ミッドガルの街は、大きく分けて五つの区画から成り立っている。
まずは城を中心とした、上流階級が住まう一等地と言うべき区画。続いて最も賑やかな商業の要、中心街。それから中流階級が住まう住宅街があり、新たに街へやってきた者達が集っていく内に生まれた外周区画がある。そして最後が、こうした大きな街ではありがちな、あぶれ者達が住むスラム街である。といっても、ミッドガルのスラム街は他の街のそれと比べたら遥かに整っていた。せいぜい、下町、程度の呼称で十分かもしれない。
そんなミッドガルの、中流の住宅街と外周区画の境目辺り、近所の人が日々の買い物に立ち寄る小さな商店通りの外れに、ヒュームの親子が営む小さなお菓子屋があった。
半年前にオープンして以来、味もさることながら、看板娘がかわいいということで男女ともども人気があり、隠れた名店と呼ばれるようになっていた。

「いらっしゃいませ〜」

店に入ると、間延びした声に出迎えられる。声の主はカウンターの内側にいて、明るく柔らかな笑顔で客を出迎える。
左右に大きなリボンのついた帽子がまず目に付き、ショートボブの亜麻色の髪は顔の左右だけが少し長くなっており、手首のところにもリボンが巻かれているのが特徴的な少女である。
彼女がこの店の噂の看板娘・・・ではない。この少女、否、どう見ても少女なのだが本来は少女と呼ぶべき年齢ではない。彼女はこの店の店長、即ち経営している親子の親の方、つまりは一児の母、子持ちの奥さんなのだ。はじめて知る人はほぼ例外なくびっくり仰天する。それもそのはず、娘と並ぶと姉妹に見えるどころか、母親の方が妹に見えるのだから。これに関しては見た目だけでなく性格の問題もあるのだが。
娘の方が主に厨房に立ち、母親である彼女の方が表に出て会計をしていることが多いため、彼女の方が看板娘、というのもあながち間違いとも言い切れないのだが。

「ありがとうございました〜」

客が帰ると、店長の女性は残りの品数をチェックし、足りないものを店の奥へ伝える。

「あーちゃ〜ん、アップルパイが残り一個〜!」
「はーいっ!」

奥の厨房から元気な声が返ってくる。

「お待たせー! ちょうどできたところっ」

お盆片手にカウンターのところへ出てきたのがこの店の真の看板娘、時雨亜沙である。
時雨一家は現在、父の葉は別の仕事に就いており、母の亜麻、娘の亜沙が、店を開く際の基本出資をしてくれたソレニア貴族の娘にして亜沙の親友カレハの手伝いを受けながら小さなお菓子屋を経営していた。













 

真★デモンバスターズ!



第17話 想いを紡ぐ麻糸















街に戻った祐漸は、どうしたものかと佇む。
人を捜すには、この街はあまりに広すぎる。水で生み出した分身を各方面に飛ばして捜すというのが一番確実だが、それは本体に対する注意が疎かになり、本来なら敵地とも言うべきこの場所で行うのは危険だった。
そもそもこんな事態になったことに対し、まず迷子になった張本人達よりも自分自身の迂闊さを責める。
純一とさやかには、きっちりと釘を刺しておかなかったのが失敗だった。浮かれたたわけどもがちょっとそこまでのつもりで歩いて行って帰れなくなった、くらい予測できそうなものだというのに。やはり長旅でさしもの祐漸も疲れていたのかもしれない。
とはいえ、この二人はある意味ではそれなりに放っておいても大丈夫な気もする。
いや、非常に問題はあるが、何かあっても自力で解決するだろうと思った。連也ほどには信用できないが、自分の面倒は自分で見られる者達である。さやかなどは特に、いなくなる時もふらっといなくなるが、戻ってくる時もふらっと戻ってくるだろう。
問題は楓だった。
これが本当に迂闊だった。連也がいないのをつい失念して、背後へ気を配るのを忘れていたことによる失態である。連也とは互いに深入りしないつもりだったが、半年以上も仲間として過ごしてきただけに、少なからず頼りにしている部分があったようだ。自分が先頭を歩いて皆を先導し、最後尾を連也が固めて、どうにも目の離せない他の面子を前後から面倒見るというのが暗黙の内に定まった習慣のようになっていた。
それが連也がいなくなった途端、これである。人込みの中を歩いている内に、気がつけば後ろにいたはずの楓がいなかった。
害意のある気配がなかったのは確かであり、またいくら楓が時折ドジな一面を見せるとは行っても、はぐれそうになれば声の一つも上げるだろう。それもなかったということは、楓は自らの意志で離れていった可能性が高い。

