そわそわとして落ち着きのない様子で、稟がソファから立ち上がり、室内を右往左往しながらため息をつく。

「八回目」
「は?」
「お兄ちゃんが席を立った回数」
「ちなみに、ため息の数は今ので三十二回目です」
「ちょっとは落ち着きなさいよ稟ちゃん。お産を待ってるお父さんじゃないんだから」
「いやしかしですね、亜沙先輩・・・」

 稟の落ち着きがない理由は、シアとキキョウにあった。
 空が白むまで続いた宴会の後遺症で昼過ぎになってからようやく起きた稟達は、シアから祐漸の言ったことを聞かされて驚いた。さらにシアとキキョウは、その申し出を受けることにしたという。キキョウの方ははじめは渋っていたらしいが、シアが説得して首を縦に振らせた。
 ちゃんと向かい合いたい、というシアの願いに、キキョウも折れる形になったようだ。
 そして今、祐漸はさやか一人に手伝いをさせて儀式を行っている。その間、稟をはじめとする面々は居間で待機となっている。

「はぁ・・・」
「三十三回目ですね」

 儀式が始まって一時間余り、稟はずっとこんな調子だった。
 本人は否定しているがその姿は紛れもなく、お産中のお父さん以外の何者でもなかった。
 もっとも他の皆、楓にネリネ、亜沙にプリムラの四人も、端で見ている形の純一とことりからすれば十分に落ち着いていないのだが。ネリネはしきりに部屋のドアを気にしており、プリムラはぬいぐるみ を形が変形するほど強く抱きしめており、亜沙はリボンを巻いた髪を弄り回している。楓も手元と稟の様子を交互にちらちらと見ていた。













 

真★デモンバスターズ!



第29話 北の館にて・後編















 儀式に入っておよそ二時間ほどが経過しただろうか。稟のため息の回数がちょうど五十回を数えたところで、居間のドアが開いた。

「おっまたせ〜!」

 最初に勢いよく入ってきたのは、さやかだった。少し疲れた様子を見せながら、いつもと変わらぬ底抜けに明るい表情が、事の成否を如実に物語っていた。
 ざわめく皆を静めるように両手を前に差し出したさやかが、もったいぶった仕草で横に退き、背後のドアを指し示す。
 皆が、特に稟が身を乗り出すようにしてドアの方を凝視する。
 数秒間の間があった。
 おずおずといった感じで、ドアの淵に手がかかり――すぐに引っ込んだ。

「あ! キキョウちゃんっ、どこ行くの!?」
「は、放してってばシア! やっぱりあたしはいいってば!」
「何言ってるの! ほらってば!」

 ドアの向こうにシアの姿が見えた。誰かを引っ張っているようだ。
 相手の方は大分抵抗したようだが、生憎とシアの力の方が上だったようで、引きずられるように室内に入ってきた。
 引っ張り込まれてよろめく、シアと瓜二つの少女。ただ、シアと比べて若干目元の雰囲気が違っている。それに、満面の笑みを浮かべているシアに対して、こちらは困惑したように、また照れたように顔を赤らめていた。ちらちらと目の前にいる稟のことを気にしながら、視線を手元に落としている。

「キキョウ・・・」
「・・・・・・・・・稟」

 何もはじめて顔を合わせたわけでもない。シアと同じ身体を共有していた時から、何度も入れ替わって対面してきたのだし、今さら照れる理由などないはずなのだが、キキョウにとってははじめて持った自分だけの身体で稟と向き合うというのが非常に照れくさいことらしい。稟の方は稟の方で、名を呼ぶ以上に何を言えばいいのかわからずにいるようだ。
 妙な空気が流れる中、ドアから祐漸が顔を出す。

「何だ、俺には感謝なんかしない、とか食って掛かったくせに、随分としおらしいじゃないか」
「う・・・うるさいっ! シアがそうしたいって言うからそうしたんであって、あ、あたしは別に、頼んでないものっ!」
「フッ、気性の荒さは父親譲りのようだが、屁理屈を捏ねる辺りは母親似だな。まぁ、能天気な部分は姉の方が受け継いでるようだが」
「ふんっ!」

