだろうけれども、それは2人にとって些末な問題だった。



 ヴォルデモートの生い立ちの資料、死喰い人の資料、ダンブルドアの資料、不死鳥の騎士団について、死の秘宝についての解説、2人はそれらの展示室を手を繋いで見て回った。少しでも気を抜くと、先ほどのピンク色をした唇をぽかんと開いている、つやつやとした肌の、健康そうなことこの上ない獄中のシリウス・ブラック氏を思い出してしまうので、その兆候があらわれるとすぐに彼等は全力で相手の手を握った。当然声が出そうになるほど指は痛んだが仕方のない事だった。
 最後にハリー・ポッターの部屋があった。生き残った男の子。彼がどのように守られ、ひっそりと育ったか、誰のどんな魔法と知恵で成長できたのかを写真資料付で説明してあった。「赤ん坊の頃の写真から始まるんだよ!あれじゃ公開処刑だよ!」彼等の家に来てひとしきり嘆いていた青年の声を2人は思い出す。しかし彼等にとってはその写真のどれもが懐かしく、微笑ましい展示品だった。この博物館の中でたたここだけを、彼等は自然に笑い合いながら歩いた。そうこうするうちに博物館の出口まで辿り着いており、拍子抜けするほどあっさり2人はその場所を後にした。
 周囲では様々な簡易インタビューが行われていた。その中でマイクの集中していた青年、ハリー・ポッターが彼等の姿を見つけて走り寄ってくる。彼の後ろにはハーマイオニーの姿もあった。
「シリウス!先生!」
 彼等は共にあの時代を生き抜いた者同士として、やや苦い笑みを交し、それから少し雑談をした。「子供の来場者には刺激が強すぎるのではないか」とか、「年代が間違っている箇所があった」とか、そういった事を。
 普段は滅多に出てこない面子が揃ったので、これから少しだけパブに集まるんだけど、2人もよかったら来てよとハリーが誘い、2人は了承した。



 ハリーの行きつけだという店は貸切になっているらしく、店の客20数名程は全員顔見知りだった。ジョッキに注がれたビールを前にして、やっと2人は笑い始め、やがてその笑いは大きくなり、彼等はテーブルに突っ伏して笑った。周囲では再会を祝う者同士が大騒ぎを繰り広げており、シリウスとルーピンの笑い声はその喧騒に綺麗にかき消された。
 やがてハリーがジョッキを持って立ち上がり、生き残った幸運への感謝と、この場にいる全員の幸福と健康を祈る言葉を述べた。彼はルーピンに向けて問うように笑ったが、彼が慌てて首を振ったので、「今日は僕の恩師の誕生日でもあります。彼の誕生祝いも併せて、乾杯!」と杯をあげた。全員が唱和し、何人かが笑顔でルーピンを振り返った。
 静まっていた場が再び賑やかになった。押さえていた笑いがぶり返し、またルーピンは笑い始めた。堪えようとしたシリウスまでつられて笑ってしまう。気をそらすために、シリウスはルーピンとは別方向を見渡した。遅れて到着したらしきロンが戸口からこっそり入ってきて、ハリーとハーマイオニーに迎えられていた。代わる代わるに抱きしめられ、見間違いでなければ2人から頬にキスまで受けている。今日はハリーもハーマイオニーもいつになく陽気だが随分飲んだのだろうか、とシリウスが考えた時どさりと物音がして、見れば椅子から滑り落ちたルーピンが床にしゃがみ込んで笑っていた。あの会場で笑い出さなかったのは奇跡だったなと呟いて再びシリウスも笑い始め、その笑い声は次第に大きくなった。






