魔王邸。
そう呼ばれるこの場所は、政務等が行われる魔王城がある首都からは離れた郊外に存在していた。ここはここで、城と呼んで差し支えないほど広大な土地に、立派な建物が建っている。魔王家のプライベートで利用されるこの邸宅には、現魔王フォーベシィの家族が住んでいた。
フェーベシィの一人娘、魔姫ネリネは、邸内の自室で窓の外を眺めながら、小声で歌を口ずさんでいた。
天使の鐘と呼ばれ称えられる美声は、今は虚しく響くだけで、本人にとっても気を紛らわせる程度のものにしかならない。
この歌を一番聴かせたい人は、今どこにいるのかも知れないから。

「稟さま・・・・・・」

生まれてから十数年のほとんどの時間を過ごしたこの屋敷は、こんなに寂しい場所だったろうかと思う。
確かに幼い頃、病弱だったネリネはこの部屋のベッドで何日も過ごすことがあり、辛い思い出もある。けれど、この屋敷が嫌いでは決してなかった。むしろ大好きだった。それが今は、まるで他人の家のように寂しい。戻ってきてから一年過ごしても、その気持ちは消えなかった。
今はもうない、ほんの一年弱過ごした“あの家”の方が、ずっと居心地が良かった。
それはたった一つのことが違うから。
愛する人が、稟がいないから。
稟さえいれば、例えどこであろうと、これ以上ないくらい居心地が良いであろうに。稟がいなければ、どこにいても心安らぐことはなかった。

「はぁ・・・」

父は今も、懸命に稟の行方を捜してくれている。けれど今日も、何の報せも届かなかった。
今夜はもう寝ようと思い、踵を返しかけたところで、窓の下に誰か立っているのが見えた。
その意外な人物の姿に、ネリネは心底驚いた。

「祐漸様!?」













 

真★デモンバスターズ!



第8話 プリンセス・天使の鐘















視線の先の少女が降りてこようとするのを制して、祐漸は念話を送る。

『そのままでいいから聞け』
『は、はい』
『明朝改めて尋ねてくるから、バークかセージに言って裏門を開けておけ。表からじゃ目立つ』
『わかりました。でも祐漸様、今までどちらに・・・?』
『その辺も含めて明日話す。じゃあ、頼むぞ』

伝えるべきことだけ伝えると、“そこにいた祐漸”は水になって消滅した。
邸内にいたのは、水を利用して生み出した祐漸の影だった。これを使うことで、気配を悟られることなく、水と魔力の届く範囲内ならどこへでも自分の分身を飛ばすことができる。もっとも、その間本体の方は無防備になるため多用するのは危険だった 。
本体が目を開けると、純一達仲間がいた。

「よし、明朝魔王邸に行くぞ」
「それはいいが、何でこそこそするんだ?」
「俺にしても、ヒュームのおまえらにしても堂々と魔王邸に入るところを誰かに見られたら面倒だろう。中にさえ入ればあそこの警備は厳重だ。問題は入るまでなのさ」

祐漸の勘では、捜し人はソレニア領内にいると睨んでいた。だがその前に、本当にヴォルクス領内にいないのかという確認と、その後も継続してヴォルクス領内の情報を得るための伝手がほしかった。
先の一件で計らずもサーカス、ネーブルの二国との間にパイプができ、王家を利用することの便利さを認識したため、ついでに魔王家にも顔を出しておこうという話になったのである。九王家の他の面子は皆強かで、それに関しては魔王も同じなのだが、個人的に面識のある祐漸は魔王フォーベシィが義理堅く、またこの上ないほど親バカであることを知っている。土見稟絡みの話で接触すれば、特に問題は起こらないだろうと思われた。
しかし、魔王城へ直接行くのは問題が大有りだったため、こっちの邸宅に来たのだった。ここの住人達とも、祐漸は個人的に面識があった。

「というわけで明日は早いからな、とっとと寝ろよ。特にそこのかったるい男」
「へいへい。じゃあことり、朝は起こしてくれな。出来れば目覚めのキスで」
「だから、それは二人きりの時にだってば!」







