祐漸が放った斬撃は敵を捉えることなく、地面を打ち砕いた。
だが祐漸の眼力は、左斜め後方へ滑り込むように移動する義仙の姿を捉えていた。右手に剣を持った祐漸にとっては、もっとも狙いにくい死角の位置であったが、祐漸は剣を左手に持ち替え、振り返ることなく後ろへ向かって剣を振り抜いた。
ザンッ！
この一撃も、地面を削るだけに留まった。
「フッ」
次の攻撃は頭上から来た。
下から突き上げる祐漸の剣と、上から斬り下ろす義仙の刀とが交差する。
義仙の切っ先が一瞬祐漸の身に届きそうになるが、直前で祐漸の剣がそれを防ぎ、力任せに義仙の体ごと弾き飛ばした。
空中で体勢を立て直し、義仙は両足で地面に着地する。その間も、まるで隙を見せることはなかった。
繰り返される攻防の中、どちらもいまだ相手の体に一太刀たりとも入れていない。
「大した腕前だな。なるほど、連也と互角というのも頷ける」
本気で祐漸が感心するほど、義仙の技量は凄まじいものがあった。祐漸以外の人間ならば、もう何度死んでいるかわからないほど、必殺の斬撃をいくつも繰り出していた。
だが、その尽くを驚異的な反応速度で防ぎ、かわしている祐漸に、義仙もまた攻め手を見つけられずにいるようだ。
それでも、今のところ押しているのは義仙の方だった。
やはり、剣のみの勝負では義仙の方に分があるようだ。
「さしもの俺も、連也には一目置いている。あいつと戦って勝つのは、俺も容易ではないだろう」
「・・・・・・」
「だがな、負けると思ったことは一度もない。何故だと思う？」
話しかけても義仙はただ無言。僅かな隙も見逃すまいとしているのが見て取れる。
隙など微塵も見せはしないが、義仙ならばいずれも、祐漸自身も気付かない小さな隙を見つけて衝いてくるかもしれない。
「教えてやろう、その訳を。少しだけ見せてやるよ、俺の全力をな」
ならば、隙の一つや二つ、意味を成さなくなるほどの力の差を見せ付けてくれよう。
真★デモンバスターズ！
第３２話 異形なる力
巨大な武器を持った相手は森の中では不利、と思った純一の考えは甘かった。
「だぁーっ、なんて野郎だこいつ！」
生い茂る木々など、この敵にとっては何の障害物にもなっていなかった。
大人の男が二人がかりでようやく抱えられそうな太さの大木の幹でさえ、男の大鎌は易々と両断していた。鎌の切れ味も、それを自在に操る男の膂力と技量も尋常ではなかった。
そうなると逆に、純一の方が動きづらい森の中で追い込まれていた。
森という地形は、純一が得意とする大地系の魔法を使うのに有利な場所でもあるのだが、そんな小手先の技もまったく意味を成さない。
（こいつ、マジで強い。桜華仙の力を使わないとまともにやりあってられないぞ！）
突如現れた強敵に、純一は焦らされていた。
強いといっても、祐漸のレベルには程遠い。とはいえ、もしこんな敵が何人もいたとしたら、如何に祐漸といえど全ては対処しきれないはずだった。そうなると、他の皆が心配だった。
ことりはもちろんのこと、稟やプリムラも素質はあっても今は戦力外と言って良い。それを守りながらの戦いとなると、連也やさやかがいても苦戦させられるはずだった。楓辺りなどは、稟を守るために無茶をしそうで危なっかしい。
館の様子が非常に気になる。
だが、眼前の敵が言うように、他人より自分の心配をしなくてはいけない状況だった。
（まずは、こいつに集中か）
桜華仙を握る敵に力を込め、雑念を捨てて眼前の敵に集中する。
相手は手強い。だらだら戦っていてもおそらくジリ貧だった。ならば、最大の奥儀で一気に勝負を決める。
しかし――。
