ミッドガル城にて、全戦闘終了直前のこと――。
「ハッ! ハッ! ハッ・・・!」
連也によって右腕を肘下から斬りおとされた義仙は、あてもなく城内を逃げ惑っていた。敵を天の塔へ誘導するために各所を閉鎖したのが仇となり、逃げ道がかなり限られてしまっている。しかも、いざという時のために用意しておいた逃走ルート用の隠し通路は、さやかという女が壁を破壊した際に崩落して使えなくなっていた。
出血が収まらないのも痛かった。流れ出た分による体力の低下はもちろんだが、どうやっても血の跡を消せず、このままでは遠からず追いつかれる。
ここで終わるわけにはいかなかった。こんなところで終わっては、兄と決別し、妹を捨て駒にし、一門を出奔してまで成し遂げてきた今までの全てが無駄になってしまう。まだ義仙には、生きて遂げるべき野望があった。
「死んで・・・たまるものかっ」
「その意気や良し、ってところだね」
「何奴!?」
声のした側から飛び退き、左手で隠し持っていた小刀を逆手に抜いて構える。
「こらこら、物騒なものはしまいなよ、義仙クン。僕だよ、何度か会ったろう?」
壁に黒い染みが生じ、中から若い男が姿を現した。
黒衣に身をまといながら、肌は病的なほどに白い。紅い瞳と長い耳が、ヴォルクスであることを示していた。
「貴様は・・・むっ」
男の正体と、それがこんな場所にいることにも驚いたが、それ以上に男の腕に抱えられた人物の方が気になった。気を失っているらしくぐったりしているその人物は、義仙の主たるバジルであった。
「ああ、彼も今上で拾って来たんだよ。お姫様達は王子様に夢中で気付かなかったみたいだけどね。ガレオン氏は・・・まぁ、もうダメだろうね。とりあえず来なよ。逃げたいんだろう?」
「・・・・・・何が狙いなのだ、貴様は?」
この男が以前から幾度か影でバジルと接触していたのは知っていた。義仙も数度、その場に立ち会ったことがある。ガレオンの計画を遂行するために、この男が提供した多くの情報や技術が役に立ったと聞いていた。
だが、何故ヴォルクスがソレニアに手を貸すのか。しかも義仙の調べ上げた情報から推測されるこの男の正体は、ヴォルクスの中でも特別な存在のはずだった。
何の打算もなく手を貸しているはずがない。義仙はそう思って警戒していた。
「君達にはまだ利用価値がある。それだけのことだよ。君達もここで死ぬ気はないんだろう? だったら、引き続き僕を利用すればいい。差し当たってはここから逃げるためにね。お互いギヴ・アンド・テイク、ビジネスライクにいこうよ」
互いに下心があるという事実を隠そうともせずに話す。それゆえにかえって、さらに奥にある思考が読めず、不気味さが増している。
しかし、グズグズしている時間はなかった。
ならば今は、この男の言うとおり、利用される代わりに利用してくれよう。当然、最後には自分の方が利用し尽くしてやるつもりだった。
小刀をしまい、義仙は男の方へ歩み寄る。促されて黒い染みに触れると、体が壁の中へと入り込んでいく。
男は義仙より少し遅れて染みに近付き、一度軽く振り返った。
「お楽しみは、まだまだこれからだよ、祐漸クン」
愉快げに笑みを浮かべ、男も染みの中へ消えていった。三人が消え去った後には、黒い染みも何も残っていなかった。
真★デモンバスターズ!
