「むぅ・・・」

右を見て、左を見て、思う。
ここは一体どこだ、と。
珍しく早くに目が覚めたので、軽く朝食を摂った後散歩に行ってみようなどと、普段思わないようなことを思ったのが運の尽きだった。十分後には、しっかり道に迷っていた。

「どっちに行きゃいいんだ・・・これ?」

道は入り組んでいる。同じような建物はたくさん並んでいる。そんな中で、一体この街の人は何を目印に目的地へ向かうというのか。
見渡せば、数は多くないがヒュームも少しばかりは見かける。自分の存在も決して浮いているわけではないので、人に道を聞いても怪しまれるようなことはない、と思うのだが、そもそもどう聞くべきか。宿の名前を忘れてしまっていた。

「かったりぃ・・・」

いつもの如く呟いても、状況が変わるはずもない。
純一は、文字通り右も左もわからぬ街中で途方に暮れていた。













 

真★デモンバスターズ!



第15話 プリンセス・花二輪















迷子だった。
弁解のしようもないほど、これでもかというくらい、完璧な迷子だった。
これでは後で祐漸に何を言われることやら。

「あー、そういえば迷子と言えば・・・」

思い出すのはさやかとのはじめての出会いだった。



まだ故郷の町にいた頃。
あの時は祖母が亡くなって、半年ほどが経っていただろうか。落ち込んでいたさくらも大分立ち直って、自分も気持ちの整理がついて町中を歩いていた時のことだった。
ふと目に留まった、綺麗な少女。
まだことりと付き合う前ということもあり、一つ二つ年上と思われた少女の姿に、純一はほんの少し見惚れた。
相手も純一の視線に気付いて、歩み寄ってきた。

「おはよう、じゃない、こんにちは」

人懐っこい笑みを浮かべながら、少女はそう声をかけてきた。

「あー、どうも」

思わず純一は、少し間の抜けた返事をしてしまった。

「素敵な町ですね。桜の花が綺麗で」
「そうですかね? ずっと住んでると、よくわかんないすけど」
「綺麗だよ。思わず見惚れてたら道に迷ってしまって、良かったら道を教えてもらえません?」
「迷子なんですか?」
「道に迷ってしまって」
「いや、だから迷子・・・」
「道に迷ってしまって」
「だからそれを迷子と・・・」
「道に迷ったんです!」

あくまで言い張る少女。何にそんなこだわりがあるのか知れなかったが、そのまま言い合いを続けるのもかったるかったので相手の言い分に従うことにした。

「では道に迷ったということで、どこへ行きたいんです?」
「あのね・・・」

そうして彼女が告げたのが、純一の祖母のお墓がある場所だった。



その後も何度か町を訪れていたさやかと、祐漸、楓、連也と共に旅をしていた際に偶然再会した時には驚いたものだった。ちなみにその時も、彼女は“道に迷って”いた。
楽しそうと言って、それ以来さやかも旅の道連れに加わることとなった。不思議な縁のある相手である。
よく道に迷うさやかだが、こうしていざ自分が同じ状況になってみると、あまり人のことをとやかく言えないということを自覚した。普段道案内は祐漸に任せ切りなため、純一自身はすっかり方向感覚が鈍っていた。
同じように散歩に出たさやかがどこかで同じように道に迷っているとも知らず、純一はこれからどうしたものかと頭を悩ませる。

「うーむ・・・」

上を見る。
泊まっていた宿は高い建物だったので、もしやと思ったのだが、周りも高い建物ばかりでまるで見えはしない。 それ以上に、どれを見ても同じような建物としか思えず、仮に見えたとしても見分けられそうもなかった。
今度は昨日の行動を思い出してみる。中央通でパレードを見た後すぐに宿を目指したため、わりと中央通に近い場所だったと記憶している。ならば、中央通を目指せば、何かわかるかもしれない。
で、次の問題。中央通はどっちであろう。

「中央通ってくらいだから、人の多い方だろうな、たぶん」

などと適当なことを考えて歩き出す。
そしてさらに十分後――。

「おかしい・・・」

右を見て、左を見て、考える。
人が、いない。
ここはどこだ。
たくさん人がいる場所を目指して歩いてきたはずなのに、気がつけばまるで人気のない場所に来てしまっていた。
横に数十人は並べそうなほど広かった中央通と比べたら遥かに狭い道が細かく入り組んでいる裏路地のような場所である。
喧騒もほとんど聞こえないので一つ確かなことは、ここは目指していた中央通からは全然遠い場所だということだった。
まさか自分がここまで方向音痴だったとは、と頭を抱える。

