友へ

 念の為に確認をするが、お前は「家出」をしたんだろうか?

 もしかしたらお前はこの手紙の書き出しを見て、胸を掻きむしって笑い転げているのかもしれない。しかしこの文章をひねり出すのに俺はもう3時間を消費している。笑っているならいますぐやめろ。そしてもし出発の予定を俺に予告するのを忘れていたり、急な呼び出しで俺に事情を告げる間もなく旅立ったのであれば、その旨いますぐ便りが欲しい。これは理不尽な我儘ではない筈だ。そしてこの手紙は先を読まずに捨ててくれ。でないと詩人が愛人へ書いて寄越した恋文や、貧乏な文豪が親類へ出した借金の申し込みよりも熱烈な文章がこれから嫌というほど続く。それを読んでお前が床に転がって笑うのを許容出来るくらいには、俺の心は広くないらしい。よろしく頼む。

 もし家出をしたのなら、お前はきっと笑わずにこの手紙を読んでいると思う。……そうでない事を祈っている。俺は今朝、お前の部屋を訪ねた。そこに使われた痕跡のないベッドを見つけても、間抜けな事に階下に降りればお前が居ると思っていた。昨日の夜から誰も足を踏み入れていない様子のキッチンや、きちんと鍵の掛かっている玄関、無人のバスルームを全て見て回ったが、俺は最初にお前と目を合わせた時に何を言おうかとそればかりを考えていた。
 お前が居なくなったのではないかと、俺が考えたのは昼を過ぎた頃だ。
 リーマス。その瞬間どういう気持ちがするか、お前は知っているだろうか。恋人に逃げられた男が、それに気付いた時どんな気持ちがするか(お前がその表現に眉を顰めるなら「同居人に逃げられた」と言い換えてもいい)。頭の中が奇妙に空白になるんだ。世紀の大発明をした天才の気分がした。実際あと少し理性を失っていれば、俺は「エウレカ!」と叫んで走り出していたかもしれない。負の感情がやってくるのはそれからしばらく後だ。
 リーマス。
 もしお前が家を出たのなら、俺はたぶんその理由を知っていると思う。

 お前は昨夜、何度か反論をして俺はそれをすべてはねつけた。あの話題。幸福について、俺達は少し話をした。



 しかし残念だが俺は結論を変える事が出来ない。お前が俺に対して幸せであれと願ってくれるのは構わない。ハリーが同じ事を願うのも勿論。しかし俺自身が幸福を望むのは、それは許されない事だ。リーマス、お前は俺の人生に何が起こったかを誰よりも知っている。そして俺が恥を知る人間である事も。その上で非難があるなら、どうか根拠を言ってくれ。
 ただ一つ確かなのは、俺はこの話をするべきではなかったという事だ。この話には正解がない。解決策がない。酔っていたとはいえ、するべきではない話だった。俺はそれに関してお前に詫びる。済まなかった。
 昔の俺ならば、「何拗ねてんだよ、とっとと戻って来い!」とでも一言書いて送ったのだろう。しかし残念ながら今の俺はお前が拗ねている訳ではない事を知っている。怒りに任せて飛び出した訳でも、俺を懲らしめるつもりでもなく、ひどく悲しい気持ちでいる事も。大人になるというのは少し不便だが、子供のままでいたいとは俺は思わない。少なくともこんな時「何拗ねてんだよ」と手紙に書いてしまう人間のままでいたくはない。

 お前は今どこの国を歩いているのだろう。欧州に居るのか、それとも南なのか東なのか。お前の容姿は奇妙にどの国にも溶け込む。お前の笑い顔はどことなく東洋のそれに似ているという話をしたのを覚えているだろうか。西洋人を魅了する、あの謎めいた笑顔だ。緑の鮮やかな畑で、作業中の親切な老人に果物を1つ手渡されて受け取っているお前の姿を易々と思い浮かべる事が出来る。俺のようにどの土地へ行っても「別の国から視察に来た偉い人」に見える顔ではない(お前が昔にそう言ったんだ)、お前の顔は何処へ行っても親しまれ易い。……ああ、このセンテンスは何が言いたいのだったか。そう、せめて今どの国に居るのかだけでも教えてはくれないだろうか。俺の名に賭けて追ったりしないと誓う。国の名前だけでも知りたいんだ。

 夜に手紙を書いてはいけないと一般には言われている。冷静を欠いた文章になってしまうからだ。しかし今は夜だ。構うものか。いっそ夜に書いて夜に出してやる。冷静など糞喰らえ。
 こうやって手紙を書いていても、階下で家鳴りがする。あの小枝を踏むような忌々しい音だ。冬がもうすぐやってくるのだろう。会話をしていれば気になる音ではないが、この静かな家の中にいる今の俺は階段を降りてみずにはいられない。そうしてあちらこちらのドアを開けて回らずには気がすまない。居間と自室の往復で、そのうち目を廻してしまう事になるだろう。なので俺は、この手紙を夜に出す。

 ありったけの知人友人に手紙を書かない自制心を、いっそ祝福してくれ。

                              ―S-

追伸:お前の、あの具にもつかない冗談が聞きたい。
   お前のジョークはいつも酷くくだらないが、
   どうしてだかお前の口から聞くと
   とても愉快なことのように思えて俺は笑いが止まらなくなる。
   あれが聞きたい。

   だから帰ってきてほしい、と言ったらお前は怒るだろうか。