第27話 水面下の情勢
事件から丸一日が経過したミッドガル城。
神王の間には、二人の神殿騎士、ガディフォールとレオナルドが訪れていた。渋面を浮かべる二人に対し、神王ユーストマはどこ吹く風で手元の書類に目を通していた。全て、前日の被害報告だった。
「おお! 派手にやられてんなこりゃ。お、こっちもこんなに壊れたか! 経費削減といきたいところだってのに、こりゃ今年も財政難は続きそうだなぁ?」
報告されている城内の被害は甚大なものだった。ミッドガル城がこれほどの被害を被ったことなど前代未聞だったが、神王はどれも軽く笑い飛ばしていく。むしろ彼にしてみれば、城の修繕に費用がかかるのは望むところだった。資金不足を理由に、戦線拡大を抑制することができる。
戦争継続派の急先鋒の一人であったガレオンとその子バジルが事件の最中に行方不明となった今、しばらくは和平派が力を盛り返すであろう。
「次の会議の議題はこれだけで手一杯だな。大変大変。で、おまえらいつまでそこで渋い面見せてるつもりだ?」
「・・・陛下、白々しい態度はおやめください」
ガディフォールが眉を引きつらせながら嗜める。彼はどちらかと言えば和平派の側にいるが、こうあからさまに城の被害を喜ばれては小言の一つや二つ言いたくなるものだった。歳が近いこともあって、ユーストマとガディフォールは、二人がそれぞれに神王、神殿騎士となる前から個人的に友人関係にあった。そのため今でも時々、奔放過ぎる神王の言動を嗜めることがしばしばあった。
とはいえ、一応公の場たるここでは、まずは神王と神殿騎士として対する。
「うぉっほん! 陛下、城の修繕も結構ですが、我々としては逃走した賊の追撃について話したいのですが?」
「放っておけって。この忙しいのにこそ泥数人捕まえるのに割ける人数なんざねーだろ」
「何を仰いますか陛下! あの者達はリシアンサス姫をかどわかしていったのですよ!?」
憤慨するのはレオナルドだった。潔癖過ぎるほど騎士道精神の強いこの男は、逃走の際に賊が王女を人質に取ったことをまだ怒っているようだ。
「何つまんねぇこと言ってんだよ、レオ。シアならほれ、そこにいるじゃねーか」
「は?」
クイと神王が顎を向けてみせた方を見ると、扉が開いて一人の女性が中に入ってきた。
「どうも〜、シアでーす♪」
神殿騎士達は唖然としてその姿を凝視する。ガディフォールは思い切り顔面を引きつらせ、物に動じないレオナルドも開いた口が塞がらないといった体で驚いていた。
その女性は、確かに王女の格好をしていた。だが間違っても、リシアンサス王女ではない。確かに似ているし、元々若作りなので年齢的に無理をしているという印象もあまり受けない。けれどやはりそれは、あまりと言えばあまりな・・・。
「・・・・・・何をしておいでなのですか・・・サイネリア様?」
「いえいえ、私は今も若く美しくてラヴなリアお母さんではなくて、かわいい娘のシア姫ッス♪」
「・・・・・・・・・」
頭を抱えながら、ガディフォールはジト目で神王を見やる。
「ま、そういうことだ。こそ泥は個人的確執からガレオン・バジル親子と城内で喧嘩、その後ともに行方不明。盗まれたものは特に無し・・・まぁ、器物損壊はあったが、わざわざ追うほどのものでもないだろ。それに、賊の侵入を許したのは城内のずさんな管理にあり、とも言う。この際修繕にかこつけて徹底的に改築をしようかねぇ」
ニヤニヤ笑う神王と、ニコニコ笑う王女の格好をした神王妃。
これ以上話しても無駄と悟ったガディフォールは、レオナルドを促してその場を辞した。
二人がいなくなった後、ユーストマとリアは互いに顔を見合わせ、少ししてから堪らず噴出し、声を上げて大笑いをした。
「しかしまぁ、まさかこんな近くに稟殿とプリムラがいたとはなぁ・・・灯台下暗しってやつか」
「それも城内のずさんな管理のせいよね〜」
「まったくだ。城内の改築でこりゃ戦どころじゃねぇっての。これでこっちはまだ半年くれぇはもたせられる。後は・・・」
「これね♪」
リアが懐から覗かせてみせたのは、祐漸から届けられたフォーベシィの手紙だった。
兄から妹への手紙と見せかけてその実、そこには魔王が神王に宛てた密書が忍ばせてあった。
「やっぱ大した野郎だぜ、まー坊の野郎はよ。こいつぁ、おもしろくなるぜ!」