 キキョウはあくまで祐漸が気に食わないようで、赤い顔で眉間に皺を寄せて顔を背ける。が、その先に稟の顔があってまた照れたように俯く。
 その様子をニヤニヤしながら見ていた祐漸は、軽く手を上げてみせてその場を立ち去っていった。
 稟とキキョウが初心なお見合いのような雰囲気になっている後ろで、シアは祐漸の後姿に向かって深々と頭を下げていた。その体が、小刻みに震えていた。泣いているのか、と思ったが、弾けるように跳ね上げた顔は、これ以上ないくらいの、極上の笑顔だった。

「ん〜〜〜〜〜・・・・・・稟くんっ、キキョウちゃんっ!!」

 ガバッとシアがキキョウの背中に飛びつき、そのまま稟諸共に押し倒すように抱きついた。

「わぁっ!?」
「うぉっと!」

 シアと稟の間に挟まれて抱かれる形になったキキョウはますます顔を赤らめ、稟は二人分の体重を何とか支えて踏み止まった。

「ちょ、ちょっとシア!!」
「もう感激ッス! ずっとこうしたかったの!!」

 感極まったように笑いながら泣き出したシアに対し、キキョウも怒るに怒れず困った顔をしていた。稟も飛びつかれた時は少し驚いていたが、今は優しい笑みを浮かべて二人のことを抱きとめている。
 三人一緒に抱き合う姿はとても幸せそうで、見ている方が赤面してしまう。
 そこへさらに、稟の背後からプリムラがその腰に抱きついた。

「プ、プリムラ?」
「二人だけなんて、ずるい」
「では、私も失礼します」
「稟さま、私のことも受け止めてください」

 続いて、左から楓、右からネリネがそっと体を寄せていく。四方を囲まれて、さすがの稟も戸惑っていた。

「こらっ、あなた達! 稟ちゃんが困ってるでしょうが」

 救いの声に、一瞬稟の表情に安堵の色が浮かぶ。だが――。

「ボクのスペースも空けなさい!」

 と言いながらプリムラの上から覆いかぶさるようにして背後から抱きついてくる亜沙の行動に、稟はガクリと首を落とした。最初の台詞の意味は一体何だったのか。
 六人の少女達から同時に抱きつかれた稟は、どうしたものかと思い悩む。

「みんな・・・昨日からなんかスキンシップが多くないか・・・?」
「仕方ないでしょ。一年も離れ離れになってたんだから、稟ちゃん分が足りないのよ」
「何ですか・・・その意味不明な成分は・・・?」
「稟くん分はですね、稟くんが大好きな生き物が生きるために必要不可欠な栄養素なんです」
「こうして稟さまと触れ合ったり、語り合ったり、同じ時間を共有することで、摂取することができるんです」
「って・・・一般常識なのか・・・」

 亜沙の突飛な言葉に、楓とネリネが当然のような口調で捕捉を加える。

「お兄ちゃん分、充電・・・」
「稟くん。キキョウちゃんにも、一杯稟くん分をあげてね。もちろん、私にも」
「あたしは別に・・・まぁ、もらえるものは、もらっておくけど・・・」

 あまりに幸せムード全開な光景を正視していられず、純一とことりは若干顔を赤らめながら居間の隅へと移動していく。

「充電か・・・さくらがたまにやってるのと同じ理屈か・・・」
「・・・ふーん、今もやってたりするんだ、芳乃さん」
「う、いや、まぁ・・・な・・・・・・」
「だけど・・・うん、まぁ、楓さん達本人がいいなら、いいのかな・・・」
「何がだ?」

 何かを考え込むことりのことを純一が訝しがる。そうして思い出したのは、随分前に交わした他愛ない会話のことだった。
 稟とそれを取り巻く少女達の話は、その内の二人が神王家魔王家の王女だったということでかなり有名だったため、遠くの地に住んでいた純一達の耳にも噂として届いていた。そのことを話していた時、ことりは少しだけ悩むような素振りを見せていた。
 何人もの女性に慕われ、その全てを愛する。そうした関係が、ほんとに良いものなのか、と。
 もちろん、そんなに深く悩んでいるというほどのことではない。ただほんの少し、日常の中の些細な疑問として、ことりが口にしたことだった。
 今のことりも、どうやら同じことで考え込んでいるようだ。