「かったりぃ・・・」

もうどうすれば良いのやら。せめて中央通までの道を人に聞こうにも、人っ子一人通りはしない。こんな場所でどうするのか。
本格的にやばそうだな、と思いながら歩いていると、きょろきょろしていたのがまずかった。横の狭い路地から駆け出してくる人影に気付くのが遅れたのだ。

「げ・・・」
「え・・・?」

相手の方も後ろを振り返りながら走っていたため、前を向いて驚いた顔を見せる。
互いの身が接近する中、純一は相手のことを素早く観察した。
女の子、なのは間違いない。ラフな上下を着ており、大きめの帽子を被り、薄い色のサングラスをかけているためわかりにくいが、かなり整った顔立ちをしているように思えた。
そこまでわかったところで体に衝撃。
不意打ちだったが何とか駆け出してきた少女を庇いながら受け身を取る。

「いてっ」

少女のクッションになる形で仰向けに地面に倒れた純一は、受け身は取ったものの地面に打ちつけられた背中はそれなりに痛かった。軽い少女のものとはいえ、人一人を抱えて倒れ込んだのだからそれは仕方あるまい。

「あ、ごめんっ、大丈夫!?」

慌てて体を起こした少女が下敷きになっている純一の顔を覗き込む。
サングラス越しに、二人の目が合った。

「「・・・・・・・・・」」」

何となく見詰め合う。
男と女が道でぶつかって一緒に転ぶなど、何かのフラグでも立ちそうなシチュエーションである。
間近で改めて見た少女の顔立ちは、美人を見慣れている純一の目から見ても満点を与えられるレベルのものだった。個人的観点から限界突破なことりには一歩譲るが、楓やネリネ、さやからと並んでも甲乙付け難いだろう。

「あー・・・とりあえず大丈夫だから、まずはどいてくれるとありがたい」
「あ、ごめんなさいっ! すぐ下りるから・・・って、あ!」

体を横にずらしながら、少女は自分が走ってきた道を振り返る。
その視線を追って同じ方向へ目を向けると、数人の男が走ってくるのが見えた。

「いっけない! ごめんっ、こっち!!」
「は?」

弾けるように立ち上がった少女は、何故か純一の手を掴んで引き上げ、そのまま走り出した。

「え? おい、ちょ、まっ・・・」
「いいから話はあとッス! とりあえず走って!」

走ってと言われても、全力疾走する少女に引っ張られている純一の体は半ば宙に浮いており、走ろうにも走れない。
よほど急いでいるのかそんなことにも気付かず、少女は走り続ける。
後ろを見ると、例の男達が追いかけて来ているものの、どんどん引き離されて行っている。この少女、なかなかの健脚だった。 その上人一人引っ張っているのだから腕力も強い。
しかし、逃げるのは良いが何故自分の手を引いているのか。

「これはますます・・・かったるいことになりそうだ・・・」

今以上に悪い状況もそうそうないだろうと思い、仕方なしに純一は流れに身を任せることにした。とはいえ、かったるいことに変わりはない。







楓達は、ネリネの叔母でもある神王の第三妃、サイネリアがいるという屋敷を目指し、街の校外へと向かっていた。
先頭を行くのは例によって祐漸で、ネリネとことりが続き、楓が最後尾を歩いている。
まだ街の中心付近なので、人通りも多い。少し油断するとすぐにはぐれてしまいそうだった。楓は祐漸の姿を見失わないよう、またネリネとことりがはぐれないようにも注意を払いながら一番後ろを歩く。
その視線を、ほんの一瞬、ふと横へ向けた時のことだった。

「―――え?」

思わず全ての情報が頭から抜け落ち、楓はその場で足を止めた。
何かを見たわけではない。
強いて言うならば、幻を見た、とでも言うべきか。
だが、一瞬視界の隅を通り過ぎた人影の歩く姿が、ピタリと“彼”の姿と重なった。
顔は隠されていたが、十年以上もつぶさに見てきた“彼”の仕草や癖を知り尽くしている楓が、その姿を見間違えるはずはない。