「くっ、この・・・！」
敵の攻撃はさらに激しさを増していく。しかも、その影響で斬り飛ばされた木々の破片が視界を遮って相手の姿をはっきり視認できない。
烈空閃を使うからには確実に一撃でしとめなくてはならない。
おそらく、今の純一が万全の体勢から桜舞烈空閃を放てるのは二発が限度。二発目を撃ち終えたら、純一の魔力は空になる。
この後館へ戻ってそちらの加勢もしなくてはならないため、ここで力尽きてしまうわけにはいかない。
だから敵を倒すのなら、一撃で決めなくてはならないのだが、これでは狙いが定まらない。
「どーした？ 兎のように逃げ回るしかできないか！」
「大きなお世話だ！」
止まれと念じて止まってくれるほど相手も甘くない。
逃げながらも桜華仙に力を蓄えている。後は相手に隙さえあれば反撃できるのだが。
ザッ！
繁みの間を抜けていくと、また広い場所に出た。
（よし、ここなら）
相手が飛び出してきたところをカウンターで狙える、と、そう思った時、純一の視界に飛び込んできたのは先ほどの少女、アイリスの姿だった。
「げ！」
後を追ってきたのか。
かなりの距離を移動したつもりだったが、入り組んだ森の中を動き回ったため、実際にそれほど遠くまで離れられなかったようだ。
そちらに気を取られている間に、相手の気配が迫ってくる。
位置的に、今攻撃すればアイリスを巻き込む心配はないはずだった。
純一はタイミングを合わせるべく腰を静めて剣を後ろに振りかぶる。
だが相手は純一の予測を裏切って飛び出しては来なかった。木々の向こう側で、大きく鎌を横薙ぎに振るったのだ。
ズバッ！
まとめて丸太斬りにされた木々が一斉に倒れこんでくる。
それだけならば、タイミングこそずらされたが純一自身はかわすことはできた。しかし倒木は広範囲に渡り、そこにはアイリスのいる位置も含まれていた。
「チッ！」
考えるよりも先に体が動いた。
アイリスのいる位置まで一息で移動し、彼女を庇って倒木の範囲から離脱する。
ザシュッ！
そこで背を向けた純一を狙い打って、大鎌が振り下ろされた。
鎌の切っ先が、純一の左肩に突き刺さる。
「ぐぁ・・・っ！」
「じゅ、純一！？」
抱きかかえていたアイリスが声を荒げる。純一は焼けるような痛みを全身で感じながら、気合で堪えてアイリスを突き飛ばし、左手で体に突き刺さっている鎌の柄を掴んだ。
「捕まえたぞ、この野郎！」
「なっ、てめっ・・・・・・」
相手は後ろへ下がろうとする、純一の方が速かった。
「桜舞烈空閃ッ！」
振り向き様に、力を溜め込んだ桜華仙を振り抜く。
桜色の眩い光が弾けた。
得物を押さえられていたため反応が遅れた相手は、純一の攻撃をまともに喰らい、声を上げる間もなく、木々を薙ぎ倒しながら吹き飛んで行った。
「くはっ・・・！」
切っ先が刺さったまま強引に振り向いたので、傷口が抉られる形となり、とんでもない激痛が走り、純一はその場に倒れ込んだ。
左肩を見て、見なければ良かったと思った。傷自体はそれほど深いものではなかったが、表面の皮膚が抉れていて見るに堪えない状態になっていた。痛すぎて感覚が麻痺しそうである。
そこへ、そっと手が当てられた。
「・・・・・・アイリス・・・？」
「じっとして」
傷口や血を見ても、アイリスに取り乱した様子はなかった。それ以前に、先ほどの戦闘を見ても、あまり動じているように見えなかった。
見た目の雰囲気とは裏腹に、わりと胆が据わっているのかもしれない。
言われたとおりにしばらくじっとしていると、痛みが軽くなってきた。見れば、傷口も綺麗に塞がっていた。
「治癒魔法、か？」
