その男は、死神と呼ばれていた。
 無論本名ではない。諜報員として、暗殺を主な任務としている内についた呼称である。本名など不用だったその男にとって、必然的にそれが名前となった。
 “デモン”の力を得て、死神の持つ力の特性はますますその異名に相応しいものとなった。
 闇に溶け込み、敵に気配を悟らせることなく近付き、仮に気付かれたとしても明確な居場所を悟られず、確実に標的を殺す。
 芸術的なまでに高められたその殺しの技術は、まさしく彼を死神と呼ばれるに相応しい存在に昇華させた。
 どんな形であっても、彼に狙われたものは、決して逃れることはできない。
 例外など、彼にこの力を与えた者くらいのはずだった。
 では、今の状況は何だ。
 標的を追いつめ、命を奪うことを最も得意とする自分が、逆に追いつめられ、命からがらに逃げ出している。あべこべではないか。
 一体自分は、何を相手にしていたのか。
 氷を操る、銀髪のヴォルクスの王。炎を操る、黒髪の魔女。
 特に氷帝と呼ばれる王の方が手強いのはわかっていた。だが“デモン”の力を与えられ、その中でも最も強い力を得て選りすぐられた彼らの至上任務は、王の抹殺にこそあった。どれほど強大な力を持っていようと、あの氷帝もまた、最終的には死神が狩る標的でしかないはずだった。
 そのはずであったのに、結果はこの通りの惨敗。しかもあの二人は本気を出していなかった。まるで遊ぶような感覚で彼を追いつめ、狩りを楽しんでいた。
 そう、いつの間にか狩人と獲物の立場が逆転していた。
 命を弄ぶはずの死神が、逆に命を弄ばれたのだ。
 これ以上ない屈辱であったが、それ以上に恐怖が勝っていた。
 あの二人は、何かとてつもない――。

「おい」
「――!!」

 突然声をかけられて、心臓が止まる思いだった。
 もう少しで情けなく声まで上げるところだった。
 気がつけば、もう彼を追っていた敵の気配は遥かに遠ざかり、脅威はとうに去っていた。
 醜態を晒しそうになった死神は、声をかけてきた相手を睨み付ける。が、相手はそんなことをまるで気にしてないかのように、面倒そうな顔をしていた。

「おまえ、あの二人をなめてかかったろ。それじゃ、ぼろくそにやられても仕方ない」
「・・・・・・黙れ」
「ま、いいけどよ。それよりちょっと手伝え、お姫様を迎えに行く」



















 

真★デモンバスターズ!MIRAGE



第5話 四番目の少女





















 ユグドラシル計画。
 ある魔法の研究を行うために、神王・魔王両家を含む複数の王家が共同で行っていた計画の名称である。

「人の限界を超えた力を扱うための素体を生み出す方法は、いくつあると思う?」

 その研究のために、3体の実験体が用意された。

「例えば、既に存在している固体を強化してみたり」

 一人、舞台役者のように語るアイリスは、周りの反応を確かめるように視線を移していく。
 最初に反応を見せたのは亜沙。

「例えば、元々大きな力を持っていた個体を複製し、そこにさらなる強化を加えてみたり」

 続いてネリネ。
 蒼白い顔をしたネリネは、信じられないものを見るような目をアイリスに向けていた。全身は小刻みに震え、何かに耐えているかのようだった。
 その様子を満足げな顔で見ながら、アイリスが言葉を紡ぎ続ける。

「例えば、0から新しい個体を作り出してみたり」

 次にアイリスは、プリムラに視線を向ける。
 既にネリネに負けないほど動揺を露にしていたプリムラは、アイリスに見据えられてビクリと大きく体を震わせる。

「ね、プリムラ“姉さん”」

 そう呼ばれると、プリムラの体がよろめき、後ろにいた稟が駆け寄ってその身を支えた。

「い、妹・・・? でも、あなたは・・・・・・あなたは・・・・・・」

 プリムラの示している反応は、ネリネのものと同じだった。まるで何か信じられないような、信じたくないようなものを見るような目をして体を震わせている。
 稟もまた、彼女達が感じているのと、おそらく同じ感覚を共有していた。
 けれどそれは、有り得ない答えだった。
 だからわからない。
 目の前にいる少女は一体、何者なのか。

「ふふふっ、さてここで問題です。この3つ以外の方法で人の身を超えた固体を作り出すとしたら、どんな手段があるでしょう?」

 笑っているのに、アイリスの眼はひどく冷たい色をしていた。
 ネリネやプリムラ、稟のみならず、その場にいる全員が彼女の存在に畏怖を覚えていた。
 そこにいるのは、彼らの理解を超えた存在だった。

「答えはとても簡単。そして合理的。何より、先に挙げた3つの例に付きまとういくつもの欠点を全て解消してくれる画期的な方法。ただ一点、非人道的であるという理由から計画の初期段階で破棄された案」

