自室の書斎で机の椅子に腰掛けた祐漸は、目の前に置かれた数枚の書類を一瞥して、手はつけずに背もたれに身を預けた。
 気ままな旅生活に慣れたこの男でも、自分の家へ戻ってくると落ち着く気分になった。こちらの館に来るのは数年振りだが、幼い頃はわりと利用していた。特に乳兄弟であったオシリス、イシス兄妹との思い出は、大半がこの館にあった。
 ノックの音に返事をすると、そのイシスが入ってきた。

「祐様、兄様から、そちらの書類にだけでも目を通してくださるようにとのことです」
「後でな。手紙は誰からだ?」
「西王様とその姉君のアイ様、それに冥王様からです」
「最初の二人はともかく、妙な奴から来てるものだ。まぁいい・・・後でオシリスに、フォーベシィに使いを出すよう言っておけ」
「魔王様にですか? 何と?」
「そうだな・・・・・・適当な報告のついでに、こいつを届けさせろ」

 机の引き出しをまさぐった祐漸は、たまたま見付けた将棋の駒の内、玉将だけを放ってみせた。
 受け取ったイシスは首を傾げていたが、深くは追求せずにそれを懐にしまった。

「それとエリス・・・竜王様からも言伝です」
「聞く必要ない」
「・・・いいんですか?」
「どうせ戻ったら中央に出て来いとか言ってきたんだろう」

 イシスは軽く顔を引きつらせた。まさしくその通りだったからである。以心伝心のように相手のことがわかっている様が少し恨めしい。しかし、意見が食い違っている点に関しては密かにほくそ笑んでおく。

「・・・・・・そういえば祐様、あの方は誰なんですか?」
「どいつのことだ?」
「長い黒髪の女性のことです」
「別に誰というほどのこともない。知りたければ本人に聞け」
「・・・わかりました」

 ぎゅっとイシスは前で組んだ両手を握り締める。
 誰でもない、などということはありえなかった。あれだけの美人について聞かれて、祐漸が相手の女性を褒めないことなどないはずだった。いつも厳しいことを言っても、基本的に祐漸は女性に対しては優しく、その美点を素直に褒める男である。素っ気無い態度を取る相手は、 ある種の例外を除けばただ一人のはずだった。
 彼女は祐漸にとって特別な女性、それがわかって心が締め付けられる。元婚約者のネリネや、気にかけていた人工生命体の少女プリムラのことでもこんな風に感じることなどない。そこに、本気の想いがないことがわかるから。しかしだからこそ逆に、本気の想いがある場合もわかってしまう。子供の頃からずっと見てきたから、それがわかる。
 けれど、諦めるつもりはなかった。凛とした少女の姿をした竜の王にも、陽の光が似合う笑顔のあの少女にも、負けはしない。
 最後には必ず自分が、彼の心を射止めてみせる。イシスはそう心に誓っていた。それが叶う日が来るまでならば、どんなに長い時でも待ってみせる。













 

真★デモンバスターズ!



第28話 北の館にて・前編















「それでは、つっちー一家の再会祝いと」
「新しい友人達との親睦会をかねて」
「「宴会だーーーっ!!」」

 小一時間ほど休憩したところで居間の中央へ躍り出たさやかと亜沙が、拳を突き上げて高らかに宣言する。館に着いた時にはこの二人もわりと疲れた様子を見せていたのだが、今は元気一杯というか、エネルギーが溢れ返っているというか、とにかくパワフルな空気を振り撒いていた。さやかのことはもちろん知っており、亜沙のその性格も楓から聞かされていたものの、実際にこれほどのハイテンションをダブルで目の当たりにすると、かなり圧倒されるものがある。
 他の皆は二人ほどの元気は回復しておらず、反応は鈍かった。連也はとっくに疲れなど取れていようが、部屋の隅で静かに腰掛けている。 この男が寡黙なのはいつものことだった。