「うん、そんなところ」
「すごいな」
シアも治癒魔法が得意で、ミッドガル城を脱出した後に皆怪我を治してもらったのだが、その時はそれほど重傷者がいなかったにもかかわらず、こんなにあっさりとは済まなかった。
当てていた手が離されると、まだだるさは残っていたが、痛みは完全に消えていた。
「血が流れちゃった分の体力は戻らないけど、傷の方はもう大丈夫だと思う」
「みたいだ。助かったよ、サンキュ」
「ううん、先に助けてもらったのは、わたしの方だし。ありがとう」
「大したことじゃないって。しかしあんなやばい奴がいたってのにわざわざ追ってくるなんて、少しは警戒心を持った方がいいぞ。俺に対しても、最初から随分オープンな態度だったしな」
「それって、純一も実は怖い人ってこと？」
「かもしれんぞ」
「くすっ、純一って、嘘が下手だね」
「む・・・」
「わたしは別に、純一が怖い人でも、悪い人でもいいよ。純一は純一だから」
至極当たり前のことを、とても楽しそうに言ってアイリスは笑った。
その笑顔が可愛くて、思わず純一は気恥ずかしさで目を逸らした。
「そんな簡単に人を信用するんじゃありません」
「そうだね。むしろわたし、結構人見知りする方らしいんだけど、純一にはそうでもなかったな。ひょっとしたら、一目惚れかも」
「なっ、ばっ、あ、あのな・・・！ からかうな」
「案外本気かもしれないよ？」
「と、とにかくだ。俺はまだこれから用事があるから、もう行くぞ。おまえも、早く帰った方がいい」
「うん、そうする。バイバイ、純一」
手を振るアイリスに見送られて、純一は急いでガーデンへと戻っていった。
純一がいなくなった後、アイリスはその場に佇みながら、片手で左目を覆いながら、彼が立ち去った方向をずっと眺めていた。
「純一、か・・・・・・。ああいう人もいるんだ」
先ほど庇われた時に、抱きしめられた感触を思い出すと、不思議と胸が高鳴った。
そんな感覚は、彼女にとって生まれてはじめてのものだった。
他人の、そう、優しさというべきものに触れたのも、はじめてであった。
「あの人とは、違う感じ。けど、同じ」
彼女が心を許す相手は、今まで唯一人しかいなかった。
けれど純一にならば、同じように心を開いてもいいと思えた。むしろ、もっと自分を知ってもらいたいと。
果たして彼女のことを深く知った時、彼はどんな表情をするのか。楽しみなような、少し怖いような、複雑な感情が浮かんできた。それすらも、心地よいと思える。
「また会えるよね。その時は、またさっきみたいに、優しくしてくれるかな？」
その時を楽しみにしながら、アイリスは森の静寂の中にその身を置いていた。
祐漸と義仙の戦いは、形勢が逆転していた。
むしろ一方的とさえ言える形になっている。
「少しだけ全力を出す」、そう言った祐漸に、義仙は手も足も出なくなっていた。
「ぐぬ・・・っ！」
「どうした、もう終わりか？」
「でぇぇぇいっ！！」
気合一閃、振り下ろされた義仙の斬撃は、速さも鋭さも申し分ないものだった。
しかし、祐漸が眼前に突き出した剣は、悠々とその一太刀を受け止めてみせた。無造作に、あっさりと。その原因は、祐漸の剣に届く前に、義仙の斬撃の威力がほとんど殺されていたからだった。
これまでも何度も、義仙の刀は祐漸の死角をつき、必殺のタイミングで繰り出されていた。その尽くが、祐漸の体に届く前に威力を殺され、結果容易く防がれてしまっているのだ。
剣の腕では自分の方が勝っていながらまるで相手にならない状況に、義仙は務めて冷静を装いながらも困惑していた。
「結構がんばりますね、あの人」
