手を伸ばす。
 柄に手を触れ、握り締める。はじめて手にするものなため、何度か握り直して感触を確かめる。思ったよりもすんなりと手に馴染む印象だった。
 一度手を離し、深呼吸をする。
 身体をほぐすように腕を回しながら、目の前にあるものをよく観察する。
 剣だった。
 桜華仙のどこか有機的な雰囲気とは違う、またレヴァンテインの荒々しい感じとは対照的に、流麗なフォルムをした両刃の剣である。柄から唾、刀身に至るまで黄金の装飾が入っているが、それでいて華美に過ぎるということがない。およそ騎士剣と呼ばれるもので、これほど完璧な印象を受けるものは他にないであろう。
 稟の眼前にある剣は、そういう代物だった。
 けれどそんな見た目の印象とは裏腹に、岩に垂直に突き立った剣からは何ら特別な力のようなものは感じられなかった。桜華仙やレヴァンテインが、鞘に納まった状態でさえ確かな存在感を持っていたのに対して、この剣はまるで生きている感じがしなかった。
 ただの、綺麗な剣、なのだ。
 本当にこれが、四大宝剣と呼ばれるものの一つなのか、剣に関してそれほど詳しいわけではない稟でも疑いたくなる。

「んーむ・・・・・・・・・よし」

 考えていてもわからないものはわからなかった。
 稟が祐漸から言われたのは、この剣を手に入れてこい、ということだけだった。
 ならば、まずは行動である。
 改めて稟は剣の柄に手をかけ、一度深く息を吸い込んでから、思い切り力を込めた。

「――ふんっ!!」

 剣は――ビクともしなかった。



















 

真★デモンバスターズ!MIRAGE



第2話 岩に突き立つ剣





















 ホワイトガーデンが襲撃を受けて炎上した日から、2週間が経過していた。
 祐漸とさやかが予め施しておいた仕掛けを利用した転移魔法で燃え上がる館から脱出した稟達は、今は北王領をずっと南下し、さらに東へ進んで大陸中央よりやや東よりに位置するヒューム最大の国、ネーブル国へとやってきていた。
 そこで稟達は、光陽町壊滅の時以来生き別れとなっていた学友達、緑葉樹と麻弓・タイム、それに幼馴染の八重桜と、約一年半ぶりの再会を果たした。

「やぁ、稟。しぶとく生きてたみたいだね。もし死んでたらシアちゃんや楓ちゃん達の面倒は俺様が責任を持って見るつもりだったけど。ま、とりあえず良かった と言っておくよ」
「いったいどこをほっつき歩いてたのか、後でじっっっくり聞かせてもらいたいのですよ」

 久しぶりだったというのに、挨拶よりも先に軽口が出る辺り、樹も麻弓も相変わらずで安心をした。
 桜はと言えば、会った時は笑顔で再会を喜んでいたのだが、話している内に感極まったのか泣き出してしまい、それにつられて楓も一緒になって泣いてしまったものだから大変だった。

「良かった・・・。稟くんが無事で、生きててくれて、本当に良かったよぉ・・・・・・」
「はい、はいっ。本当に、本当に、良かったです!」

 両側から稟にしがみ付いて泣きじゃくる二人の幼馴染に、最初は困っていた稟だったが、やがて穏やかな表情になって二人の好きなようなさせていた。
 その様子をシア達は羨ましそうに見ていたが、二人の気持ちを察して遠くから見守るだけに留めていた。
 同じようにネーブル国へ来て再会したバーベナ学園時代の恩師、紅薔薇撫子には思い切り背中を叩かれた。その後しばらく説教を受けて最後に一言。

「とにかく無事で良かった」

 そう言われた時、稟は素直に「はい」と頷いた。
 改めて自分は、大勢の人に愛されていて幸せだと実感した稟であった。
 あったのだが。
 実はもう一つの再会があった。
 かつてのバーベナ学園四大親衛隊の面々が、樹達と同じようにネーブル国へ避難してきていたのだった。
 ずらりと並んだ彼らの姿と、そこに張り付いた無数の素敵な笑顔を見た時、稟は妙に清々しい気分で笑顔を作り、同時に回れ右をして駆け出した。
 即座に怒涛の勢いで追ってくる親衛隊。ネーブル国の首都にその後長く語り継がれることとなる、バーベナ学園名物・ネーブル国出張編の幕開けであった。
 親衛隊一同は揃って、