「こらそこーっ、元気が足りなーい!」
「そっちも! もっと盛り上げてー!」

 さやかの矛先は純一へ、亜沙の矛先は稟へと向いていた。男二人は互いに顔を見合わせ、同時にため息をついた。お互い、似たような苦労を背負っているものらしい。さすがは楓をはじめとする少女達から、よく似ていると評された二人である。

「・・・かったりぃ」
「あの、亜沙先輩。せっかく落ち着いたところですし、もう少し休みませんか・・・?」

 お決まりの台詞でやる気のなさをアピールする純一に対し、稟は相手を宥めようと試みる。この辺りの反応は、微妙に違うものらしかった。
 しかし、男達が何を言おうが、既にフルパワーの女性達を前にしては焼け石に水であった。
 彼らの言い分を完全に無視し、二人はもう宴会の準備に入っている。まずネリネに、イシスから台所の使用許可を取ってくるように言いつけ、程なくそれが済むと、女性陣総出で居間を後にしていった。
 取り残された男達は、束の間の静けさを堪能する。
 さらに小一時間ほど経過した後、居間のテーブルには所狭しと数々の料理と飲み物が並べられていた。元々来賓をもてなすために用意された館でもあるということで、材料はかなりの高級品が相当量あり、それらを自由に使ってよいとイシスから言われたため、女性陣全員が腕を振るったらしい。
 食欲をそそる匂いに、疲れも吹き飛ぶ勢いで純一が食いつこうとする。だが、その顔面にさやかが突き出した鍋のふたがかぶせられた。

「んぁちゃーっ!?」

 しかも熱せられたものだったため、純一は顔を押さえて床を転げまわる。

「はい、おあずけー。まずは宴会の第一ラウンド! 男の子達はそこに並んで。ほらほら連ちゃんも」

 横に長いテーブルの前に男三人が並んで座らされ、その前に七つの皿が置かれる。反対側には、料理を持ってきた七人の女性達は並ぶ。
 この時点で、純一と稟は嫌な予感で額に汗を掻いていた。

「俺は、かったるい予感がするぞ・・・」
「はは・・・そうっすね・・・」
「あー、とりあえず稟。俺に敬語はいらんぞ。俺もそうするから」
「わかった。えっと・・・純一、だっけ」
「おう」
「はい、そこ静かにー!」

 さやかの叱咤を受けて、二人は押し黙る。全員の注目が集まったことを確認して、さやかが第一ラウンドとやらの趣旨を説明し出す。

「こちらに並びましたる七つのお皿に載っている料理はそれぞれ、私達が別々に作ったものです。最終的には全部食べてもらうわけですが・・・まずは! どれか一皿選んだ上で、それが誰の作ったものであるかを当ててもらいます。正解者には豪華景品、間違えた人には罰ゲーム! ということで、はいどうぞ!!」

 大体予想通りの展開であった。やはりかったるい、と純一は内心でため息をつく。
 そして気を引き締めて目の前に並ぶ七つを皿を見据えた。これは相当プレッシャーのかかるものである。チラッと横を見ると、稟も眉間に皺を寄せて並んだ料理を凝視していた。
 この料理当て、本命を外せばとんでもない目に合う。
よく見れば、料理の出来はまちまちである。特に目を引くのは、黄一色に染められた皿。大皿の上にびっしりと敷き詰められているのは、玉子焼きに他ならない。他には何もない、完璧にただの玉子焼きである。今までの付き合いで知り得た情報から推察するに、これを作ったのはおそらくネリネだろう。作り主を当てる“だけ”なら、これを選べばまず外れることはない。
 だが、純一はテーブルに顔を向けたまま視線だけを対面に向ける。そこには、期待の眼差しを向ける一人の少女、ことりの姿があった。
 そう、ただ当てる“だけ”では純一の負けも同然である。何としても、ことりの料理を引き当てなくてはならない。勝負自体にそんなルールは設けられていないが、もしも外せば、宴会の間中、かったるい視線を浴びるであろうことは明白だった。
 確率は七分の一、かなり分の悪い勝負である。ここは、他の二人に先に選ばせて少しでも確率が上がるのを待つべきか。
だが、稟は稟で純一とは違った大いなる悩みを抱えているようだ。稟に期待の眼差しを向けるのは五人。いずれを取っても本命には違いない。確率は七分の五と純一に比べれば遥かに有利である。だが、それゆえに彼は悩む。もちろん、この料理勝負一つで稟の本命中の本命が決まるわけではないが、それでもこの男は、そんなお遊びの料理当て勝負にも真剣に挑む。楓からずっと聞かされてきた土見稟とは、そういう男だった。
 これは、稟が選ぶのを待つのは酷というものだった。
 後は連也だが――。