「稟・・・くん・・・・・・」

まさか、という思いを抱きながら、楓の足は自然と動き出していた。
人込みへ消えていった、その姿を求めて――。







走り出してから十数分後――。

「はぁ・・・はぁ・・・はぁっ・・・・・・」
「・・・ぜぇ・・・ぜぇ・・・ぜぇ・・・・・・」

純一と少女は、壁に背中を預け、乱れた息を整えていた。
途中曲がり角で減速した際に地面に足がついたものの、依然として手を握ったままの少女が走り続けるため、純一も一緒に走る羽目となった。
大分走り回って完全に追手を振り切った、と思われたところでようやく少女は足を止めた。
ただでさえ道に迷っていたのにこう無作為に走り回られては、もう帰り道は絶望的だった。

「ぜぇっ、はぁっ・・・・・・かったりぃ・・・」

横目で少女の様子を改めて観察する。
活発な印象の中に、どことなく上品な雰囲気が漂っている少女だった。
髪は結い上げて帽子の中に入れているようだ。あからさまに変装していることからも、彼女の素性がある程度特別なのはわかった。ただ耳は隠していないので、少なくともソレニアには違いなかった。
良いところのお嬢さんが家を抜け出して、家の人間か誘拐犯か、どちらかはわからないがその類の男達に追いかけられていた、といったところかもしれない。
やはり、ほぼ確実にかったるいことに巻き込まれたようだ。

「はぁ・・・・・・なんとか、撒いたみたいだね・・・」
「らしいな。というか俺には関係ないが・・・」
「へ?」

キョトンとした顔で少女が純一のことを見る。

「あれ? えっと・・・あれ? 何で一緒に逃げてたんだっけ?」
「こっちが聞きたいっつーの・・・」
「ん?」

腕を組み、眉間に皺を寄せて考え込む少女。考えようと考えまいと理由などあるはずがないのだが、もしかすると天然なのかもしれない。

「あなたは・・・・・・誰でしたっけ?」
「さっき路地でぶつかった人。それ以上でもそれ以下でもない、ただの通りすがりです」
「つまり・・・無関係?」
「99%そのはずだ。残り1%くらい可能性がないとも言い切れないが・・・たぶんない、と思う」
「それは・・・何と言っていいか、その、災難でしたね・・・」

少女が乾いた笑い声を上げる。非は全面的に自分の方にあると思ったらしく、気まずそうにしていた。

「何だろうな・・・つまりね。さっき目が合った瞬間、パッと思ったの。この人も連れていかなきゃ、って。直感・・・みたいなものかな? って、こんなこと言われても困るよね・・・」
「いや、まぁ・・・」

直感の類にはもう慣れている。基本的には経験豊富な人間が持つものだが、それ以外にも先天的に直感力に優れる人間もいるという。この少女がそうでないとは言い切れない。

「もっと言っちゃうとね。私の・・・好きな人と、同じ眼をしてたから、かな?」
「この人からぐーたらの極みと呼ばれる眼と同じとは、そいつもぐーたらか?」
「どうだろう・・・まぁ、時々ちょっと、だらしないところもあるけど・・・眼は、そう・・・優しい眼、かな」

言っている本人がとても優しげな表情で、少し顔を赤らめている。誰かは知らないが、少なくともその男はこの少女に相当愛されているようだ。 これほどの美人に愛されるとは、純一はともかく世の大半の男達から羨まれそうな男である。もっとも、純一も故郷では似たようなものだったが。
なるほど、確かに似ているのかもしれない、純一とその男は。そう思ったところでふと、前にも同じようなことを言われたのを思い出した。

(あれは・・・そう、楓と・・・ネリネにも似たようなことを言われたな・・・)

土見稟という、彼女らの想い人と、純一が似ている、というような話だ。
まさかこの少女も・・・と思ったが、そんなはずもなかった。ソレニアで土見稟を想っている少女の話は聞いているが、彼女は神王の娘、即ちプリンセスだ。こんな街中でこんなラフな格好をして走り回っているはずがない。
しかし先ほど思った、良いところのお嬢さん、というのは当てはまる。お姫様がお忍びで街を歩いているのだとしたら、変装していることも、追われていることも説明がつく。
では本当に彼女がそうなのか。そんな偶然がありえるのか。

(ないない・・・)

頭に浮かぶ可能性を否定する。
けれど、もしかして、ということもある。
そこで思いついた。名前を聞いてみれば良いではないか。

「なぁ、これも何かの縁ってことで自己紹介とかしないか? 俺は朝倉純一、あんたは?」
「あ、私はリ・・・・・・じゃ、なくて・・・えっとぉ、そのぉ・・・私の名前は・・・・・・」