翌朝、人目を忍ぶようにして魔王邸の裏門へ近付いた純一達は、中から門が開くのを見て邸内に駆け込んだ。
連也とさやかが最後尾で周囲に視線を走らせるが、肉眼でも魔法でも見張っている者はいないようだった。
中に入ると、まず純一はその屋敷の大きさに度肝を抜かれた。ダ・カーポ城や白河家も大概大きかったが、ここはそれ以上である。庭は果てしなく広大で、建物も立派で巨大である。眠気も吹っ飛ぶ壮大さだった。

「よくいらっしゃいました、祐漸様。生憎坊ちゃんはご不在ですが、ごゆるりとなさってくださいませ」
「ああ、フォーベシィがいないのはわかってるからいいんだ。いる時じゃさすがに見張りの目が厳しすぎるからな。というかおまえ、王になっても坊ちゃんなんだな・・・」
「ええ、もちろんでございますとも。魔王陛下になられようとも、あのお方は私にとって永遠の坊ちゃん。不肖このバーク! いつまでも変わらぬ忠誠と愛を坊ちゃんに捧げております」

愛、を強調し恍惚とした表情をする執事の姿を見て、祐漸以外の面々が一斉に引く。

「な、何だこのおっさんは・・・?」
「気にするな。気にしたらこの屋敷では過ごせんぞ。まぁ、長居する気もないが」

いい歳した大の男が顔を赤らめながらくるくる回って悶えている姿は見るに堪えないものがあり、純一達は案内を待たずに建物の方へと歩いていった。
傍に寄るとますます大きく感じる建物に近付くと、純一達の姿に気付いて駆けて来る少女の姿があった。
さらさらとした長い藍色の髪をしたヴォルクスの少女で、特に目を見張るのが同年代に比べてかなり大きい部類に入るであろうその胸――。

「朝倉君、どこ見てるの?」

ことりに白い眼で睨まれた純一は、欠伸をする振りをして顔を横に背けた。

「祐漸様! ・・・楓さん!?」

駆け寄ってきた少女は、楓の姿を見て驚きの声を上げる。楓の方も嬉しそうに少女の方へ寄っていく。

「リンちゃん!」

二人はその場でひしと抱き合った。

「楓さん、よくご無事で・・・」
「リンちゃんこそ、元気そうで・・・」

純一が横にいる祐漸に向かって「誰だ?」と尋ねる。

「魔王家の第一王女、ネリネだ」

楓とネリネは体を離すと、今度は互いの手を固く握り合ってその感触を確かめ合っていた。
しばらくそうしていると、ネリネがハッとしたように楓に向かって尋ねる。

「あの、楓さん。稟さまは・・・」
「・・・・・・・・・」

それに対して楓は、黙って首を振った。
再会を喜ぶ笑顔から一転して、二人の表情が暗く沈み込む。楓のその表情は見慣れたものだったが、ネリネの落ち込みようも負けていない。彼女もまた、深く稟という男のことを愛していることがそれだけでよくわかった。
皆揃って表情を曇らせていると、また一人やってくる人物がいた。

「祐漸様、よくおいでくださいました」
「セージか。少しの間だが、邪魔するぞ」
「はいっ、大歓迎です。みなさま、朝食はお済みですか?」
「いや、良ければ何か頼む」
「かしこまりました!」



十数分後、バークを除く一同は食堂にやってきていた。
セージという女性が食堂とキッチンの間を行ったり来たりして朝食を並べていっている。純一が今度はその女性のことを祐漸に尋ねる。メイド服を着ているからそのままメイドかとも思ったのだが、それにしてはネリネと面影がかなり似ているような気がしたからである。或いは姉妹かと思ったのだが――。

「ネリネの母親だ。魔王妃セージ」

祐漸のその答えに純一は目を見開いて母娘のその部位を見比べた。

「だからどこ見てるのっ、朝倉君!」

ことりが純一の耳を引っ張って嗜める。
ネリネの母セージはとても一児の親とは思えないほど若く見えるのだがそれ以上に、あのネリネの母親とは思えないほど、凄まじく胸がなかった。先日サーカス王国で会った麻弓といい勝負である。
ほどなく食事の準備が整い、セージも席についた。
ちなみに席順は、上座が空席でその右側に祐漸、純一、ことり、さやかの順で並び、反対側にセージ、ネリネ、楓、連也と並んでいる。
食事はわりと質素な内容だったが、味の方は文句無しの出来で、純一などは舌鼓を打ってたくさん食べた。

