「♪〜」

 ホワイトガーデンの近くに停まった馬車から、一人の女性が鼻歌を歌いながら地面に降り立って歩き出す。
 藍色の長い髪を持ったヴォルクスの女性は、清楚な白いドレスに身を包み、手にはワインボトルを持って楽しげな様子で館へと向かっていく。その姿を見れば、十人中九人の男が振り返ってみるだろうほどの美人である。特に今は、柔らかな印象を受ける笑みが、その魅力を引き立てていた。
 門を潜って館の内へ入ってきた女性を最初に見止めた純一も、思わず彼女に見惚れる。
 容姿の美しさもさることながら、彼の目を引いたのは特にその――。

「だ・か・ら! どこを見てるのっ、純一くんは!」

 横にいることりがその耳をぎゅっと強く引っ張る。しかし悲しい男の性を許してくれと純一は思うのだった。
 ネリネすらをも上回るかと思われる見事な胸を目の前にしては。
 だが、純一の男としての主張は、ことりのきつい視線によって、にべもなく却下された。視線というものは時に物理的圧力すらも持つものだというのは常々感じていることだが、今日もまた強くそれを認識するのだった。

「こんにちは」
「あ、はいっ、こんにちは」
「ども」

 ことりはことりで、女性の綺麗さを前に少し声が上擦っていた。

「よかったら、祐漸君に取り次いでもらってもいいかな? アイお姉さんが来た、って言えばわかるから」













 

真★デモンバスターズ!



第30話 複雑な恋愛模様















 ここ、ホワイトガーデンに滞在するようになってから半月ほどが経っていた。
 大きな変化もない毎日だったが、少しだけ以前と違った人間関係も生まれていた。例えばこんな二人――。



 庭の一角で木々と草花に囲まれて瞑目していた連也は、遠くから声が近付いてくるのに気付いて薄く目を開いた。

「キキョウちゃ〜ん、どーこー?」

 声の主は、シアだった。稟の恋人の一人で、神王家の姫。連也とは数えるほどしか言葉を交わしたことはない相手だった。
 きょろきょろしながら歩いてきたシアは、連也の姿を見止めると小走りにやってきた。

「連也さん、キキョウちゃん見ませんでした?」
「いや、見ていない」

 答えを返すと、シアは残念そうに「そうですか」と言って踵を返す。

「キーキョーウーちゃ〜ん! でーてーおーいーでー! お姉ちゃんだよー!」

 呼びかけを続けながら、シアはその場から立ち去っていった。
 その姿が完全に見えなくなり、声も大分遠ざかったところで、連也が背後の気配の主に向かって語りかける。

「行ったぞ」
「・・・ごめん、助かった」

 連也の背後にある庭木の影に、キキョウは隠れるようにして座り込んでいた。少し前にやってきて、連也に向かって人差し指を口の前で立ててみせてそこに隠れたのである。 この姉妹が二つに分かれた日以来、こうしたことは何度かあった。 互いにそれほど親しいわけではないが、宴会明けの時に言葉を交わして以来、普段一人でいることの多い二人は、自然と近くにいることが多くなっていた。どちらも人の輪の中心にいるのが苦手な性質なため、この距離は、似た者同士のそれかもしれない。
 これまでは言葉を交わすことはほとんどなかったが、連也はほんの少しだけ、キキョウの行動の理由が気になった。キキョウの方も、話し相手がほしそうな気配だったことも起因して、この日の連也は珍しく、自分から口を開いて問いかけた。

「どうしたのだ?」
「どう・・・ってほどのこともないけど、ちょっと静かな気分になりたかっただけ」
「姉が煩わしいか?」
「そんなことない! そんなことは・・・ないんだけど・・・・・・ちょっとベッタリしてきすぎるっていうか、気持ちはわかるんだけど、さすがに四六時中くっつきまわられたらあたしだって疲れちゃうのよ。・・・変よね・・・ついこの間までは、 文字どおり一つだったのに・・・」
「一体であることと、共にいるとのでは、違いもあろう」
「まったくシアは・・・自分からこうしようって言ったくせに妹離れができないなんて、仕方ないお姉ちゃんよねっ」

 叱るような口調。けれど、怒っているのとは違う。どちらかというと、照れているように連也には感じられた。
 本当は自分も姉と共にいたいのだろう。二人に分かれて触れ合えるようになったことも嬉しいのだろうが、触れ合っている様子を人前に晒すのが恥ずかしいのか。