スッ

 手が伸びて、連也が中央に置かれた皿を手に取り、自分の前へ引き寄せた。そして無言のまま一口。
 十分に咀嚼し、味わった後、連也はその料理の作り主と見定めた相手へ視線を向ける。

「さやか、お主であろう」
「ぴんぽんぴんぽーん! 正解でーす♪」

 どこからともなく取り出した旗を振るさやか。純一が横へ視線を向けると、連也と目が合った。

(すまん、少し助かった)
(気にするな)

 交わした視線だけで意志を伝え合う。連也はおそらく、狙ってさやかの料理を手に取った。他の何人かのもわかっていたのだろうが、さやか以外の六人には本命がいる。当然彼女達が誰に一番に食べてもらいたいかを理解しているため、無難なところを選んだのである。ついでに、純一の勝率を僅かに上げることにもなった。
 これで残るは六皿。純一の勝率は六分の一。いや、ネリネのものは確実にわかっているので、五分の一である。
 改めて一つ一つの料理を見比べていくと、特に際立つものが二つあった。一つは恐ろしく出来が良い。旅の間に楓、さやか、ことりの料理をずっと食べてきて、いずれも並外れた腕の持ち主ではあったのだが、その一皿は別格と言って良かった。これがおそらく、楓の師匠にしてバーベナ学園時代は料理部部長として名を馳せたという、亜沙の一品と思われた。逆に、少し雑さの目立つ料理が一皿がある。これは考えるに、まだ料理は修業中というプリムラのものである可能性が高かった。
 消去法で数を減らしていき、残るは三皿。ことり、楓、シアの三人があとは残っている。この三人は実力伯仲、出来の差で判別することはできそうになかった。微妙な癖を見抜くしかあるまい。

(ことりと楓の料理は何度も食べてる。何となく、わかるはずだ・・・)

 じっくり見ていると、僅かな差が見えてくるような気がした。その内、見慣れない癖が見て取れるものがシアだとすれば、残り二つ。
 その二つの内片方を見極め、純一は手を伸ばす。
 まったく同時に、その二つの内純一が選ばなかったものの方に、稟の手が伸びていた。
 互いに顔を見合わせ、頷き合う。
 二人ともほぼ確信はしていたが、それでも相手がフェイクを仕掛けてきている可能性もある。緊張し、ごくりと唾を呑む。そしてこれまた同時に、二人は料理を口に運ぶ。
 よく味わい、飲み込む。
 そしてやはり同時に、その名を告げた。

「ことり」
「楓」

 名を呼ばれた二人の顔がパッと輝き、純一と稟はホッと胸を撫で下ろした。

「・・・って、何で料理一つ食うのにこんなに汗を掻かなくちゃならないんだよ、かったりぃ・・・」
「まぁまぁ、ちゃんと選んでくれたんだからいいじゃない♪」

 上機嫌のことりが純一の隣に並んで座る。

「で、豪華景品ってのは?」
「当てた相手の隣に座ることです♪」
「・・・・・・なぁ、それは誰に対しての景品なんだ?」
「もちろん、料理を作った人への♪」
「・・・・・・かったりぃ」

 横では、やはり楓が楽しそうに稟の横に座っていた。

「稟くん、ありがとうございましたっ」
「まぁ、楓の料理ほど食べ慣れてるものはないからな。一番無難なのを選んだんだけど・・・」
「それでも嬉しいです♪」
「稟くん稟くんっ、今度は私のも食べて!」
「稟さま、私のも」
「稟ちゃん、当然全部食べてくれるわよね?」
「はい、お兄ちゃん」