友である男のしたり顔を思い浮かべ、ユーストマは腕白小僧のような笑みを浮かべて、天井の先の空を見上げた。
それに倣ってリアも頭上を振り仰ぎ、その先のどこかにいるであろう彼らのことを思い浮かべた。
今頃彼らは、どの辺りの空を飛んでいることか――。
夢。
これが夢だ、というのは長年の経験からすぐにわかる。
ただ、普段見る夢とはどこか違っているようにも思えた。
半ば強制的に見せられる他人の夢とも違う。また時々同じ力を持った祖母やさくらと精神が繋がったような状態になる夢とも違っている。かといって自分の夢というにも違和感がある。
登場人物は二人。
片方、夢の視点となっている人物はおそらく純一自身だ。だが、視線の先にいるもう一人の人物には心当たりがない。
その人物の輪郭も揺らいでいて曖昧で、女性――というよりは少女――であるということしかわからない。
彼女が誰なのか、夢を見ている方の純一はまったくわからない。けれど夢の中にいる純一の方は知っているようだ。
夢の中の純一と少女は、互いの好意を感じ合ってとても安らいだ気持ちでいる。夢を見ている方の純一にもその感覚だけが伝わってきて、どこか心地よい。
なのに何故だか、とても悲しい感情がわき上がってきていた。
純一が少女を想うほどに、少女が純一を想うほどに、後から押し寄せてくる悲しみの感情に胸が締め付けられるようだった。
そして夢の景色は暗転し、安らかな景色は消え、悲しみだけが渦巻く中、少女の姿が遠ざかっていく。
夢の中の純一は少女に追い縋ろうとするが、まるで届かない。
走りながら純一が叫ぶ。
夢を見ている方の純一には、その叫び声は聞こえなかった。
おそらくそれは、その内容が“今”の純一には知りえないものだから――。
「――ッ!!」
きっとそれは、少女の名前。
それを知ることのないまま、夢は醒めていく。
飛空挺で大空に向かって飛び立ってから、間もなく丸二日が経過しようとしていた。
最初は空を飛んでいる事実に異様な興奮を覚え、一日目は外の景色を眺めてはしゃいでいたものだが、空と雲ばかりの景色にやがて飽き、どっと疲れが出たこともあって、二日目の今日は純一はブリッジの椅子に座ってずっと寝ていた。隣では、ことりと祐漸が代わる代わる操縦を行っていた。といっても、安定してしまえばほとんど 自動で飛んでくれるため、動かす必要はほとんどないとのことだった。純一にはさっぱり原理がわからないのだが、最新鋭機とやらは伊達ではないらしい。
今はことりが操縦しており、祐漸は反対側でやはり椅子に座って目を閉じていた。こちらも寝ているのかもしれない。
ブリッジにいるのはこの三人だけだった。連也とさやかは甲板に出ている。さやかの方はまだまだ興奮冷めやらぬのか、いまだにはしゃぎまわっていた。稟は操られていた際の無理な肉体強化による後遺症か、軽く熱を出して今は寝込んでおり、楓をはじめとする土見ラバーズの少女達はこれに付きっ切りで看病していた。
「くぁぁぁっ・・・・・・・・・」
大きな欠伸をしながら、純一は窓の外を見やる。
そうしながら、さっきまで見ていた夢のことを考える。
あの少女はいったい、誰だったのか。
記憶にはない。けれど夢の中の純一は、少女に対して強い好意を抱いていた。狂おしいほどに激しいその感情は、音夢にも、さくらにも、ことりにさえ向けたことがないほどのものだった気がして、罪悪感に苛まれる。
(すぐそこに恋人がいるってのに、夢の中の誰とも知れない子のことをこんなに気にするとは・・・)
上を見れば真っ青な空、下を見ればどこまでも広がる雲海。見渡す限り青と白に覆いつくされた景色だった。
心の内もこれだけ綺麗ならば、もっと楽なものをと思う。
考えていても埒が明かないので、純一は空と雲を見ながら、夢のことは頭の外へ追い出すことにした。
何も考えず、ぼーっと外を見続ける。地上はまるで見えず、飛空挺というものがどの程度の速度で移動するものなのかもわからないため、今どの辺りにいるのかさっぱりわからなかった。
夢に関することを除けば何もせずに寝ていられるというのは悪くないのだが、やはりこう何もないと退屈である。
「かったりぃな・・・おい、祐漸。一体どこまで飛ぶんだよ・・・?」
「・・・・・・・・・そうだな」
