光の道を抜けると、そこは見知らぬ大地だった。
先ほどまでいたミッドガル城は影も形もない。
足下に広がるのは確かに土の大地で、周りには草木が生い茂っている。不思議なのは、上空には空と雲があるのだが、体の高さにも少し雲がかかっていることだった。それに、まるで高い山の上にいるように空気が薄かった。
さやかはまさかと思って少し歩いてみる。すると、すぐに答えが見付かった。
切り立った崖を見付け、その淵に立って覗き見ると、下にも空が広がっていた。上を見ても空、下を見ても空。大地は、雲海の上に浮かんでいた。

「純ちゃん・・・これって・・・・・・」
「やっぱりこういうことだったか」
「何なの? ここは」
「天上世界ヴァルハラ、って聞いてる。俺も話に聞いただけで、実際に来るのははじめてだけどな」
「・・・“あの人”が、来た場所なんだね」
「ああ・・・・・・。行くぞ」

純一は先にここを訪れているであろう二人を追って走り出す。崖とは反対側、浮遊する大地の中心部の方へ向かって。さやかもそれを追って走った。
しばらく進むと、平原の中央にプリムラが立っているのが見えた。二人はその目前で立ち止まる。

「リムちゃんを置いて行った?」
「足止めのつもりか・・・」
「ここは任せて、純ちゃんは先に行って」
「大丈夫なのか? 相手は・・・」
「何とかしてみるよ」

相手のプリムラは、人工生命体の唯一にして最高の完成体である。その魔力は神王や魔王すらをも凌駕し、地上最強と言われている。
昨日最初に会った時は地下道を破壊しないようにかなり力をセーブしていたが、もし全開で戦ったらさやかとの魔力差は歴然としていた。だが、ここで時間を取られていては先に行ったガレオンを追えなくなる。

「お互い、自分の戦うべき場所で全力を、ね」
「・・・わかった。任せる」

二人同時に駆け出し、さやかはプリムラを牽制し、その隙に純一は平原を走り抜けた。













 

真★デモンバスターズ!



第24話 それぞれの戦場















天の塔下層部では、上へ続く道が塞がれているため魔物の群れが満ち溢れ、衛兵達がこれと激しく交戦を繰り広げている。神殿騎士二人もこれに加わり、城兵側が優位に戦っていたが、魔物の数は尽きることがなかった。
中層部広間においては、裏の者達の屍に囲まれた中、連也と義仙が対峙している。
そして上層部広間には、稟ただ一人が立っていた。
楓、ネリネ、シア、亜沙の四人は、いずれも四方の壁際に蹲って肩で息をしている。
決して、稟が圧倒的に強いというわけではない。想像していたよりも魔法による肉体強化でパワーとスピードが引き出されてはいるものの、実力的には四人の方が上を行っており、四対一で戦っていた楓達の方が有利なはずだった。しかし、身体能力だけはかなり強化されている相手を、倒すのではなく取り押さえるというのは予想以上に難しい作業だった。傷付けるわけにはいかないという思いから動きは鈍り、手痛い反撃を受ける。何よりも、稟が敵であるという事実が、精神的に彼女達を追い詰めていた。

「稟くん・・・どうしたら・・・?」

床に落ちた剣に手を伸ばすシア。けれど、柄にかけたその手には力が入らなかった。
まだ体力の限界を迎えたわけではない。何度か打ち据えられ、床や壁に叩きつけられた痛みはあるが、まだ体は動くはずだった。
けれど、もうこれ以上、稟に剣を向けたくないという思いが、剣を握る手に力を込めさせない。

「・・・お願いします、稟さま・・・。目を、覚ましてください・・・」

一番体力の低いネリネは、既に床の上に体を横たえ、何とか体を起こしている状態だった。
ヴォルクスの中でも、指折りの強大な魔力を持つネリネだったが、そんな力があっても何の役にも立たない。無力感に苛まれ、気力の上でももう挫けてしまいそうだった。

「・・・稟ちゃん、本当にボク達のこと、わからないの?」

悲しみと悔しさに顔を歪めながら、亜沙が稟を見据える。体を支えるように立てた薙刀を握る手には、まだ力が宿っている。
自分がしっかりしなくては、という思いがあった。年上なのだから、自分が稟の目を覚まさせなくてはならない。張り倒してでもそうしてみせると意気込みながら、稟の前に出ると最後の一歩が踏み込めずにいた。