「無事で何よりだ土見稟!」
「貴様は我らの手で直々に引導を渡してくれる!」
「覚悟ーっ!」

 などと叫びながら街中に至るまで喜々として稟を追い回した。
 これも一つの愛情表現なのであろうか。
 結局、いい加減体力の限界というところでネリネとキキョウの魔法攻撃によって親衛隊は無残に散らされたが、吹き飛ばされることすら懐かしいのか、屍を積み上げた彼らの顔は 一様に満足げで、嬉しそうであった。
 そんな騒ぎに始終した日の翌朝、遅れて到着した祐漸に連れられて、稟はネーブル国の城へと向かった。
 ネーブルは大分前に王制を廃しており、実質的な政治の中心は別の場所へ移っていた。城と、そこの管理者として国の象徴的存在となっている王は、国政においてはほとんど権限を持たない。それでもネーブルの城が残っており、王という管理者が残っているのは、そこにある物が保管されているかららしい。
 王への挨拶もそこそこに、稟が連れてこられたのは奥まった場所にある広場だった。
 周囲を高い壁で囲まれた広場の中心には一つの岩があり、そこに流麗なフォルムの一振りの剣が突き立っていた。

「あれは?」
「四大宝剣の一つ、聖剣エクスカリバーだ」
「ええっと・・・何でしたっけ、それ・・・?」

 疑問を返すと、白い目で睨まれた。
 どうやら有名なものらしい、と稟は頭の中から必死にその単語を探し出す。

「ああ! 確かエリスさんの剣もその四大なんちゃらとか・・・・・・」
「おまえは時々とてつもないたわけに見えるな」
「面目次第もありません」
「四大宝剣はこの国に今ある文明が栄えるよりも前の時代から存在しているという、言うなれば神々の遺産だ。現状、持ち主が定まっているのはエリスのレヴァンテインだけだがな」
「じゃあ、これは? このネーブル国のものじゃないんですか?」
「ネーブルの王は管理をしているだけだ。相応しい持ち主が現れるまで、な」
「ほう・・・・・・」
「こいつは四大宝剣の中でも特別で、かつて唯一この大陸を統一した覇王が手にしていたという伝説の聖剣だ。そのことから“王者の剣”とも呼ばれ、以来これを手にした者は最も王に相応しき者とされるようになった。現に、史上この剣の持ち主となった者は、いずれも歴代の神王・魔王の内でも抜きん出ていたという」

 説明を受けている内に稟にも段々とその剣の凄さがわかってくるような気がした。
 目を細めて、まじまじと岩に突き立っている黄金の剣を見る。
 だが、いくら目を凝らして見ても、稟にはそれはただの綺麗な剣にしか見えなかった。純一が持っていた桜華仙や、同じ四大宝剣だというエリスのレヴァンテインは、鞘に納まった状態でさえわかるほどの存在感があった。
 この剣からは、そうした凄みがまるで感じられない。
 単に稟がそうしたことに疎いだけかもしれないが、それなら桜華仙やレヴァンテインの凄さもわからないだろう。
 素人でもわかるほどの力を秘めていればこその“伝説の剣”だった。
 では、この剣はどうなのか。

「持ち主の定まっていない今のこの剣は休眠状態にある。主もいないのに己の真価を見せる気もないんだろう」
「なるほど」

 よくはわからなかったが、それで納得しろということらしかった。
 そうなると次なる疑問は、何故こんなところに稟を連れてきたのか、だった。

「おまえ、その剣を抜け」
「はい?」
「相応しい持ち主以外には岩から引き抜けんそうだ。だからおまえがその剣の持ち主になって、王者の剣を手に入れろ」
「あ、あの・・・話が見えないんですが、何故そういう話に?」
「おまえがどうしようもなく弱いからだろうが、たわけ」
「うぐ・・・・・・」

 返す言葉もなかった。
 いくらガーデンで過ごしている間ずっと純一に剣を稽古を受け、それなりの腕前になったとはいえ所詮は付け焼刃。そんなにすぐに劇的に強くなれるはずもなかった。それは先の襲撃でも痛感したことだった。
 稽古でそこそこの腕前を披露したところで、祐漸達が戦っているレベルにおいてはまるで役に立たない。
 それが稟の実力というものだった。