「難儀な性分だな、お主も」
「ほっといてよ」

 拗ねたような声をキキョウは上げる。けれど伝わってくる気配は、どこか心地よさげだった。

「・・・あんたの傍だと少し落ち着ける。もうちょっといてもいい?」
「好きにすると良い」

 連也も、悪い気分ではなかった。



 この男の周辺にも、微妙な変化があった。

「別に屋敷内のどこにいようと構いはしないが、人の書斎をわざわざ溜まり場にすることもないだろうに」

 仕事机の椅子に腰掛けた祐漸が室内に視線を巡らせる。
 中央のテーブルではさやかとイシスがティーセットを挟んで睨み合いをしていた。先ほどから、イシスが祐漸のためにお茶を煎れ、さやかが同じようにお茶を要求するとイシスはカップとポットと茶葉だけを渡し、しばらくして今度はさやかが祐漸の分のお茶も煎れようとしたところでイシスが、それは自分の仕事だと言い張り、ならば自分の分も入れろとさやかが要求するとイシスがきっぱりと断り、とそんなやり取りが延々と続いているのだ。
 そしてもう一人、本棚に寄りかかって本を立ち読みしているのは、亜沙だった。
 さやかとイシスは最初の頃から頻繁にこの部屋に入り浸っているが、ここ数日の間にそこへ亜沙が加わるようになっていた。
 本人曰く――

「だって稟ちゃんが鍛錬ばっかりでかまってくれないんだもん」

 とのことだった。それで魔法関連の勉強がしたいということで、この書斎に出入りするようになっていた。

「うーん・・・・・・」

 しかし、祐漸の書斎に置かれている書物はいずれも高度な知識を要求されるようなものばかりで、亜沙の手には到底負えないようなものばかりだった。
 そうするとたまに、イシスとの睨み合いに飽きたさやかが勉強の手助けをしたりするのだった。

「それにしても亜沙ちゃん、カエちゃんから聞いた話だと、魔法関連の勉強って嫌いなんじゃなかったっけ?」
「嫌いだった・・・過去形ね。まぁ、嫌いじゃなくなったからってそれまで全然勉強してなかったものをいきなり好きになる、ってものでもないからやっぱり全然興味は持たなかったんだけど。あのお城での戦いを潜り抜けて、もっとボクにできることがあったんじゃないか、って思ってね・・・」
「それで魔法を?」
「武芸の方は、楓ほどの才能はない、って先生から言われてたからね。なら、お母さんから受け継いだこの魔力を活かす方法を見つけ出してみるのもいいかな〜、なんて。とはいうもののチンプンカンプンだわこりゃ、あはは」

 頭の後ろを掻きながら笑い声を上げる亜沙に対して、さやかが苦笑してみせる。
 ここにある書物は、一流の魔導師でさえ苦戦するほどの高度なものばかりである。基本知識もおぼろげな亜沙がいきなり手に取るには、難易度が高すぎるだろう。
 実はこの書斎以外にも、もっと簡単な魔道書が置かれている倉があるのだが、それを知ってからも亜沙はこの書斎にいることが多かった。
 このガーデンに来て以来、毎日のように鍛錬を続けている稟と一緒にいられる時間が少ないからと言って、退屈凌ぎなら他にいくらでも居場所があるはずだった。にもかかわらず、亜沙がこの場所に拘る理由となると、一つしか考えられなかった。
 さやかとイシスは早い内から直感的にそのことには感付いていた。

(祐君と亜沙ちゃん、か・・・・・・亜沙ちゃんのお母さんが祐君の知り合いだったって話だけど、それでちょっと気になるって感じなのかな・・・?)
(やはり祐様の周りには自然と女の方が集まるものですね。昔から、そうなんですから・・・)

 三人の間に微妙な空気が流れていることに気付かない祐漸ではなかったが、わかった上であえて何も言うことはなかった。純一や稟ならば、そんな空気に気付かないほど鈍いか、逆に気付いたら動揺してうろたえることだろうが、祐漸はむしろこうした空気の中に身を置くことは望むところだった。
 口ではどうこう言いつつも、実際は書斎が華やかな空間になっていることを楽しんでいる祐漸は、機嫌の良い表情で手元に視線を落とす。

「ところで、祐君はさっきから何やってるの?」

 今、祐漸の手には一振りの剣があった。
 見た目普通の剣だが、見る者が見ればわかる“すごみ”というものがあった。実際、そこら辺に転がっているのような代物ではなく、それなりに曰く付きの名剣である。