「稟くん・・・稟くん・・・・・・」

もう二度と、元の稟には戻らない。そう言われたことが楓の心に、ずたずたに引き裂かれたような衝撃をもたらしていた。そんなはずはないと信じようとしながら、けれど冷たい稟の視線を見ていると、その希望さえ霧散していくようだった。
いつも優しく包み込んでくれる稟、ずっと傍にいると約束してくれた稟、誰よりも愛している稟。
その姿が、遠い。
手を伸ばしても、どんどん遠ざかっていく稟の姿には、届かない。
遠い稟の背中。走っていって追いつけば、振り向いてくれるだろうか。けれど、もしそれで振り返っても、冷たい目を向けられたらと思うと、足はそれ以上一歩も前に進まなかった。
立ち上がる気力も、もう消え去りそうだった。
少女達の心が、崩れ落ちていく。
土見稟という、たった一人の少年の心が、離れていくから。
シアにとっては、はじめて出会った心から愛せる人、生涯愛し続けると誓いを立てた相手。
ネリネにとっては、大切な人の最初で最後の恋の相手、その願いを叶えるべく出会い、自らも恋した人。
亜沙にとっては、世界中の誰よりも尊敬する人と同じ強さ、優しさを持った憧れを抱く人。
楓にとっては、自分の全てを捧げたいと願う相手、この地上で唯一無二の、掛け替えのない人。
彼女達が愛する唯一の人、稟。その心は、ここには、なかった。
求めるものは遥か彼方、希望は見えない。届かぬ想いに、少女達は俯き、絶望した。彼女達の心は、深く暗い奈落の底へと落ちていく。


「何だ、まだもたついていたのか」


その心を現実に繋ぎとめたのは、一人の男の声だった。
顔を上げて、その姿を探す。
広間の外れにその男、祐漸は立っていた。
新たな敵の出現を感じ取ったか、稟が剣の切っ先をそちらへ向ける。
祐漸と稟。他の誰も知らないことだが、こうして対峙するのは、実に十年振りのことだった。祐漸が今の稟と同じ程度の歳で、稟はまだ幼い子供だった。あの時向き合った子供は、幼いながらに多くの気持ちを内に秘めた、深い眼をしており、それが少しだけ、祐漸の記憶の片隅に留まっていた。
だが今、祐漸を見据える稟の眼には何の光も宿っておらず、深みもなかった。そんな稟の姿に、祐漸は蔑みの視線を向ける。

「無様だな、土見稟。それに・・・」

蹲る少女達の姿を一瞥した祐漸の眼には、僅かな失望と怒気が含まれていた。
いつもならば、言葉で怒りを表すことはあっても、ここまで怒気を露にすることはない男である。振り撒かれる威圧感に、少女達は竦み上がる。
正面の敵に目を戻した祐漸は、鋭い殺気を放ってみせる。
何に対しても無反応だった稟の全身が、その殺気を受けて、ほんの一瞬小さく震えた。記憶や感情を失っても、肉体の本能だけで、眼前に立つ存在の恐ろしさを感じ取ったのだ。

「もう少し見所のある男だと思っていたが、見込み違いだったか――――覚悟しろ、小僧」

楓達が制する間もなく、祐漸は稟の眼前まで一息で踏み込む。
身体能力を強化し、反応速度も速めている稟でさえ、その動きにはまったくついていけなかった。
突き上げた祐漸の拳が、稟の腹部を強打する。
痛みは感じずとも、衝撃はまったく止めることはできず、稟の体がくの字に折れる。それでも苦し紛れに振り下ろされた剣を素手で払いのけ、さらに祐漸は横面に拳を叩き込む。
宙に浮き上がった体を蹴り上げ、さらに上へと押し出す。周囲に氷の礫が無数に生み出され、宙に浮かぶ稟の体目掛けて一斉に撃ち出された。
空中で何発も礫を受け、稟の体が天井近くまで浮上する。
祐漸は床を蹴り、自身も天井近くまで跳躍して片腕を振りかぶる。

ドゴッ!!