「この間の反省が活きてないな、あのたわけは」

他人との協調性をしっかりと弁えている楓が断りもなく単独行動を取る。その原因となりえるものは一つしかなかった。
あの人込みの中で、何かを見たのだ。土見稟に関わる何かを。そしてそれを追っていった。
街中でチラッと見かけて簡単に見付かるようなら、昨夜情報収集をした時に何らかの情報が手に入るはずなのだ。それがなかったということは、楓が見たそれは普通ならば見落とすような手がかりでしかなかったということだった。 楓だからこそわかる、小さな手がかり。それが何であるかは知らないが、問題はそこではない。
土見稟は何者かの手の内にある。それは今や祐漸の中で確信に変わっている予測だった。
だとすれば、稟の手がかりイコール、何らかの危険に繋がる可能性があるのだ。一人で先走ってはまた何が起こるかわからないというのに。

「ったく、何で俺がいつまでも他人の女の面倒を見てやらにゃならんのだ」

はっきり口にしたことはない、が、祐漸は土見稟という男が気に入らなかった。そう、“はじめて会った時”から。
他の皆には会ったことはないと言ってあるが、実は祐漸は土見稟と何度か会ったことがある。といっても面と向かって会ったのは最初の一度だけで、後は遠目に見ていただけ だった。だから本当は、楓のことも最初から知っていた。ネリネのことも何度か見ていたし、プリムラにしてもそうだ。それに神王の娘リシアンサス、特に“もう一人”の方と は一度直接会ったこともあった。学園までは足を運ばなかったため、楓に聞いている他の顔ぶれ、亜沙や麻弓、カレハといった面子のことは知らなかったが。
そしてはじめて会った時というのは、もう十年も昔になる。
神王家、魔王家、それにヒュームのネーブル国の首脳部を交えた会合が、バーベナ特別区域で行われた際、祐漸は魔王家側の人間の一人としてこれに同行していた。その時、魔王家の姫が行方不明になるという事件が起こった。正確には、行方不明になったのは姫ではなく、病気の姫に代わって影武者として付き従っていたリコリスの方だった。そのリコリスを捜し出した際、祐漸ははじめて土見稟という少年と出会った。
幼いわりに深い眼をした少年、くらいの印象しかその時は抱かなかった。だがリコリスと、その想いを受け継いだネリネはその後八年の間想いを暖め続け、二年前についに会いに行った。

「土見稟・・・」

婚約者を横取りされた格好になった祐漸は、未練があったわけではないが、軽くプライドを傷付けられた。
ネリネのことを本気で愛していたかと問われれば、はっきりとした答えは出ない。何しろ当時のネリネはまだ幼く、婚約者ではあったが恋愛対象として見るような相手ではなかった 。だがそれでも悪い気はしていなかった。はっきり言って祐漸は自分の実力にも、男としての魅力にも十分に自信があった。それに幼い頃のネリネには兄のように慕われていた時期もあった。それがたった一日会っただけの、しかも実際会ったわけでもなくその記憶を受け継いだだけの小僧にこの花を奪われたのは、少々悔しい気がしないでもなかった。
とはいえ、たかが女一人のことでそこまで躍起になるものでもない。多少は気になったが、とりあえずは成長したあの少年の姿でも見て、それなりの男になっていたらそれで良い、くらいの気持ちでいた。
だが、話はここで終わりではなかった。
十年前のエピソードにはまだ続きがある。
リコリスが行方不明になり、すぐに祐漸らに連れ戻された翌日、今度は神王家の姫リシアンサスが行方不明になったのだ。これもすぐに見付かって連れ戻されたのだが、その時に彼女も、土見稟という少年に出会っていた。これは偶然か、運命の悪戯か。リシアンサスもまたこの時一日だけ会った少年のことを想い、ネリネと共に彼に会いに行った。
リシアンサスのことも、祐漸は生まれた頃から知っていた。神王ユーストマと、魔王の妹サイネリアという強大な魔力を持ったソレニアとヴォルクスのハーフとして生まれた彼女が、内にヴォルクスの面を隠し持って生まれるだろうことは、古い魔法知識を得ていた祐漸には予想できた。そしていずれその裏の面が、ソレニア内部で疎まれるようになるだろうことも。もしそうなった時には、彼女の表と裏を切り離し、裏の方は自分が引き取って面倒を見ても良いと思っていた。
ところがである。リシアンサスは土見稟を愛し、またその二人と共にあることを裏の少女、キキョウも良しとしている。