 一旦言葉を切り、周りの反応を楽しむように溜めを作ってから、飛び切りの笑みを浮かべてアイリスは問いかけとして言葉を続けた。

「キメラって知ってる?」

 知識に乏しい稟でも、その名前くらいは聞いたことがあった。
 記憶を辿り、学校の魔法学の授業で習ったことを思い出す。
 キメラとは即ち、合成獣のこと。
 複数の動物を組み合わせて生み出される魔法生物で、それを何らかの実験に利用したり、従来よりも強力な魔獣を生み出して使役したりするもので、古来から魔法研究で使われてきた技術だった。
 しかしそこには、暗黙の内に定められた一つの禁忌があった。
 それは、人間を組み込んではいけない、というものだった。
 人間を合成したキメラは忌まわしいものとして、外道と言われるような所業をしてきた魔術師や魔女でも、そのほとんどが生み出そうとはしなかったという。

「ユグドラシル計画が立ち上げられた時、最初に提示された案件の中にキメラ技術を利用する項目があった。けれど人間の身体をベースに実験を行うことが決められていたその計画において、それを実行することは躊躇われた。どっちにしろ人間性なんて無視した実験をするくせに、中途半端な倫理観だよね。くすくす」

 キメラ技術の利用という案を破棄した者達を嘲笑うかのようにアイリスが声を上げる。

「結局、他の3つの案だけが採用されたわけだけれど、その裏では密かに、キメラ技術を計画に組み込むための研究は続けられていた。そしてその結果として誕生したのがわたし。人工生命体の四番目、アイリス」

 アイリスは自分の身体を見せびらかすように、くるりとその場で回ってみせる。

「この身は何十、何百という生物を組み合わせて生み出されたもの。強靭な生命力を持った獣の細胞によって形成された肉体は、1号体にあった人の身の限界という壁を容易く突破し、2号体にあった寿命という制約を取り払い、そして組み木細工のように作り上げるという手法は奇跡とまで言われた3号体の完成度にも比肩した。わたしこそ、人の英知の結晶たる人工生命体の最高傑作! ・・・・・・ていうのは、お父様の受け売りだけどね」

 驚くべき告白に、稟達は声も出ない。
 だがまだだった。
 まだアイリスは、大事な部分を告げていない。
 先ほどからずっとその身を震わせているネリネとプリムラを、ここまで動揺させ、稟の心にも深々と何かを響かせてくる理由を。
 もちろんアイリスにもそれはわかっているのだろう。
 たっぷりと稟達の反応を楽しんでから、アイリスは話を続ける。

「前置きが長くなってごめんね。ネリネ王女、プリムラ姉さん、土見稟。あなた達がわたしを見て何を感じているのか、わかるよ。あなた達にももう、その理由は見当がついていると思うけど、教えてあげる」

 そしてアイリスはとても優しげな、けれど残酷な微笑を浮かべた。

「わたしの肉体と魂を構成する要素の中核となっているのは、人工生命体の2号体、リコリスの肉体と魂だよ。正確にはその一部だけどね」

 どさり、と音を立てて、ネリネがその場に座り込む。プリムラも稟が支えていなければ、同じように腰を落としていたかもしれない。
 リコリス。人工生命体の2号体であり、ネリネのクローンとして生まれた少女。
 かつて稟と出会って小さな恋をした少女は、ネリネの無二の親友であり、プリムラにとっては唯一心を開ける姉であった。
 けれどクローンとして生まれた少女の寿命は短く、それが尽きる直前、彼女は身体が弱かったネリネを生かすためにその身を捧げた。そして二つの心を胸に秘めたネリネは、リコリスの想いを叶えるために稟に会いに来た。
 そのリコリスの想いを受け継ぐ者が、ここにもう一人いた。
 稟もまた、既に半ば以上確信を持っていたとはいえ、はっきりと聞かされてショックを隠せなかった。

「リコ・・・ちゃん・・・・・・」
「リコリスお姉ちゃん・・・」

 掠れた声でネリネとプリムラの二人が、かつて共に過ごした少女の名前を呼ぶ。しかしそれに対して――

「違うわ。わたしはアイリスよ」

 優しげな微笑は消え、冷たい眼に憎悪と殺気を滲ませてアイリスが否定の言葉を口にする。
 はじめて会った時から何度か稟と自分自身に向けていた、彼女の最も人間的な感情が見て取れる表情だった。

「わたしの身体の一部が、元は誰のものであろうと、こうして生まれて今を生きているわたしはアイリスだわ。たとえこの身にリコリスの記憶と意思が一部残っていようとも、そんなものわたしは知らない。わたしは、お父様に育てられてきたわたし自身以外の何者でもない。リコリスなんか知らない!」

 溢れ出た感情が無表情な仮面に閉じ込められなくなったのか、アイリスの顔が激しい感情に歪む。
 憤怒と憎悪に彩られた叫び声は、紛れもない彼女の本心からの声だとわかった。
 激しい感情はすぐに引っ込み、人形的な冷笑を再び浮かべながら、アイリスの紅と紫の両眼が稟の両目を見詰める。

「でもね、リコリスの意思は、確かにここにあるの。他の何よりも、土見稟、あなたを求める心が、ここに」

 アイリスの手が、自身の胸に押し当てられる。

「ネリネ王女と融合する直前、密かに分けられ、隠されたリコリスの細胞と魂の一部がわたしの身体を形成する核の一つ。だからここには、リコリスの最後の願いが込められていた。もう一度あなたに、土見稟に会いたいという想いが。わたしにはそれが・・・・・・堪らなく煩わしかった」