てっきり「黙って寝てろたわけ」とか言うかと思われた祐漸は、静かに起き上がって手元の機械を何やら弄りだす。何をしているのかは純一にはさっぱりだった。
「そろそろ海に出るな」
そう祐漸が言ってしばらく経つと、雲海が途切れ、遥か下に青い海が見えた。
「おお・・・・・・」
久々に空と雲以外のものを見たような気がして、純一は軽く声を上げる。もっとも、青と白から、青一色に変わっただけで大した違いもなかったが。
再び椅子に深く座り込んで目を閉じようとしたところへ、騒々しい足音が響いてくる。
ドアが開き、甲板にいたはずのさやかが駆け込んできた。
「ねぇねぇ祐君、純ちゃん、ことりん! 海だよ、海!!」
「・・・見りゃわかるって・・・でかい声出すなよ、かったりぃな・・・」
「もう! 海なのに何不景気な顔してるのっ! もっと海〜〜〜って顔しなさい!!」
「意味がわからん・・・」
何でもいいからはしゃぎたいらしい、この女は。その後ろから、まるで正反対に物静かな連也が入ってきた。
「祐漸、目的の海に出たようだが、これからどうするのだ?」
「そうだな・・・ことり、もう少し・・・・・・沖合い五十キロ程度のところまで行ったら進路を西だ」
「了解ッス!」
「もう! そこの二人もノリが悪い! 海ったら海なの!!」
意味不明なさやかの主張を、祐漸と連也は鮮やかに無視する。まったく、これっぽっちも気に留めなかった。
さやか自身もそのことはまるで気にせず、矛先は再び純一の方へ向く。
「ほら純ちゃん一緒に・・・う〜〜〜み〜〜〜っ!!!」
ブリッジの最前部まで行って、両手を左右一杯に広げてさやかは叫ぶ。騒がしいため、そういうことは甲板でやってほしかった。
耳を塞ごうかどうしようか迷っていると、またブリッジのドアが開く音がした。
振り返ると、楓が一人入ってきたところだった。
「よっ、楓。稟の様子はどうだ?」
「大分落ち着きました。今はリムちゃんと亜沙先輩が看てくれています」
「カエちゃんカエちゃん! ほら一緒にやろう、う〜〜〜み〜〜〜っ!!!」
「あはは・・・」
やたらハイテンションなさやかを前に、楓も苦笑いを浮かべる。
不意に、その表情が引き締まった。
「純一君、ことりちゃん、さやかちゃん、連也さん、祐漸さん」
一人一人の名前を、楓は神妙な面持ちで呼ぶ。純一とことりが振り返り、他の三人も顔は向けないまでも、耳を傾ける。
胸に手を置いて一度深呼吸をした楓は、その身を深く前へ倒して頭を下げた。
「本当に・・・ありがとうございました」
万感の思いを込めて、楓はその言葉を口にした。
心の底からその言葉が響き伝わってくる。この一年間の思いが、山ほど詰っているのが感じられた。純一達も、僅かながら共有したその気持ちを思い出し、感慨に耽る。
本当に、短いようで長い一年だった。
様々な出来事があった。その間に、結ばれた絆があった。そして今、遂げられた願いがあった。
思いを馳せらせた後に浮かんだのは、笑顔だった。
「よかったな、楓」
皆の気持ちを代弁して、純一がそう応える。
顔を上げた楓の表情にも、満面の笑みが浮かんでいた。
「はいっ!」
見ていて赤面しそうで、純一は顔を背けた。その横顔を、ことりがくすくすと笑いながら見ており、純一は居心地の悪さを覚える。
「まぁ、その、何だ。礼を言われるほどのことじゃねーって。仲間として当然のことをしただけだ」
「くすっ。うん、そうだね。そんな風にするなんて水臭いですよ」
「そうそう。私達は、好きでやったことなんだから」
純一に続いて、ことりとさやかも笑顔で楓に声をかける。祐漸と連也に言葉はなかったが、その表情は穏やかなものだった。
「それよりつっちーに、起きたら快気祝いするから、って伝えておいてね♪」
「何だその、つっちー、ってのは・・・?」
「土見君だから、つっちー」
「それ、撫子先生と同じ呼び方です」
「そうなんだ。なかなかわかってるね〜、その先生さん」
女性陣は、いつもながら会話に花が咲き始めると楽しげだった。それが今は、これまで以上に華やかに感じられた。やはり、楓の表情が格段に明るくなったことが原因であろう。
普段は騒々しい気がすることもあるが、今は耳に聞き心地良く、退屈しのぎになる。
やがて、目的の空域にまで到達したのか、ことりが操縦桿を操って進路を変える。後ろに背負う形になっていた太陽が左側にきて、少し眩しくなった。