「連也が使えそうな刀を倉で探してる時に、ついでに引っ張り出してきたものだ。たまには手入れもしないとな」
「連ちゃんの刀、見せてもらったけど前のやつよりいい刀だったよね。その剣にしてもそうだし・・・・・・でも、そんないい剣をいっぱい持ってるのに、祐君自身が剣を使ってるところ見たことないよね?」
「仕方ないだろう。俺の場合、大抵の武器よりも自分の氷で生み出した武器の方が強い。俺の力を十二分に引き出せる手頃な武器がないんだよ。この剣にしても、氷刀と大差ない。だったら余計な荷物を持ち歩くより、身軽な状態でいられる方がいいだろう」
「確かに、そうだね」
「それでも昔から、俺の力をさらに引き出せる武器を探し歩いてはいるんだがな。この剣や連也にやった刀は、その過程で手に入れたものだ」

 そして、純一と戦うことになったのもそれが原因だった。桜華仙ならば祐漸の望みに適うだけのものだったのだが、残念ながらあれは純一にしか使いこなせないものだった。あれ以降、武器探しはまったくはかどっていない。

「そんな祐君でも、やっぱり武器がほしいって思うんだ」
「・・・・・・例えばエリスだが、俺とあいつは素手ならほぼ互角だ。だが、もし仮に本気で戦えば俺はあいつには勝てないだろう。あいつが持ってるのは大陸最強の四大宝剣の一つ、魔剣レヴァンテインだ。あれを相手に、素手では勝てん。あいつとは何度か大喧嘩をして本気に近い状態でやりあったこともあるが、あいつが魔剣を使ったことは一度もない」
「あれ、でも私達がエリスちゃんとはじめて会った時、あの剣で攻撃してなかった?」
「あんなのはただの挨拶だ。剣の力を一割も解放していない」
「そうなんだ」
「ていうか、挨拶に剣で攻撃するって、どういう関係よ・・・?」
「竜王エリス様は昔からそういう方でした。お二人が喧嘩をすると、後片付けが・・・・・・」
「大変なんだ?」
「・・・・・・いえ、魔王様と神王様の時よりはマシでした・・・」

 どんよりとした顔で俯くイシスを、先ほどまで喧嘩腰でいたさやかが労わりの表情で慰める。祐漸を巡っての争いがなければ、この二人はそれほど相性が悪いわけではないようだった。
 先ほどまでの殺伐とした空気は一転して、のんびりとした感じに変わっていた。落ち込むイシスと慰めるさやか、二人から目を離し、祐漸は剣の手入れ、亜沙は読書とそれぞれの作業に戻る。
 そこへ、ノックと共に憮然とした表情の純一が入ってきた。

「おら祐漸、お客さんだぞ」
「・・・何を不機嫌な顔してる、おまえ?」
「はっ、いいよな、美形サマには美人サンがたくさん寄って来てよっ」
「何ヘンな逆ギレしてるの、純一くんは・・・」
「要するに、美人さんが祐君を尋ねてきたってことでしょ? ふ〜ん」

 ジトっとした目で睨んでくる純一とさやかの視線を黙殺して、祐漸は唯一普通に話が通りそうなことりに客人を通すよう促す。
 そして、入ってきた人物を見た途端、イシスがハッと驚きの表情を浮かべ、祐漸自身も軽く目の端を引きつらせた。

「こんにちは、祐漸君」



 自然と部屋を追い出された純一達は、軽く開いたドアの隙間から中を覗き見ていた。

「・・・・・・・どちらさま?」
「現西王アルグレヌス様の姉君、アイ様です」

 さやかが代表して口にした疑問に対して、イシスが答えを返す。
 書斎の中で、テーブルを挟んでソファに腰掛けた二人の間には、何か不思議な雰囲気が漂っていた。それを見ているさやかとイシス、それに純一は面白くなさそうな表情をしていた。
 三人よりは冷静なことりと亜沙も興味があるのか、後ろから中を覗き込んでいる。



 テーブルの上に置かれた二つのグラスに、ワインが注がれていく。
 注ぎ終わってボトルを置くと、アイという女性がグラスを手に取る。それに合わせて、祐漸も自分の前に置かれたグラスを持ち上げた。

「ひさしぶりの再会に、乾杯♪」

 嬉しげに声を上げて、アイはグラスを傾ける。祐漸は軽くグラスを上げてみせると、同じくそれを口元へ運んだ。
 一口飲んだところでグラスを置き、祐漸が前に座る女性へ見据える。