「私だったら、やっぱりどうしても、いの一番に愛してもらいたい、って思う・・・。独占欲、強いのかな?」
「ま、愛の形ってのは人それぞれなんじゃないか?」
「朝倉君・・・」
「・・・って、何歯の浮くようなかったるい台詞を言ってるんだ、俺は」

 自分の口から愛の形などという言葉が飛び出たことで、純一はげんなりした表情になる。こういう台詞を言うのは自分のキャラではなかった。 そう、こうした気障な台詞は祐漸のもののはずである。

「まぁ、例えばだ。逆の場合を考えてみるぞ」
「逆?」
「祐漸のバカが性懲りもなくことりのことを口説いてきたとして、あの野郎とことりを分け合うなんてかったるい真似は俺は絶対にしない。俺はことりだけが好きだし、ことりにも俺だけを好きでいてほしい。うん、同じだな。俺も十分に独占欲が強い。似たもの同士だな、俺達、相性いいんだろ」

 はっきり好きという言葉を口に出し、純一は顔を赤くした。今日は集団性の赤面性が蔓延しているようだ。ことりの顔も赤い。

「・・・ねぇ、これから、純一くん、って呼んでもいい?」
「どうしたんだ、急に?」
「前からそうしたいな、って思ってたんだけど、きっかけがなくて。名前で呼んだ方が、もっと近くに感じられる気がしたから」
「ことりがそうしたいなら、俺は構わないぞ。むしろ大歓迎だ」
「うん、純一くん」

 やはり、幸せな空気というのは伝染するものらしい。
 稟達の幸せムードに当てられて純一とことりも、いつも以上に素直に自分の気持ちを表していた。自然と二人は体を寄せ合い、唇を重ね合った。
 そしてもう一人、そんな空気に当てられていた者がいたことに、その場にいた皆は気付かなかった。



「祐く〜んっ♪」

 ノックの返事を待たず、さやかは祐漸の書斎に潜り込んだ。
 難しい儀式にさしものこの男も魔力と神経を使ったか、祐漸は椅子にもたれかかって目を閉じていた。だが、眠ってはいない。
 さやかはドアを閉めると後ろ手に鍵をかけ、室内を横切っていって机の上に腰掛ける。そこから振り返って覗き込むと、祐漸が薄く目を開いた。

「何だ?」
「ねぇ、キスしてもいい?」

 あまりに率直な物言いだった。
 祐漸の表情は動かない。さやかの表情にも変化はなく、そこにある感情は読み取りづらい。
 普段から他人に深い部分を見せない祐漸は元より、さやかもあまり他人に心の内を見せない女だった。表裏のない、天真爛漫とした性格をしているように見えて、笑顔の奥の奥に隠した根元の感情は決して見せない。それはきっと、育った環境がそうさせたのだろう。
 この二人は、少し生まれた時の境遇が似ていた。
 幼い時から天才と呼ばれ、自分達自身でもそれを自覚し、周囲から期待の眼差しを向けられてきた。そこに純粋な願いはほとんどない。あるのは、その力を利用しようとする野心や、大きな力を疎ましく思う心などの、負の感情が大半だった。そんな悪意に子供の頃から晒されてきた結果、滅多に他人に感情を見せないようになった。
 だからだろうか。はじめて会った時から、さやかが祐漸に惹かれていたのは。それとももっと、別の感情があったのだろうか。
 感情を隠して生きるのが当たり前になってしまっているからか、自分の素直な気持ちすら、容易には信じられなくなってしまっているのかもしれない。ましてや他人の気持ちなど、まず疑ってかかるのが普通だった。
 けれどもし、互いに心を通い合わせ、信じ合うことのできる相手がいたとしたら。それはとても、幸せなことなのではないだろうか。
 純一とことり、それに稟達を見ていると、そんな風に思えるのだ。