手刀を振り下ろし、打ち据えられた稟の体は落下し、床に叩きつけられた。
降り立った祐漸は、倒れ伏す稟の姿を見下ろす。
如何に肉体を強化しようとも、この絶対的な力の差は埋められない。祐漸の前では、稟はただ倒されるだけの存在でしかなかった。
だが、これだけ痛めつけられても尚痛みを感じていない稟は、四肢を踏ん張って立ち上がろうとする。その四肢を氷で包み込み、祐漸は稟の体を床に縫い止め、自らは右腕を振り上げ、氷の槍を生み出す。

「トドメだ」

冷たく言い放ち、槍の穂先を稟へと向ける祐漸。それを見た瞬間、少女達は時が凍り付くような感覚を覚えた。
祐漸の腕が振り下ろされ、あの凶器が体を貫けば、稟は死ぬ。
稟が死ぬ。
止まった時の中、少女達の心がそれの意味するところを理解しようと激しく脈動する。
稟が死ぬ。稟がいなくなる。
それは一体どういうことか。もしもそうなったら、どうなってしまうのか。
稟が死ぬ。稟がいなくなる。もう二度と、会えなくなる。
死ぬとはそういうことだ。死んだ人間は決して生き返らない。どんな魔法を使っても、それだけは不可能だった。死者を蘇生させる魔法の研究は行われているが、それが成功する確率は極めて低い。
だから、稟が死ねば、もう決して、稟に会うことはできなくなる。この世からいなくなってしまうから。
心がどこか遠くへ行ってしまうだけではない。本当に、全て、なくなってしまうのだ。
そうなってしまって、良いのか――。


「「「「ダメ――ッ!!」」」」


シアが、ネリネが、亜沙が、楓が、あらん限りの声を張り上げ、一斉に弾け飛ぶようにして動いた。
今まさに、手にした槍を振り下ろさんとしていた祐漸の四方を、少女達が取り囲む。
正面には、剣を正眼に構えたシアが立つ。左からは、亜沙が薙刀の切っ先を喉下に突きつける。背後では、ネリネが魔力を溜めた掌を向けている。そして右、手に持った槍は、楓の双剣が押さえていた。

「稟くんは、やらせないっ!」
「それ以上指一本でも稟ちゃんに触れたら、許さないから!」
「お願いします、祐漸様。稟さまを、殺さないでください・・・」
「・・・もし、稟くんを殺すと言うなら・・・・・・戦ってでも、あなたを止めます、祐漸さん!」

少女達の鋭い眼光が、四方から祐漸を射抜く。
その眼には、先ほどまで絶望し、蹲っていたとは思えないほど強い光が宿っていた。
本気の殺気を前にしながら一歩も退かない構えを見せる四人の姿を見て、祐漸は小さく嘆息した。

「・・・それでいいんだよ」

槍を消し去り、構えを解いた祐漸を、少女達は訝しげに見詰める。
踵を返した祐漸は、彼女達から数歩離れたところで立ち止まり、振り返らずに口を開く。

「時間をくれてやったのに無様を晒しやがって。おまえらみたいな小娘どもがごちゃごちゃ悩んでたところで何かが変わるものかよ。成し遂げるべきことがあるなら、迷わず全力で突き進め。その程度のこともできずに、俺の仲間でいられると思うな」

もはや殺気も、怒気もない。淡々と事実を述べる、いつもと同じ祐漸の声だった。冷たい言葉の中で、暖かさを滲ませて自らの信念を説く。突き放すような態度を取りながらその実、自分で立ち上がり、突き進む強さを持たせてくれる叱咤だった。
楓やネリネは、もう何度もその言葉に救われた覚えがある。シアと亜沙も、その言葉に強く心を打たれる。