 次々に差し出される皿から順に料理を取っていく稟。世に数多いる男達から見れば、羨ましいことこの上ない光景なのだろう。 本人も大変そうではあるが、満更でもなさそうだ。
 その向こう側では、さやかが連也に酌をしていた。

「連ちゃんも遠慮せずに食べなよ。まだまだたくさんあるから」
「そうさせてもらおう。それより、奴のところへは行かなくて良いのか?」
「これから行くところ♪」

 何杯か連也と酒を飲み交わすと、さやかは自分の皿を手にして居間を出て行った。



 その後天気が良いからという理由で庭に張り出したテラスに場所を移して、宴会は第二ラウンドに突入していった。
 しばらく食事を摂りながら談笑しているとさやかが戻ってきて、再び亜沙と並んで高らかに宣言する。

「それではこれよりー」
「宴会の醍醐味、隠し芸大会に入りたいと思います!」

 またしても純一はかったるい予感がした。だが、回避する術はない。ならば適当に付き合って切上げた方が少ない労力で済むであろう。
 それにしても、隠し芸大会というものは予め告知しておいてネタを仕込む時間を与えるものではなかろうか。それとも、彼女らの中では隠し芸の一つや二つ常備しておくのが当たり前なのだろうか。試しに聞いてみると「何当然のこと聞いてるの?」「常識よね」という答えが返ってきた。本当に、かったるい。
 いつの間にか用意された籤により、一番手は稟となった。
 純一と同じく、彼女らのテンションにはついていけないものかと思われたが、いやに自信たっぷりな表情で稟は前に進み出る。

「稟ー、出だしでいきなり滑るなよー」
「ふっ、心配するな純一。俺には誰にも負けない特技がある!」

 そう言って稟が取り出してみせたのは、スーパーの袋だった。何故そんなものが、という疑問はあったが、何でも詰め込んであるさやかの異空間倉庫になら、色々と小道具は入っていそうなので、そこから借りたのだろう。
 何の変哲もない、正真正銘、ただのスーパーの袋を、稟はヒラヒラと振ってみせる。

「ふー・・・・・・行くぞ!」

 気合をかけると同時に袋をテーブルの上に置き、瞬時にそれを畳んでみせた。所要時間はおそらく、五秒とかかっていない。驚くべき早業である。
 皆が沈黙する中、一人楓だけが拍手を送っていた。
 確かにすごい。すごいのだが、何の役にも立たない特技であった。

「次、いってみましょうか、さやかちゃん」
「はーい。二番手は〜・・・」

 爽やかにスルーした亜沙とさやかが次の籤を引く。指名を受けたのは、ネリネだった。

「あの、亜沙先輩、さやかさん。これは、ペアを組んでやってもいいんですか?」
「もちっ、おっけー!」

 了承をもらったネリネは、ことりを誘って二人で歌を歌った。
 初っ端の稟でいきなり滑りかけた空気が、美しい歌声で清浄化されていく。歌い終わった時、今度は全員から惜しみない拍手が送られた。
 ちゃんと聞くのは二度目だったが、やはり天使の鐘と呼ばれるネリネの歌声は大したものだった。それに、ことりも決してそれに劣っておらず、二人の共演はタダで聞くにはもったいないほどである。
 司会役の二人も、しばらく歌姫達を褒め称える美辞麗句を並べ立てていた。
 続けての登場は、シアだった。

「むむぅ・・・リンちゃんにことりちゃんの歌に対抗するためには、私も奥儀を出すしかないッス!」

 拳を握り締めて燃えるシア。皆から大分距離を取ったところで、僅かに腰を落として構え、目を閉じる。
 ただならぬ気配に、何が起こるのかと皆注目した。
 しばしの沈黙の後、シアがカッと目を見開く。

「三番、シア! 秘技! 椅子ジャグリング!!」

 近場にある椅子を掴み取ると、シアはそれらを次々に頭上へ向かって投げ放った。
 落ちてきた一つと取ってはまた投げ、別のを取っては投げ、それを繰り返す。見事なジャグラー振りであり、豪快な技だった。
 ネリネとことりの歌とはまた違った趣だが、これまた皆から拍手が起こった。