「・・・・・・・・・」

考えると段々苛立ちが募ってさらに思考が進む。
そんなわけで少しばかり土見稟に対して含むところがあった祐漸は、楓を拾った際、この女をあの男から奪ってやれば少しは溜飲も下がるだろうと思い、楓自身が祐漸好みのいい女だったこともあり、かなり本気で口説いた。それをあの女は、一瞬たりとも迷わずに拒絶した。
女を口説くことは多い祐漸だが、本気の本気で自分の女にしたいと思った相手はそう多くない。そして楓のことは、その内の一人というくらい本気で口説いたというのに、考える時間さえなかった。
女の数は男の器の大きさ、と祐漸は思っているが、これだけの女達に慕われているあの土見稟という男が本当に大した器の持ち主だと言えるのか。あんなこれといった特徴もない、ただの凡人が。普通過ぎるくらい普通という、それが逆にあまりいないということで取り得と言えようが、それでも神王家、魔王家の未来を共に背負って立つほどの器があるとも思えない。
だが事実として、祐漸は既に目をつけた女を、それも特に上玉を三人もこの男を相手に競り負けている。
いや、それだけではない。
プリムラのことにしてもそうだった。
そもそも人工生命体の研究にも、祐漸は少しばかり関わっていた。その実験体である少女達が、いずれ不要になって捨てられることを懸念した祐漸は、そうなる前に、彼女らを引き取ることを考えていた。そのための準備も以前からしていたのだ。リコリスは残念ながらああいう 結果になったが、プリムラのことは本当にいずれ面倒を見るつもりでいた。それがまたしても土見稟である。リコリスもそうであったように、プリムラもこの男のところへ行った。 姉のように慕っていたリコリスから話を聞いていたから、というだけの理由で。そしてそのまま完全に懐いてしまった。
何が彼女らをあの男の下へ引き寄せるのか。これはもう、何かの超常現象としか思えない。
あんなどこにでもいるような凡人に、誰もが羨むほどの力を持った天才である自分がどうしてここまで気にかけていた女達を尽く取られなくてはならないのか。
まったく世の中はままならない。

「そう・・・ままならない、か・・・・・・」

祐漸は、思考の渦に落ち込みながらも迷子達を捜して歩き回っていた足を止める。
久々に思い出してしまったことがあった。人工生命体のことを考えたからだろう。リコリスやプリムラの面倒を見ようと思ったきっかけ、祐漸にとって、或いは生涯唯一の挫折とも言うべき出来事のことを。

「フッ、未練か。くだらんな」

過ぎたことをいつまでも考えているなど、弱い者のすることだった。
忘れる必要はない、が、囚われることはない。そして祐漸は、そういう生き方のできる人間である。
つまらないことを考えたと思う。
これではまるで、自分が土見稟に嫉妬しているみたいではないか。
そんな低俗なものではない。これは、男のプライドの問題なのだ。自分には彼女達の面倒を見るだけの力も、地位も、覚悟もあって、そのための準備も進めていた。あの男に、果たしてそれだけのものがあるのか。けれど事実として、祐漸は土見稟に負けた。そのことが、著しくプライドを傷付けている。