「もう一度時間をやる。俺はその間に、あの魔物どもの本体を始末してくる」
「あれを・・・一人でですか!?」
「いくら祐漸様でもそれは・・・せめて私も・・・」

ローグ山脈で一度戦って、魔物の本体の恐ろしさを体験した楓とネリネが心配げに声を上げるが、祐漸の背中はそれを拒絶する。

「人の心配をしてる暇はないだろう。第一おまえら・・・」

肩越しに振り返った祐漸の眼光を受けて、少女達は身震いした。

「俺が同じ相手に、二度も遅れを取るとでも思うのか?」

再び歩き出した祐漸は、下へ向かうべく階段を目指した。

「いいからおまえらは自分の成すべきことをしろ。言っておくが次はないぞ。戻ってくるまでに終わっていなかったら、今度こそ俺がけりをつけるぞ」

最後にそう言い残して、祐漸は立ち去った。
残された少女達は、互いに顔を見合わせ、それから稟のことを見やる。祐漸がいなくなったことで氷の拘束力が弱まったようで、今にも稟は自由になりそうだった。
そうなったらまた、稟と戦うことになる。だが、彼女達の表情に、先ほどのような絶望感は浮かんでいなかった。

「・・・時間制限、つけられちゃったね」
「はい・・・。ですけど、希望を抱く強さもいただきました」
「何か悔しいなぁ・・・・・・さっきのあの人、ちょっとかっこいい、って思っちゃった」
「祐漸さんは、すごい人です。強くて、厳しくて、けれど優しくて・・・尊敬しています。だから・・・」

拘束を外して自由になった稟を見据える。

「もう迷いません。絶対に、稟くんを取り戻してみせます!」

楓の言葉に、他の三人も力強く頷いた。







連也と義仙の勝負は、静かに、されど激しく行われていた。
正面から振り下ろされた斬撃をほんの僅か下がることで紙一重で見切り、逆に相手の首筋を狙って切っ先を突き出す。
薄皮一枚を掠るに留まった刀を引きながら、下から切り返して襲い来る刃を受け流す。
滑るように相手の右へ回り込もうと動くと、相手も同じく右側へ回り込み、互いに等間隔を保ちつつ円を描くように動きながら刀を薙ぎ払う。その刃がまったく同じ軌跡を描き、腕と腕とがぶつかって互いの攻撃を阻む。
下がる速度が風の如しなら、踏み込む速度もまた疾風。引くと見せては押し、押すと見せては引きつつ相手の隙を窺う。
互いに正面から刀を打ち交わすことは稀だった。彼らが手にする刀は、世界有数の高い切れ味と、細身に似合わぬ強度を併せ持った優れた刀剣である。だが、叩き斬ることを目的として作られた類の剣に比べれば脆さもある。下手に刃を打ち合わせれば刃こぼれを起こして切れ味は半減し、下手をすれば曲がるか、折れる。たまに響く剣戟の音は、斬撃の威力を殺さずに受け流した際のものであり、ほとんどは交わらせることなく、体捌きで隙を窺いつつ、相手の体を狙って剣を振るう。
そして、狙う位置は常に一撃で相手の能力を大幅に奪うことのできる急所だった。超一流の達人たる二人の戦いにおいて、相手の体に確実に攻撃を入れられる機会はそう多くない。
ただ一太刀。致命傷となる一撃を先に入れた方が勝つ。

「ぬんっ!!」
「ふっ!!」

気合を声にして漏らしつつ、必殺の一撃を狙うべく両者が斬撃を繰り出す。
速く、鋭い剣は風を切る音すらほとんどさせない。
互いに言葉もない。二人の間に、もはや語るべきことは何もなかった。所詮一生相容れぬ存在であることはわかりきっていた。
同じ剣を修得しながら、まったく別の信念を抱く二人は。
そして、“連也が義仙の妹を斬った”という事実がある限り。
明るく、活発な少女だった。男達に混ざって道場で汗を流しながら、常に輝きを失わなかった彼女を、多くの門下が慕っていた。だが、当主の娘に手をつけようとするほどの度胸のある者もおらず、そんな中で連也だけが彼女と近しくあり、互いに惹かれていった。共に過ごしていた頃は楽しく、いずれ彼女を斬る運命にあるなど、思いもよらなかった。
前当主が亡くなり、しばらくして長兄も死んだため、柳陰が当主となると、かねてより懸念されていた義仙との確執が表面化した。そして義仙は、重大な掟破りを犯した。それが何であったかは関係ない。だが、当主が変わり微妙な情勢の中にあった一門は、それを犯した義仙を捨て置くわけにはいかず、義仙を処罰することが一門の総意で決まった。義仙は処罰を伝えに来た者を斬り、逃走を計った。それを追った連也の前に、義仙を庇って彼女が立ちはだかった。彼女は連也のことも愛していたが、義仙のことも慕っていた。兄と共に行く道を選んだ彼女を、義仙は自らの盾として利用した。結果、義仙を斬るはずだった連也の剣は、彼女の身を斬った。
以来、連也は死人となった。義仙に対する憎しみは、不思議と浮かんでこず、ただ生者でいることが虚しくなり、死人となって世を彷徨うことにした。もし義仙と会うことがあれば斬ろうとは思ったが、あえてそれを目的とすることもなく、ただ流浪の旅に身を委ねた。
こうして刀を交えている今も、憎しみは沸いてこない。
あるのはただ、目の前の男を斬るという、純然たる意志のみだった。