「そうね。紛れもなく、一流の使い手だわ」
観戦しているエリスやイシスは、この一方的な戦況を至極当然のものとして認識していた。アイも同じだったが、こちらは軽く首を傾げている。
「だけど、どうしてこんなに差が出るのかな？ 祐漸君のあれって、何なの？」
アイが言っている“あれ”とは、先ほどから祐漸の全身が、小規模で局地的な吹雪に包まれているような状態になっていることだった。
祐漸がその吹雪を纏い始めてから、義仙の攻撃は一切祐漸に通用しなくなったのだ。
「そう、あなたは見るのはじめてなのね。まぁ、あいつのあれを見たことある奴なんて、かなり限られてるでしょうけど。あれこそ、氷帝祐漸の真骨頂よ」
エリスの言うとおり、これこそが祐漸が強敵と認めた相手と戦う時にのみ見せる、真の戦闘スタイルだった。
普段の祐漸は、体内で練り上げた魔力を使って空気中の水分を操り、それを様々な形で利用して戦っている。最も多用しているのが、水分を瞬間的に凍結させて氷柱や氷壁を生み出す使い方である。氷が一番扱いやすいためだが、応用すれば水のまま使うことや、霧状にして操ることも可能だった。だがどんな扱い方をしてもこれを利用したものは全て、物理攻撃であることに変わりはなかった。ゆえにどんな相手でも、対処する手段はあった。
しかし今の祐漸は、これまで内包していた魔力を、直接全身に纏って使っていた。それは、水分を凍結させるために使用している力そのもの、凍気と呼ばれるものだった。凍気を纏っての攻撃は、物理的な手段では絶対に防御不能なものであり、またこれを纏っている祐漸に対しては、如何なる物理攻撃も通用しない絶対防御でもあった。例えば義仙のような剣の達人ならば、その剣圧によって凍気の防御を突破することも不可能ではないが、そのために力のほとんどを使うことになり、そうして鈍った剣は易々と防がれてしまう程度に威力を激減させられてしまうのだった。
祐漸が纏う凍気を打倒する方法は唯一つ、同質同等の魔力をぶつけるしかなかった。だが、ヴォルクス王家の直系、九王と同格の力を持つ祐漸と同等の魔力を持つ者など、ごくごく限られていた。それは即ち、同じ王族に連なる者のみ。
「それが、王とそれ以外の者とを隔てる、絶対的な力の壁よ。王族以外でこれに対抗できるのは、特殊かつ強力な対魔装備を持つ神殿騎士だけ。どれほど腕が立っても、一介の剣士では絶対にあいつには勝てないわ」
連也や義仙は確かに強い。剣の腕ならば、祐漸がこれまで出会ってきた中でも五指に入るだろう。だがそれと戦って苦戦することはあっても、負けることは決してない。その自信を裏付けているのが、祐漸のこの力だった。
「どうやら、これまでだな義仙。降伏するなら命は助けてやってもいいぞ？ 何なら連也との再戦をコーディネイトしてやってもいい。もっとも今のおまえじゃ、どの道連也にも勝てんだろうがな」
「・・・・・・」
祐漸と、義仙自身の目は自然と義仙の右腕を向く。
ミッドガル城で会った義仙は、確か右利きだったと祐漸は記憶していた。だが、今義仙が刀を持っているのは左手だった。
「連也に深手を負わされたのは知っていたが、その右腕、義手だな」
よくできた義手だった。動きも自然で、おそらく魔力を用いて作ったものだと予測された。
それでも、本当の腕に及ぶ機能はないのだろう。義仙の本来の利き腕である右でなく、左手に刀を持っているのは、利き手でなくとも義手より元の腕の方が正確に動くからに違いなかった。
義仙は、じっと右腕の義手を見据えながら押し黙る。
何を思うのか、祐漸は相手が結論を出すまで待つ構えでいた。