「キス、してもいい?」

 もう一度尋ねる。

「おまえがそれを望むなら、俺に拒む理由はない」

 この男は、見かけによらず不器用だった。
 女性の扱いにとても慣れているように見えて、本当に好きになった相手には、素直な気持ちを表すことができない。
 そう思うのは、自分の願望かもしれないと思いながら、期待を込めて、さやかは顔を近付ける。
 二人の唇が触れ合う。
 しばらくそうして触れ合ったままで、時間が経過する。
 体を離した時、さやかの顔は赤く染まっていた。隠しようのない感情が、溢れ出てしまっていた。胸の動悸が、治まらない。

「・・・びっくりした・・・キスって、こんなにドキドキするものなんだ・・・」

 はじめてだったのは確かだった。けれど子供ではないのだから、もっと余裕を持っていられると思っていた。そんなものは、最初に触れ合った瞬間にどこかへ消え去っていた。
 見詰め合う相手の方は、それほど動揺しているようにも見えず、さやかは少し不満げに頬を膨らませる。どんな顔もしても、紅潮するのを抑えることはできなかったが。

「祐君は・・・余裕だね?」
「別にはじめてなわけでもない」
「なんか、ずるいな。私だけがドキドキしてるみたい」
「そう思うか?」
「んっ」

 今度は、祐漸の方から手を伸ばしてきて、体を引き寄せられた。
 先ほどよりも、もっと深いキス。
 口の中に広がる相手の感触に、心臓の鼓動がさらに速まった。それも、二倍三倍にも膨れ上がっているような感覚だった。

(ううん・・・そうじゃない)

 これは、自分だけの鼓動ではなかった。
 触れ合っている祐漸の心臓も、強く脈打っている。

「んむ・・・・・・・・・祐君も、ドキドキしてる?」
「さぁな」
「やっぱりずるい。そうやって隠すの」
「答えが知りたいなら、今夜寝室まで来い。続きを望むならな」
「・・・わかった」

 三度目のキスを終えた後、さやかは書斎を後にした。また夜に、そう言い残して――。







 翌朝。
 朝食の場に姿を見せなかったさやかを捜して、純一とことりは祐漸の部屋を訪れた。

「おーい、祐漸、さやか見なかったか?」

 ノックをしても返事がなかったのでドアノブを回すと、開いていたので中に入る。書斎にはさやかの姿はもちろん、祐漸の姿もなかった。
 まず目に付いた本棚を見ると、純一にさえ理解できないほど果てしなく難解そうな魔道書や、分厚い歴史書が多数並んでいた。興味を持って試しに一つ手にとってみたが、文字が古いこともあってさっぱり読めなかった。 普通に読めるものもあったが、内容がさっぱり頭に入ってこない。これらの書物を全て読んでいるのだとしたら、あの男の膨大な知識にも頷けるというものだった。
 本を棚に戻し、当初の目的へと戻る。
 書斎の造りはごく普通のもので、中には寝室へ続くものと思われるドアが一つあった。

「・・・まさか祐漸の奴、まだ寝てるのか?」
「あの人に限ってそれはないと思うけど・・・」
「いや、弘法も筆の誤りと言う。くっくっく・・・だとすれば、ここで一発寝坊したあいつの顔をじっくり観察して普段ぐーたらぐーたらと言われてる鬱憤を晴らしてやるとするか・・・」
「またそういうことを・・・」

 どうして純一も祐漸もお互いに関することになるとムキになる傾向にあるのかと、ことりは頭を押さえる。もっとも、それだけ相手のことを認めている証拠と言えるのかもしれない。
 祐漸もそうだが、純一にも少し他人と距離を置くような部分がある。その理由に少しだけ、魔女の家系に生まれたという事実があるということをことりが知ったのは、付き合うようになって大分経ってからのことだった。
 そんなわけで純一には、心から気を許している友人というのは少ない。祐漸は、そんな中で最も純一の心に近かった。恋人であることりが、少し羨むくらいに。
 純一はことりがそんなことを考えているとは露知らず、小悪党っぽい笑みを浮かべながら寝室のドアを開けて中の様子を窺う。
 高級そうな調度品に囲まれて、大きなベッドが一つ置かれていた。豪華な部屋だが、生活観はあまりない。それでも今は、ベッドのシーツが盛り上がっており、誰かが寝ているのがわかった。足音を殺しながら、純一はベッドに近付く。後からついてきていることりがしっかり足音を立てているのだが、それには気付いていない。
 あと少しでベッド脇に辿り着こうかというところで、急にシーツを剥いで寝ていた人物が姿を見せた。
 その瞬間、天を翔けそうな速度でことりの平手が純一の顔面を打った。