「しかし・・・シアにとって椅子っていったい・・・・・・」

 稟の呟きに、何人かは苦笑いを浮かべていた。
 一つ一つ椅子を元の場所へ戻していったシアは、近くに戻ってくると拍手に対して礼をした。

「じゃあ、次はこのままキキョウちゃんいってみよー!」

 宣言と同時にシアの雰囲気が変わる。
 少し釣り目気味で勝気な印象のするのがキキョウであるが、突然入れ替わったその表情は困惑していた。

「ちょ、ちょっとシア! あたしはいいってば!」

 顔を赤くして拒否するキキョウだったが、シアは表に戻ってこようとしないようだ。しばらく眉間に皺を寄せていたキキョウは、仕方ないといった具合にため息をつく。

「仕方ないな・・・・・・じゃ、四番キキョウ、シアのものまねします」

 一度目を閉じ、また開くと、キキョウは彼女らしからぬ笑顔を振り撒きながら跳ね回る。

「どうも、シアッス〜♪ お姫様ッス〜♪ 悪い子は椅子でおしおきッス〜♪ 好きなものはお料理ッス〜♪ でも、一番好きなのは稟くんッス〜♪」

 ピタッと立ち止まると、キキョウは奥へ引っ込んでいった。
 表に戻ってきたシアは、真っ赤な顔で慌てふためいている。

「ちょっ、キキョウちゃん! 何か今の違う! 私あんな感じじゃないってば、ねぇ、ないよね!?」

 同意を求めるシアに対して、皆微妙に視線を逸らす。確かに違うのだが、まったく違うとも言い切れず、言っていたことの中身は正しく、また特徴を端的に現すならばああした感じと言えないこともないような気がした。
 皆からどう見られていたかを知って、シアが激しく落ち込む。どうやら、妹の方が一枚上手だったらしい。
 その後も隠し芸大会は続いていく。
 亜沙と楓の料理部師弟コンビが華麗な包丁捌きを披露し、純一がナマケモノのものまねをして白い眼で見られ、プリムラが対抗して猫のものまねをしてさやかが暴走し、収拾がつかないほど騒ぎまわったところで連也が剣舞を見せて再び空気が落ち着いていった。
 空が暗くなってくると居間に戻り、また新しい料理が運び込まれる。今度は、全員分にお酒が用意されていた。
 お酒が進むと、ただでさえハイテンションな二人はさらにヒートアップし、遠慮する顔ぶれにも容赦なく勧めていく。最初から飲んでいる連也と、妙に波長が合ったのか向かいに座ったプリムラは静かに飲み交わしている。シアは先ほどの落ち込みを払拭するかのような笑い上戸で亜沙、さやかと大騒ぎだった。ネリネは赤くなって明らかに酔っていながら、ペースが逆にどんどん上がっていっている。
 全員、歯止めが利かなくなってきているようだ。

「い、いいのかな?」
「いいんじゃねーか・・・もうどうでも」

 純一は既に諦観状態になっており、ことりと二人で静かに飲んでいた。が、やがてさやかに巻き込まれ、へべれけになるまで飲まされることになるのだった。



 騒ぎから離れ、稟と楓はテラスに出ていた。空では星が綺麗に輝いている。中からは絶え間なく喧騒が響いて来ているのだが、空を眺めながら二人でいると、別世界にいるような気分になった。
 心地よいその空気を、楓は一杯に吸い込む。
 ずっと遠ざかっていた、けれど片時も忘れたことのなかった、幸せの匂いがする空気だった。
 隣に立つ稟の体に、ピタリと身を寄せる。