「一介の剣士では、王には勝てぬ、か・・・・・・」
「そういうことだ。相応の武器でも持っていれば、話は別だがな」
義仙の刀はそれなりの業物に違いなかったが、祐漸を倒すには役不足だった。純一の桜華仙、エリスのレヴァンテインほどとは言わないが、せめて連也に渡した妖刀村正くらいの得物がなくては、凍気を纏った祐漸と対等には渡り合えない。
実力のある者ほど自身と相手の戦力差に敏感である。義仙ほどの男ならば、それがわからないはずはなかった。
だが、義仙の眼は、決して相手に下ることを良しとしない者の眼だった。
「武器・・・力・・・・・・今の俺には、貴様に及ぶ力はない、か」
「ああ」
「・・・・・・ならば！」
カッと目を見開いた義仙は、左手に持っていた刀を義手の右手に持ち替えた。
それが何を意味するのかはわからなかったが、祐漸は義仙の中で起こっている変化を感じ取っていた。
（何だ？）
刀の柄を握り締め、顔の前にかざした義仙の右腕に、大きな異変が起こり始めていた。
「ぬがぁあああああああああああ！！！」
咆哮するように叫ぶ義仙の額には幾筋もの血管が浮き出ており、右腕は不自然な隆起を繰り返していた。
はじめの義手の部分のみに留まっていた異変は、まるで侵食するかのように二の腕から肩の方に広がっていく。それが広がるほどに、義仙は苦悶の表情を強めていく。
浮き上がった血管が弾け、全身を血で濡らす。異様な姿へと変貌していく右腕は、流れ出た血液すらも貪り食おうとするかのように触手を伸ばしていた。
もはやそれが、人間の腕を模したものであったとは信じられない状態になっていた。あまりのおぞましさに、アイやイシスは顔を背ける。
じっと変化を見続けている祐漸は、既に変貌が激しくてわかりづらいが、右手の甲の部分に新たな変化を見止めた。そこが、この異形な力の中心だった。
内側から、何かが競り上がってくる。
ギロッ！
完全にそれが姿を現した瞬間、とてつもない殺気を叩きつけられた。その感覚を、祐漸は知っていた。
義手の甲に浮かび上がったもの、それは禍々しい真紅に彩られた“瞳”だった。
（あれは・・・あの化け物どもと同じモノ、か）
既に数度交戦したあの黒い獣の眼、そしてあの存在のコアと呼ぶべき紅い球体。義仙の右腕に浮かび上がったのは、それとよく似ていた。
「がぁああああああああああああああああああああっ！！！！！！」
一際大きな叫び声と共に、義仙の身に起こっていた変貌は止まった。
全身を包み込みそうなほど膨張していた右腕は、元の大きさを取り戻していた。とはいえ、いまだ異形の姿をしてはいた。肩から手の先までの肉は黒く変色し、異常なほどに筋肉が隆起していた。手の甲に浮き出た真紅の瞳はそのままで、手の中の刀も黒く、禍々しい形に変わっている。
とてつもない魔力が、変貌した義仙の右腕には宿っていた。
右腕を除けば、義仙自身の体に大きな変化はない。せいぜい、髪を結んでいた紐が弾け飛び、獣の鬣のように背中にかけて逆立った状態になっている程度だ。
だが、明らかにそれまでとは違う。
目に見える変化はもう一つ。黒かった義仙自身の両眼は、血の色に染まっていた。
ブラッディレッドの眼が、殺気と共に祐漸を射抜く。
（来るっ）
そう思った瞬間にはもう、義仙の姿は祐漸の視界から消えていた。
「左！」
エリスの叱咤が飛ぶ。言われるまでもなく、祐漸も気付いていた。
ズドンッ！！！
両手で大きく振りかぶった義仙の刀が振り下ろされる。するとまるで、全長十数メートルの大鉈を叩きつけたような衝撃が辺りに走った。
祐漸の体は遥か遠くまで吹き飛ばされ、地面には巨大な断裂が出来た。