「聞け、稟」
「・・・・・・はい」
「この剣を手に入れ、使いこなせるようになれば、おまえは俺に匹敵するほどの力を手に入れる」
「え!?」
「冗談だ。せいぜい俺の足下止まりだ」

 かなりびっくりした。
 祐漸が戦うところを実際に見たわけではないが、他の皆からこの男の強さはたっぷり聞かされていた。
 神王・魔王とすら同格と言われる男に、剣一本手に入れたくらいで並べるのだったら苦労はなかった。
 けれどはたと気がつく。
 今祐漸は「せいぜい俺の足下止まり」と言った。つまりこの剣を使いこなせば祐漸の足下までは届く、と。
 たかが足下、されど足下。今の稟と祐漸の歴然たる力を差を鑑みれば、それはもしかするととんでもないことなのではなかろうか。

「一介の剣士がどれほど技巧を凝らしても王には及ばん。だがな、その絶対的な隔絶を容易く埋めるのが、四大宝剣が神々の遺産たる所以だ」
「そんなに・・・すごいんですか?」
「ああ。これを手にすればおまえは、王の領域へと達する道を得る。そうしておまえはようやく、舞台に上がる資格を得るわけだ」
「舞台に、上がる・・・・・・」

 この半月の間に、状況はさらに動いていた。
 ヴォルクスの大軍勢は着々と集結し続けており、今や魔王の出陣を待つばかりというところまできている。
 また対するソレニアも、僅かに遅れて軍勢を集結させ始めており、そう遠くない内に両軍の衝突が起こることは明白であった。
 その報せを受けた時に稟が真っ先に感じたのは、止めなくては、という思いだった。
 政治的なことも、戦争のことも稟にはさっぱりわからない。ただ一つ確かなのは、かつてない大軍同士の衝突が起ころうとしていることと、そうなれば大勢の人間が死ぬということだった。
 両親が死んだ時のことを思い出す。それによって受けた深い悲しみ、同じように母親を失った楓の行き場のない絶望を殺意に変えさせて一身に受けた時のこと、そして光陽町が襲われて皆が離れ離れになった時のこと。
 どれも身を引き裂かれる思いだった。
 それを、大勢の人が味わうことになる。そんなのは許せなかった。
 ましてやそれを成そうとしているのは、稟のよく知る人達だった。そのことを知った時の、シアのネリネの驚きと悲しみに彩られた表情にも居た堪れない気持ちになった。
 戦いを起こそうとしている二人、神王ユーストマと魔王フォーベシィ。
 彼らを止めなくてはいけないという使命感が、稟の中で沸々と湧き上がっていた。
 けれどそれを成すためには、稟はあまりにも無力だった。
 常人と隔絶した力を持った王達と、それに従う大軍勢が集う舞台に、稟のようなただの小僧の出る幕はなかった。
 ただの小僧のままならば。
 そうでなくなるための力が、舞台に上がるための視覚が、今稟の目の前にあった。

「聖剣、エクスカリバー・・・・・・」
「手に入れてみせろ。おまえに成すべきことがあるならな」

 祐漸は踵を返し、その場から立ち去った。
 稟は岩に突き立った剣をじっと見据える。
 一介の剣士、否、それにすら及ばない見習いでしかない稟が、最強の王達が集う舞台へ上がるために必要なもの。
 絶対的な隔絶を埋めるための、力。

「・・・・・・ふぅ」

 気持ちを落ち着ける。
 剣を取る時に何より注意すべきは、乱れた心で剣を取らないことだと純一に教えられた。
 たとえ頭に血が上っている時でも、剣を持つ心だけは常に平静であれ、と。
 でなければ、剣は何も応えてはくれない。
 気負うな、と自分に言い聞かせる。
 平常心。いつもどおりの自分を心がけながら前に進み出て、剣の柄に手をかける。
 一度手を離し、深呼吸。
 そして再び柄を握り、力いっぱい引き抜こうとした――。