「で、西王の行かず後家の姉君殿が何の用だ?」
「わー、ひどいな〜、祐漸君ったら。昔はもうちょっとかわいげがなかった?」
「あの頃はサイネリアがいたからな。毒はほとんど向こうに吐いてて、そっちまでまわらなかったんだろ」
「そうだね。あの頃は楽しかったよね。陛下と、セージさんと、リアさんと、私と・・・そして、祐漸君」

 もう一人ほどいたのだが、あえて指摘することもあるまい。執事などは物の数に入れるべきものではない。いや、あれは少々、というかかなり特殊なわけだが。
 当時は確かに楽しかったと言えないこともなかった。祐漸にとっては普通だったが、他の皆にとっては。
 今から二十年ばかり昔の話。祐漸はまだ十歳ほどの子供だったが、早くから将来の魔王候補として、当時の魔王の息子として次期魔王となるべき存在だったフォーベシィと共に、様々な知識を得るために勉学に勤しんでいた。というのは表向きの話で、実際には歳の離れた悪友として、悪巧みの仕方などというおよそ王となるべき人間に相応しくない事柄について語り合っていた。
 まだ魔王という立場になかったあの頃のフォーベシィは、自由気ままな生活を楽しんでいた。
 そのフォーベシィの婚約者として頻繁に魔王邸を訪れていたのが、西王家の姫君であったアイである。それにフォーベシィの妹であるサイネリア、そしてメイドとして屋敷に仕えていたセージ、あとは時々やってくる当時の神王の息子ユーストマも入れて、騒がしくやっていたものである。ついでに、執事のバークも、フォーベシィへの愛を叫んでアイやセージと張り合ったり 、ユーストマと力比べをして屋敷を半壊させたり、それが原因でリアに椅子で張り倒されたりして、騒がしさに拍車をかけていた。

「・・・・・・・・・」
「どうしたの? 祐漸君」
「・・・いや、俺の性格がひねくれてるのは周りにいた大人達が原因のような気がしてな」
「そうかなぁ。祐漸君は、はじめて会った時からそんな感じだったよ? 一言で言うと、おませさん? まぁ、だからあんな約束事をすることになったのかな」

 約束事、と聞いて祐漸は軽く顔をしかめる。あまり思い出したくない類のことではあった。
 あれはフォーベシィがセージを妻にしたいと求め、北王家の養女となる話が浮かんだ時のことだった。祐漸とセージが形の上だけとはいえ義理の姉弟になるというので、祐漸にセージを姉と呼ばせようという企画を唐突にリアが立ち上げた。アイも加わって紆余曲折を経た後、祐漸は口で言い負かされたら彼女達のことを姉と呼ぶように、という約束をさせられた。何故かセージだけでなく、リアとアイのことも。
 この三人に対して降参の意を示す時、祐漸は彼女達のことを姉と呼ぶ。それは、今も律儀に守っていることだった。
 「かわいい弟」とも「かわいくない弟」とも言われ、散々彼女達の玩具にされた覚えもあったが、祐漸にとって確かに彼女達は姉と呼べる存在で、慕ってもいた。
 他に幼い頃に親しかった異性だと、イシスは妹のようなもので、エリスは年上だったがほとんど同い年くらいの感覚で、常に喧嘩が絶えなかった。かなり早熟だった祐漸は他にあまり同年代の親しい相手はおらず、はじめは年上の女性に惹かれることが多かった。
 そう、“彼女”も年上だった。そして、アイ達と共に過ごした時期というのは、ちょうど“彼女”を失ったと思っていた直後の頃だったため、三人との日々に救われた部分も少しあった。

「約束って言えば、はじめて一緒にお酒を飲んだ時のこと、覚えてる?」
「ああ、十のガキに無理やり酒を勧めるとんでもない大人達のことだからな」

 きっかけは何だったか忘れたが、アイとセージと三人で酒を飲み交わしたのだ。その時にした話というのが――。

「あの時、セージさんと私の、陛下に選ばれなかった方を貰ってくれる? って祐漸君に聞いたんだよね」
「酔った上での冗談だろ。実際、セージは覚えてもいないほどだったろうが」
「私は、わりと本気だったんだよ」
「・・・・・・・・・」
「そして、陛下はセージさんを選んだ。選ばれなかった私は、どうしたらよかったのかな?」
「望むなら、今からでも貰ってやろうか?」
「それは魅力的だね♪ でも祐漸君の心には、もう別の誰かがいるみたいだけどね。ううん、あの頃からいたのかな? それとも、別の誰かを見付けたのかな?  だけど、もしもまだ私にチャンスがあるなら・・・どう思う?」
「・・・さぁな。で、最初の質問に戻るが、何の用だ? アイねーさん」
「戻ってるみたいだったから、ひさしぶりに会いに来た、じゃダメ? ああ、あとお手紙の返事、全然くれそうにないから、直接聞きに、っていうのもあるかな」
「おまえの方のやつか? それとも、弟の方のか?」
「両方。アル君は特に、お返事期待してたよ」