「やめだ。とっととたわけどもを捜さんとな」

思考を振り切り、祐漸は歩を進めようとする。しかしその時、ふと視界の隅に一軒の店を捉えた。
これといって特徴のある店ではない。お菓子屋のようだが、祐漸は別にお菓子好きというわけでもないので気を惹く要素は何もない。なのに、妙に気になった。いつもの直感である。
或いはさやかのたわけが甘い匂いに釣られて来ているかもしれない、と思って覗いてみることにした。

カランッ

店に入ると、ドアについている呼び鈴が鳴る。

「あ、いらっしゃいませ〜」

少し間延びした声で、店内の拭き掃除をしていた少女が客を迎える。
その姿を見た瞬間、祐漸は全ての思考が止まった。
ここに誰か知り合いがいれば、普段のこの男からすればありえないほど取り乱している様子にひどく驚いたことだろう。それほど祐漸にとってこの出会い、いや、再会は衝撃的だった。

「おまえ・・・は・・・・・・」
「?」

じっと自分を見詰める祐漸に対して、少女は首を傾げてみせる。しかし祐漸が相手の顔をもっとよく見るためにサングラスを外すと、少女の方も目を見張って祐漸の顔を見詰め返した。

「・・・ゆー・・・ちゃん?」

かつての呼称で呼ばれて、祐漸は別の意味で驚いた。
よくわかったものだ、と。
最後に会ったのは、もう二十年余りも前の話だ。彼女の方はその頃からほとんど変わっていないのだからすぐにわかるとして、祐漸は方は当時まだ十にも満たなかった。そんな子供が二十年も経てば見違えるほどに変わるものであろうに。

「本当に・・・ゆーちゃん?」
「・・・生きて、いたのか・・・おまえ」

死んだと思っていた。いや、あの事故で生きている人間などいるはずがなかった。何もかも消し飛んでいたのだから。
だが現実に、彼女は目の前にいた。その姿を見間違えるはずもないし、他人の空似でないことは、祐漸の名を呼んだことからも明白だった。
二十年前の事故で死んだはずの、人工生命体の実験体第一号。本当の名も知らぬ、あの時のヴォルクスの少女――。

「お母さん、どうしたの?」

と、そこへ店の奥から別の少女が姿を現した。
活発そうな印象の少女で、緑色の髪を短く切り揃え、顔の横の一房だけを少し伸ばして、そこにリボンを巻いているのが特徴的だった。
彼女とよく似た顔立ちをしている。今の言葉からも、娘であるのがわかった。

「あ。あーちゃん」
「そのお客さん、知り合い?」
「・・・うん、古い知り合い」

そう言って彼女は微笑み、懐かしそうに目を細める。

「そう・・・ボクの、一番古い、お友達、かな」

その顔を見ながら、祐漸はほんの少し、過去を思い起こす。



二十年余りも前の話――。
ちょうどその頃である、人工生命体を使った研究が始められたのは。
研究のためには、強大な魔力を持った実験体が必要で、まずはその力を持った人工生命体を生み出すところから研究は始まった。
実験体を生み出す方法としては、三つの手段が提案された。
既存体の強化、既存体の複製、そして無からの生成。
後者の二つは成果が挙がるまでに時間がかかるため、準備はしつつも後回しとされ、まずは最初の、既存体の強化案が採用された。
選ばれたのは、身寄りのいない孤児だったヴォルクスの少女。その身体を使って、際限ない魔力の強化が行われた。
物心ついた時から魔法学理論のほとんどを理解していた祐漸は、まだ十にも満たない子供でありながら、この研究にオブザーバーとして参加していた。

「つまらない眼をしてるな」

だから彼女と、何度か二人きりで会う機会があった。

「ん? あ、この眼? ヴォルクスの紅玉みたいに綺麗じゃないのかな・・・」
「色のことじゃない」

人工生命体としての強化の影響か、元々紅かった彼女の瞳は、薄い紫色に変色していた。だが、綺麗さというのならどちらでも変わりがあるわけでもなかった。
祐漸が言っているのは、彼女の眼に生気が感じられないことだった。
まるで、もう死んでしまっているかのような眼をしている。
普通に笑う少女だったが、その笑顔にはいつも儚さが付きまとう。