「ふんっ!! ・・・・・・・・・あ、あれ? ふんっ、ふぬりゃっ、ふぬぉぉぉぉぉぉ! はぁはぁはぁ・・・・・・んどりゃぁぁぁぁぁ!!!」

 悪戦苦闘している稟の奇声を背中越しに聞きながら、祐漸は広場を後にする。
 もちろん、稟がすぐに聖剣を手にできるなどとは微塵も思っていなかった。
 これはある意味賭けである。
 今のままでも、稟には神王と魔王を説き伏せることはできるだろう。何しろ稟の両脇には、二人の姫がいるのだ。それだけでも条件としては十分だった。
 だが、より確実に事を成すためには、稟自身にも“力”が必要だった。
 絶対的な力を持った王族を君主とするこの国の民は、力の信奉者達である。彼らは力ある者の言をこそを尊ぶ。
 もしも稟が、あの“王者の剣”を手に入れることができたなら、条件はほぼクリアしたと言って良いだろう。けれど稟が聖剣を手に入れられるかどうかだけは、祐漸にとて確証はなかった。
 ゆえに、賭けだった。

「期限、どれくらいあるのかな?」
「あと10日といったところだろう」

 いつからそこで待っていたのか、壁に寄りかかっていたさやかが祐漸の横に並びかける。

「つっちーが聖剣を手に入れられる確率は?」
「俺はせいぜい4割程度だろうと思っているがな。純一が見込んでいる奴なら、5分5分かもしれん」
「賭けだね」
「ああ」
「で、仮につっちーが聖剣を手に入れたとして、それでどうなるの? 或いは手に入れられなくてもだけど」
「さぁな」
「むぅ、まだ教えてくれないんだ」

 祐漸は自分の考えていることを、いまだ誰にも明かしてはいない。
 むしろそれは祐漸の考えですらないのだ。
 これは、あの稀代の策士が考え出し、祐漸が状況に合わせて調整を加えていることに過ぎない。

(フォーベシィ、それにユーストマも、何をもってそんなにあの小僧を買っているのか)

 もっともかく言う祐漸も、他人が聞いたら笑いそうな理由で稟を賭けの対象にしているのだが。

「ところで、あいつらは見付かったか?」
「ううん。純ちゃんもことりんも、ガーデンが燃えちゃった日に消息を絶ったっきりだよ」
「どこをほっつき歩いてるんだ、あのたわけは」
「気になるのはね、ガーデンの焼け跡にほんの微かにだけど、“あの気配”が残ってたんだよね」
「最初の襲撃があった際におまえが感じたというやつか」

 2週間前の襲撃があった日。
 祐漸は予め、エリスやアイが去った頃に再度襲撃があることを予測していたため、いつでも稟達を逃がせるよう、さやかに転移の仕掛けを施させていた。その目論見は当たり、稟達を上手く逃がし、このネーブル国まで来させることはできた。
 稟達を逃がした後しばらく、祐漸はあのイフリートと死闘を演じていたのだが、簡単に勝負がつかないと判断して途中で切り上げ、祐漸自身も炎上するガーデンを後にした。
 余談だが、イフリートの強さは祐漸をして驚嘆させられるものだった。
 桁外れの魔力も、卓越した戦闘センスも、どれを取っても規格外だった。あれほどの力の持ち主は、ユーストマとエリス以外では見たことがない。
 おそらく単純な戦闘能力において、イフリートは祐漸を凌駕していた。

(あんな化け物を飼っているとはな・・・・・・やはり“奴”か)

 黒幕の正体に繋がる確証が、また一つ増えた。
 あれはどう考えても力で従わせられる存在ではない。それでもあんな魔人を手下に置いて使いこなせるような者がいるとしたら、今まさに祐漸の脳裏に浮かんでいる男以外には考えられなかった。
 そしてその男ならば、祐漸に気付かれることなくガーデンの周辺をうろついていたとしてもおかしくない。

「さやか。そいつの気配の特徴、もう一度教えろ」
「うーん・・・・・・つかみ所がない感じなんだよねぇ。一言で特徴を表現するなら・・・闇、かな。深いふかーい沼の底にいるような、それでいて不思議と汚れたイメージは 沸かないだよね。黒じゃないんだ。とっても澄んだ、闇色」
「そうか」

 やはりそれだけを聞くと、間違いないように思えた。
 しかし腑に落ちないのは、あの男にしてはやり口が杜撰に感じられるからだった。はっきりとした目的が見えず、突っつくだけ突っついて後は放っておいている節がある。これではあの男にとっても、何ら利益があるようには思えないのだ。
 或いは、ただ状況を混乱させるのだけが狙いなのか。
 もっと先入観を捨てて考え方を変えなければ、相手の狙いが見えてこないようだった。もちろん、対処の方だけはどんな形でもできるようにはしてある。だが動機を探るとなると、今のままではいけなかった。
 むしろ自分が考えるよりも、さやかに接触させて探らせた方が良いかもしれない。
 あの男のことはそれなりによく知っている祐漸だが、それゆえに逆に見えない部分も、この人の本質を見抜くことに長けた少女ならば、一度会っただけで看破するかもしれなかった。