少し言いよどみながら、少女は目線を逸らす。が、その口が一つの名前を呟いた。

「・・・“キキョウ”」
「ん?」

一瞬、少女の雰囲気が変わったような気がした。本当に一瞬のことだった上ほんの僅かな変化で、すぐに元に戻っていたが。

「そ・・・そうそう! キキョウ! 私の名前は、キキョウッス!」
「キキョウ、か」

名前が違う、ということで純一は頭に浮かんだ可能性を否定する。
考ていることに集中していたため、少女が自分の名前を言いよどんだり、妙に強調したりしたことや、お忍びの王女が名前を聞かれたら偽名を使うのではなかろうか、などということに対する疑問は、純一の頭には浮かんで来なかった。これが祐漸だったならば即座に 見抜いたのだろうが。
ただ、名前を言う時にほんの少しだが雰囲気が変わった点だけは気になった。
何にしても、自分と同じような男が世に二人もいるとは。世の中似てる人間が三人はいるということであるし、そうしたこともあるのだろう。

「そういえば、あんたも俺の彼女にちょっと似てるかも」
「え、そうなの?」
「何となく丁寧な物腰なんだけど気さくな性格してそうなところや、語尾に“ッス”ってつける口癖があるところがな。あと、美人ってところもか」
「あはっ、やだなぁ、それっておだててるのかノロケてるのがわかりづらいよ」
「はっ」

今、自然と祐漸のような台詞が口をついて出たことに軽いショックを覚える。常々、女性に対しては厳しくも優しく接しろと説く祐漸にいつの間にか感化されているというのか。
そんなかったるいことがあってたまるものかと思う。

「どうしたの?」
「いや、何でもない。ちょっとかったるいことを想像してしまっただけだ。気にしないでくれ」
「?」

たった今思いついたことは即座に忘れることとする。

「ねぇねぇ、朝倉君!」
「何だ?」
「これから私と、仮想デートしない?」
「は?」

デートはともかく仮想とは一体どういうことか。

「朝倉君は私の好きな人に似てて、私は朝倉君の彼女さんに似てるんでしょ。だから、いざ本番のデートの時に失敗しないように、デートの練習をするの! どう?」
「どう? と言われましても・・・」

どう答えたものかと思い悩む。
もっともこの少女が最初の想像通り、良いところのお嬢様がお忍びで街を出歩いているのだとしたら、単に遊びたいだけという考え方もできる。
それに、これが渡りに船になる可能性もあった。

「まぁ、いいぞ。ただし、一つ条件がある」
「何?」
「俺は今道に迷っている。だから仮想デートをしてやる報酬として、道案内を頼む」
「朝倉君、迷子なの?」
「違う。道に迷っているのだ」
「それって、迷子って言わない?」
「道に迷っているのだ」
「だから、迷子・・・」
「道に迷っているのだ!」

何故こんなことをムキになって主張しているのか。先ほど、久しぶりにさやかとの馴れ初めなどを思い出したせいか。

「じゃあ・・・道に迷ったってこと・・・・・うんっ、いいよ。それくらいお安い御用」
「交渉成立だな。どこへでも連れまわしてくれ。ただ生憎と、俺は金は持ってないから金のかからない遊び場で頼む」
「うんっ、了解ッス!」

こうして奇妙な縁で知り合った少女“キキョウ”と、純一は今日一日、仮想デートをすることとなった。







ここは、ミッドガル城の上層部に位置する広間。
中央に座すのは、ソレニア神王家の最高権力者にして絶対君主、神王ユーストマである。
そして左右に居並ぶのは、王を支える武官と文官達だった。その内の一人が立ち上がって、神王へ進言する。

「陛下! これ以上沈黙を貫いても仕方ありますまい。ヴォルクスの西王家と天王家が幾度も領域を侵犯しておるのです。このままではいつ他の王家も動き出すか・・・。そうなる前に! こちらの力を示すべきです!」
「左様! 例えヴォルクス軍百万を敵に回そうとも、我らソレニアの飛空挺団の前には地を這うアリの群れも同然!」
「地上軍とて遅れを取りは致しません。どうか陛下、ご決断を!」