祐漸の指示で、徐々に高度が下がっていく。
海面が比較的近くなったところで、またしばらく飛行する。楓は稟の下へ戻り、さやかは甲板に出てまた騒いでいた。
ブリッジ内が静かになると、また窓の外に一面の青。退屈さがぶり返してくる。
「どこだここは・・・?」
「海の上じゃないかな?」
「いや、ことりさんや・・・そんな当たり前のことを・・・」
「大体この辺りだ」
前方の空間に地図が浮かび上がる。思わず驚かされたが、これも機械とやらの技術によるものらしい。
地図上で祐漸が指し示している場所は、大陸を北へ抜け切った海の上だった。そこからさらに色分けがされ、各勢力の分布図が浮かび上がる。現在飛行中の場所の南に、ソレニアとヴォルクスの国境があった。西へ向かうと、ヴォルクス北王家の領土になっている。
ヴォルクスの領土は、大陸北西部から順に北王家、天王家、西王家とあって、西の外れに小さく竜王家がある。中央へやってくると魔王家があり、その周囲に海王家、冥王家が存在し、東部へ向かって南王家、東王家となっていた。その中で北王家は、最も広い領土を誇っていた。祐漸によるとほとんどが僻地とのことだが、それでも広大な平地では農作物が良く取れ、山地には資源が豊富で、豊かな国とのことだった。ヒュームの人口も多く、農地や畑はほとんど彼らが管理しているという。北王家は彼らから税の代わりに年貢を納めさせ、ヴォルクスの一般市民は彼らから作物を買う。そうした制度がしっかりしている北王家領土は、九王家の内最も治安が良いとも言われていた。ただし、現状王が不在のため、九王家内での政治的権限はほとんどないとのことだった。それでも前王の意向に従い、その王不在を逆に理由として用い、今の情勢の中で中立を保っていた。
本来ならば王位を継ぐはずだった男は、故郷に帰るというのにつまらなげに地図を眺めていた。その視線が、一つ一つの勢力を順に見据えていく。
「・・・さて・・・これで情勢がどう動くか・・・・・・」
そんな呟きを漏らす祐漸の心の内は、複雑過ぎて純一には計りかねた。
彼らが飛んでいる地より遥か南方、ヴォルクス最高権威の所在地、魔王城パンデモニウム――。
建築様式美の全てを結集して造られたと言っても過言ではない荘厳な宮廷の奥に置かれた会議室に、人影が二つあった。
すらりとした長身に黒衣をまとった細面の男は、九王家のトップに君臨する魔王と呼ばれる存在で、名をフォーベシィと言う。それと長テーブルを挟んで反対側で文書を持った手を震わせている小さな少女は、同じく九王の一人たる竜王、エリスである。
ダンッと音を立ててエリスは文書をテーブルの上に叩き付ける。
「レヴィアータの奴ッ!!」
思わず全身から溢れ出させた魔力が室内に飾られた調度品を揺らす。常人ならば震え上がらずにはいられない竜王の憤怒に満ちた空気の中で、フォーベシィは平然としていた。
それどころか、優雅に紅茶など飲んでいたりする。
静かにカップを置くと、相手を宥めるように笑顔で口を開く。
「まぁまぁ、落ち着きなよ、エリスちゃん。そんなに眉間に皺を寄せてると、かわいい顔が台無しだよ」
「“ちゃん”付けで呼ぶなっ、それにこれが落ち着いていられるか!!」
掌で何度もテーブルに置かれた文書に叩く。書面に書かれているのは、エリスがおよそ半月余り前に発したヒュームの国々に対する領土侵犯を禁じ、さらに九王間での連帯による軍事行動を禁ずるという命令の撤回を求める旨を記した文章だった。そして文書の最後には、三人の王による連判が成されていた。
最初にこれを提示してきたのは、当事者であった東王劉邦と南王ガーネルであった。それに先ごろ、海王レヴィアータが加わった。
正式な文書たるこれ以外にも、エリスの発令した事柄が不当であるという抗議が、竜王家と魔王家双方に寄せられており、審議の対象となっている。もしこれに、もう一人いずれかの王が賛同を示せば、エリスの発した禁令は効力を失う。そうなってはもう、彼らの軍事行動をエリス一人で止めることはできなくなる。そして、頼れる味方はいない。
目の前にいる魔王は唯一エリスの意志を尊重している王だが、その立場上どちらか一方に肩入れするわけにはいかない。残りの三王は、まずアテにならないだろう。
「まさかこんなに早く・・・」