ロン・ウィーズリーの独白
 僕たち3人は博物館に早くに集まって、今日の段取りについて説明を受けていました。3人揃ってスピーチをする予定だったし。それで見学会の時はゆっくり見られないだろうということで、先に展示物を見せてもらいました。準備はわりと押していたようで、梱包の紙や紐がまだあちこちに散乱していました。平気だったけど、やっぱり拷問されている人形なんかを見るのはあまり気持ちのいいものじゃなかった。ハリーを先頭にして、速足で歩いてたけど、突然彼が立ち止ったから衝突した。
 見回したらそこはアズカバンだった。ハリーが何に気を取られたかはすぐ分かった。ハーマイオニーが小さな声で何か言った。たぶん「どうしよう」とかそんな感じのことを。
 シリウスの人形が置いてあって、それはまあ予想通りだったんだけど、それがすごく似てた。あの当時、僕を襲った脱獄犯がそこにいた。いまのすごくハンサムなシリウスには全然似てなかった。ただ、目の形だけが今と同じだった。でもその目も、不幸のどん底にいる人みたいな、明日死のうって考えている人みたいな、そんな目だった。髭が伸び放題で、肌も髪も病気の人みたいだった。唇は歪んでた。いまにも喚きながら飛びかかってきそうだった。たぶん牢にいたころのシリウスの写真をたくさん集めて、そっくりに作ったんだろうね。
「これは、だめだ」
 ハリーが低い声で言った。本人に見せられないって意味なのは分かった。でもだめだと言ってもどうしようもなかった。人形を消すことは出来るけど、替りの人形を作っている時間はなかった。何もない所から物を作る魔法はすごく難しいから。ゲストたちが到着する時間には間に合わない。人数が多すぎて幻覚を見せるのも難しい。いくらハーマイオニーとハリーの魔法が強くても無理だ。
「でもどうしようもない……」
 正直に言った。
「だって今日はルーピン先生の誕生日なんだよ……?」
 振り返ったハリーは子供の頃みたいな、困り切った顔をしてた。困ってみせている顔、じゃなく本気で困っている顔。最近じゃ滅多にこんな顔しない。ハリーにとってシリウスは2番目の親みたいなものだし、ルーピン先生もそうだ。
「新しく作ってる時間はないけど、替りの姿を変える事は出来るわ」
 僕たちの知恵の女神、作戦参謀ハーマイオニーが3人の考えを統合して結論を出したみたいにそう言った。あとで考えると、隣の牢のクラウチJrの、あの有名なエピソードがヒントになったのかなと思う。ハーマイオニーはいつだって冴えてる。
 ハリーが僕を見た。ハーマイオニーも。ハリーが姿を見せないのは不自然だし、ハーマイオニーは身長が違いすぎる。僕は観念した。この2人の意見が一致した時に、それに抵抗するのは不可能だって経験から知ってた。あと僕もシリウスの事は友達として好きなのだ。






 シリウスの人形製作に心血を注いだ作者に申し訳ない事をしたので、見学会には誤って習作が展示されていた旨を文章にして各自に配達しよう、とハリーは考えていた。ロンは鷹揚に笑って床に長い時間座っていた尻の痛みを訴えている。「君が大好きだ!」と叫んでハリーが抱きつく真似をすると、ハーマイオニーも抱きついてくる。ロンの体温がちょっと上昇するのをハリーは感じる。
 向こうのテーブルに座っているシリウスとルーピンの方を見ると、彼等はようやく落ち着いたようで今度はちゃんと椅子に着席していた。先程までルーピンは椅子の上にいなかったのだ。
 シリウスが上着のポケットから小さな本をとり出してテーブルの上に置いた。
 ルーピンの視線が本に釘付けになっているのが遠くからでも見てとれる。そう、以前少しだけ見せてもらったがあれは力作なのだ。ラスベガスの高層ホテルの上や、ピラミッドの上、エッフェル塔の前、古代の仏教遺跡の中でポーズをとっているパッドフット。もちろん合成した写真もあるが、実際にシリウスが遠征して撮った写真の方が多い。カラーのそれらがきちんと製本された写真集。
 ふざけたシリウスが引っ張ろうとした本を、ルーピンがテーブルの上で渾身の力で押さえている。
「有形のプレゼントは返品する主義ではなかったんですか?教授」
「それは……うまい反論がいま思い付けないから明日言い返すけど、取り合えずこれは渡さない」
 ハリーは脳内で2人の会話を補完した。正面から顔を見ていないので正確には読み取れないが、おおよそ間違いはないだろう。
 ちょっと笑って、ハリーは親友2人の方へ向き直り、もう一度彼等を抱擁した。








魔法界の人はあまり過去の事は振り返ったりせず、
のしのしと力強くそれまで通りの平常を生きていくイメージですけど。
(でもなんか同じ失敗を繰り返しそうではあります)

去年は3人組にしてやられた話だったので
今年は助けられる話を。
先生お誕生日おめでとう!

ディメンターってなんで俺様の下についたんだっけ…。
とくに明確な説明はなかったような???
(ジャンル13年目。先生の誕生日を祝うのは11回目なのにふんわりした知識)


2015.03.10