シュッ!

僅かに、連也の剣が相手を上回り、切っ先が義仙の袖を裂く。
同門で、共に表と裏の双方の剣を極めた新陰流の使い手たる連也と義仙は、互いの手の内を全て知り尽くしている。
技比べでは勝負はつかない。勝敗を分けるのは、一瞬の判断力、精神力、相手を斬るという一念の強さが上回った方だった。

「ぬぅ・・・っ!」

立て続けに致命傷となりうる斬撃をかわしながら、義仙が徐々に追い詰められていく。
連也の剣はさらに速度を増していく。捌ききれず後退する義仙が体勢を崩す。振り下ろされた連也の剣を辛うじて受けるが、その剣を弾き飛ばされ、丸腰となった義仙に向かって、連也の必殺の斬撃が放たれる。
だが、たとえ刀を失っても、それで終わる新陰流ではない。
刀の下を潜って連也の懐へ入り込んだ義仙は、柄を持った相手の手を狙って手刀を繰り出す。
これぞ新陰流の奥儀。刀を失くしても無手をもって相手を制する、無刀取りである。
柄を持った手を打ち据えられれば刀を取り落とさせられる。連也は刀を引いて無刀取りをかわす。同じ奥儀は連也も会得しているため、逆に読んでそれを回避することは可能だった。
無手では届かない刀の間合いを取ろうと一歩下がる連也に対し、義仙は何も持たない右手を振り上げる。その手に閃く刃の光を見て、連也は咄嗟に刀を横にして受け止めるべく構える。

(――まずい!)

それが隠し武器なのはわかったが、正体までは見えなかった。直感的にそれの危険性を感じ取り、連也は刀を構えたまま体だけを横へずらした。

ガキィンッ!!

義仙がその刃を振り下ろすと、連也の刀が真っ二つに両断された。
脇差よりもさらに短い、刃渡り一尺未満の短刀だったが、刃が従来のものと比べて三倍以上の厚みを持っていた。重量的には十倍近くはあるだろうそれの威力は鉈のようなもので、まともに受けてはいかな業物の刀と言えども折られる。武器破壊のための武器であった。

「終わりだ、連也ッ!!」

無理に体を横へずらしたことで体勢を崩した連也目掛けて、義仙が必殺の一刀を繰り出す。無刀取りが間に合うタイミングでもない。おそらく義仙は、この瞬間勝利を確信したことだろう。

ズバッ!

鮮血が飛び散る。
宙に、短刀を手にした腕が舞った。
斬られたのは、義仙の腕であった。

「ぐっ、がぁっ!!」

激痛に声を上げながら、気力で動いた義仙は連也から大きく距離を取って離れる。何が起こったのか、わかっていない顔だった。

「貴様・・・連也! 今、何をしたっ!?」

憤怒と困惑の入り混じった鋭い視線を向けられた連也の右手には、血を滴らせた脇差が握られていた。

「――西江水」
「な、に・・・?」

新陰流奥儀、西江水。流水の如き足運びと、電光石火の踏み込みをもって間合いを自在に操る、歩法の極意であった。元は、開祖が舞踊の足運びを参考にして編み出した奥儀だと伝えられている。
秘伝中の秘伝として、代々流派の正統伝承者のみが会得することのできた幻の技とされていた。連也自身、実際に学んで修得したわけではない。かつて一度だけ立ち合った柳陰が使ったのを見て覚えたものだった。若くして一門を出奔した義仙が知らぬのも無理はない。名称だけは知っていようが、見るのははじめてのはずだった。
連也はそれを使って一瞬にして義仙の横へ滑り込み、脇差を抜き放ちながら振り下ろされる腕を両断したのである。