自分の発した禁令が一時しのぎの時間稼ぎにしかならないことはわかっていた。それでも、他の王家が介入してくるまでに、早くとも二ヶ月はかかると踏んでいた。それが一ヶ月 を待たずして賛同してくる王がいるとは予想外だった。それも日和見主義かと思われた海王が、である。
このままでは、あと一人誰かが介入してくるのも時間の問題かもしれない。冥王はいつでも動ける立場にあるし、西王や天王も自分達の側に有益と判断すれば賛同する可能性はあった。
仮にそうなれば、今度は四王家による大軍勢が動くことになるだろう。ヒュームの国々がいくら同盟を結んだところでこれに対抗できるはずもなく、その戦に決着がつけば間違いなく矛先はソレニアへ向く。後は坂道を転げ落ちるように戦争は泥沼化していき、この数十年の平和は全て露と消え、大戦の時代に逆戻りである。
「ソレニアの方はどうなってるか知らないけど、こっちはのっぴきならないところまで来たわね・・・」
「確かに。こちらに非があると向こうが主張している以上、こっちから和平を持ちかけても弱いからねぇ」
この戦争の発端となったのは、ヴォルクス側のソレニアへの領土侵犯だった。小さなものならばこの数十年あちこちであったことだが、今回は規模が大きかった。ソレニアの国境近くにある、かなりの重要施設が壊滅させられたのだ。これでは黙っていろという方が無理な話である。
「一年前の件についての調べはついたの?」
「ダメだね。どの線で調べても必ずどこかで途切れる。誰かに仕組まれた可能性は高いけど、確証はない」
「じゃあやっぱり、まだ時間が必要ね」
踵を返したエリスを、フォーベシィが呼び止める。
「どこへ行くんだい、エリスちゃん?」
「残りの王と直接話をしてくるわ。それで時間を稼ぐから、あとはあんた次第よ」
「まぁ、色々と手は打ってはいるよ」
「なら、それに賭けさせてもらうわ。それと、どこほっつき歩いてるかわからないバカにも、いい加減動いてもらう」
部屋から出たエリスは、ドアを閉めながらフォーベシィを睨み付けた。
「それから、“ちゃん”付けで呼ぶんじゃないっ、もうガキじゃないんだから!!」
乱暴にドアを閉めて、小さな王は去っていった。
残されたフォーベシィは、エリスの剣幕を前にしても常に笑みを浮かべていた顔を不意に引き締める。
「・・・そうだね、祐ちゃんに頼るのは悪くない。けど・・・・・・」
エリスが何を言っても、あの男が自分から国のために何かをすることはないだろう。それはあの二人が、どれほど個人的に強い繋がりを持っているとしてもである。
祐漸という男は、国の道理では動かない。
それは彼女も十分過ぎるほどわかってはいるだろうが、今は藁にも縋りたい思いなのだろう。フォーベシィとて、それは同じだったが、決定的に違う部分があった。それは、フォーベシィにとって祐漸の存在は藁どころか、強靭な綱であるということだった。
先ほど手は色々と打ってあると言ったが、それが上手くいけば一発逆転の妙手になるはずだった。そしてそのために絶対必要なのが、土見稟である。フォーベシィは、祐漸という男の能力を誰よりもよく知っており、それを信頼していた。ゆえに彼が稟を捜していると知った時、必ずいずれ見付けてくれるものと確信していた。そして、彼に頼んだサイネリアへの手紙。あれにこそ、神王ユーストマへ宛てた必勝の計略が記されている。
引き締めた口元がいたずらっ子のように釣り上がる。
「稟ちゃんが無事でいてくれれば・・・おもしろくなるねぇ」
国の、いや、大陸全土の命運を賭けた大博打を目論む魔王は、その賽を振る時を待ち焦がれていた。
北王家の居城、ホワイトパレス――。
「不審な艦影?」
先王の死去以来、王不在の中政務を取り仕切っているこの男は、名をオシリスという。先王の嫡子であった祐漸とは、乳兄弟の間柄にあった。
報告を受けたオシリスは、手元の書類から顔を上げる。
「はっ。北の海域に。見慣れないもので、ソレニアの飛空挺ではないかと・・・」
「一隻のみか?」
「それもまた不審です。旗らしきものも立てていません。このままでは、間もなく領内に・・・」
「構わん、捨て置け」
「は?」
「それは敵ではない」
「はぁ・・・・・・あ! ま、まさかあの方が!?」
「その艦影は誤認として処理しろ。それと、イシスを呼べ」