 またアイリスの表情が揺らぐ。
 何度も隠そうとしながら、それでも抑えきれない感情が溢れ出ているかのように。
 鋭い眼光が稟を射抜く。

「だってわたしはリコリスなんて知らないものっ。ネリネ王女やプリムラ姉さんみたいに、彼女の想いに振り回されて会ったこともない人に恋焦がれるなんて冗談じゃない! わたしはわたしとして生きて、他の誰のものでもない、わたしだけの恋を見つけるの! だけどどんなに強くそう思っても、リコリスの想いは消えてくれない。だったら、想う相手を消してしまえばいい。土見稟、あなたを殺せば、わたしの心は自由になれる。だからわたしはあなたを殺す。なのに、リコリスの想いが邪魔してわたしにはあなたが殺せない。悪循環。こんなの生き地獄だ! 絶対に認めないっ!」

 今度はもう止まらなかった。
 感情を爆発させたアイリスは、怒りと憎しみの全てを殺気に変えて稟にぶつけてきた。
 彼女がネリネに向けて言った「あなたはもう一人のわたし」という言葉が脳裏に蘇る。確かに彼女は、もう一人のネリネだった。
 リコリスの遺していった想いをその身に宿し、いつか出会うであろう稟のことを想って生き続けてきた二人の少女。けれど二人が行き着いたのは、まったく正反対の道だった。
 ネリネはリコリスの想いを全て受け止め、自らが代わりにその想いを遂げさせようとした。
 アイリスはリコリスの想いを拒絶し、稟を憎み、殺そうとすることで自己を守ろうとした。
 どちらの道も、間違っていると言い切ることはできない。けれどアイリスの選んだ道は、あまりにも悲しすぎた。

「アイリス、君は・・・・・・」
「気安くわたしの名前を呼ばないで、土見稟。いいえ、わたしの前でもうこれ以上口を開かないで。あなたの言葉が、仕草が、その一つ一つわたしの心を苛む。目障りだわ。今度こそ確実に、殺す」

 今まで一番の殺気を込めて、アイリスはその言葉を告げる。
 何度も聞かされたが、今度はもう一切の躊躇いが消えていた。
 たとえ自分の中のリコリスの想いがどんなに邪魔をしても、アイリスは絶対に稟を殺すだろう。
 地面に突き立てた剣の柄を握り、アイリスが一歩前に進み出る。
 その前に、確固たる意思を以って立ちはだかる少女がいた。

「どいて」
「どきません」

 楓だった。

「芙蓉楓。あなたもわたしの邪魔をする気?」
「・・・・・・かつて、身勝手な思い込みで稟くんを憎んで、傷付けた私に、あなたの想いを否定する権利はありません。けど、それでも、稟くんを傷付けることだけは、私が許しません」
「そう。あなたも同じ? リシアンサス王女」

 同じようにシアも、聖剣を構えたままアイリスの行く手を阻んでいた。

「私にも、あなたの言ってることは、少しはわかる。リンちゃんやリムちゃんの想いを否定するわけじゃないけど、やっぱり自分の恋は、自分で見付けたいと思うし、リコリスちゃんの想いが心に残ってるのをあなたが嫌だって思うのも、わかる、と思うけど・・・・・・でも、だからってそれで稟くんを憎んじゃうのは、悲しいって思うし、それに私もカエちゃんと同じで、稟くんを傷付けようとするあなたを放っておけない!」
「うん。きっと、あなた達はそうなんだろうね。わかるよ、シア王女、楓、それにたぶん他の4人も・・・・・・。でもあなた達じゃ、わたしは止められない。わたしは土見稟を殺す。邪魔をするなら、みんな蹴散らすだけよ!」

 すれ違った想いは、決して交わることはない。
 もはや少女達の想いは、互いを否定することでしか遂げられない。
 自分が原因で起こるこの悲しい戦いを止める術を持たない稟は、己の無力にまたも打ちのめされる。
 何が悪かったのか。
 生まれてくる命に罪があるとは思いたくない。たとえ忌まわしいキメラとして生み出された存在でも、アイリスが生まれてきたことを否定はできない。
 では、稟とリコリスの出会いがそもそもの間違いだったのか。
 思えばそれが最初の縁。シアとの出会いも、ネリネとの出会いも、プリムラとの出会いも、全てはあの日、リコリスと出会ったことから始まっている。あの出会いがなければ、後の数奇な運命も起こりえなかったかもしれない。
 けれどネリネと出会い、プリムラと出会って、今でははっきりと覚えているあの思い出は、稟の記憶の中で最も大切な宝物の一つだった。
 あの日出会った少女の笑顔はとても綺麗で、それが間違いだったなどとしたくはなかった。
 ならばこれが運命なのか。
 稟とリコリスの出会いが運命だったならば、そこから育まれた想いによって生じたこの悲しい戦いも必然だと言うのか。
 そんなのは、切なすぎた。