「稟くん」
「どうした、楓?」
「呼んでみただけです。もっと、呼んでもいいですか?」
「・・・ああ、いいぞ」

 稟は顔を赤らめて、顔を背ける。照れた様子も愛しくて、楓は何度か名前を呼ぶ。その度に、稟は同じように名前を呼んでくれた。
 名前を呼んだら呼び返してくれる。それがどれほど幸せなことか、改めて噛み締める。
 何度呼んでも、応えの返らなかったこの一年は、本当に辛かった。名前を呼ぶ声が虚しく響き、その度に胸が締め付けられ、心が壊れそうになり、涙が溢れた。

「あ、あれ・・・?」

 今も、気付かない内に涙を流していた。
 けれどそれは、これまでのものとは違う、嬉しさゆえの涙である。
 涙を拭って、稟の横顔を見詰める。
 こうして傍にいられるだけで自分は幸せだと、そのことを強く楓は思っていた。

「稟くん」
「・・・・・・・・・」
「稟くん?」
「・・・ん? ああ、悪い」

 稟の様子に、楓は軽く首を捻る。自分の方が浮かれてしまっていて、今まではっきりとは感じ取れなかったのだが、稟の様子が少しおかしかった。本人は隠しているつもりなのだろうが、楓にはわかる。
 どうしたのか尋ねかけて、言いよどむ。
 たぶん、聞いてもはぐらかされる。それも、わかることだった。稟はたとえ、何かを悩んでいたり、思いつめていたりしても、それを他人には見せようとしない。それでいて、誰かが悩んでいたり、寂しそうにしていたりした時には敏感で、親身になってそれを助けようとする。そんなところが稟の美徳ではあるが、少しくらいは自分を労わってほしいと思わせられる部分でもあった。
 やはり、聞くだけ聞こうと口を開けかけたところへ――。

「うりゃーっ!」

バチンッ!

「ぐはっ!?」
「あ、亜沙先輩!?」
「こらっ、そこの二人ー! 二人だけ素面でいようたってそうはいかないわよっ!」

 痛烈な平手打ちを稟の背中に喰らわせた亜沙が、酔って真っ赤に染まった顔で怒鳴りつける。

「ほーらっ、ちゃっちゃと行った行った、稟ちゃん!」
「わ、わかりましたから叩かないでくださいよ・・・」

 追い立てられるように稟は居間へ戻っていく。その先でシアやネリネ、プリムラに囲まれて半ば無理やり飲まされている。
 その様子を見ながら、何故か亜沙は戻らずに楓の隣に並びかける。

「ねぇ、楓」
「はい?」

 問いかける亜沙の顔は、いまだに赤いが少し真剣みを帯びていた。

「稟ちゃんのこと、どう思う?」
「どうって・・・それはもちろん、これまでできなかった分も、誠心誠意尽くしていきたいと」
「あー、ごめん、聞き方が悪かった。そういうわかりきった話じゃなくて・・・」
「・・・亜沙先輩も、気付いてましたか?」
「まぁね。稟ちゃん、ちょっと元気ないわよね」

 楓が思ったのと同じことを亜沙も考えていたようだ。さすがに彼女も、よく稟のことを見ている。

「あんなことがあった後だし、船の中でもずっと寝込んでたし、疲れてるだけかなぁ、とも思うんだけどね・・・。楓から見るとどう? 楓なら、ボク達じゃ気付かないところまで気付くんじゃないかな?」
「疲れてるのは確かだと思いますけど、それ以外にも何か・・・悩んでいるというか、思いつめているような感じがします」
「やっぱり、責任感じちゃってるのかなぁ・・・」

 人一倍責任感と正義感の強い少年である。どんな形であれ、大切な人達に辛い思いをさせる結果になってしまったことを気に病んでいるのかもしれなかった。

「稟ちゃんのせいじゃないのにね」
「そういう人ですから、稟くんは」

 だから愛しくもあり、危なっかしくもある。
 それでもある程度、息を抜いていけているところもあるのだが、今回は事態が大き過ぎた。普通の十代の少年少女達ならば体験しないような状況だった。だからこそ逆に、仕方なかったと割り切るべきところなのかもしれないが、稟にはそれができないようだ。
 無理もない。結果としてこうして皆無事にまた会えて、こうして騒いでいられるけれど、一歩間違えば、誰かがいなくなってしまっていたかもしれないのだ。
 大切な人がいなくなる。それがどれほど辛いか、皆よく知っていた。特に稟、楓、ネリネ、プリムラは実際にそうしたことを体験している。もしかしたらそうなっていたかもしれない事態に直面して、何もできなかったことに対して稟が思いつめていることは十分に考えられた。