「ははっ!」
部下の男が下がると、程なく一人の女性が入ってきた。オシリスの妹、イシスである。
「兄様、お呼びですか?」
「今からガーデンへ行って、使えるようにしておけ」
「はい?」
ガーデンの通称を持つ場所は、正式にはホワイトガーデンと言って、北王家の別邸である。魔王家の別邸に広さでは及ばないが、美しさでは決して劣らない場所であり、代々王家がプライベートな場として、特に親しい者のみを招く館でもあった。
ここ数年は、手入れこそ欠かしていないが、利用することもなかった。それを何故突然、と訝しがっていたイシスが何かに気付いたようにハッとする。
驚いた表情から一転、花が咲いたような笑顔になって兄に詰め寄る。
「もしや祐様が!!」
「おそらくな。向かうとしたらあっちだろう」
「わかりました! すぐに参ります!!」
「待て」
今にも飛び出しそうな妹を制して、オシリスは机の中から数枚の書類と手紙を取り出し、イシスに渡した。
「せめてこれだけでも目を通せと言っておけ。それと竜王から口頭での伝言があったが、おまえも聞いていたな」
「はい、伝えておきます」
「今日は向こうに泊まっても構わんが、明日の夕刻までには戻れ。仕事に差し支える」
「えぇぇ!? せめて三日くらい・・・」
「イシス」
「・・・・・・はい、わかりました・・・。では、行って参ります!!」
少し沈んだ表情で俯いたイシスだったが、すぐに顔を上げて元気に告げ、部屋を飛び出していった。
騒がしさについては咎めようとせず、オシリスはそのまますぐに政務に戻った。
岩場の岬に近付くと着水し、適当なところへ飛空挺をつける。機関を停止させると、皆揃って船から降りた。
「むぉっ、寒ぃーな・・・」
純一はぶるりと体を震わせる。大陸のほぼ最北端なのだから、寒いのは仕方ないことだったが、暖かい気候の地方にずっと住んでいた身には少々堪える。
「寒くてかったるいぞ、祐漸」
「どこへ行っても文句の多いたわけだ。館の周囲は温暖魔法の結界で包まれてるからそこまで我慢しろ」
ここから程近いところに、ホワイトガーデンと呼ばれる北王家の別邸があるらしい。今後落ち着くまで、そこに滞在すると祐漸は言っていた。
結構な長旅で、しかもここ最近は大変なことが立て続けに起こったため皆疲れており、のんびり休める場所へ来れたのは幸いだった。特に楓や稟達には、静かにゆっくり寛いでもらいたいと思っていた。ついでに純一自身も、暖かい布団に包まって惰眠を貪りたかったし、それに旅の間はなかなか機会がなかったため、ことりと二人きりになれる時間もほしかった。
チラッと横を見ると、ことりと目が合った。同じことを思ったのか、顔を赤くしており、それを隠そうと苦笑いを浮かべていた。 飛空挺の中で見た奇妙な夢のことが脳裏を掠めたが、こうしてすぐ隣にいることりのことは変わらず愛しく思える。
思わず自分も赤くなったことを周りに気取られないよう、純一は顔を背けた。幸い、先を行く祐漸とさやか、それに最後尾の連也には見られなかったようだ。稟を取り巻く面々は自分達の間での会話に花を咲かせており、やはりこちらを見ていない。純一はホッと息をついた。
しばらく歩くと、段々寒さが和らいできた。ガーデンとやらの近くまでやってきたらしい。
温暖魔法の影響なのか、その辺りはかなり緑が濃かった。そしてその中心に、白い宮廷が建っていた。
「ほぁ〜・・・・・・」
思わず変な声を上げて見惚れる。大きさではネリネとはじめて会った魔王邸ほどではなく、ついこの間見たミッドガル城などとは比べるに及ばないのだが、やはり常識的なサイズから見ると十分過ぎるほど大きかった。そして何より、ホワイトガーデンの名が示す通りに白を基調とした館は、掛け値なしで美しかった。
そこへまるで自分の家のように――実際自分の家なのだが――入っていく祐漸を見て、本当に王族だったのだな、と感心してしまった。
門を潜ると、これまた美しい前庭に出迎えられる。ガーデンの名が示す通り、庭には相当力が入っているようだ。
美しい庭園を通り抜けると、近付くとますます大きさが際立つ館に辿り着き、扉の前に誰かが立っていた。遠目に女性だとわかったが、彼女は彼らの姿を見止めると、走り寄ってきた。純一達、というよりも、祐漸のことだけを見ながら、真っ直ぐに駆けてくる。