(それとも、あいつ・・・・・・)

 純一ならば、どうか。
 稟達をガーデンから逃がした後、祐漸がイフリートと戦っている間に純一は姿を消した。ことりも同じようにいなかったことから、一緒にいなくなったものと思われるが、そうなった原因はわからなかった。
 倒された、ということだけはないはずだった。
 仮に敵が純一の力の大きく及ばない相手だったとしても、何も起こらずに純一が負けるということはありえないのだ。
 純一が持つ剣、桜華仙は尋常な代物ではない。一度正面から挑んで敗れた祐漸だからこそ、ひょっとすると純一自身ですらはっきり認識していないかもしれないあの剣の凄まじさを理解していた。
 あれは古から続く魔女の一族、その中でも一際強い力を持っていた純一の祖母、黄金の魔女と呼ばれた者が生み出した恐るべき魔器だった。その力は神代の頃に作られた伝説の神器、四大宝剣にも匹敵する。
 たとえ純一がその力を使わなくとも、純一の身に危険が迫れば桜華仙は自動的にその力を解放して純一を守るだろう。そうなればいくら自分の戦いに集中していたとしても祐漸が気付かないはずはなかった。
 つまり、あの時純一にそんな危険は迫っていなかった。
 純一は自分の意思で、あの場から立ち去ったことは明白だった。
 そしてその場所に、純一と共にさやかが感じた気配の持ち主がいたらしいという事実。

(純一、奴と会ったのか。だとすると・・・・・・)

 あの男と接して、純一は何を思ったか。

「ねぇ、祐君。そろそろ私にくらい教えてくれてもいいよね。あれは、誰なの?」

 まだ気配を感じただけで、いまだ見ぬその存在に、さやかもまた興味を示していた。
 それだけ他人の関心を引き付けて止まない存在。そしてあのイフリートをも従える力。澄んだ闇色の気配。
 明確な証拠となるものはないが、祐漸は99%まで確証を持ってその名を告げた。

「ヴォルクス九王の一人、冥王ハデスだ」







 その日から、稟は城に泊り込んだ。
 正確には、祐漸によって泊り込まされたのだ。伝説の武具はそれ自体が意思を持っており、自らの意志で主となる者を選ぶ。稟が真に聖剣の主たらんとするならば、少しでも長く剣と共に過ごし、剣と対話を続けることでそうなる可能性が高まるかもしれないとのことだった。
 城には寝泊りする場所がいくらでもあったが、より聖剣に近い場所で過ごすため、広場にテントを張って生活することとなった。
 だが別に不自由はなかった。
 どんな状況でも、甲斐甲斐しく稟の世話を焼く者達がいたからである。

「夜は暖かくして、風邪とか引かないようにしてくださいね。ご飯は朝昼晩とちゃんと用意しますけど、それ以外でもお茶とかしたくなったらいつでも呼んでくださいね。それからそれから・・・・・・」

 当然と言うべきか、話を聞いて真っ先に駆けつけてきたのは楓だった。
 どこから入手してきたのかやたらと頑丈そうなテントを建てると、内装もこれでもかというくらい綺麗に整えていた。用意ができて最初に足を踏み入れた時、いったいどこの高級マンションの一室かと思ったほどだった。
 後からやってきた麻弓や亜沙も呆れ気味に、

「これはカメラに収めておかないと損なのですよ」
「楓の完璧超人ぶりにもますます磨きがかかってきてるわよねぇ」

 と感心していた。
 さらにこれは楓だけでなく他の何人かも言い出したことだったが、同じようにテントを張ってこの広場で過ごすと言ったのに対しては、稟の方からきっぱり断った。
 皆にまで不便な思いをさせたくないというのもあったが、真剣に剣との対話というのに取り組むためには、一人の方が良いと思ったのだ。
 仲間達に囲まれていると心強い反面、そこに甘える心が生まれてしまうことが心配だったのだ。