「おまえ、幸せって知ってるか?」
「幸せかぁ・・・ボクからは、遠い世界の言葉みたい・・・」

身寄りのない彼女は、そもそも親の愛情というものを知らない。この実験にも、むしろ自分から進んで志願したようなものだったと聞いていた。
肉体の限界を無視して際限なく魔力を高める実験が、一体どれほど体に苦痛を与えるのか。身体の構造までも変え、瞳の色も変わるほどの実験を繰り返す。いずれ身体のあちこちにガタがきて、最後には彼女は廃人のようになるだろう。死ぬ可能性もある。そんな日々の中に幸せなどあるはずはなかった。
そんな実験に自分から志願するなど、彼女は最初から幸せを知ろうともしなかったのか。

「俺が、いずれ教えてやる」
「え?」
「どうせおまえの代で研究は終わらない。いずれ第二、第三の実験体が生まれれば、おまえは用済みだ。役目が終わったら、おまえは俺のところで引き取る。そうしたら幸せってのがどういうものか教えてやる」
「・・・そっか。ねぇ、君、名前は?」
「祐漸」
「じゃ、ゆーちゃんだね」
「・・・・・・おまえな・・・俺はいずれ魔王になる男だぞ? それをそんな気の抜けた呼び方で・・・」
「いいじゃない。ね」

いつもよりほんの少しだけ明るい笑顔をする少女。渋々、その呼び方を受け入れることにした。それに、そんなに悪い気もしなかった。

「じゃあ、そういうことだからちゃんと覚えておけよ」
「・・・うん」

自惚れていたのだ、あの頃は。
生まれた時から絶大な魔力を持ち、多くの知識を自然と身につけ、何者にも負けない力を自分は持っていると信じていた。
自分にできないことなどないと、そう思い込んでいた。
幼かったのだ、結局。どんな強大な力を、多くの知識を持っていても、所詮は子供だったのだ。
その過剰な自信が、あの事故によって打ち砕かれた。
実験体一号の魔力暴走により、研究施設は消滅した。跡形もなく、その場にいた大勢の研究員諸共、全て消し飛んだ。
当然、その中心にいた彼女の生死も不明だった。
しばらくは捜索が行われたが、やがてそれも打ち切られた。幸いなことに研究のデータは持ち出されたものが残っていたため、実験は二号体、三号体へと受け継がれていくこととなった。
祐漸は、何もかも消し飛んだその場所で、何日も佇んでいた。
はじめて知ったのだ。自分が決して、全能な存在ではないことを。どんなに強大な力を持っていても、あくまで自分もただ一人の人間に過ぎないのだと。世の中、思い通りになることばかりではないのだと。
涙は流さなかったが、祐漸は結果を悔やんだ。
約束を果たしてやれなかった。幸せを教えてやるなどと偉そうなことを言っておいて、彼女を守ってやることができなかった。
悔やみながら祐漸は、二つのことをその時誓った。
やがて生まれてくる第二、第三の実験体のことは、きっと守ると。研究のためだけに生み出される命にも、幸せは見付けられるということを、教えてやると。
そしてもう一つ。自分はいずれ、戦いの中に身を置く存在になるだろう、という漠然とした予感があった。そんな自分の傍らに、守るべき弱き者があるべきではないと。仮にそうなったなら、全力で守るつもりではあった。だが、世の中に絶対はない。守りきれないかもしれない。だから自分が好きになるのは、自分と対等の強さを持った女にしよう、と。



それは、自他共に最強と呼ぶ男、祐漸の最初にして最大の挫折の記憶。
決して囚われることはなく、けれど忘れることもない過去。その中で、いなくなってしまったはずの彼女が、今目の前にいた。
すっかりひねくれてしまった今の自分では、感情を素直に表現することはできないが、生きていてくれたことは本当に嬉しかった。それに、彼女には娘までいる。あの頃の儚げな笑顔はもうない。その笑顔はとても――。