「誰か、止めてくれ・・・・・・」

 ネリネが泣いていた。プリムラも泣いていた。
 亜沙と桜も言葉を挟むことはしないが、悲痛な面持ちでじっと話を聞いていた。
 シアと楓の顔には稟を守るという強い決意が浮かんでいたが、その心はやはり涙を流しているように見えた。
 そしてアイリスの仮面のような冷たい表情の奥、怒りと憎しみに隠れた場所にも、悲しみがあった。

「こんな戦いは、やめてくれ!」

 誰も、望んでいないのだから。
 なのに、稟には、何もできなかった。
 ただ声を張り上げ、涙を流すことしか、できなかった。

 その時だった――。

 夜空の闇の中から染み出た何かが、突風となって地面に吹きつけた。
 稟は巻き起こった風に飛ばされないよう、プリムラを抱えてその場で身を屈める。亜沙と桜も稟の両腕にしがみ付き、ネリネも地面に深く伏せていた。
 敵を目前にしたシアと楓、それに相対するアイリスは風に煽られながらも、構えた剣を下ろそうとはしなかった。そんな両者の間に、風に乗って上空から何かの塊が落下した。
 それと同時に風で舞い散ったのは、桜の花びらだった。
 誰もが目を見開く。
 まったく想像していなかった人物の登場に、皆驚きを隠せずにいた。唯一、彼を知らない桜を除いては。
 桜吹雪が晴れると、その姿をはっきりと目にすることができた。
 戦いの間に割って入り、剣を振り上げたアイリスの手を掴んでいるのは――、

「純一!?」

 行方知れずだった、朝倉純一であった。



「案の定というか・・・かったるい状況になってんな・・・・・・」

 その場にいる顔ぶれを一人一人見ていきながら、純一は深々とため息をついた。
 できることならこういう場面に立ち会いたくはなかったのだが、既に事情を知ってしまっている今、この場を穏便に収めるようアイリスを止めることができるのは自分だけだろうというのもわかっていた。
 最初から何事もなければ楽だったのだが、そこはアイリスにきちんと釘を刺しておかなかった自分の失策だった。ついでに目を離すべきでもなかった。
 お陰でこんな修羅場の真っ只中に突っ込む羽目になるとは。
 実にかったるいの極みであった。

「おまえ、何やって・・・」
「わ、純一だ」
「・・・・・・・・・わ、純一だ。じゃねぇ」

 呑気な声でわざとらしく驚くアイリスの頭に軽くチョップを打ち込む。
 叩かれながらアイリスは楽しげに笑っていた。怒られている自覚はまったくないらしい。
 純一も本気で怒っているわけではなかったが。
 アイリスの態度は、悪戯を叱られながらまるで悪びれていない子供のそれだった。

「怒っちゃやだ〜、純一〜」
「猫撫で声出しても無駄だ。あととりあえず剣しまえ、重いから」
「ん」

 振り下ろしかけた剣を持った手を押さえていたため、剣の重量の一部が純一の腕にも負荷をかけているのだ。支えている重みは全体の半分にも満たないだろうに、見た目どおり凄まじい重量の武器だった。
 パッとアイリスが柄から手を離すと、大剣は落下することなく、その場で掻き消えた。
 元々この剣は、アイリスが自身の魔力を物質化して作り出したものなので、出すのも消すのも自由自在だった。

「まぁ、言いたいことは山ほどあるが説教なんて柄じゃないから全部省略。帰るぞ、アイリス」
「お父様は何て?」
「放蕩娘に首輪つけて引っ連れて来い、って」
「嘘。お父様そんなこと言わないもん。でも、純一がしてほしいならつけようか? 首輪」

 ほんのり頬を染めながら上目使いで聞いてくる。
 一瞬脳裏に浮かんだ、首輪に加えて何か色々なオプションをつけて「ご主人様」とか言ってるアイリスの姿をちゃっちゃと掻き消す。

「却下だ。とにかく連れ帰れってさ。だから帰るぞ」
「うん、純一がそう言うなら帰るよ♪」

 ニコッと笑みを浮かべて、アイリスが純一の抱きつく。
 二、三度腕を振っても解けなかったので、諦めて好きなようにさせておくことにした。できればあまり長いことここに留まりたくはないので、些細なことに構っている暇はなかった。



 稟は唖然としていた。
 もちろん稟だけでなく、シアや他の皆も同じだった。
 あまりの変わり身の早さというか、前後のギャップの激しさに、先ほどまで頭の中を締めていた感情が全て吹き飛ぶ思いだった。
 激情に任せて震えんばかりの殺気を撒き散らしていた少女は、たった一人が現れただけで態度を急変させていた。
 あれほど固執していた稟がまるで眼中にないかのように、アイリスは純一にじゃれ付いて甘えている。
 そちらのインパクトの方が大きくて、いきなり純一が現れてしかもアイリスと親しげにしていることに対する驚きが二の次となってしまった。

「あ、あの・・・純一君?」

 どうにかショックから立ち直って最初に純一に声をかけたのは、楓だった。

「む。むぅ〜・・・・・・・・・よう、久しぶり、おまえら」

 できれば声をかけてほしくなかった、とでも言いたげな顔で振り返った純一は、片手を挙げてそう言った。
 それでようやく稟達の硬直も収まった。

「久しぶりっておまえ、行方知れずになってたんじゃ・・・・・・っていうか滅茶苦茶心配したんだぞ!?」
「そうだよ! いったい今までどこに・・・・・・それに何でアイリスちゃんとそんな仲良さそうなの?」
「説明してやりたいが、面倒だから却下だ」