「これは、俺が一人で成し遂げなくちゃいけないことだと思うんだ」

 そんな感じで始まったもの言わぬ剣との共同生活だったが、成果は芳しくなかった。
 一日目はひたすら剣を引き抜こうと奮闘してみたのだが、抜けるどころかぐらつきもせず、夜になる頃にはすっかり体力を使い果たしていた。その夜は泥のように眠った。楓の用意したテントルームは実に快適で、朝までぐっすりであった。
 そして二日目。

「稟くんっ、差し入れッスー!」

 楓が朝食を持ってきたのに続いて、お昼にお弁当を持ってやってきたのはシアだった。

「みんなで相談してね、一斉に押しかけたらきっと稟くんに迷惑をかけるからって、代わりばんこに来ることにしたの。今回は私。お茶の時間にはリンちゃんで、今夜は亜沙先輩だよ」
「そっか。悪いな、気を使わせて」
「ううん、がんばってる稟くんのこと、みんな応援してるから。でも、無理はしないでね」
「ああ、わかってる」

 この日も朝から奮闘を続けていたものの、剣が抜けることもなければ、対話っぽいことができそうな雰囲気にすらならなかった。
 そこにある伝説の武器を手に入れてあっさりレベルアップ、なんて世の中は甘くはないようだ。
 それを言ったら二大国の王女から同時に求婚されるなどという幸運とて絶対にありえないことかもしれなかったが、深くは考えないことにしておく。
 一度あった幸運がもう一度あると考えるべきか、一度幸運に恵まれたのだから次はないと思うべきか、悩みどころである。

「他のみんなは、今はどうしてる?」

 悩んでいることを悟られないように、適当に気になっていることを話題にする。
 シアはそんな稟の心中に気付いているのかいないのか、思い出すような仕草をしながら一人一人の近況を語っていく。

「リンちゃんは麻弓ちゃんや緑葉君に色々情報集めてもらって何か考え込んでた。たぶんお父さん達のこと、リンちゃんなりに考えてるんだと思う」

 魔王が突然兵を挙げる準備を始め、神王側もそれに対応するように戦いに備えているという報せを聞いた時は、シアもネリネもかなりショックを受けていたが、今こうしているシアは普段どおりに明るく振舞っており、ネリネも自分なりに現状を好転させるために奔走しているようだった。
 稟は自分一人では、ただ戦いを止めたいと思うことしかできなかったと言うのに、彼女達は自分にできることを自分で考えているようだ。

「すごいな、二人とも」
「稟くんそれ違う。すごいのはリンちゃんで、私は全然。私には、自分がどうしたらいいのかなんてわからないよ。ただ、みんなが不安に思ってるだろうから、せめて少しでも安心できるよう、普段どおりにしようとしてるだけ」
「それでも、ただうろたえてるだけの俺よりずっとすごいだろ」
「それこそ違うよ。こういうのは稟くんから教わったんだもん」
「俺から?」
「うん。当たり前のことを当たり前に、そうやって自然にみんなが安心できるように振舞う。そういう、稟くんみたいなこと。私には、それしかできないみたいだから」

 稟のように。そう言った時のシアの表情は誇らしげだったのに、その後に続く言葉には悲しげな響きがあった。
 自分の無力さを嘆いているようなその感情は、稟が最近ずっと感じているものと同じだった。

「カエちゃんは稟くんのご飯用意したりする他は、連也さんと一緒に剣の稽古してる。二人ともレベル高すぎて、もう私じゃついていけないッス。あはは。亜沙先輩とリムちゃんも大分魔力の制御ができるようになってきたみたいで、治癒とか補助とか、私の得意な分野でもすぐに抜かれちゃいそう。あとすごいのがキキョウちゃんで、私なんかとても敵わないくらいすっごく強くなってるんだよ! だから、私じゃなきゃできるないことって、もうあまりないみたいで・・・・・・」
「そんな言い方するなよ」
「え?」
「シア、それじゃキキョウのことで悩んでた頃と同じだぞ」
「あ・・・・・・」

 以前、稟と再会した頃のシアは、自分の影としてしか生きられないキキョウの存在を憂い、自分だけが幸せになる道を疎い、キキョウのために自らが影になる道を選ぼうとした。
 あの時と今とでは状況が違うが、シアの言葉はあの時と同じで、自分の存在を軽く見ているものだった。