席に着く者の大半は、反ヴォルクスの姿勢を示していた。
だがそれらの意見を、神王は睨みを利かせただけで黙らせる。

「・・・こっちから仕掛けちまったらおしまいだ。ソレニアとヴォルクス、互いにどちらかを皆殺しにするまで戦は終わらねぇ。そうなれば、たとえ勝ったとしても多くの犠牲を払うことになるだろう。それだけの覚悟があるってのか?」

低いが、よく響く声で神王が告げる。それに対して家臣達は皆言葉がなかった。誰もが神王の重い言葉に尻込みするように表情を沈める。
そんな中、一人だけ平静を保つ老臣が立ち上がった。

「では神王陛下、仮にこちらの兵を一切損ずることなく戦に勝つ手段があるとすれば、如何致しますかな?」
「そんな仮定の話をしても仕方ねぇだろ。それともおまえには、そんな奇跡みてぇな話を実現できる手段があるってーのか、ガレオン?」
「残念ながら、今のところは、ありませんな」
「ならつまらねぇ話はするな。今後もヴォルクスとは和平の道を探す。これに変わりはねぇ。以上、解散だ!」

結局この日も、神王が自らの意志を貫き通して会議は終わった。
納得のいかない顔をしている者も多くいるが、神王の実力とカリスマ性は高い。神王自身を崇拝する者は多いため、いまだ反対派の意見は抑えられていた。
しかし、このまま何も進展がなければいずれはどう転ぶかわからない。

(こっちはこれ以上はな・・・まー坊が何か手を打ってくれりゃ、やりようもあるんだが・・・)

魔王は魔王で、九王家の他の者達を抑えるので手一杯であろう。両種族の指導者が共に和平を望んでいるというのに、国というものはままならないものだった。
神王が歯噛みしていると、一人近付いてくる者がいた。
若い男で、確か先ほどおかしな話をしてきたガレオンの息子、バジルだった。

「神王陛下、よろしいですかな?」
「何だ?」
「リシアンサス王女のお姿が見えないのですが、どこへ行かれたかご存知ありませんか?」
「さぁな・・・リアのところにでも、行ってるんじゃないか?」
「ということは、また出歩いておられるのですか。昨日の誕生祭までは大人しくなさっていたというのに・・・困った方ですな」
「あいつの行動は俺が容認してる。シアのことは放っておけ」
「そうは参りません。姫様はいずれこの私の妻となるお方。その行動はきちんと把握しておかなければなりません」
「チッ、つまらん話を・・・」

確かにこのバジルという男は、シアの婚約者候補の一人ではあった。父親であるガレオンも重臣達の中で特に力があり、その息子は婚約者候補筆頭と言っても良いかもしれない。
だが神王は、娘の婿となる男は既に決めてあり、シア自身もそれを望んでいる以上、他の男と娶わせるつもりは毛頭なかった。
彼は、今は行方不明で生死すら定かではない状態だが、仮にも神王と魔王が揃って見込んだ男である。そう簡単に死ぬはずはない。必ずどこかで生きていると、ユーストマは信じていた。

「いいから下がりな、バジル」
「畏まりました。では姫様は、私の方で捜しておきますので、見付かり次第ご報告に上がります」

恭しく礼をして、バジルは神王の前から立ち去った。
軽く舌打ちをしながらそれを見送ると、神王は政務に戻った。







女の子とデート、というものには純一もそれなりに慣れている立場にいるはずだった。だがやはり、いつもと違う相手とするというのは勝手が違うものなのだろう。
しかし、だからといって――。

「何で日用品店なんだ・・・?」

もちろん、普通に洋服や小物を売ってる店のウィンドウショッピングもしてきたのだが、何故かキキョウはいつの間にか日用品店に惹かれていく。そしてしばらく物色したところで、はたと気がつくのだ。

「ごめん・・・つい癖で・・・」

良いところのお嬢さんかと思っていたのに、日用品や夕食の材料の買出しを癖でしようとするというのはどんなものであろうか。
実は上品な雰囲気は見せ掛けで、本当は普通の庶民の家の娘なのかもしれない。
いや、没落貴族の娘という可能性も捨て切れない。が、それにしては貧乏臭さがない。やたらと安い商品を物色しているのは貧乏性っぽい気もするのだが、それとは違う、まとっている空気の問題である。 何人もの人間を見てくると、まとっている雰囲気から大体の素性を予測できるようになるものである。祐漸やさやかなどのそれは神技めいているのだが、純一とてそれなりに人を見る目は持ち合わせている。
とにかくそんなわけで、店が立ち並ぶ場所はそうした状態に陥ってしまうので、今は公園を散歩などしている。