 アル、というのはアイの弟で、現西王であるアルグレヌスのことである。おそらく、現在の九王の中で、一、二を争う食わせ者で、政治的権限、さらには軍事力ともに合わせて、魔王に次ぐ実質的なナンバー2であった。祐漸とは歳が近いが、仲が良いというわけではなく、むしろアイのことも含めて色々と因縁のある相手だった。
 手紙に返事を出したわけでもないのにアイが祐漸が戻っていることを知ったのは、アルグレヌスが調べていたからだろう。

「全部ノーコメントだ。是でも非でもない」
「そっか。うん、わかった」



「何の話してるんだ?」
「よく聞こえないけど、なんかすごく仲良さそうだね、あの二人」

 さやかと、それにイシスの二人の機嫌があまり良くないような気配を察して、純一は少し扉から離れる。そして首を捻って隣に立っていることりと亜沙に尋ねる。

「なぁ、何で微妙に機嫌悪そうなんだ、こいつらは」
「朝倉君は稟ちゃんと一緒で、ほんっと鈍いわね。二人の機嫌が悪いのは、あの人が綺麗な人と楽しそうに話してるからでしょ。ほんと、誰にでもああなの、あの人は・・・」
「・・・・・・」

 純一はことりの肩をちょんちょんと突付くと、亜沙からも少し距離を取って声のトーンを落として話す。

「亜沙も何か少し機嫌悪くないか?」
「うん、そうみたいだけど・・・でも、まさかね・・・」
「何がまさかなんだ?」
「・・・・・・純一くんの鈍さは美徳だよね、うん。空気が読めないわけじゃないから、いいのかな・・・」
「おーい、ことりさんや、俺にもわかるように話してくれ」
「いいの、純一くんはわからなくても」
「何だそりゃ・・・」

 自分だけ仲間外れになっている疎外感に、純一は軽く拗ねた表情になった。
 しかしわからないものは仕方がない、同じわからない者同士ということで、稟の様子でも見に行こうかという気になり、その場を後にしようとする。
 と、そこへ――。

「ちょっと、客が来てるって言うのに誰も出迎えに来ないっていうのはどういう料簡よ、あんた達」

 声に振り返ると、亜沙を除く全員が大いに驚いて声を上げた。







 一方、その頃の稟達。

「823!・・・824!・・・825!・・・・・・」

 庭の一角に、木刀を振る音が響き渡る。
 ホワイトガーデンはその名が示すとおり、広く美しい庭が特徴的な館で、庭の中心付近まで行くと館の喧騒はまるで聞こえず、静かな空間となる。その静寂の空間で、唯一空気を揺らすほどの音を立てているのが、稟の振る木刀の音であった。
 祐漸との一件以来、稟はずっと純一から剣の鍛錬を受けていた。といっても、時間の大半は素振りを中心とした基礎体力作りだった。
 この半月、稟の一日は朝起きてランニングと素振り、朝食を摂って昼までさらに素振りと筋力トレーニング、昼食の後はしばし休養、夕食前に再びランニングと素振りをこなし、夕食後の休養を挟んで夜に型稽古を少しやり、お風呂で汗を流しマッサージで筋肉をほぐしてから寝る、という感じであった。ちなみに余談であるが、最後のマッサージ権が土見ラバーズの間で争われたりしたのだが、最終的には交代制ということになっ ていた。

「897!・・・898!・・・899!・・・900!!・・・・・・」

 そんな稟の様子を毎日飽きもせずに見守っているのが楓であった。
 最初の内は土見ラバーズ全員いたのだが、亜沙を皮切りに、皆思い思いの時間を過ごすようになっていた。時々様子を見にやってくるが、ずっといるのは楓だけである。
 本当のところ楓は、稟にあまり無茶をしてほしくはなかった。祐漸や純一に何を言われたのかは知らないが、鍛錬を始めるようになった稟は、前よりは迷いのない顔をしていた。それでもたまに、強くなることに対して焦りのようなものを見せている。それがいつか、無茶な行動に繋がりはしないかと、楓は心配で堪らなかった。
 けれど、止めることはできない。稟の表情が、これ以上ないほど真剣であるからだ。
 稟が自らの意志で決めたことに対して、楓が異を唱えることはできなかった。
 それにそれが、楓達を守りたいという気持ちによるものだということがわかるため、少し嬉しいと感じてしまう自分がいるのも事実だった。
 少しだけ、稟に守られる弱い自分でいられたら、と思うこともあった。
 けれど、もしも今度、大きな危険が迫ることがあったなら――。