「少なくとも俺には、シアがシアじゃなきゃならない理由がある。シアが笑顔でいると、俺も元気になれる。他のみんなだって同じはずだ。だからやっぱり、シアだってすごい」
「稟くん・・・・・・」
「な?」
「・・・・・・うんっ、ありがとう、稟くん! いけないいけない、前向きじゃない私なんて私じゃないよね! 稟くんのために、私も自分にできることをがんばるッス!」
「その意気だ! 俺も俺にできることをがんばる!」

 シアが元気を取り戻したようで、稟は嬉しかった。
 また稟自身も、今の会話で力をもらった気がした。
 いまだに聖剣はうんともすんとも稟に応えてはくれないが、そんな容易いことでないことは最初からわかっていたはずだった。
 もっともっと、粘って粘って、何としても聖剣を手に入れる。

(そうとも! 我慢強さが俺の数少ない取り得じゃないか。こうなりゃ根競べだ。俺の根性をなめるなエクスカリバー!)

 その後シアが帰ると、稟は剣が刺さった岩の前に座り込み、剣に向かって色々と話しかけてみた。
 対話というくらいなのだから、まずは話しかけてみるべきだと思ったのだ。
 当然のことだが、剣は何も喋らない。
 しかし稟はその程度でめげたりはしなかった。
 そう、これははじめて会った頃のプリムラと似たようなものだと思えばいいのだった。相手は無口なのである。無口な相手に口を開かせるには、まず自分の方から心を開いて話しかけることが必要なのだ。
 話しながら軽い気持ちで柄に手をかけ、抜こうとしてみる。
 やはりビクともしなかったが落胆はしない。
 まだ話が足りないのだろうと思って再び語り始める。
 時に真面目に、時にフランクに剣に向かって語りかける稟の姿を見て、ネリネはキョトンとし、亜沙は珍獣を見るような目を向けながら熱を測ったり、麻弓がおもしろがってその様子を写真に撮ったりしていったが、最後には皆笑顔で稟を応援していた。
 そして、三日目の昼になると桜がやってきた。

「なんか、二人っきりで話すのは本当に久しぶりだね」
「そうだな。改めて、久しぶり、桜。お互い無事で本当に良かったよ」

 しばらく積もる話をしていたが、その内桜が岩に突き立っている剣を見ながら真面目な顔で話し出した。

「私、ずっとネーブル国にいたから、この剣の噂とか色々聞いたんだけど」
「そうなのか?」
「うん。ネーブル国が神王家と魔王家の領土にちょうど挟まれるような重要な土地にありながら、ほとんど永世中立に近いような形になってるのは、この剣があるからなんだって。ネーブルの王家は、政治的な権限は放棄したけど、聖剣の管理者として全ての王家から認められているみたいなの。つまりそれって、この剣の存在は、大陸中の誰にとっても無視できないほど大きいってことだよね」
「今の話を聞くと、そうなるみたいだな」

 王者の剣は、確かに多くの人々から神聖視されているらしい。
 なればこそ、もしも稟がこの剣を手に入れることができれば、稟の存在もまた、多くの人々から認められることになる。
 今まではただ、両王家の姫が選んだ男、として認識されていなかったものが、一人の土見稟として、シアやネリネとつりあう存在になる。
 それは稟にとって、ずっと以前から欲していたものに他ならなかった。

「しかもね、今の神王様、魔王様も手に入れようとしたけど、岩から抜けなかったんだって」
「あの二人が!?」

 普段はただの親馬鹿にしか見えない二人だが、その実力は稟でさえよく知っている。そんな二人でさえ主となれなかった剣を本当に稟如きが手にすることができるのか。
 いや、弱気は禁物だった。
 そんな剣だからこそ、手に入れられた時に稟が受ける評価が大きいものになるのだと思わなければならなかった。

「あともう一つ」
「何だ?」
「一人だけ、望めば絶対に聖剣の主になるだろうって言われてる人がいるんだけど、何故かその人はいつでも望むことができるのに、聖剣を手に入れようとしたことはないって。これには、たくさんの人が不思議がってるみたい」
「誰なんだ、それは?」
「稟くんをここに連れてきた人、祐漸さんだよ」

 この時の話を、後でネリネに確認してみたところ、

「はい、確かにお父様にも神王様にも、聖剣は抜けなかったそうです。そして、ただ一人それが可能だろうと言われている祐漸様は、一度も聖剣を手に入れようとしたことはありません」