「お買い物、っていうとどうしても生活のことを考えちゃうんだよねぇ」
「若いのに主婦然としてるな・・・」
「やだもうっ、綺麗な奥さんだなんて照れちゃうッスよ〜!」
「そんなことは誰も言ってない」

明るく元気で家庭的、というなら確かに奥さんにしたい子と言えるかもしれないが。お互い既に好きな相手がいる身でなければ、ここから始まる恋物語などもあったのかもしれない。
そんなことを考える柄でもないのだが、この子とならば本当にそうなっても良かったと思える。あくまで、ことりがいなければ、の話であるが。それにキキョウも、本人は無意識なのだろうが、先ほどから何度も純一の方を見ながら純一を見ていない時があった。そんな時は、純一の向こうに別の誰かを見ているのだろう。
そして時々、ひどく寂しそうな、辛そうな顔を見せる。本人はまったく自覚していないようだが。

「・・・・・・・・・」

今も、隣を歩きながら空を眺めているキキョウの目は、そこにはいない誰かを映しているようだった。
不意に、その目から涙が零れ落ちた。

「あ・・・いけないっ。ごめんね、急に・・・」
「いや、気にするな」

純一は反対へ顔を向けて、それを見ないようにする。
祐漸ならばこんな時、気の利いた口説き文句の一つや二つ言って涙を拭ってやるのだろうが、この少女が求めている手や言葉は、自分のものではない。それがわかっているから、純一はただ黙って彼女が泣き止むのを待つ。

「・・・朝倉君って、ほんとに“あの人”に似てるな・・・・・・」
「おまえの好きな奴にか?」
「うん。雰囲気とか、優しいところとか、かな」
「買いかぶりだよ。俺は優しくなんかないさ」

他人の気持ちなど、あまり考えることはない。むしろ、積極的に人と関わろうなどという気は昔からなかった。
ただ、ほんの少しだけ他人に優しくするやり方は、祖母から教わっていた。

「なぁ、和菓子は好きか?」
「え? うん、甘いものは好きだけど」
「じゃ、こっち向け」

振り向いたキキョウの目の前に手を突き出し、和菓子を生み出してみせる。

「わっ、すごい・・・」
「俺の数少ない特技。これでも食って泣き止め」

キキョウは純一の手から和菓子を受け取ると、それを口に含んだ。

「・・・おいしい」

そう言って微笑むのを見て、純一は満足げに頷く。
泣いている子を笑わせるには、甘いものが一番である。祖母が教えてくれたのは、ただ和菓子を生み出す、という単純な能力ではなく、こうして泣き顔を笑顔にすることだった。
この少女のことも、笑顔にできたようだ。

「うんっ、優しい味がするよ」
「ばあちゃんから教わった魔法だからな。ばあちゃんは優しい人だった」
「そうなのかもしれないけど、でも、この味は、朝倉君の優しさだと思うな」
「ばっ・・・かったりぃな・・・。そういう台詞は彼氏に言ってやれ。他の男に向かって気安く言うんじゃない。特にだ、俺の知り合いの女好き野郎には絶対に言うな」
「あははっ、私の好きな人の友達にも女の子が大好きって人がいてね。同じこといつも言われてるッス」

どうやら、沈んだ気持ちはすっかり晴れたようだ。キキョウの彼氏が今どうしているのかは知らないが、すぐに会える状態ではないようだった。けれどそれで寂しい思いをしていたからといって、初対面の男をその彼氏に似ているというだけで、仮想とはいえデートに誘うとは、少し警戒心というものが足りないのではないだろうか。それとも、純一はそんなに人畜無害に見えるのか。
後者だとしたら色々と物言いたいところだが、前者だとしたらやはり、その男の方に色々と言いたい。こんな子を放ったらかしにしておくな、と。
そういえば、同じことを例の“彼”に対しても思ったのだった。

(ん・・・?)

また先ほどと同じ考えが浮かんできた。それは、キキョウの寂しげな横顔が、純一のよく知る二人とよく似ていたからだった。
一度は否定した考えが再び頭を過ぎる。

「なぁ・・・おまえ、もしかして・・・・・・」
「ッ!!」

二人して足を止める。
いつの間にか、周囲に“普通の人”は一人もいなくなっていた。
周りは、黒装束の謎の男達が取り囲んでいる。

(こいつら、いつの間に・・・?)