「うまいっす、セージさん」
「ありがとうございます。そう言ってくださる方がいると作り甲斐があります」

魔王妃直々のもてなしという、考えてみれば畏れ多い状態なのだが、それで恐縮するような者はおらず、せいぜい楓とことりくらいのものだが、二人もセージの気さくさのお陰ですぐに楽にするようになった。

「ほんとにおいしいっ」
「ええ、お母様のお料理は絶品です。私は・・・全然だめなんですけど」
「でも、リンちゃんもがんばって勉強してるんですよね」
「ま、料理の善し悪しで女の善し悪しが決まるわけじゃないけど、できたら男の子には喜ばれるかもね〜」

食卓は和やかな雰囲気だった。特に女性陣は会話に花を咲かせており、非常に楽しげな様子である。ただ、時々楓とネリネのところで会話が途切れるのは、土見稟の話題が出そうになったからなのだろうということがわかって少しやるせなかった。
それでも、楓もネリネも沈んだ表情を見せないように明るく振舞っている。
ふと、純一は気になることがあって祐漸に尋ねてみた。

「なぁ、祐漸。おまえ何でこの人達とそんなに親しいんだ?」
「何だ、藪から棒に?」
「同じ九王家の仲って言っても親しすぎだろ? 仮にも王妃と王女を相手に普通に呼び捨てだし」

呼び捨てのことに関しては、ネリネは純一達にも呼び捨てで構わないと言っているため、王家というわりに親しみ易い性格なのかもしれないが、それにしても祐漸の気安さは不思議に思えた。

「まぁ、確かにそこらの奴より親しいのは確かだ。例えばセージだが・・・」

祐漸は正面に座っているセージを指差しながら語る。

「魔王家には、形の上だけとはいえ古い慣習があってな。魔王の妃は九王家のいずれかから娶るというものだ。だがセージは平民の出だ」
「そうなんですか?」
「はい。フォーベシィ様がまだ魔太子殿下でいらっしゃった頃にこのお屋敷にメイドとして雇っていただきまして。その時にまぁ、その・・・見初められたと言いますか」

その時のことを思い出しているのか、セージは少し顔を赤らめる。

「それで、いずれかの王家の養女という扱いにしようという話になった。それを買って出たのが北王家、俺の親父だ」
「なに? ってことはおまえとセージさんは・・・」
「ああ。義理の姉弟だ。形式上だけのものだが、そんな繋がりもあって俺は昔からこの屋敷に頻繁に出入りしていてな。それでここの連中とは親しいわけだ」
「祐漸様には感謝してもしきれないほどお世話になっています」
「大袈裟だ。で、ネリネの方は義理の姪ということになるわけだが、ついでに言うと、元婚約者だ」
「「「「はい!?」」」」

これには純一だけでなく、ことり、さやか、楓に至るまで驚いて思わず立ち上がった。
当の本人たるネリネはというと、顔を赤らめているためどうやら事実らしい。

「祐漸様、そのお話は・・・」
「まぁ、大したことでもない。さっきも言った通り、魔王の妃は九王家のいずれかから選ばれるのが通例だ。同じように、魔王家に娘しかいない場合は、同年代の王族から相応しい奴を選んで婿にする。つまり、魔王家と他の王家の同年代の連中は全員生まれた時から婚約者のようなものだ」

そんなようなことを杉並が話していたのを、純一は今思い出していた。あの時はごたごたしていたし、正直あまり興味もなかったので適当に聞き流していたのだ。

「俺はガキの頃から天才と呼ばれていたからな。早くから次期魔王候補として、ネリネが生まれた時から婚約者だった。まぁ、悪い気はしてなかったんだが・・・・・・知っての通りどこの馬の骨とも知れない男に横取りされたわけだ」
「稟さまは馬の骨じゃありませんっ。いくら祐漸様でも、稟さまの悪口は控えてください!」

祐漸の物言いに、ネリネが声を荒げ、その場にいた皆が面食らう。
大人しい印象の少女だと思っていたため、こんな風に声を上げて、しかもきつい視線で祐漸を睨むようなことをするとは思っていなかった。
物事に動じない連也が大して表情を変えないのはいつものこととして、ネリネをよく知っているであろうセージや楓、それに怒鳴られた祐漸も軽く驚いていた。