「ぐぉ・・・ね、音夢に迫る一撃・・・」
「むぁれ? 純ちゃんにことりん、どしたの?」

 二人の様子をベッドの上で起き上がった人物、さやかが訝しげに眺めている。

「さやかさん前! 前隠して!!」
「ん? あらら」

 真っ赤になって声を張り上げることり。さやかは慌てた様子もなく、ゆっくりとした動作でシーツを引き上げて胸元を隠す。その顔は、若干赤みを帯びていたのだが、顔を背けていることりと、そのことりの手で視界を塞がれている純一にはそれは見えなかった。
 一旦落ち着いた純一とことりだったが、さやかがこの部屋の、ベッドの上で、裸でいたという事実から連想される事柄を思い浮かべて、またしても赤くなったり青くなったりして慌てふためく。

「なっ、え、お、さっ、ゆ、うぇぁぉ!?」
「さ、さやかさんっ、その、これって、つまり・・・・・・?」
「もう、何二人とも赤くなってるの? 二人の方が、もうとっくに慣れっこなんじゃないの〜? 昨夜だって、ねぇ〜」
「なっ、何で知ってやがんだてめぇかったるいな!?」
「じゅ、純一くん!!」
「はっ!!」

 赤くなりながらも、さやかは目を細めてニヤニヤとした視線を二人に向けてくる。かまをかけられたことを知って、純一は相手以上に真っ赤になって体ごと視線を逸らす。ことりはもう今にも逃げ出しそうなくらいな感じで耳まで赤くなって俯いていた。

「そっかそっか〜。こっちは初体験でもう痛いやらドキドキやらで大変だったけど、ドキドキするのは慣れてからも変わらないんだ。うん、勉強勉強♪」
「ぐ、うぅぅ・・・・・・・・・・・・かったりぃ」
「その、えっと、何と言いますか・・・・・・お邪魔しました・・・」
「あ、待って待って。祐君に用があったんじゃないの?」
「いや、そういうわけじゃないんだが・・・というかどこ行ったんだ、あいつ?」

 チラッとベッドの方を見やると、そこにいるべきもう一人の姿はなかった。

「何かつっちーが来て二人で出てったよ? こっちは眠くてぼーっとしてたからはっきりとはわかんなかったけど、結構真面目そうな声だったかな。ついさっきのことだから、まだその辺にいると思うけど」
「そうか。特に用があるわけでもないが、ちょっと気になるから様子見に行ってみるか」

 祐漸と稟。この二人にただならぬ因縁があることを、詳しくは知らないが純一は何となく今までの祐漸の言動から感じ取っていた。
 気になるというのは半分本当で、半分は早くこの場から立ち去るための口実としてだった。
 二人は笑顔のさやかに見送られながら、そそくさと祐漸の寝室から退出した。その後ことりは居間の方へ戻り、純一は祐漸と稟を捜すことにした。



 廊下を歩いていると、窓の外に二人の姿を見止め、純一は駆け足で表へ向かった。さやかが言っていた通り、特に稟の方が少し真剣みを帯びた表情をしていた。祐漸の方は普段通りのようでいて、若干憮然としているようにも見えた。
庭の一角で立ち止まった二人の様子を、純一は物陰から窺う。
 稟に対して背を向けている祐漸は、庭木の様子を見るような仕草をしている。背後にいる相手のことは、あまり気に留めていないようだ。無視しているというほどではないが、積極的に注意を払うこともない。対する稟の方は、ますます表情に真剣さがこもり、どこか思い詰めているような印象も受けた。顔は少し俯き気味で、体の横に垂らした手はきつく拳を握っていた。
 どうも、ただならぬ気配が感じられた。まさかいきなり決闘を始めたりはしないだろうかと、純一は少し不安になった。
 何しろ、思い当たる節は十分過ぎるほどあった。
 先に思った通り、祐漸は稟に対して何となく含むところがある。主な理由は、元婚約者のネリネを取られたこと、わりと本気で口説いていた楓に手痛く振られたことなど、女絡みだった。
 また逆もありえた。祐漸が土見ラバーズの誰かを、本気か遊び心でかは知らないが口説いたとして、稟がその現場を見てしまった、という可能性。温厚な稟と言えども、自分の女に手を出されてはそうそう黙っているほど大人しい性格でもあるまい。だとすれば、これはまさに男と男の修羅場というやつなのか。