「おのれ・・・・・・!!」
「これまでだ、義仙」
「まだだ! 俺はまだ、こんなところで終わる男ではないっ!!」

懐から取り出した黒い玉を床に叩き付けると、辺りを黒煙が覆いつくす。その中で、義仙の気配が遠ざかっていくのを感じた。
逃げた義仙の気配を追って、連也もその場を後にした。







プリムラと対峙したさやかは、笑みを絶やさないながらも内心では冷や汗を掻いていた。
圧倒的などという言葉すら生温いほどの、絶大な魔力差を感じるのだ。
あの小さな体のどこにそれほどの魔力が秘められているというのか、プリムラが放つ魔力の大きさは驚きを通り越して呆れるほどだった。祐漸やネリネも相当のものだが、これはもはや次元が違う。

「どうしたものだろうね〜・・・これ」

さやかの魔力は人並み以上ではあるが、魔法使いとしては決して高いというほどではない。ヴォルクス九王家の血筋である祐漸やネリネはさておき、さくらやアイシアといった者達よりも劣る。それを補うために数々の術を会得しているのだが、この状況でそれがどれだけ役に立つものか。
蟻がどんなに技巧を凝らしても、一匹ではどうやっても巨象に勝つのは不可能だった。

「蟻と象じゃ絵的に綺麗じゃないね・・・せめて鼠と猫にしようよ。それならあれだよ、えーと、なんだっけ・・・? 急須がおへそで猫を沸かす? じゃなくって、とにかくほら、鼠が猫をやっつけるやつ!」

誰に言っているのか、さやかが適当な知識を口に出す。何でもいいから喋って自分を奮い立たせなければ押しつぶされてしまいそうなプレッシャーだった。

「祐君を相手にするのとは別の意味で絶望的な気分になるよね、これは・・・」

おそらくプリムラは戦いの上では素人だ。それは昨日小競り合いとした時にわかっている。
だがここでは、周囲に遮蔽物はない。プリムラは思う存分、その魔力を全開にして戦えるということだった。
単純な力比べになっては、どうやってもさやかに勝ち目はない。祐漸でさえ、力ずくではプリムラを押さえ込めないだろう。上手く立ち回るしかない。
倒してしまうわけにはいかない。それがまた難易度を高めている。
とはいえ、完全に記憶と感情を封じられている稟に比べたら、こちらの方が目を覚まさせるのは楽だろう。その点では天の塔に残った楓達の方が辛いはずだった。何とか近付いて刺激を与えることができれば、希望はあった。

「よしっ、やりますか!」

フレアビットを生み出し、構えると同時にプリムラも魔力を放出した。
そうすると、それまででさえ計り知れない量であったものが、さらに一気に膨れ上がった。

「ちょ・・・!?」

絶大な魔力が、そのままの形で、さやか目掛けて撃ち出された。

ドゴォォォンッ!!!

大地の表面が抉れる。とんでもない威力の一撃だった。さやかはフレアビットの半分を防御に回し、半分で爆風を起こし、その勢いに乗って横へ跳んで回避した。たった一撃かわすのに、全てのフレアビットを一時に使わされた。
だが、かわしたことに安心している場合ではなかった。
攻撃を避けたさやかの方をプリムラが振り向く。反応そのものは遅い、が、あれほどの一撃を放っておきながら、二撃目のためのチャージ時間がほとんどなかった。すぐさま、同じ攻撃が放たれる。
眼前を埋め尽くす魔力波をかわすため、さやかは転移を使った。しかし――。

「きゃっ!?」

ほんの数メートル、魔力波をぎりぎり回避したところで転移状態から弾き出され、力の奔流に翻弄され、押し流される。
術が不完全な状態で転移をした場合、或いは地脈気脈の流れが乱れている場所で使った場合、思わぬ場所に出てしまうことはあるが、転移途中で弾かれたのははじめてだった。
地脈と気脈の流れを完全で吹き飛ばすほどの威力の一撃だということだ。自然の法則を超越していた。
さらに三発目が放たれるのに対し、さやかは空中で満足に身動きが取れずにいる。
左腕を真上に突き出し、掌で炎弾を爆発させることで勢いをつけ、重力の助けも借りて落下することで魔力波から逃れる。

ドグッ!