「幸せは、見付かったか?」
「うんっ」
「そうか」

どうやって生き延びたのかはどうでもよかった。
ただ彼女は生きて、そして自分の幸せを手に入れた。それだけで十分だった。

「しかし驚いたな。まさかこんなところで再会するとは思ってもみなかったぞ」
「ほんとに。でも、ここにいるのにはちょっとした事情があってね。少し前まではバーベナ特別区域にいたんだ」
「何?」

それはそれでまた驚きの新事実だった。何度か足を運んでいたのだが、まったく見かけなかった。
もっとも、あそこもそれなりに広い場所なので、まったく会わない人間などいくらでもいるだろうが。

「そうだ! 改めまして、時雨亜麻です」
「今はちゃんと、名前もあるんだな・・・・・・ん?」

その名前を聞いた時、祐漸はふと何か違和感を感じた。どこかで、聞いたことのある名前ではなかったか、と。

「うん。それでね、この子がボクのかわいい娘で、あーちゃん♪」
「こらこら、他人にあだ名で紹介しないでよっ。どうも、はじめまして、時雨亜沙です」
「時雨・・・亜沙・・・・・・ハッ、人の縁ってのはわからないものだな。しかし、まさか・・・」

ただでさえ偶然の邂逅があったというのに、その上こんな因縁が知らない場所で結ばれていようとは。
祐漸は額に手をやって自嘲気味に笑う。またしてもか、と思う。
まさか、因縁浅からぬ彼女の娘までもが、あの男に繋がるとは。土見稟、一体祐漸にとってどんな因果関係を持つ存在なのやら。

「ゆーちゃん? どうしたの?」
「いや、何でもない。少し世の中の在り様について考えていただけだ」
「相変わらず難しいこと考えてるんだ、ゆーちゃんは」
「まぁな。しかしまぁ、考えようによっては好都合だったか。思わぬ形で土見稟絡みの人間と出会えるとはな」

彼の名前を口にした瞬間二人の、特に亜沙の表情が一変した。

「稟ちゃん!? あなたっ、稟ちゃんのこと何か知ってるの!?」
「落ち着け。とりあえず順番に話してやる」







追手がないことを十分に確認したところで、純一とシアは適当なところで休憩を取りつつ、互いの事情を説明しあった。基本的には、純一の話がほとんどだったが。

「そっか・・・そんなことになってたんだ」
「ああ。がっかりさせて悪いけど、まだ稟って奴のことはほとんど何もわかってない」
「それは残念だけど、でも、カエちゃんや麻弓ちゃん達が無事だったってわかっただけでもよかったよ」

純一の方の事情を話した後、今度は先ほど襲ってきた者達の話になった。襲ってきたと言っても、実際にはシアを連れ戻しに来た城の人間らしかったが、それにしてはやり方が手荒だった。

「私もわからない。ただ、あの人達が言ってたバジルさんっていうのは、神王家に昔から仕えてるガレオンっていう人の息子で、その、私の・・・婚約者候補の人」
「へ?」
「あ、あのね! 私はあくまで、稟くん一筋なんだけどねっ、い、一応、神王家の娘ともなると、色々あるのッス・・・」
「いやまぁ、それはわかる」

少し驚いたが、当然の話だった。ネリネにも祐漸という元婚約者がいる、というか同年代の九王家の人間はほとんどが婚約者候補みたいなものだという話を聞いている。
王家というものは何としても後世に血筋を残さなくてはならないため、時には好き合っていなくても夫婦になることがある。むしろ、その方が多いのかもしれない。所謂政略結婚というやつである。

「なるほど。そのバジルって奴がおまえを城に連れ戻して点数稼ごうとしてる、ってわけか」
「たぶん、そうだと思う。でも、バジルさんがあんな人達を使ってるなんて知らなかったな・・・」
「確かに、普通の連中じゃなかったからな」

あの動きや戦い方は、表で真っ当な仕事をしている人間のものとは思えなかった。要するに、忍びとか、そういった類の存在である。
そんなものを使っているバジルという男に、少し疑念を抱く。
忍びを使うくらいは別のおかしなことではないが、出歩いている王女を迎えに行く程度のことで使うものだろうか。しかも、あんな手荒な真似まで許可しているとは。彼らには明らかに、王女に対する敬意の類がなかった。