「祐様ッ！？」
イシスの悲痛な叫びが響く。
その声に反応するように、断裂の先で周囲のものを吹き飛ばすような吹雪が巻き起こった。
吹雪の中心地、当然の如く健在だった祐漸は、しかし先ほどまでの余裕を取り払って険しい表情をしていた。
「凍気を突き破り、尚且つ氷魔壁を一撃で砕くとはな・・・」
反応が遅れたのは事実だが、凍気を纏っている時は普段の数十倍の速さで大気中の水分を操ることができる。防御に用いた氷魔壁にも充分な強度があったはずだった。
完全な形の氷魔壁をこうも容易く砕かれたのは、純一の桜華仙以来だった。
（パワーとスピードがさっきまでとは桁違いだな）
これほどの脅威を感じさせられる敵はそうはいない。たった一撃受けただけでもわかる。今の義仙は――。
（神殿騎士クラス。手を抜けば・・・・・・）
再び義仙が間合いを詰める。
今度は正面。動きは速いが、見えないほどではない。
ギィンッ！
振り下ろされた斬撃を、凍気を纏わせた剣で受け止める。
全身を衝撃が貫き、踏みしめている地面が陥没した。
返す刀で首筋を狙ってくる攻撃を弾き、カウンターで突きを入れる。上体を仰け反らせてそれをかわした義仙は、身を沈めながら下から掬い上げるような一撃を放つ。祐漸はその一刀を受け、反撃を繰り出す。義仙がそれを防ぎ、また斬撃を見舞う。
目にも止まらぬ速さで、一つ一つが一撃必殺の威力を持った攻防を、二人は数十度に渡って繰り返した。
両者の剣が交わる度に、大気が震え、衝撃波が大地を割った。
「ぬんっ！」
数十発目の儀仙の刀を受けると同時に、祐漸は凍気を込めた左手の掌を突き出した。
右腕を盾にしつつ後退する義仙。
跳び下がった義仙と祐漸の間では、地面が凍結し、大気中の水分も凍って、氷の結晶が霧のように辺りに散らばった。
義仙の右腕もまた、祐漸の掌圧を受けて凍結していた。
「はっ！！」
気合を発すると、凍結していた部分が弾け飛び、無傷の右腕が現れた。
「凍ったのは表面だけか。大したものだな」
「ふぅー・・・ふぅー・・・・・・」
右腕の異常な力が体力を消耗させているのか、義仙の息は荒い。それでも、闘争心は少しも鈍った様子がなかった。
「一応、形式上聞いておいてやる。その力は何だ？」
「さぁな、俺も詳しいことなど知らん。ただ、あの男は“デモン”の力とか呼んでいたが」
「“デモン”、それに、“あの男”ときたか。力を手に入れて昂揚してるようだな、さっきより随分とお喋りだ」
「そうだな・・・・・・。巨大な力を手に入れるというのは、悪くない気分だ。これだけの力があれば、貴様にも勝てそうな気がするよ」
「なら、続きを試してみるか？」
互いに腰を落として、いつでも動けるように構えて相手の出方を窺う。
先ほどの攻防では、パワーもスピードも総じてほぼ互角だった。剣の腕では儀仙が勝り、祐漸には凍気を操る技がある。どちらもが相手を、この上ない強敵として認識していた。
一瞬の隙が勝敗を分ける。
だがその時、義仙の方がおかしな反応を見せた。
「・・・・・・何だと、どういうことだ、これからという時に・・・・・・」
「？」
「む・・・・・・確かに、そのとおりだが・・・・・・」
ぶつぶつと独り言のような呟きを漏らす義仙の様子を見て、祐漸はそれが誰かと念話をしているのだということに気付いた。
（さっき言ってた“あの男”とやらか）
義仙の態度から察するに、引き上げるように言われているようだった。
「止むを得んな・・・・・・。今日はここまでだ」
「逃げられるとでも思っているのか？」
「あまり自慢にはならんがな、逃げ足には自信がある」