「祐様っ!!」
すぐ近くまで来ると、両手を広げて祐漸の胸に向かって飛び込もうとする。それを――。
ビシッ
何故か、さやかの掌底が防いだ。
「見事な返しだな」
誰もが唖然とする中、あの寡黙な連也が思わずそう呟いたほど、完璧なカウンターが入っていた。飛び込んできた女性は動かない。
数秒経って、ようやく気がついた女性が顔面に張り付いた掌をどけ、その持ち主に食って掛かる。
「何するんですか!?」
「いや〜、なんとなく♪」
しれっとした笑顔でさやかはその剣幕を受け止める。だが、目だけは笑っていなかった。
額に怒りマークを浮かべた女性と、冷めた笑顔のさやかとが互いに一歩も引かない姿勢で向かい合う。二人の背後に、炎をまとった虎と、雷をまとった龍の幻が見えたような気がした。
後に本人達が語ったところによると、この瞬間、二人ははっきりお互いのことを“敵”と確信したという。
その元凶たる男は、まるで気に留めずにその横を素通りしようとする。が、通り抜けざまに女性の頭に軽く手を載せてみせた。
「しばらく滞在するぞ、イシス」
それだけで、イシスと呼ばれた女性の顔から怒りの表情は消え、笑顔で踵を返して館へ向かう祐漸の背を追いかけていった。
「はい、祐様! おかえりなさいませっ」
「それと、後ろの連中も客として案内しろ」
「かしこまりました」
館の中へ入っていく祐漸に向かって恭しく礼をしてから、イシスは純一達の方へ振り返る。
「ようこそホワイトガーデンへ。歓迎いたします。私のことは、イシスとお呼びください。ご案内しますので、どうぞこちらへ」
「は〜い、お願いね〜」
「・・・・・・・・・」
さやかが真っ先に返事をすると、イシスの笑顔が凍り付く。
明らかに、あなたは歓迎していません、と書かれた顔をしている。さやかはそれに対し、眩いほどの笑顔を浮かべながら言う。
「ささ、どうしたの? 早く案内してね、お・客・様だから♪」
「・・・・・・ええ、もちろんご案内させていただきます、お・客・様として」
互いに笑顔を向け合うことが、必ずしも友好の印ではないことを、純一達は嫌というほど思い知らされた。
まずは一休みということで居間へ通された純一達は、それぞれに腰を下ろして寛いだ。
程なく良い香りがして、イシスが飲み物を運んできた。予めコーヒーか紅茶か聞いていった通りに各自の前に並べていったが、最後にさやかの前に置いたカップには、ただのお湯しか入っていなかった。受け取ったさやかは「わーい、うれしいなー」などと白々しい声を上げながら笑っていたが、やはり目は笑っていなかった。
イシスも「うふふ」などと笑っており、ここでも皆居心地の悪さを感じさせられた。
やがてイシスが自室へ行った祐漸に用があると言って居間を後にするまで、その居心地の悪さは続いていた。
「珍しいね、さやかさんがあんなに他人に対して敵意を剥き出しにするのって」
「まぁ、人懐っこそうに見えてわりと冷めた目で他人のことを見てる奴ではあるけどな」
それでも、感情を剥き出しにしているのは珍しい。せいぜい、かわいいものに反応した時に獣と化す時くらいだと思っていたが。
「いや、あれはちょっと違うか・・・しかし、何でだ?」
「・・・朝倉君、それ本気で言ってる?」
「何がだ?」
「はぁ・・・鈍いなぁ、朝倉君は」
不思議そうに首を傾げながら、純一は周りの様子を見ると、皆大体事情がわかっているという顔をしていた。連也の表情は読めないが、この男なら大体のことはわかっていそうである。
自分だけがわからないのかと焦っていると、仲間を見付けた。
「なぁ、何であの二人初対面っぽいのにあんななんだ?」
「えっと・・・それは・・・・・・」
「稟ちゃん、鈍いわねぇ・・・」
そんな新たな出会いもあった場所で、彼らの旅はしばしの休息となった。
次回予告&あとがきらしきもの
ソレニア領から脱出した彼らは、一時羽を休めるために北王家の館へ。しかし、その間にも裏では次なる大きな出来事がちゃくちゃくと進行していると、という新章の開始となるお話。冒頭での謎の男出現に、 純一の夢に出てくる謎の少女、エリスの再登場、旧シリーズでおなじみのオシリスとイシスも登場して、新たな展開を予測させる話となったであろうか?
次回は、ホワイトガーデンで寛ぐ純一達、やがて宴会騒ぎへと突入し・・・。