(その時は絶対に、私が稟くんを守ってみせます。何があっても・・・)

 稟と離れ離れになり、多くの戦いを経験し、そして稟と再会して、今、楓は胸に揺るぎない決意を漲らせていた。

「はぁ〜〜〜・・・・・・こっちにもいないか・・・」
「あ、シアちゃん」

 深いため息と共に背後から現れたのは、シアだった。楓の次に稟の下を頻繁に訪れるのが、このシアである。

「またキキョウちゃんに逃げられちゃったんですか?」
「そうなのカエちゃん〜っ! 最近キキョウちゃんがかまってくれなくて寂しいの〜!」

 泣きついてくるシアを抱きとめながら、楓は苦笑いをしながら稟の様子を窺う。
 シアが結構大きな声を上げているにもかかわらず、少しも気が散っている様子もなく素振りを続けている。相当集中しているようだった。

「998!・・・999!・・・・・・1000!!」

 区切りの千回目を振り終えると、稟はしばらくその状態で静止していた。
 ピンと背筋を張った立ち姿に、楓とシアはしばし見惚れる。
 一分ほどして構えを解いた稟は、木刀を左手に持って楓達の方へやってきた。楓は素早くタオルを取り出すと、稟に手渡した。

「おつかれさまです、稟くん」
「サンキュ、楓」
「稟くん、かっこいい〜♡」
「格好だけなら、ちょっとは様になってきたかな」

 稟が腰を下ろすと、両隣に楓とシアがそれぞれ同じように座り込む。楓はこれまた素早く用意していた水筒を取り出し、コップを稟に渡した。
 それを受け取りながら稟は、楓に礼を言いつつシアの方に顔を向ける。

「シア、またキキョウに逃げられたんだって?」
「あ、聞こえてた? そうなの・・・・・・なんかここのところ、キキョウちゃんが冷たい・・・」
「う〜ん、それはあれじゃないのか? 微妙な妹心、みたいな感じで照れてるとか」
「そうなのかな?」
「じゃないか? 俺も似たような経験あるし」
「稟くんが?」
「ああ。プリムラが“お兄ちゃん”って呼ぶようになってしばらくした頃、思い切り猫可愛がりした時期があってな、そうしたらその内なんか避けられるようになって、一週間くらい口聞いてくれない時があった。あの時は結構落ち込んだよ・・・」
「そ、そうなんだ・・・」
「そういえば、ありましたね、そんなこと・・・」

 その時のことを思い浮かべ、楓はまたも苦笑いを浮かべる。楓はその時、稟とプリムラの両方から相談を受けていたのだ。相手にどう接していいのかわからない、と。元の鞘に納まるまで、ちょっと苦労させられたものだった。
 とはいえ、どちらも互いのことを想っていることに違いはないのだから、そう深刻なものでもなかった。
 おそらく稟が言うように、シアとキキョウの状態も似たようなものだろう。
 ただ一つ気がかりがあるとすれば、キキョウがそういう心境を相談する相手がいるかどうか、ということだった。
 キキョウは誰かと特別仲が悪いということはないのだが、心底気を許している相手というとシアと稟の二人だった。その二人に相談できない状態で、キキョウはどうしているのか。

「あれ?」
「ん?」
「・・・どうした、二人とも?」
「いえ、その・・・・・・何だか館の方からただならぬ気配がするというか・・・」
「何かすごそうだね・・・。けどこれは、迂闊に触れない方が良さそうな雰囲気かも」







 場所は戻って祐漸の書斎。
 何故かはわからない、が、純一の本能は一刻も早くその場を立ち去るべきだと告げていた。別に表立って険悪な雰囲気なわけではないのだが、どうしてだから異様な空気が流れていた。
 同じことはことりも感じているようで、二人してじりじりと後退する。
 渦中にいるのは純一とことり以外の面々。中心にいるのは祐漸である。その傍らに立って顔を背けているイシス。向かいに座ってニコニコしているアイ。少し離れた場所で成り行きを見守っている亜沙。幸せそうな顔で床に突っ伏しているさやか。そしてそのさやかを踏みつけているのが今さっきやってきた五人目――。