「・・・・・・ほう」
「な、何ですか?」

感心したような声を上げる祐漸に対して、ネリネが怪訝そうに尋ねる。

「いや・・・あの病弱娘が俺に対してそんな風に強気な眼をするとはな。“あいつ”の影響か、それとも土見稟の方か。何にしても、俺の女にできなかったのが惜しまれるな」
「おまえ・・・誰に対してもそんなこと言ってんのかよ・・・」
「気に入った女になら誰にでも言うぞ。まぁ、気に入った女ほど既に他人のものだったりすることが多いがな。ネリネに関しては特に、元々俺のものになるはずだったのに後から出てきた奴に掻っ攫われた形だから惜しむ気持ちも強い」

おどけた調子で祐漸は肩を竦めてみせる。惜しい、と言いながらそんなに悔しそうにしているわけでもなかった。この男のことであるから、あまり一つのことに執着したりもしないのだろう。それに純一としては悔しいことに、祐漸は確かにいい男だった。しかも強く、頭も良く、博識だ。女などいくらでも見つけられるのだろう。
別に羨ましくなどない。断じて。そう、純一にはことりがいるのだから、たとえ祐漸が何百人女を侍らせようと、悔しくなどない。

「ふんっ」
「わっ!」

その証拠とばかりに、純一は隣に座ることりの肩を抱き寄せた。

「あ、あの、朝倉君・・・?」
「どうだ祐漸、悔しいか?」
「・・・・・・フッ」

だがそんな純一の行為を、祐漸は鼻で笑う。さらに――。

「女の数は男の器の大きさだぞ」

と言ってみせた。
それにカチンときて純一はさらに噛み付く。

「一人もいないくせに何かったるいこと言ってんだよっ」
「俺がその気になれば女の百や二百すぐに集まるんだよ。まぁ、その中に俺の気に入る女が何人いるかは疑問だがな」
「ならいい女の数で勝負だ。まぁ、ことりに勝るいい女なんていないがな」
「あの、二人とも・・・」
「ですけど、いい女と言えば祐漸様にもいらっしゃるじゃないですか」

セージの言葉で、祐漸が顔をしかめる。この男にしては珍しい表情だった。

「セージ・・・誰の話をしてる?」
「誰とは言いませんけど。祐漸様好みの“いい女”でありながら、祐漸様が口説いてないお方が一人いらっしゃるじゃありませんか」
「つまらんことを言うな。あいつはだな・・・」
「はいは〜い、私も口説かれたことないんですけど〜」

手を振りながらさやかが声を上げる。そういえば、と純一と楓が二人を交互に見やる。
出会って以来、不思議なことに祐漸がさやかを口説いているところを見たことがなかった。楓のことは口説いていたというのに。さやかならば十分に、祐漸の好みの範囲内に思われたが。

「お二方目ですか?」

にっこり笑って言うセージに、祐漸は頭を押さえる。そして――。

「すまん、勘弁しろ、義姉さん」
「はい、勘弁します♪」

降参とばかりに頭を下げた。今日はこの男の珍しい姿を立て続けに見るものだった。
まさかあの祐漸が他人に口で負けて頭を下げるとは。
そんな祐漸の姿を見ながら、純一はニタリと笑った。

「おい、祐漸。今の話は興味深いな」
「黙れ、たわけ。おまえには関係ない」
「つれないこと言うなって〜。女好きなのは表身だけで、実は本命に一途な純情君だったりするのか?」
「やかましい、おまえと一緒にするな」

ここぞとばかりに普段の鬱憤を晴らさんと絡む純一を、祐漸は煩わしそうに押し退ける。
だが非常に珍しい祐漸の弱点をつかめるかもしれないと見て、純一はしつこく絡み続け、押し合いが続く。