(うわ・・・ほんとにそうならすげーかったりぃぞ・・・)

 もしも決闘などに発展した場合、言っては悪いが稟が祐漸に敵うはずはなかった。一般人として見れば稟の運動能力はそれなりのものだが、あくまで常人レベルに過ぎない。ミッドガル城の時は肉体強化の魔法を受け、理性を消されてただ敵を倒すという命令を忠実に実行する人形状態だったためそこそこ手強かったが、その状態でも純一にさえ遠く及ばなかった。普通の状態に戻った今では、逆立ちしても祐漸相手には勝負にもならず、瞬殺されるだろう。
 この二人が決闘をした、などというだけでも楓達が大騒ぎしそうだというのに、その上稟がこてんぱんにのされでもしたらもうどうなるのか。下手をしたら、土見ラバーズvs祐漸というさらにとんでもない事態に発展しかねない。如何な祐漸と言えども、あの五人を同時に相手にしては易々とは勝てないだろう。本気で双方がぶつかり合った時のことを考えると背筋が凍る思いだった。
 そんなことになっては見ている方の心労が堪ったものではない。
 絶対に阻止しなくてはならないのだが、それが可能なのはこの場においては純一しかいなかった。それが尚更にかったるい。
万が一決闘を止める必要になった場合に備えて連也も呼んできておいた方が良いかと本気で思いかけたところで、稟が顔を上げた。

「祐漸さん・・・お願いがあります」

 とても、とても真剣で重みを感じさせる稟の声に、純一は身を乗り出した。決闘を申し込む、という雰囲気ではないが、ただごとでないのは確かだった。
 祐漸は無言だったが、稟は構わず先を続ける。

「俺を、鍛えてください」

 純一はズンと心に響いてくるものを感じた。
 女絡みの修羅場だの決闘だの、そんな浮ついた問題の話ではなかった。その言葉には、稟の中にある幾多の思いがこもっていた。特に大きいのは、悲痛さと、決意。そこにある意志が何なのか、純一にも理解することができた。
 強い意思のこもった言葉に、庭を見渡す祐漸の動きも止まった。振り返ることはなかったが、一方向へ顔を向けたまま動かない。

「何のつもりだ、小僧」

 惚けてみせている。或いは稟を試しているのか。純一にもわかることが、あの男にわからないはずがなかった。

「・・・俺には、何も守れなかった・・・。俺なんかにどうにかできる問題じゃなかったのはわかってる・・・けど、一番大切なものさえ、まったく守れなくて・・・」

 押し殺した口調で、辛さを滲ませながら、稟は語る。

「挙句の果てには、あいつらに剣まで向けて・・・・・・みんなには、操られてる間のことは覚えてないって言ったけど、本当はおぼろげにだけど、覚えてる。守れなかったどころか、この手で傷付けそうに・・・いや、実際に・・・傷付けた」

 これには純一は少し驚いた。誰もそのことに触れようとしないため、あえて考えないようにしていたが、あの時の出来事は稟の記憶にあったようだ。
 自らの手で、自分を大切に想い、自分が大切に想う相手に剣を向けるというのは、どんな気分なのか。
 たとえば純一ならば、ことりやさくら、音夢らと敵として向き合う。そんなものは、想像すらしたくなかった。ダ・カーポ城では、音夢の相手は本当は自分でするべきだったのだが、楓に代わってもらって助かった。けれど楓自身は、稟と実際にそうやって向き合ったのだ。
 まだほんの、数日前のことだった。