「よしっ、楓!」
「は、はいっ」
「今日は朝まで騒ぐわよ! 飲んで食べて歌って、悩みなんか吹き飛ばすくらい大騒ぎすれば、全部すっきりするはず!」
「・・・そうですねっ、騒ぎましょう、亜沙先輩!」
「おお、ノってきたな、楓。よーし、まずは飲むべし!」
「はいっ!」

 楓と亜沙は、互いに気合を入れると、居間へ戻って騒ぎに加わった。
 こうして宴は、深夜を回っても尚続けられいくのだった。







「・・・・・・・・・すごい・・・有様ですね・・・」

 翌朝、居間へやってきたイシスは顔を引きつらせながらその惨状を見て立ち尽くす。
 料理の後片付けはある程度されていたが、酒瓶は大量に転がっている。惨状を生み出した元凶達は、ソファに床と所構わず寝そべっており、年頃の娘達がなんとはしたない、と見ていて頭を抱えさせられる。

「子供ですか・・・この方々は・・・」
「まぁ、今日くらいはたわけどものことも大目に見てやれ」

 後から居間に入ってきた祐漸は、中の惨状を一瞥して肩をすくめてみせる。

「魔王様と神王様をお招きした時の悪夢が蘇る思いです・・・・・・王女様方も、血は争えないということでしょうか・・・?」
「本人達が聞いたら泣きそうだな。それぞれの意味で」

 苦笑しながら、部屋の隅に置かれた椅子で一人まともな居住まいで目を閉じている連也の下へ向かう。

「連也、起きてるか?」
「うむ」

 この男の前にも空になった酒瓶がいくつか並んでいた。だが、それだけ飲んでもまるで飲まれた様子がないのはさすがだった。

「頼まれてくれるか?」
「何だ?」

 祐漸が振り返ると、イシスが稟を中心に固まって寝転がっている少女達に毛布をかけているのが見えた。

「リシアンサスが起きたら、話があるから俺のところへ来るよう言っておいてくれ」
「わかった」
「それと・・・ほれ」

 手にした長い棒状の包みを差し出す。目を開いてそれを受け取った連也は、無言で包みを解いて中身を取り出す。
 刀だった。
 長さは定寸よりも少し長めで、実用一辺倒の無骨な拵えが成されている。
 柄に手をかけ、連也は一息に刀身を抜き放つ。年代物に見えたが、古さは感じさせない。研ぎ澄まされた刃は、既に多くの人間を斬ってきた臭いがするというのに、刃こぼれ一つ曇り一つなく、窓から差し込む朝日を受けて刀身が光を発する。その光に、どこか妖しげで危険な香りが感じ取れた。
 一目で並大抵ではない業物であることがわかった。

「良い刀だ。それに、妖気を帯びているな」
「倉から引っ張り出してきた。いいものだが俺は使わないんでな。気に入ったなら好きに使え」
「では、ありがたく頂戴しよう」

 連也は刀を鞘に納め、傍らに立て掛けた。

「じゃあ、さっきの件、頼んだぞ」
「心得た」



 時間が昼に指しかかろうかという頃、居間で寝そべっていた内の一人が起き上がった。

「キキョウ」

 名前を呼ばれて振り返ったキキョウは、目を丸くして呼んだ相手を見据えた。

「・・・よくわかったわね、あんた・・・」

 声を発したわけでもなく、目を合わせたわけでもなく、ただ気配だけでシアと自分の違いを察せられる相手は多くない。おそらくは稟に、純一と祐漸、それに今呼ばれた連也。そこまで考えて、今現在身近にいる男達は全員わかるのだということに思い至り、稟はさておき他の三人が只者ではないということを認識させられる。
 特にこの連也とは、ほとんどまともに顔を合わせたこともないのだ。自分のことを知っていただけでも驚きだというのに、即座に見分けた眼力に恐れ入った。