「そういえばシア、さっきこの後は母親のところに行くって言ってたよな?」
「うん、そのつもり」
「ならちょうどいいや。俺も一緒に連れてってくれ。俺の連れがその人に用があるから、そこへ行けばたぶん確実に落ち合える」
「わかった。じゃ、そろそろ行こうか。また見付かったら大変だからね」
「だな」

二人はその場を離れ、第三王妃サイネリアの館を目指した。







「そうなんだ・・・楓に、リンちゃんも・・・・・・」

祐漸が一通り話し終えると、時雨親子は神妙な面持ちをした。亜沙の方は特に、思いつめたような表情で俯いている。

「まぁ、今はとりあえず土見稟よりも楓の方を捜し出すのが先決だな。あのたわけ、或いは厄介な状況になってるかもしれん」
「・・・・・・・・・」

亜沙は拳をぎゅっと握り締めている。何を考えているのかは大体予測がつくが、祐漸はあえて何も言わずに踵を返す。

「そういうわけで、俺は行くぞ。またそのうちな」
「あ、待って、ゆーちゃん」

それを亜麻が呼び止め、自身は娘の手を取って自分の胸の前へ持ってくる。

「お母さん?」
「あーちゃん、行っておいでよ」
「でも・・・」
「ボクのことなら大丈夫。旦那様もいるし。だからあーちゃんも、自分のやりたいことをやりに行って。ね」

人は変われるものだと、祐漸はその親子の様子を見ながら思った。
かつて自分の幸せすら知ろうともしなかった女が、他の誰かの幸せまで思いやれるようになっている。
自分がすると約束しながら果たせなかったことを、その“旦那様”とやらがやったのだと思うと、ほんの少しだけ嫉妬のようなものを感じる。もっとも、今さら考えても詮無いことだった。
もはやこれは、遠い日の想いでしかないというのに。

「・・・・・・・・・」

少しの間、自分の手と母親の手を見詰めていた亜沙は、決心したように顔を上げて、祐漸の下へ駆け寄る。

「お願いっ、ボクも連れてって!」
「俺は弱い奴を仲間にするつもりはない。おまえに、俺を納得させられるだけの強さがあるか?」
「わからない。けど、稟ちゃんに会うためなら、どんなことだってやってみせる」

視線だけは力強く、亜沙は祐漸を見詰める。その眼を見詰め返しながら、祐漸が口を開きかけた時――。

「まままあ♪ 亜沙ちゃんが素敵な殿方と熱く見詰め合って・・・」
「げっ、カレハ!?」

ぎょっとした顔で亜沙が横を見ると、勝手口から入ったのか店の奥から出てきた金髪の少女が恍惚とした表情をしながら立っていた。亜沙とよく似た感じのリボンを、顔の横で束ねた髪に巻いているのが特徴的なソレニアの少女である。
何やらとても素敵な表情をしながら体をくねらせ、心がどこかへ逝ってしまっているようだった。

「・・・何だあれは?」
「えーと、その・・・気にしないでくれると、ありがたい、かな」
「そうか」

それ以上は追求しなかった。妄想癖のある少女ならば祐漸の身近にもいるので、似たような類のものだろうと思っておくことにする。

「亜沙と言ったな」
「はいっ」
「行くならとっとと支度をして来い。ただし、自分の面倒は自分で見ろよ」
「もちろん!」

ダッと床を蹴って亜沙が奥へ引っ込む。するとしばらく、何かをひっくり返すような音だ断続的に響いてきた。
数分後、小さな手荷物と、長い棒状の包みを持って戻ってきた。
包みの方を見て、祐漸は軽く「ほう」と声を漏らす。長さと雰囲気からして、槍か薙刀の類か。それも、通常のものより先端の方が大きく膨らんでいるところ見ると、かなり大きな得物だった。斧槍か、大薙刀・・・青龍刀の類かもしれない。なるほど、あの楓の先輩だというだけに、只者というわけでもなさそうだった。加えて、母親譲りの魔力をある程度使いこなせれば、足手まといになる心配はないだろう。
亜沙はいまだ妄想中のカレハという少女のところへまず駆け寄って行った。