これだけ接近されるまで、まったく気配を感じなかった。

「何だ、おまえら?」

問いかけるが、彼らの目はまったく純一には向けられていなかった。全員が、キキョウのことだけを見ている。

「お迎えに上がりました、王女様」

予想してた通りの答えを、予期せぬ第三者から告げられた。まさかとは思っていたが本当にそうだとは、少し驚いた。まったく世の中には偶然というのはあるものだと思う。

「誰? お城の人達には見えないけど」
「我らはバジル様の使いにございます」
「バジルさんが、どうして・・・? お父さ・・・神王陛下に言われたの!?」
「それはご自分でお確かめくださるよう願います。まずは、城へお戻りください」
「私は今日は、母サイネリアの館に泊まります。王妃様方にもそう申してありますので、帰ってそのようにお伝えください」
「それもご自身でお伝えくださいますよう。我らは務めを果たさねばなりません」

音も立てずに一息で近付いた黒装束の一人が、王女の手を取ろうとする。王女の気配が変わる、と思われた瞬間――。

ドカッ!

純一の蹴りが黒装束を吹き飛ばしていた。

「え?」
「人を無視して話を進めんじゃねぇ!」
「朝倉君・・・あっ!」

しまった、という顔をして王女が両手で口元を覆う。

「まぁ、実のところ想像はしてたからそんなに驚いてはいない」
「・・・ごめんなさい、黙ってて・・・・・・」
「気にするなって。むしろ、おまえがリシアンサス王女なら好都合だ」
「え、どういうこと?」
「王女に用があったんだよ。詳しい話は後でするとして、まずはこいつらどうにかしないとな」

今の蹴りで、相手はすっかり純一のことを敵と見なしたようだ。好戦的な連中である。
周囲を警戒する純一に向かって、先ほどまでとは違った声の調子で王女が問いかけた。

「・・・あんた、リシアンサス王女に何の用?」

雰囲気の違う王女の姿に、純一は少しだけ目を見張る。
姿格好にはまるで変化はないが、少し目つきがきつくなっている。ただ、真っ直ぐに見据えてくる瞳の色は澄んでいて、真剣さが感じ取れた。
だから純一も、隠さずに答えることとする。

「楓とネリネ、知ってるだろ?」
「えっ? 何であんたがあの二人のこと・・・」
「仲間さ。っと、これ以上はのんびり話してる暇はなさそうだ」
「・・・そうね。今はあんたのこと、信じてあげるわ。その代わり、後でちゃんと説明しなさいよっ」
「おう」

純一と王女は互いに背中合わせになって周囲の敵に対して備える。

「そうそう、さっき名乗った名前、キキョウっていうのはあたしのことだから」
「なるほど、それでか・・・」

王女の雰囲気が変わった時、それが最初に名前を聞いた時に感じた変化と同じだったことに気付いていた。
背後で、その雰囲気がまた元に戻るのを感じる。

「・・・それと、私のことは、シアって呼んでいいよ」
「オーケー。そっちの複雑そうな関係も後で聞くとして、今はこいつら何とかしようか、シア、キキョウ」
「うんっ!」
「オッケー!」







同じ頃――。

「・・・・・・・・・」

街外れの人気のない通り上に、連也は佇んでいた。
閉じていた目を開き、誰もいないはずの前方へ向かって声をかける。

「いるのはわかっている。姿を見せろ、義仙」

一瞬、つむじ風が起こる。すると次の瞬間、そこには連也と似た風体の男が立っていた。

「久方振りだな、連也」














次回予告&あとがきらしきもの
 タイトル通り、シア&キキョウ登場の回。ローマの休日のノリでもうちょっと遊ばせてみようとも思ったのだけど、わりとちゃっちゃと話は進むのであった。 純一とシアを絡ませたのは、本編内で言ってる通り、シアとことりに似通っている部分があったから、である。そして二人が出会っている裏では、楓、連也の話も進んでいる。
 能力紹介は十人目である。残りのメインキャラ勢はまだ出てきてないので、サーカス編で出てきたサブキャラ達。

朝倉 音夢
   筋力 B   耐久 C   敏捷 A   魔力 D   幸運 C   武具 B+
 楓とほぼ同等の実力者である。サーカス組ではおそらく最強なわけだが、基本能力は兄よりも上か? 武具の性能は高くはないが、使い勝手は良い。

 次回は、ある男と再会する連也。その男の正体とは、そして連也の過去とは・・・。