「それで」

 稟の言いたいことなど全てわかっているのだろう、祐漸の声は問うような口調ではなく、淡々と先を促すものだった。稟の言葉に対して、何を思い、何を考えているのか。

「もう同じ思いはしたくない。今度は絶対に、守りたい。そのために俺は、もっと強くなりたい。だから・・・」

 両膝を地面に落とし、手を前について、稟は祐漸に向かって、深々と頭を下げた。

「お願いします。俺を、鍛えてください!」

 もしかしたら気にしているかもしれない、くらいのことは思っていた。しかし、土下座までして頼むほどに稟が思い詰めているとは、誰が思っていただろうか。
 楓達は、稟に守ってもらいたいとは思っていないはずだった。ただ傍にいられればそれで良い、そういう少女達だった。だから今度の一件でも、誰一人稟を責める者などいなかった。
 けれど稟自身は、そんな自分が許せなかったようだ。
 自分が強ければ、彼女達を守れたかもしれない。傷付けずに済んだかもしれない。そう思って稟は今、力を求めていた。
 その思いに祐漸は、どう応えるのか。

「断る」

 純一は少し驚いた。稟の方は、土下座したまま固まっている。
 取り付く島もない冷淡な声で、祐漸ははっきりと拒否の意志を示した。
 土下座までした稟の覚悟は並々ならぬものに見えた。いくら祐漸が個人的に稟に含むところがあったとしても、心の強さを常に求めるこの男が、これだけの覚悟を見せた相手を無下にすることに、純一は軽い違和感を覚えた。

「・・・どうしても、駄目ですか・・・?」

 搾り出すように、稟が重ねて問いかけるが、祐漸の態度に変わりはなかった。

「小僧。おまえは何のために力を求める?」
「それは・・・」
「力を得て、あいつらをおまえの手で守ってやろうとでも考えているのか?」
「・・・・・・はい」
「おまえの手には負えないほどの敵を前にしたなら、どうする」
「その時は、命懸けでも守ります」

 きっぱりと意志を示す稟に対し、振り返った祐漸は殺気すら滲ませた目でその姿を見下ろす。直接その視線を向けられた稟はもちろん、離れた場所にいる純一さえ背筋が冷える感覚のする目だった。

「自惚れるなよ、小僧。おまえ如きが命の一つや二つ懸けたところで守れるものなど何もない」
「っ!!」
「力を持つ者にはそれに見合うだけの業が付きまとう。おまえが守ろうとしている女達は皆それぞれに深い業を背負っている。それをおまえ如きが守ろうなど思い上がりも甚だしい。命懸けなどその程度の覚悟で過ぎた力を求めたところで、先に待つのは何の意味も持たないおまえの死という結果のみだ」

 冷たく言い放って祐漸は歩き出し、膝をついたままの稟の横を通り抜けていく。

「おまえにできることはせいぜい、これ以上あいつらの心を煩わせないよう、そこから消えることだ。そうすればあいつらなら、自分の身は自分で守れる。俺が仲間と認めた奴らだ、それだけの強さは持ち合わせている」
「・・・・・・・・・」
「傷付けるのが嫌なら潔く身を引け。あいつらは、おまえの手には余る」
「・・・・・・それは、できません」

 俯きながら稟は、膝の上に置いた拳をきつく握り締める。力を入れすぎて、指を隙間から血が滲み出ているほどだった。

「俺も考えました・・・もしかしたら、俺がいない方が、みんなにとってはいいんじゃないかって・・・。けど、それじゃ駄目なんです。シアも、キキョウも、楓も、ネリネも、プリムラも、亜沙先輩も・・・みんな俺の傍にいたいって言ってて、俺もそうしたくて・・・だから俺が消えたら、それがみんなを傷付けることになる」

 立ち上がり、振り返って真っ直ぐに祐漸を見据える稟。その眼には、強い光が宿っていた。

「だから、俺はもう二度と、みんなの前からいなくなるわけにはいかない」



 祐漸は、自分を射抜く稟の視線を正面から受け止めていた。
 脳裏に浮かんだのは、ずっと昔にある少女と交わした短い会話だった。

『忘れることだ。どうせ二度と会うこともないだろう相手のことを、いつまでも覚えていても辛いだけだ』
『忘れません。一生の内、最初で最後で、最高の思い出ですから。それに・・・』
『それに?』
『自分の運命を前にしても、負けずにいられる強い心をもらえましたから、忘れるわけには、いきません』