言うが早いか、義仙は右腕を振りかぶって刀を地面に叩きつけた。
飛び散る土砂を吹き飛ばすと、もうそこに義仙の姿はなかった。本人の言うとおり、大した逃げ足だった。
「逃がしたか。もう少しあの力を見極めてみたかったんだがな」
とはいえ、収獲はあった。
今日襲撃してきた敵は、これまで遭遇してきた事件と密接な繋がりがある。キーワードとなるのは“デモン”という、義仙の奮った力と、あの異形の獣とを繋ぐ言葉。そして黒幕と思われる“あの男”とやらの存在。
いったい、何者なのか。
「とりあえず、他の連中も無事のようだな」
シアとネリネと槍使いの戦い、それに楓とナイフ使いの戦いは終始一進一退のまま、突然敵が引き上げていったことで終わりを告げた。
「あー、しんどかったッス・・・。キキョウちゃんの援護無しで戦うのって、慣れないと大変かも・・・・・・」
「それにしても、口惜しいです・・・・・・。稟さまを侮辱したあの男、跡形もなく蒸発させて差し上げようと思ったのに・・・」
「リンちゃん、黒い・・・・・・」
「稟くん、大丈夫ですか？」
「ああ、俺は何ともないよ。けど、すっかり足手まといだったな・・・・・・はは、情けない」
「「「そんなことありませんっ！！」」」
「うぉっ！？」
自嘲気味に呟く稟の言葉を、三人が一斉に否定する。
「私達はいつだって、稟くんがいるから力が出せるんだもん」
「稟さまのためを思えばこそ、私達は強くあれるんです」
「だから、そんな風に自分を責めるのはやめてください、稟くん」
シア、ネリネ、楓の切実な表情を見て、稟は祐漸に言われたことの意味が、少しだけわかったような気がした。
彼女達に守られてばかりで何もできない自分はいまだに歯痒いが、彼女達のために自分がすべきことが何なのかはわかった。
「シア、ネリネ、楓・・・・・・ありがとな」
そう言って笑いかけると、三人ともこれ以上ないくらい輝かしい笑顔で、稟の胸に飛び込んできた。
雷撃と黒い霧のぶつかり合いは、最後まで互角の状態で終了した。
「残念・・・・・・どうやら時間切れのようですねぇ。ヒヒヒ・・・・・・次は必ずあなたを屈服させて、身も心も私の奴隷にしてあげますよ」
「絶対にお断りよ！」
去り際に特大の雷撃を見舞ってやったのだが、バジルは自身も霧のようにその場から消え失せていった。
「あの城の時は僅かに姿を見ただけだったが、随分と様変わりしていたようだな」
「嫌な奴なのには全然変わりなかったけどね。けどあの力はほんとに、別人みたいだった・・・・・・」
今の体になってから密かに試していたことだったが、キキョウの扱う魔法の威力は、シアの体に共にあった時よりも明らかに強くなっていた。にもかかわらず、それと互角以上だったバジルの異様な力は、いったい何だったのか。
キキョウは、バジルの変化に薄気味の悪いものを感じていた。
「チェーィ！ どうやら撤退命令が出たようだ。これまで、だ、が！」
ムチ使いの攻撃が、今まで一度も狙わなかった方角から、非戦闘員のことりとプリムラを狙って放たれた。
「しまった！」
突出していた亜沙はそれに対処できない。
さやかがそちらに意識を向けようとして、やめた。また別の方向から飛び出してくる存在に気付いたからだった。
バチィンッ！
半ばからムチを切断されて、ムチ使いの男がバランスを崩す。ムチを両断してことり達と守ったのは、純一だった。
「ギリギリセーフ！ 間に合ったか・・・」
「純一くん！」
「朝倉純一！ チェィッ、あいつめ、仕留めそこなったのか？」
「大鎌を使う野郎だったらぶちのめしてから来たぜ」