「何?」
「祐漸が、リシアンサスが起きたら話があるから自分のところへ来いと言っていた。伝える相手はおまえでも構うまい」
「あいつが・・・?」

 表情を険しくする。キキョウはあまり、あの男が好きではなかった。
 シアが何度か顔を合わせていたため、かなり前から知ってはいた。その時から他の皆とは違った印象を受ける相手だったが、祐漸に対する感情が決定的になったのは、実際に自分としてあの男と顔を合わせた時だった。バーベナ特別区域で、彼女が稟からキキョウという名を与えられ、はじめてシア以外の誰かからその存在を認められるようになった頃、あの男は彼女の目の前に現れた。
 祐漸は、キキョウが望むなら、身柄を引き取って後見人になってやると言ってきた。シアや稟、一部の親しい者達が認めてくれても、キキョウは神王家にとっていてはならない存在である。いずれ疎まれることになるから、その前に自分のところへ来い、と。シアと稟の下から離れるつもりのなかったキキョウは、これを断った。
 今回の一件で再会するまでは、直接会ったのはその一度きりだったが、キキョウが祐漸に対して感じたのは、自分を大切なものから引き離そうとする男、というだけのものだった。
 だからキキョウは、あの男が好きではない。

「シア、起きて。ほら――」
「――んー・・・あいたたた・・・頭痛い・・・」
「飲み過ぎ、自業自得よ。それよりあの男が呼んでるみたいよ」
「あの男って・・・祐漸さん? なんだろ?」
「さぁ? あたしは気が進まないけど、シアに任せるよ」
「うん、わかった。じゃあ、行ってこようかな」

 まだ意識がはっきり覚醒していないシアは、目の前に稟の顔を見つけると、他の皆が起きていないことを確認して、その頬に軽く口付けした。
 二日酔いで少し蒼くなっていた顔を赤らめながら、覚束ない足取りでシアは居間を出て行った。



 祐漸の書斎へやってきたシアは、話を聞かされてしばらく唖然としていた。
 やがて、告げられた内容の意味を理解し、慌てて詰め寄る。

「そ、それ本当ですかっ、祐漸さん!?」
「ああ、理論上98%確実に成功するだろうな。おまえらにその意志があれば、な」
「・・・・・・・・・」

 ぽかんと口を開けたまま、シアは机の上に開いて置かれた古い魔道書のページを見る。そこに記されているのは、一つの肉体に二つの魂が宿る存在を二つに分ける術だった。
 シアだけでなく、シアの中でキキョウも驚いているのが感じられた。

「おまえならネリネとリコリスの件も知ってるだろうが、その逆だ。あいつらの場合は魂が完全に融合しているからもう一度分けるのは無理だが、おまえらなら可能だ。望むなら、今すぐにでも儀式をする準備も整っている」
「・・・どうして・・・・・・?」

 事もなさげに言っているが、これほどの術を行うための儀式となれば、準備にも相当な手間がかかる。一朝一夕で準備できるような代物ではない。つまり祐漸は、何年も前からそれを進めてきたということだ。
 何故、大した知り合いでもない自分のためにそこまでしてくれるのか、シアにはわからなかった。

「サイネリアの娘だからな、おまえは。あんなのでも姉みたいなものだ、その娘に便宜を図ってやるくらいのことはするさ。ましてや、これだけいい女なら尚更だ」

 その物言いに、シアは顔を赤らめる。

「答えはいつでも構わんが、一応聞いておくぞ。どうする?」















次回予告&あとがきらしきもの
 宴会ネタは好きだ。というわけで祐漸の館で落ち着いた彼らにもどんちゃん騒ぎをしてもらった。盛り上げてくれるキャラもいることだし。だが、ただ騒いで終わりではなく、大事な話も挿入されている。当初色々と扱いを悩んだキキョウの話、である。

 次回は、シアとキキョウの決断は・・・そして、稟がある決意を胸に祐漸と向き合う。