 純一らしい回答で、変わってないことにホッと安心する部分もあったが、それとこれとは話が別で、却下と言われてこの状況で納得できるはずもなかった。

「人の心配を却下の一言で跳ね除けるな!」
「純一君のこともそうですけど、ことりちゃんは大丈夫なんですか?」
「俺もことりも普通に無事だ。問題ない。だから気にするな」
「じゃあ、今どこにいるの?」
「それは秘密だ」

 再会を喜ぶべき場面のはずなのに、稟達も純一も、互いに近付くことをしなかった。
 先ほどまで戦っていたアイリスの存在ももちろんあったが、純一自身から稟達の側に対して壁があるような感じがしたのだ。
 仲間同士であるなら普通は感じないだろう壁の存在が、今の微妙な距離感を生んでいた。
 そんな中、ネリネが躊躇いながら前に進み出る。

「あの、朝倉様・・・・・・その子、は・・・」

 驚きが重なって忘れかけていた問題を、ネリネの言葉で皆が思い出す。
 アイリスの正体、その想い。
 つい先ほどまで、この場での最大の焦点はそれだったはずだ。
 純一の乱入であやふやになりかけていたが、誰よりもネリネはそのことを忘れてはいなかった。
 ネリネの視線を受けたアイリスの眼がスッと細められるが――。

「こいつが迷惑かけたな、すまん」

 純一がアイリスの頭に手を置いて軽く押さえつける。
 頭をくしゃくしゃ撫でられたアイリスはじたばたしながらも楽しそうだった。一瞬見せかけた先ほどまでと同じ殺気はすぐに形を潜めた。

「おまえらも聞いたろうが、俺もこいつの事情は知ってる。だから自重しろとも言えなくてな。今後は目を離さないようにするよ」

 その言い分には、アイリスの想いを容認しているようなニュアンスが感じ取れた。
 彼女の生い立ちと、そこから生じた稟への殺意。それらを純一は認めていた。それに気付いた楓達は、純一の考えに少なからず動揺する。
 結果として純一は、アイリスが稟を殺そうとするのを止めた。
 けれどアイリスが稟を殺すというのを、否定したわけではない。
 おぼろげだった壁の存在が、より明確になって現れる。
 この場において純一は、アイリス側なのだ。稟達と敵対していたアイリスの味方ということは、つまり今の純一は――。

「純一君は・・・・・・稟くんの敵、なんですか?」

 彼らの中で一番純一との付き合いが長く、その性格をよく理解している楓が、躊躇いがちに尋ねる。

「ま、今のところはそういうことだ」

 純一はあっさりと、その問いを肯定した。

「は・・・・・・敵って、おまえ、どういうことだよ?」
「言葉どおりの意味だぞ。俺個人がどうとかはさておき、俺はおまえらの敵の味方についた。だから間接的に、俺とおまえらも敵同士だ」
「何だよ、それはっ。ついこの前まで一緒にいただろう? それに俺以上に、楓やネリネとはもっと前から一緒に旅してた仲間だったんだろ? だったら!」

 仲間だと、友人だと思っていた相手にいきなり敵だと言われて、はいそうですか、と納得できる稟ではなかった。
 現に純一は、稟の命を狙っているアイリスの傍らにいて、両者の間には壁の存在を感じられているが、それですぐに敵と割り切れるほど、稟はこうした状況に慣れてはいないのだ。
 よくも悪くも稟が生まれてから送ってきた十数年は、多少の波乱はあっても平凡なもので、昨日の友が今日の敵などという世界をすぐに理解しろというのが無理な話だった。
 だから純一が敵だと言われてもそれが受け入れられず、否定の言葉が聞きたくて声を荒げてしまう。

「何で平然としてそんなこと言えるんだよっ、おまえ!」

 純一が敵であるという事実もそうだが、そのことにまるで心を痛めていない純一の心情も理解し難いものだった。

「おまえは考え違いをしているぞ、稟」

 それに対する純一の態度は、冷淡なものだった。

「俺達の関係はおまえらみたいな仲良しグループとは違うんだ。俺と祐漸はそもそも出会った時は敵同士だったし、さやかも連也も、そして楓も皆何となく一緒に行動していただけの間柄だ。もちろんそれなりに親愛の情はあったけど、仲間でいる明確な意味があったわけじゃない。特に稟、おまえを見付けたことで楓への義理も果たした今となってはな。目的が変われば、俺達は敵同士にもなる」
「・・・・・・なんだそれ、全然わけわかんないぞ・・・」
「おまえが理解する必要もないが、頭でわからないなら体にわからせてやろうか。構えろ、稟」
「は? なにを・・・・・・」

 聞き返そうとした瞬間には純一は動き出していた。
 繰り返し行ってきた稽古によって体に染み付いたもので、稟は反射的に防御の姿勢を取っていた。

 ギィンッ!