「カレハ! ちょっと、カレハってば!」
「まままあ♪ 亜沙ちゃんをかけて男と男の決闘だなんて」
「そんな怖いものはいいから!」
「まあ! 大変ですわ、亜沙ちゃん。稟さんが串刺しに」
「だから怖いってば!!」

ようやく戻ってきたらしいカレハの肩を掴みながら、亜沙が乱れた息を整える。

「カレハ」
「はい」
「ボク、稟ちゃんを捜しに行くから。お母さんとお父さんのこと、お願い」
「わかりましたわ。亜沙ちゃんの頼みでしたら、何なりと。がんばってくださいね。きっと稟さんが見付かりますよう、祈っておりますわ」

唐突な亜沙の言葉に少しも驚くことなく、カレハは優しげな笑みを浮かべながら頷く。なかなかできた女である。時間があれば口説いて行きたいと祐漸は思ったが、生憎とのんびりしている暇もない。

「行くぞ、亜沙」
「うん! じゃあ、お母さん、カレハ・・・時雨亜沙、行って参りますっ!」
「いってらっしゃい、あーちゃん♪」
「いってらっしゃいませ♪ そして・・・・・・まままあ♪」

また何を妄想しだしたのか知れないカレハの様子に苦笑しながら、亜沙は祐漸の後を追って店を飛び出す。
扉が閉まる瞬間、一度だけ祐漸が振り返ると、亜麻と目が合った。

「ゆーちゃん。あーちゃんのこと、よろしくお願いします」
「ああ」

最後にそう言葉を交わして、二人の短い再会を終わった。
そして彼女の娘は、自分の大切な人との再会を求めて、祐漸と共に母の下を後にする。














次回予告&あとがきらしきもの
 麻糸は運命を象徴するものだという。今回のタイトルは、麻と亜沙・亜麻親子をかけて、即ち運命に導かれた祐漸と亜麻の再会と、また少しだけ亜沙の稟に対する想いを示している。毎回タイトルはわりと適当なのだが、珍しくちょっと凝ってみたのであった。
 祐漸という男は所謂SS界で言うところの最強系主人公、絶対無敵の強さで誰にも負けず、超絶美形で頭脳明晰、女ならば放っておかないという存在なのだが、実は大きな欠点がある。それは、女運がない、ということだ。天は二物を与えずとは言うものの、二つでも三つでももらってそうな祐漸の唯一の欠点、世の中本当に完璧な人間などいないということである。リコリス、ネリネ、シア(キキョウ)、プリムラと面倒を見ようと思って目をかけていた女は尽く稟に取られ、腹いせに楓を奪おうと思ってあっさり振られ、さらにはある意味初恋の人であった亜麻が他の男のものになったのは仕方ないとしてその娘の亜沙までもが稟のもの。どれも祐漸にとっては本気で本気の恋というわけではないが、プライドの高い男がこれだけ女を一人の男に取られれば、多かれ少なかれプライドを傷付けられたと思うのは当然のことではなかろうか。そんな祐漸と稟の関係、さぁ二人が出会ったらどうなるのやら・・・。
 しかしセージといいサイネリアといい亜麻といい・・・お母様sの方が娘達よりある意味インパクトあるな・・・。今回も亜沙の登場が本来ならメインのはずなのに、亜麻の方がメインみたいになってしまった。カレハは麻弓同様初登場ではちょい役になってしまった・・・ツボミにいたっては出てすらいないし。いずれちゃんと出したいものである。
 能力紹介十二人目。

胡ノ宮 環
   筋力 C   耐久 C   敏捷 C   魔力 B   幸運 A   武具 D
 原作ではかなりハイスペックな巫女さんだが、この作品においてはそれほど突出しているわけではない、並の実力者である。

 次回は、稟の幻を追う楓。その前に現れたのは・・・。