受け身も取れずに地面に打ち付けられる。だが落下の衝撃よりも、左腕に走る激痛でさやかは体を折り曲げる。

「ぁぐっ・・・!!」

服の袖が千切れ飛んでおり、腕には激しい裂傷を負っていた。
火傷は自らの魔法によるものだが、痛みの大半は魔力波に掠ったためのものだった。腕が消し飛ばなかっただけマシだが、もほやまともに動かせそうもない。
気が遠くなるような痛みだが、その痛みが原因で逆に気を失うことができず、地獄のような苦しみが体を苛む。
だがそこに留まっている場合ではない。動かなければ、今度こそ全身を消し飛ばされる。
痛みを堪えつつ、転がるように走って距離を取る。
四発目は来なかった。さすがに、あの威力の連続発射は三発が限度のようだ。その後、つまり今は次のためのチャージ時間になっているようで、若干だが放出される魔力が弱まっていた。
やはりプリムラは戦い方を知らない。闇雲に全力の一撃を放つだけでは攻撃とは呼べない。ただ力を放出しているだけ、暴れているだけである。三発撃ち切った後の隙をつけば、接近することは可能だった。それを知るために、腕一本は代償としては安かったと見るべきか、高かったと見るべきか。
とはいえ、三発撃つ間の間隔は恐ろしく短い。ぎりぎりでかわすだけでなく、その後接近するだけの余裕を残して回避するとなると、至難の業だった。左腕が機能せず、転移も使えない状態では、かなり厳しかった。

「・・・でも、やるしかないよね」

祐漸ならば、これだけの力の差があっても、突破口を見出せば必ずやり遂げてみせるだろう。純一ならば、桜華仙で一時的にプリムラと同等の出力を出せるかもしれない。
だがこの場には、二人ともいない。ここにいるのはさやかだけ、ここはさやかの戦うべき場所だった。
さやかは、ここで負けるわけにはいかなかった。目的があるからだ。

「そう・・・もう一度、あのちっちゃな体を抱きしめて、柔らかい肌に触れて、何よりあの子のかわいい笑顔を見せてもらうまでは、倒れるわけにはいかないもんね!!」







純一は走っていた。
もうかなりの距離を走ってきたのだが、まだ先へ行っているはずの相手には追いつけない。
一体、どれほどの広さがここはあるというのか。
こんな巨大な大地が浮遊しているという事実は、驚くべきことだった。もっとも、本当に純一達が暮らす大地の上に浮いているわけではなく、空の彼方の、空間を隔てた場所に実際は存在している。だから、どんなに優れた飛空挺とやらがあってもここへ辿り着くことはできず、ましてやそもそもこの地の存在を知ることすらできないだろう。
この天上世界へ来るためには、何らかの形で天の扉を開くしかない。先ほどガレオンがプリムラを使って行ったように。
かつてこの地を訪れた人間を一人、純一は知っていた。彼の祖母である。
その話を、一度だけ聞かされたことがあった。その時はただのおとぎ話だと思っていたし、そう問い質すと祖母も笑っていたため、そうに違いないと信じていた。
しかし今、現実に足下に存在しているのを目の当たりにしては、信じざるを得なかった。
だとしたら、祖母が語った話は全て真実だったとしたら、ガレオンの目的は検討がついた。そしてそれが、仮に実現したら恐ろしいことであることと、それが絶対に、叶わない夢であることも、純一は知っていた。
天上世界を求めることがあの男の野望、夢だったのだとしたら、何と虚しいことか。この地は、もう――。

ザッ

ようやく、追いついた。
平原を抜け、小高い丘の頂上に至るところで、ガレオンという神王家に老臣は佇んでいた。
純一は呼吸を整えながら速度を緩め、老人の横に並ぶようにして立つ。
横目で顔色を窺うと、放心したよう目を見開き、口を半開きにしていた。その視線の先を追って純一も、かつておとぎ話として聞かされた地の、今の姿を見た。
青々とした木々や草花が生い茂る美しい丘陵地帯、その中心に、華々しい都市の――廃墟があった。