「不甲斐ない奴、チェーィ！ 今日はこれまでだ」
敵が逃げようとした瞬間、それまでまったくその場から動かなかったさやかが手を振り上げた。
「見つけた！」
掲げられたさやかの手から炎が放たれ、ムチ使いに襲い掛かる。
「チェ、チェィー！？」
だがその炎は敵のいる場所から大きく外れた場所で弾けて、消滅した。その隙に、ムチ使いは純一達の前から逃げ去っていった。
「さやか、おまえ今、何狙ってたんだ？」
「んー・・・・・・手応えあったと思ったんだけどな・・・」
「は？」
どことも知れない、闇に包まれた空間。
その中に溶け込みそうな黒い装束を纏った男がじっと見ていた水晶球から炎が噴き出した。
男は咄嗟に下がって難を逃れたが、水晶球は炎に包まれて粉々に弾け飛んだ。
「驚いたね。まさか見つけられるとは思わなかった」
最後に水晶球に映っていたのは、純一やさやか達の姿だった。そして炎を放ったさやかの視線は、最後の瞬間確かに男の方へ向けられていた。
空間を隔てた場所に存在している男の存在を察知し、見つけ出し、攻撃まで加えてくるとは予想外だった。妙に戦闘に集中していないような雰囲気があったのは、ことりとプリムラを守りながら亜沙の援護をし、その上ここから見ていた存在のことまで探っていたからだったのだ。
予想外と言えばもう一つ。送り込んだ刺客の中で倒されたのは、純一と戦った一人だけだった。いずれも祐漸を相手にするには役不足だが、それ以外の相手ならば充分に圧倒できると思っていた者達だった。実際、王女達とも互角以上に渡り合っていたというのに、それほど警戒していなかった純一にだけ敗北した。
「白河さやかと朝倉純一、か。そういえばこの二人に関しては、最後に戦った天上世界ヴァルハラでのデータがなかった分、過小評価をしていたみたいだね」
この二人のことは、少々侮っていた。
しかしそれも、あくまで侮っていた程度のことだ。深刻な脅威と感じるほどのものではない。
やはり最大限に警戒すべきは、祐漸唯一人。
義仙が想像以上に善戦したお陰で、祐漸の実力をかなり引き出すことができた。
「君はどう見たかな？ 祐漸クンのこと」
黒服の男は、背後の空間に向かって語りかける。
そこに、もう一人男が座っていた。闇の中で、はっきりと姿は見て取れないが、褐色の肌に、逆立った黒髪、そして爛々と炎のように光る真紅の眼をした男だった。
「大したこたぁねーな。あれが奴が実力の半分にも満たなかったとしても、オレの敵じゃねーよ」
褐色肌の男の言葉に、黒服の男は満足そうな笑みを浮かべて頷いた。
次回予告＆あとがきらしきもの
久々の戦闘シーンということで、やはりメインになるのは純一と祐漸の二人。残りの面子に関しては省略。大事な部分はしっかり描いてあるのでそれでよし。
今回見せた義仙の変貌のイメージは、ゲームの「鬼武者」。今まではいかにもやられ役、といった感じの敵しか出てこなかったこの物語も、いよいよ大物の敵が登場し始めた感じだ。パワーアップした連也のライバル義仙は祐漸と互角の勝負を演じ、名前も明かされない雑魚敵ですら純一達を苦しめるレベル。黒幕と思しき謎の男や、その“切り札”もちらちらと姿を見せ始めて、いよいよ“新章”といった雰囲気になってきた。
それはそうと、完っ全に後で気付いたのだが新キャラ・アイリスは神王の三人いるお妃様の一人と同じ名前であった。花の名前で拘ったがための思わぬ失敗だった。まぁ、今後神王妃達を登場させる予定はないし、その辺り気にしない方向で・・・。
次回は、力を与えられた謎の男の下へ戻った義仙はそこで選択を迫られる。