 剣戟の音と共に、桜色と金色の光が弾け合う。
 手加減なしの一撃を受け止めた稟は、押し寄せる圧倒的な力の奔流に吹き飛ばされそうになる。剣の稽古で純一と鍔迫り合いをしたことは何度もあったが、祐漸すらも倒したという桜華仙の力をまともに受けるのははじめてだった。
 相手の剣が放つ力に呼応するかのように輝きを増すカリバーンから溢れ出る光が稟を身を包み、それが力となって何とかその場に踏み止まる。
 時間にすればほんの数秒ほど。
 互いにほぼ互角の鬩ぎ合いをした後、純一は踏み込んできた時と同様、誰も反応する暇もない速度で元の位置まで下がっていった。
 力の激突から解放された稟が膝をつくと、ようやく周りで見ていた皆が事態を把握して驚きを露にする。
 特に、稟の前に立っていたはずなのに正面からの打ち込みを防げなかったシアと楓の戸惑いは大きかった。

「稟くんっ、大丈夫ですか!?」
「え? ちょ・・・・・・い、今の何!?」

 その様子を見て、純一の傍らに立っているアイリスがくすくすと笑う。

「二人とも油断しすぎ。今のがわたしだったら、土見稟は真っ二つだよ。くすくす・・・っぁいた」

 純一のチョップを受けてアイリスが黙り込む。
 当の純一はといえば、既に剣を納めており、今さっき攻撃を仕掛けたことなどもう忘れたかのような様子になっていた。
 逆に稟と少女達の戸惑いはさらに強まっていた。
 頭では事態を理解していても、心の内では仲間であったはずの純一が現れたこと安心した部分があった。
 それが今の一撃で、否が応でも純一の言い分をわからせられた。

「いい剣を手に入れたみたいだな。今の打ち込みに対する反応も合格点だ。もう俺が教えることはないな」

 決別の言葉。
 これまでの関係を切り捨てるて踵を返す純一に、稟はもうかける言葉を見付けられなかった。
 どんな風に呼び止めても、稟達の言葉ではもう純一を振り返らせることはできない。
 もし、それをできる者がいるとすれば――。



「おい。せっかく顔を出しておいて挨拶もせずに帰るつもりか」



 思い切り、失敗した、という顔で立ち止まる純一。
 本当ならアイリスを迎えに来ただけでさっさと立ち去るつもりだったのだが、少し稟達を相手にお節介を焼き過ぎて時間をかけてしまったようだった。
 できることなら、この場では会いたくなかった相手が出てきてしまった。
 渋々、純一は体半分だけ振り返って声の主へ顔を向ける。

「祐漸」

 広場の入り口に立って純一を見据えている祐漸と、その傍らに立つさやか。
 二人ともこの状況に対する戸惑いはまったく見られなかった。
 むしろ楽しそうにさえ見える。
 いや絶対にあれは楽しんでいる、と純一は断定し、ますますかったるい思いを抱いた。
 このまま何も言わずに立ち去ってしまおうかとも思ったのだが、さすがに顔を合わせてしまった以上それも気まずい。何か気の利いた台詞の一つも残していくべきだろうか。
 考えている間に、相手の方が先に口を開いた。

「どこをほっつき歩いているかと思えば、随分おもしろい登場の仕方をしたものだな」
「いやぁ・・・・・・それほどでも」
「その立ち位置は、いつぞやの決着を付けようって意思表示と思っていいのか?」
「待て待て。決着も何もあれは俺の勝ちだろう」
「細かいことを気にするな、たわけが」

 口元を吊り上げながら話す祐漸は本当に楽しそうだった。
 もしやとは思っていたが、まだはじめて会った時に負けたことを根に持っているようで、敵に回ったのをいいことに、あの時のリベンジを果たそうと思っているのかもしれない。
 ただ隣にいるさやかも「わたしも一度純ちゃんと戦ってみたかったんだよね〜」など言っていることから、単純に戦いたいという欲求があるだけという可能性もあった。
 どちらであれ、純一はここで彼らとやりあう気は毛頭なかった。

「細かいことかどうかは色々議論したいところだが、一先ず俺はおまえと戦う気はないんだ。今日はこのまま帰らせてもらうぞ」
「帰れると思っているのか?」

 予備動作もなしに、瞬間的に発現した祐漸の力によって生み出された氷柱が純一目掛けて降り注ぐ。
 迫り来る攻撃に対し、純一は一歩も動かず――代わりにその前に躍り出たアイリスによって、氷柱は全て払い落とされた。

「む」

 全力ではなくとも、手を抜いたわけでもない攻撃をあっさり防がれて、祐漸の表情が僅かに変化する。

「ダメだよ、祐漸様。純一は戦う気はない、って言ってるんだから。遊びたいならわたしが相手してあげるよ?」

 挑発的な言葉を投げかけるアイリスを、細めた目で祐漸は見据える。
 その瞳には、何かを感じ取ったような色が見て取れた。
 さすがに鋭い洞察力を持った男だった。元々ユグドラシル計画に深く関わっていたこともあるという祐漸は、当然リコリスとも面識があったはずだった。だからアイリスを見て、すぐに両者の関連性に対して思い当たったのだろう。
 けれどそれについては何も言うことはなく、さらなる攻撃を加えるべく魔力を練り上げていた。
 ここで祐漸とアイリスが本気で戦うようなことになれば、ただでは済まない。
 本人達ももちろんだが、周りに与える被害も洒落にならないだろう。
 純一は素早くアイリスの首根っこを掴んで引き寄せる。