「西王家の外務官殿が何でこんなところにいるのよ?」
「竜王様こそ、お忙しいんじゃなかったのかな?」

 皮肉っぽいやり取りをしながらその少女、いや少女の姿をした王、エリスは鼻を鳴らしてアイの隣に腰を下ろす。
 ちなみにさやかが床に突っ伏しているのは、エリスが現れた時に抱きついたところを引き剥がされ、蹴り倒された結果であった。踏まれていたくせに本人は楽しそうである。

「イシス、紅茶をちょうだい」

 アイが勧めるワインを断って、エリスがイシスに言いつける。イシスは表情を見せないまま一礼し、ティーセットの置いてある所へと向かった。

「何しに来た、エリス?」
「言わなくてもわかってるでしょ」

 テーブルを挟んで向き合った祐漸とエリスの視線が絡み合う。強い視線を向けているのはエリスの方だけで、祐漸はそれを適当にかわしているように見えた。
 以前会った時のように声を荒げることはなく、静かに真剣な表情をしているエリスだったが、苛立っていることを示すようにイシスが持ってきた紅茶のカップを掴む動作が乱暴だった。
 淹れたてで湯気の立ち昇る紅茶を一口で煽ると、また少し落ち着いた様子で口を開く。

「いい加減、勝手気ままはやめなさい。今は、あんたの力が必要なのよ。はっきり言って、アルグレヌスは信用ならないし」

 その名前を出す際、エリスは隣で悠々とワイングラスを煽っているアイを睨み付ける。こちらも祐漸と同じで、どれだけ鋭い視線を向けられてものらりくらりとしたものだった。

「俺が出て行ったところで事態が好転したりするかよ。むしろ混乱が増すだけだ。元より、おまえが言うように表舞台に出て行くつもりはないしな」
「何でよっ!?」

 落ち着いた状態は一分も続きはしなかった。
 エリスが声を荒げてテーブルを叩くと、室内の空気全てが震えたような感覚が走る。
 怒気を発しているエリスから感じさせられる威圧感は、祐漸のそれと同等か、それ以上だった。

「それと、おまえもだ」
「アタシが、何よ?」
「おまえもこれ以上うろちょろするな。今動いても何も変わらん」
「なら、どうしろって言うのよ? このまま放っておいたら、ヴォルクスとソレニアの全面戦争は避けられないわよ?」
「フォーベシィが動くまで待て。魔王家と、それから神王家の動きに目を光らせてることだ。動くのは、それを見極めてからでいい」
「・・・・・・あんた、やっぱり何か知ってるわね、フォーベシィの企み」
「おまえもアイも、久しぶりのガーデンだ。好きに寛いでいけ」

 それきり祐漸は口を開かず、剣の手入れに没頭していった。
 しばらくその様子をじっと睨んでいたエリスだったが、暖簾に腕押しと悟ると、大きなため息をついてソファの背もたれに身を預けた。復活したさやかがソファの後ろから乗り出すようにその身に抱きつくが、振り払うのも億劫なのかなすがままにしていた。
 誰も口を開かなくなったところで、純一とことりは書斎を後にした。







「ふぅ・・・・・・ヘンな汗掻いた・・・」
「うん・・・・・・」

 純一とことりは館を出て庭の一角を歩いていた。暇な時はこうして二人で庭を散策するのが日課のようになっているのだが、毎日それを繰り返しても飽きないガーデンの広さと美しさには感心する他なかった。
 書斎では異様な空気に晒されていたため、外で風に当たるのは気持ちよかった。
 エリスの祐漸に対する剣幕を除けば、特にピリピリしていたわけでもないのだが、どうしてだか祐漸を取り巻く女性達の間に奇妙な緊張感が漂っているような気がしたのだ。

「要するにあれか? 祐漸を巡っての女の戦いなのか、あれは?」
「あー、鈍い純一くんにもやっとわかったんだ」
「・・・なんかひっかかる言い方だな、ことり・・・・・・。けど、稟の周りだとあんな雰囲気はないよな?」
「そこは、土見君と祐漸さん、楓さん達とさやかさん達の性格というか、性質の違いなんじゃないかな」
「主に前者って気がするな」