 という答えが返ってきて、桜が聞いた噂の裏が取れた。
 祐漸ならば聖剣の主に相応しい。そう言われていることに関しては疑問に思うことはなかった。他の皆もそう言っているし、稟自身も短い付き合いの中で、彼以上の人物はそうそういないだろうとは思っていた。他人の評価には辛口の、樹や撫子までもが、祐漸のことは手放しで尊敬している。
 だがそうなると腑に落ちないのが、以前純一から聞いた話だった。
 はじめて純一に会った時の祐漸は、純一の持つ桜華仙を狙っていたという。その前も後も、祐漸は自らが扱うのに相応しい武具をずっと探しているらしかった。
 その祐漸が、何故聖剣を手に入れようとしないのか。
 本人に聞いてみようにも、最初に稟をここへ連れてきた日以来、祐漸がここを訪れることはなかった。

「ま、考えても仕方ないか」

 祐漸の事情は、後で聞いてみれば良いことだった。
 今、稟にとって大切なのは、とにかく聖剣を自らの手で入手することだった。
 そして四日目、いまだに剣が抜ける兆しはまったくなかった。







 稟が聖剣に挑み始めて五日目。異変はこの日の夕刻過ぎに起こった。
 少し離れた場所にあるネーブル国の首都に暮らす一般市民達、それに異変の中心たる城の管理者達でも感じ取れないほど、それは静かに訪れた。
 “関係者”達だけが、その異変をはっきりと感じ取っていた。
 異変はすぐに形となって彼らの前に現れた。
 共に剣の修練を行っていた連也と楓の前に姿を見せたのは、先の襲撃に際してキキョウと戦闘した巨漢、ガイアであった。後ろには、何度も見てきた紅い眼をした黒い異形を10体ほど従えていた。

「二人か。まぁいい。見付けた敵は全て片付ければいいだけのこと」

 2メートルを優に超す長身は、全身を覆う筋肉によって見た目以上の存在感を発している。
 外見のみならず、内側から迸る膨大な魔力がさらにそれを高めており、はじめてこの敵と相対する楓は思わず気圧された。
 しかし、敵が現れたことの意味を感じ取り、鋭い視線を相手に向ける。

「また稟くんを狙って来たんですか?」
「答える必要はない」
「もしそうなら、稟くんのところへ行かせはしません!」

 双剣を構えて敵と対峙する楓。その横では連也も刀の柄に手をかけ、油断なく周囲を警戒している。
 一方他所では、また別の敵が出現していた。
 キキョウの下にははじめて見る牧師姿の長身の男。眼鏡の奥から覗く怜悧な眼光には、先日戦ったジャガージャックやガイアとは別種の、しかし同等の危険性が感じ取れた。
 ネリネやプリムラ、亜沙に桜らのところにも、十数体の異形の獣を引き連れたジャガージャックが現れていた。
 そして祐漸とさやかも、正体不明の敵の脅威に晒されていた。
 城を四方から囲むようにして、襲撃者達との戦いの火蓋が切って落されようとしていた。



 静かに戦いの緊張が高まる中、その中心地たる城はより一層の静けさに包まれていた。
 さらにその奥、城の中庭に位置する広場にいる稟は、外で起こっている異変に気付いてはいなかった。
 しかし、その稟にも危険が迫りつつあった。
 稟自身はもちろん、他の誰も気付かないほど、ひっそりと。
 夜空の闇から這い出るように、それは城の真上に姿を現した。即ち、稟の頭上に。

「土見稟、み〜つけた」

 紅と紫の瞳を持つ襲撃者は、冷たい微笑を口元に浮かべながら、眼下の稟を見下ろしていた。



















あとがきらしきもの
 キング・アーサー!
 わざわざここに書くまでもないほど有名な元ネタから四大宝剣の2つ目が登場、岩に突き立った聖剣である。ちなみにアーサー王伝説に詳しかったり、そうでなくてもこの業界的には「Fate」を知っていれば、岩に刺さっていた剣とエクスカリバーは別物ではと思う人もいるであろうが、聞いた話によると、どっちの説もあるらしい。まぁ、この話的にはちょっとした隠し玉を用意しているので、そこのところを楽しみにしていただきたい。ちなみにエクスカリバーのイメージは完全に「Fate」のそれである。
 前回のラストからいきなり消息不明になっている純一やら、再び狙われた稟の命運やらどうなることかというところで次回へ続く。