「わわっ」
「ほら、面倒を起こすな。とっとと帰るぞ」
「はーい」

 素直に返事をするアイリス。
 純一は桜華仙を鞘から数センチほど引き抜くと、そこから流れ出た桜色の光で二人の体を包み込む。
 視界が桜の花びらに覆われる。
 祐漸は一瞬攻撃する構えを見せたが、無駄と悟ったかすぐに力を抜いた。
 稟達は相変わらず成り行きについていけず、呆然と純一達の姿を見ているだけだった。
 去り際、アイリスが静かな視線を稟へと向ける。

「そんな変な顔しないでも、土見稟。今度会ったら、ちゃんと殺してあげるから」

 そうして、純一とアイリスはその場から姿を消した。















 そこは、一見するとただの宮殿だった。
 さもありなん、それはヴォルクス九王の一人たる男が所有する別邸の一つなのだから、それに相応しい外観をしていてもまったく不思議ではない。
 まさかそんな邸宅で、デモンなどという得体の知れない存在の研究が行われているなど、誰も考えもしないだろう。

「一歩中に入れりゃ、一目瞭然なんだがな」

 扉を潜った先は、魔境そのものだった。
 華美な調度品に彩られた室内に妖気が漂う様は、実に不気味である。

「ん? 何か言った、純一?」
「なんでもねーよ」

 純一としては当然のようにこの空気は好かず、屋敷の主が過ごす本館とは別にある別館の方に部屋を用意してもらっていた。
 別館の方にはこんな妖気は漂っていない。何故ならデモンに関する研究が行われている場所は本館の地下にあり、その存在が外に洩れないよう、本館全体に結界が張られているからだ。
 アイリスはそんな空気をまるで感じていない様子ですいすい屋敷の内を進んでいく。
 その足が不意に止まる。
 向けられた視線の先を追うと、広いリビングの一角にいる少女の姿を見付けた。

「ことり」
「あ、純一くん」

 物憂げな表情でぼんやりしていたことりは、純一の声を聞いて立ち上がり、二人の方へ向かってくる。

「おかえりなさい、純一くん。・・・・・・アイリスも」
「ん」

 何か含むところがありそうな視線を交し合うことりとアイリス。
 純一はあえてそれを見なかったことにする。

「向こうで待ってれば良かったのに」

 本館の空気は、ことりも好ましく思っていないはずだった。それにこちらにはあまり人がいない。別館の方には、ことりと気の合う使用人が何人かいるため、そちらの方がずっと居心地がいいはずだった。

「うん。でも、戻ってきたらまずこっちに来るだろうって思ったから」
「まぁな」

 形式上は、今の純一はこの屋敷の主の客分ということになっている。少なくとも、何も知らない屋敷の使用人達はそう思っているため、最低限の礼儀は示しておかなくてはならない。
 それに今回はその男の頼みで出かけていたため、戻ったらそのことに関する報告を最初にするのが義務だった。
 かったるい話だが、ここへ来ることを承諾したからには、その程度の筋は通すことにしていた。
 そんな自分の都合にことりを巻き込む形になっているのは心苦しいのだが、ことり自身が何も言わないため純一の方からも特に言うことはなかった。

「とりあえず、俺はあの男に会ってくる。すぐ済ますから、もうちょっと待っててくれ」
「はい」
「行くぞ、アイリス」
「あ、わたしちょっと用事あるから先に行ってて」
「は?」
「すぐに行くから、ってお父様に言っておいて」
「・・・わかったよ」

 少し訝りながら、純一は屋敷の奥へと向かった。



 純一が去ったリビングの片隅で向き合うことりとアイリスの間に静寂が下りる。
 どんな表情をすればいいか決めかねているような複雑な面持ちのことりに対して、それを見据えるアイリスの眼は純一がいる時には決して見せない冷たさを孕んでいた。
 しばらく黙ったまま見詰め合っていたが、空気に耐えかねてことりが視線をそらすと同時にアイリスが口を開いた。

「ことりはさ、何がしたいの?」
「何って・・・どういうこと?」
「不満そうな顔してる」
「そんなこと・・・・・・」

 顔色を見られまいと、ことりはさらに顔を背ける。
 アイリスは一歩踏み込んでさらに詰め寄る。

「純一の傍にわたしがいるのが気に入らない。そもそも純一がここにいること自体快く思ってない。違う?」
「別に・・・純一くんがそう決めたことなら・・・」
「嘘。それで納得なんかしてないでしょ」