 稟は包容力があり、来る者全てを受け入れようとするところがある。争いごとが嫌い、というのもあるかもしれない。
 反対に祐漸の方は、自分の傍に置く人間を厳選する。女なら誰彼構わず口説いているのだが、本当の意味で傍に置くのはごく一部だった。その上、傍に居る女達が己を巡って争う様をむしろ楽しんでいる節さえあった。
 女性を強く惹きつけるという点においては似ているのだが、その本質はまるで正反対、水と油のような二人だった。

「なんか、そうやって比べてみるとちょっとおもしろいね」
「そうか? 俺はいつあの二人がガチンコで衝突し合うかと思うと、かったるくて仕方ないんだが・・・」
「それは確かにそうかも・・・」
「でもちょっとおもしろいというのも事実だ。ここは一つ、俺達以上にあの二人両方をよく知ってる奴の意見を聞いてみるというのはどうだろう?」
「誰?」
「ほれ、ちょうどいい具合に向こうから来た」

 そう言って純一が指差した先で、ネリネとプリムラが並んで歩いてくるのが見えた。元々姉妹のような間柄だというこの二人は、ガーデンに来て以来、よく一緒に過ごしていた。

「よっ」

 純一が声をかけると、それぞれに挨拶を交し合う。

「なぁネリネ、突然だが一つ取材したいことがある」
「取材、ですか?」
「うむ。祐漸と稟の生態系の相違についてだ」
「生態系って・・・未知の生物じゃないんだから・・・」
「生態系・・・・・・・・・?」
「リムちゃん、この人の言うことをあまり真面目に考えちゃ駄目だよ」

 首を傾げているプリムラをことりが諭している。純一からすれば微妙に失礼な物言いをされたような気もするがそれは置いておく。
 ネリネはというと、少し考えてから口を開いた。

「例えるなら・・・・・・稟さまは大地、祐漸様は空、でしょうか?」
「大地に、空?」
「お二人とも、私にとっては広く、大きな存在です。稟さまの傍にいると、常に地面に足がついている感じで、とても安心できます。逆に、祐漸様の傍だと、少し怖い気がします。けれど、嫌な怖さではなくて、どこまでも高く、遠くへ行けそうな期待感と不安感が混ざったような、そんな感覚です」
「だから稟が大地で、祐漸が空、か・・・・・・なるほどな」

 なかなか納得させられる意見だった。
 今の理屈だと、先ほどの違いにもある程度の説明がつけられる。
 大地の上には、誰でもいることができる。だから稟の周りの女達は、争うことなく、その場所にいつづけることができる。反対に、空にいられる人間は限られている。しかもその空の上で、祐漸はどこまでも飛んで行ってしまうから、それを追いかける女達も、常に追い続けなければならない。だから、競争意識も強まるのかもしれなかった。
 おもしろい発想の仕方だが、さすがに昔から祐漸と稟の両方をよく知っているネリネだけに、的確な表現かもしれなかった。

「ちなみにこの発想でいくと、浦様は山、朝倉様は海、といったところでしょうか」
「連也の山はなんとなくわかるが、俺が海ってのはどういう発想だ?」
「掴み所がない、ってことじゃないかな」
「むぅ・・・・・・?」














次回予告&あとがきらしきもの
 ちょっと長くなった。かねてより熱望されていたアイの登場、エリスの再登場、それに加えて祐漸と稟を取り巻く人間模様の整理のような話になった。本当はもう少し話が進むはずが、思ったより長くなったので結局今回も終始ほのぼのペース。次はまた新展開となるであろう。
 さて今回は、色々と新しい人間関係がちらほらと。アイの扱いは当初から考えどころの一つだったわけだが、セージ、サイネリアと登場させていく内に祐漸の姉のような存在から、それが長じて恋愛感情も生まれたような形になっていった。この辺り、アイの細かい心情は、祐漸の周りの女性陣達による番外編で語られることになる。亜沙の微妙に揺れてる部分は、稟の周りだとあまり波乱が起こらないので入れてみた要素である。初登場の回からきっかけはあったので、そこから発展させているのだが、これまた番外編で詳しく。最後に、おそらく意外なカップリングとなる連也とキキョウ。連也の周囲に華がないことと、キキョウと特別仲の良い存在というのがシアと稟以外にいないため生まれた形である。といっても、このまま二人がくっつくのかというとそう単純なものでもなく、カップルというよりは、今後この二人はコンビのような感じで一緒に行動することが増えることとなる。

 次回は、強くなる夢のイメージに導かれた純一は・・・。そして祐漸の前に現れた敵は・・・。