その家は呪いを受けていた。
 おそらくは死喰い人の残党が仕掛けたのだろう。迂闊だった。厳重に守りの魔法がかかっているこの家をこんな状態にできるような有能な魔法使いが、まだ捕縛されずに潜伏していたとは。
 かつては家中に溢れていた居心地のいい暖かい空気は消え失せ、厭わしい汚臭と冷気が室内を支配している。家具という家具はすべて粉砕され、そのまま何百年も経過したかのように埃が積もっていた。
 あまりの惨状に立ちつくした僕達3人の前に、古風な書体で書かれたカードがあった。ナイフで壁に留められている。

 声を出してはいけない

 そう書いてあった。おそらく魔法の主が書いたものだ。僕とハーマイオニーは意識せず杖を取りだし、手に握った。もう世の中がすっかり平和になったにも関わらず、僕と彼女は家の中を移動する時ですら杖を手放さない。おそらく一生そうだろう。
 ロンは真っ青な顔で両手を広げる。予想していた事なので僕も彼女も小さく頷いた。彼を間に挟むようにして、視線でドアの方へ移動を促した。僕の義父を驚かせるため暖炉から訪問した僕達は現在2階の隅の部屋に居る。出来るだけ速やかに、出来れば何者にも感知されずこの家を出なければならない。シリウスと先生も気掛かりだが、ここに留まるのが名案でないことくらいは冷静さを失いつつある今の僕にも分かる。
 ドアノブは僕が手を触れる前にゆっくりと回転し、クラシックホラーさながらの音を立てて扉が開いた。同時にベルベットのような繊毛に覆われた長い長い脚が、1本2本と扉の裏側からこちら側へ這い出てきた。
 オオグモだった。
 胴体部分には女の顔が逆さまに付いている。優美な形をした黒い脚を蝶番のように器用に開閉しながら、蜘蛛はなめらかに全体を現した。
 僕が口を塞ぐより早くロンが悲鳴を上げた。
 ロンの足元の絨毯や床板が瞬く間にロンの足首を飲みこみ、小麦粉の練り物みたいな皺を作りながら沈み込んだ。先ほどの「声を出してはいけない」というカードは、ルールを提示することにより僕達への強制力を増す呪いだったのだ。僕達はそれに負けてしまった。この家に入ってから2分と経っていない。ハーマイオニーと僕はロンの腕や衣服、あちこちを必死で掴んだが、恐ろしい力が僕達から彼を奪う。
「だめだ!」
 ハーマイオニーが叫びそうになったのをロンが制した。
「ハリー、彼女を!」
 分かった、と言う代わりに僕は頷いた。ロンの髪と指が、床から見えなくなるのを僕達は為す術もなく見守った。ハーマイオニーは声もなく涙を流している。即死しなかった以上、それにはきっと理由がある。だからロンは生きている。僕はその考えが伝わるように出来るだけ平静な顔で彼女の手を握った。ハーマイオニーは強い。ここで立ち上がれなくなるような魔女ではない。



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