「・・・“空の上には、神様の住む世界があって、そこにはとても美しい丘と、華やかな都市と、全ての幸せがありました。人々はそこを天上の楽園と呼び、死んだ後、神様に選ばれた清らかな魂を持つ人だけがその地に住むことを許されたのです”・・・天上世界ヴァルハラ、ここのことだよな」
「・・・・・・・・・」

祖母に聞かされた伝説の一文を語り上げる。彼女が自分で見聞きしたものを噛み砕いて語ったものだから、ガレオンが調べたものとは若干違っているのかもしれないが、大筋は似たようなもののはずだった。
それから物語は、美しい丘や華やかな都市、そして全ての幸せというのはどれほどのものか、言葉を尽くして語っている。それでも語り尽くせないほどのものが、ここにはあったという。まさに、楽園と呼ぶに相応しい地として、この地は伝説となった。
しかし、話は華やかなものばかりではなかった。

「“楽園には、多くの武器や、大きな力を宿した道具がたくさん存在していました。人の世では禁じられた恐ろしい魔法も眠っています。それらは全て、楽園を侵そうとする悪魔達と戦うために必要だったのです”・・・・・・爺さん、あんたが求めたのは、これか?」

神々には、敵となる悪魔がいたという。それと戦うための力が、この地には眠っている。
本来は悪魔と戦うための力だが、もしそれを人間が手にしたら、どれほどのことができるのか。きっと、どんな野望でも、叶えてしまえるほどの力が手に入るのだろう。何しろ、神が悪魔と戦うために生み出した力なのだから。

「けどな、爺さん。そんなものはもう、ここのどこにもないんだよ」
「・・・・・・・・・・・・馬鹿な・・・」

搾り出すような声をガレオンが発する。そして、ふらふらと廃墟へ向かって歩み出す。
不意に、その歩みが速まった。

「馬鹿な・・・・・・馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な!! そんなはずはない・・・! そうだ! たとえ廃墟になっていようと、封印された力はあるはずだ!! 全てを薙ぎ払い断ち切るという剣、いかなる災厄からも身を守るという盾、数々の禁呪が記された魔 道書・・・それらが必ず、あの廃墟の下に今も眠っているはずだ!! そうだとも・・・あるに決まっているではないかっ、ふはははははは!!」

狂ったように笑い声を上げながら、ガレオンは丘を駆け下り、廃墟を目指す。

「・・・・・・・・・かったりぃな・・・」

それを追って、純一も都市の廃墟へと向かっていった。














次回予告&あとがきらしきもの
 いよいよソレニア編の盛り上がりも最高潮へ。まず最初に送るのが、立ち上がれ土見ラバーズ、強さを信条とする彼らの中で精神的にまだ弱さを抱える彼女達が、祐漸の叱咤を受けて稟を助け出す決意をするまでが前半パート。後半に入るとまたがらりと世界が変わって、連也vs義仙の剣豪対決。 ここはちょっとだけ剣豪小説っぽい対決になるよう努めてみた。ちなみに登場した新陰流の奥儀二つ、無刀取りは単純によく知られる白刃取りのみではなく、あらゆる形でもって無手で刀を持った相手を制する技のことを言う。西江水は能の足運びを元にしたものだと伝えられている。ちなみに柳生新陰流を扱った小説は数多く存在するけれど、その中で私が特に参考にしているのは、隆慶一郎氏の小説に登場する柳生である。それに続いて行われるのがさやかvsプリムラ、これはどんな展開になっても入れたいと思っていた。魔法使いが、圧倒的に魔力量で上回る相手にどう立ち向かうか、という対決。そして主人公(毎度強調する、だって祐漸の方がどうしても目立つから)、純一はおとぎの国、天上の楽園へ・・・。さぁ、どうなる、ソレニア編も残すところあと2話!
 能力紹介十九人目。そろそろ敵が登場だ。

義仙
   筋力 A   耐久 B   敏捷 B   魔力 D   幸運 C   武具 D
 高い身体能力で新陰流の技を駆使する連也のライバル。前にも書いた通り、彼も連也同様、実在の人物をモチーフにしている。

 次回は、いよいよ戦いは決着へ・・・。