 その時既に、自分の命が数年以内に尽きることを悟っていた小さな少女は、その紫色の眼に強い光を宿していた。それは、数刻前まで共にいた少年から、受け継いだものだった。
 そして、彼女にその強さを与えたあの時の少年が今、成長した姿で、少しも変わらない深い色をした眼で、十年前と同じように見据えてくる。
 あの時も、そして今でさえまだ、何も知らない小僧でしかないというのに、眼に宿した光だけは、本物の強さを持っていた。元来ならそれは、祐漸という男の好むものだったはずである。そんな眼を持つ相手を 突き放すというのは、己の信条に基づいたもののように見えて、その実ただの個人的感情によるものに過ぎないのかもしれなかった。

(リコリス・・・おまえの男を見る目は確かだったということか。他の連中もだが・・・・・・チッ)

 稟はまだ、今のままいけば自分がどんな意味を持つことになるのかわかっていない。
 己の運命を知らず、けれどそれに向き合えるであろう強さだけは持っている。ならばその時のために、今力を求めるのは悪いことではない。そしてそれが間違った方向へ行かないよう導く役割を務められるのは、祐漸ということになる。
 つくづく心を煩わせられる男だった。決して嫌いなタイプの人間ではないというのに、実に気に入らなかった。

(小僧のためじゃない。それが結果として、面倒を見ると決めたあいつらのためになるからだ)

 自分に言い聞かせながら、祐漸は稟の言葉に応える。

「そこまでわかっているなら、軽々しく命を懸けるとかぬかすな。おまえが何より守るべきはあいつらの心だろう。そのためにおまえのできること、やるべきことは一つだ」

 握った拳で相手の胸を突く。稟はよろめいたが、倒れることはなく踏み止まった。

「何があってもしぶとく生き抜け。あいつらが常に安心して帰れる居場所になるよう、大地にがっしり根を張って揺るがなくあれ。忘れるなよ、生きる覚悟は時に、死ぬ覚悟よりも遥かに厳しいもの になりうるということをな」

 拳を解いた祐漸は、踵を返した。庭木の一つの横を通り抜ける時、軽く指を鳴らしてみせると、その陰から純一が転げ出てきた。足下を凍らせて、滑って転ばせたのだ。
 恨みがましい視線を向けてくる純一を無視して、祐漸は足下に転がる純一を指差しながら後ろの稟に告げる。

「いきなりこの俺に鍛えてもらおうなんざ千年早い。まずはこのかったるい男にくらい追いついてからだ」
「人に押し付けんなよ・・・・・・ま、かったるいが仕方ないか・・・」

 渋々頷く純一と、祐漸の背に向かって、稟は力強く頷いてみせた。














次回予告&あとがきらしきもの
 率直に言って・・・ラヴシーンの類は苦手である。見たり読んだりする分には平気なのだけど、いざ自分で書くとなると心情的になかなか厳しい。想像するまでは良いのだ・・・が、文字にする段階になると難しい。そんな中で祐漸とさやかのシーンは当初から書きたかったものでもあり、まずまずな感じになったであろうか。
 後半は甘いムードから一転してシリアスに、稟の覚悟の話。これも最初から、いずれ稟が出てきたら入れたかったシーンである。いくつかパターンを考えていて、稟が本気で挫けて身を引こうとしてるところを純一達が叱咤するとかいうのもあったのだけれど、一番最初にイメージした感じのシーンとなった。稟ならたぶん、最初から十分に立ち向かっていける強さがあるだろう、と思って挫けるシーンは無しとなった。今後も全体的な物語の中心は純一と祐漸辺りになるが、稟には稟の、一つの物語が用意されている。今後はその辺りで、複数のテーマが存在していくことであろう。

 次回は、新たな一石を投じる人物の登場で、複雑になるガーデンの人間模様。