 ことりは俯いて唇を噛む。
 心の中を見透かされているようで気分が悪かった。
 けれど、アイリスの言葉を肯定する気も起きない。

「何もかも中途半端だよ、ことり、あなたは。純一のやることに不満があるならはっきりそう言えばいい。純一の決めたことに黙って従う気ならそんな不満そうな顔しなければいい。どっちつかずで、見ててイライラする」
「そんなこと、あなたに関係ないじゃない」
「わたしは純一のことが好きだよ」
「っ!」
「それと同時に、わたしはお父様のために生きている。だから純一がお父様の下に来てくれて嬉しい。もしそうしてくれなかったら、その時は力ずくでもわたしの傍に来てくれるようにしたろうね。だってこれはわたしの、わたしだけの恋だもの」

 わたしだけの恋。
 そう語るアイリスの境遇はことりも聞いていた。他人の想いを背負って生まれてきた彼女が、自分だけの想いを手に入れたいと言う気持ちも理解できた。
 だからアイリスが純一に対して見せる態度に関しても、ことりはここへ来てからずっと何も言わずにきた。
 けれど、面と向かって純一のことが好きだと言われて、心がざわめいた。

「そんな半端な態度取ってると、わたしが純一をとっちゃうよ」
「それはダメ!!」

 声を張り上げたことりは、アイリスの表情を見てハッとなる。
 先ほどまでの冷笑を浮かべた顔とは打って変わって、親しみを込めた笑みを満足げに浮かべていた。

「やっと本音を見せてくれたね。そうじゃなきゃ張り合いがない」
「何で、そんなこと・・・」
「お父様の考えがどうとか、純一がどうしてお父様の下へ来たのかとか、そんな男の人達の考えなんて、わたし達には関係ない。女には女の戦いがある。そうでしょう、ことり」
「アイリス・・・・・・」

 真っ直ぐ見据えてくるアイリスの眼を、ことりはまだ少し迷いを残しながらも正面から見つめ返す。
 純一の考えはわからない。それに対して、自分がどういう態度を取ればいいのかも。
 けれど一つだけ、揺るぎない想いがことりの内にもあった。

「その上で言うよ。純一は、わたしがもらうよ」
「・・・・・・わたさないよ。私にとっても純一くんは、この世でたった一人の人なんだから」
「じゃあ勝負だね。どっちの想いが強いか、どっちの想いに純一が応えてくれるか」
「絶対、負けません」



 一度は立ち去ったかに見せた純一は、途中で引き返して、火花を散らす二人の様子を物陰から窺っていた。
 まさかとは思ったが、アイリスがことりに対して危害を加えないとも限らなかったので様子を見ようと戻ってきたのだが、それ以上に厄介な場面に出くわしてしまったようだ。
 祐漸ならばともかく、自分を挟んでこのような修羅場が展開されるとは思いもよらなかった。

「・・・ったく、かったりぃな・・・・・・」

 問題は山積みだというのに、一番身近にある問題が一番始末に負えなそうだった。
 けれど、純一がここへ来た目的の一つを果たすためには、きっとこの問題とも向き合う必要があるのだろう。
 本当に、厄介な話だった。

「とりあえず、この件は先送りだな」

 二人には悪いが、今は他に片付けるべき問題があった。
 もっとも、それについて悩む必要があるのは純一ではない。それを為すべきは、稟だ。
 純一はせいぜい、稟が他のことで頭を悩まさず目的に向かって突き進めるようにするだけだった。そのためにはもう、アイリスを稟に会わせない方がいいだろう。逆に言えば、純一にできるのはそれくらいのことだ。
 あとは祐漸辺りが何とかするだろう。

「がんばれよ、稟」

 がんばって――神王と魔王を倒すことだ。
 突拍子もない話だが、それで稟はこの国の王になる。それが唯一、この国に長く根付く争いの火種を消す道へと続く扉を開く鍵だった。
 そのための力は手に入れた。
 覚悟もあると言った。
 道を切り開く、仲間達もいる。
 あとはもう、前へ進むだけだった。
 たとえその先に求める理想が、儚い蜃気楼のように望み難い未来だとしても――



















あとがきらしきもの
 さて残念ながら・・・・・・ここで一旦この話はお休みです。何を今さらってくらい長い間放置気味だったわけだが、そんな状態でも進めよう進めようと言ってうやむやにしてきたものの、ここらで二次創作活動そのものを全面休止にしようと決めてこうなった。元々旧デモンシリーズが終わった時点で止めようと思っていたものを再開してずるずるやってきたのが失敗っぽかったのかな、とも思ったり思わなかったりするわけで、それでも今回も“休止”とするのは自分的にもここで終わっちゃうのはいまいち納得いかない部分があるからであり、いずれ何とかする日もくるかもしれない。
 この先の展開としては・・・・・・稟を神王・魔王に会わせるべく戦場へ向かう祐漸一行、それを阻む冥王ハデス配下のデモン軍団。それを退けて王達の下へ辿り着いた稟は、二人からその覚悟と器を試されることとなる。一方デモンの正体が太古の昔に生まれた世界の敵たる悪意の塊と判明し、大いなる力を秘めたデモンの王の復活を阻もうと、祐漸達はもう一つの天上世界へと向かうことになる。そこで明かされる謎と、迫り来る脅威、そして繰り返される熾烈な戦い。やがて人類とデモンは互いの存亡を賭けた戦いへと突入していく・・・・・・と、大筋はこんな感じ。