「・・・祐漸様と朝倉様、仲がよろしいですね」

そんな二人の様子を見ながら、ネリネがポツリとそんなことを言った。

「は? おまえなネリネ、これのどこを見てそんなたわけたことが思いつくんだ?」
「そ、そうだぞネリネ。俺とこいつとは犬猿の仲だ。仲がよろしい? かったるいこと言ってくれるなよ。それとも今のはヴォルクス語で仲が悪いって意味だったのか?」
「よく見てろ。こんな大たわけとこの俺の仲がいいわけないだろうが。その眼は節穴にルビーつめてるわけじゃなかろう」
「確かに、とても仲がよさそうに見えますね」

必死に否定しようとする純一と祐漸に向かって、セージまでもが同じことを告げる。二人は唖然とした表情でお互いのことを見て――。

「・・・・・・ハッ」
「・・・・・・フッ」

純一は眉間に思い切り皺を寄せてガンを飛ばし、祐漸は蔑むような目をして鼻で笑った。

「てめぇっ、何だその顔は、かったりぃな!」
「たわけを嘲笑っただけのことだ。気にするな」

相変わらず、二人ともお互いのことになるとむきになる傾向にあった。

「祐漸様がそんな風に気をお許しになってる方、滅多にいませんよ」
「ええ、私ははじめて見ました」

だが魔王家の母娘は、それを見ても尚二人の仲を良いものと思っていた。
二人にとってはまったくもって心外なのだが、実は口には出さないが他の四人も、常々同じことも思っていたりした。仲が悪いと思っているのは、本人達ばかりのようである。



「さてと・・・そろそろ、ここへ来た本題に入ろうか」

一転して真剣な表情をして祐漸が話し出す。

「といっても、第一目的はもう遂げたわけだが・・・」

祐漸はネリネの方へ目を向ける。その様子を見れば、魔王家が土見稟の情報を掴んでいないことは一目瞭然だった。

「俺達のこれまでの動向については、さっき話した通りだ。いい加減手詰まりになってきたんでな、仕方ないんでフォーベシィの奴にも、俺らの状況を伝えておこうと思ってな。直接会うと何かと厄介なんで、おまえらから言っておいてくれ」
「わかりました」
「そのことでございますが、祐漸様」
「「「わっ!!」」」

突然現れたバークに、祐漸と連也を除く全員が驚いた。
一体いつの間に室内に入ってきていたのか、まるで気配を感じなかった。魔王家の執事、侮り難しであった。変態っぽかったが。

「先ほどは言い忘れておりましたが、実は坊ちゃんから、いずれ祐漸様が尋ねてくるかもしれないと言われておりまして」
「そうか。ヴォルクス領内では特に隠密行動を心がけていたつもりだったが、やはりフォーベシィは俺のことに気付いていたか」
「はい。それで、もしソレニア領へ行かれることがありましたら、これをリアお嬢様にお渡しくださるよう、言付かっておりました」
「サイネリアに、か。わかった」

バークが差し出した手紙を受け取った祐漸は、それを一瞥すると懐にしまった。
「サイネリア?」と首を捻る純一に対し、ネリネが自分の叔母、即ち魔王の妹で神王の第三妃であると説明した。また複雑な経歴の持ち主である。

「それにしても、さすがフォーベシィだな。俺の今後の行き先まで予測済みか」
「それはもちろん、私の坊ちゃんでございますから。坊ちゃんの先見の明の素晴らしさは偉大! そしてこのバークの愛は無限大!!」

何の関係があるのか、唐突に愛を叫ぶバークを、皆呆れた顔で見る。

「我が名はバーク。坊ちゃんに全てを捧げし、愛の執事。私のこの愛の深さ・・・・・・セージ!・・・様にとて負けはいたしませんぞーーー!!!」
「とってつけたような“様”をつけないでくださいっ。かえって気持ち悪いです」
「たわけはさておき、フォーベシィがこっちのことをわかっているなら、多くを語る必要はないな。ここも長居は無用だ。今夜にでも出発するぞ」
「え〜! せっかくお城に泊まれると思ったのに」

さやかが不平を述べるが、無視して祐漸は話を切上げる。

「そういうことだからおまえら、夕方までは適当にやってろ」
「坊ちゃんーーーっ!!! バークのこの愛! 魔王城まで届いておりますかーーーーー!!!?」

ドカッ!

「はぶほぁっ!!」

いまだ横で雄叫びを上げるバークを蹴り飛ばして、祐漸は席を立つ。バークは壁に体をめり込ませて沈黙していた。後で聞いた話だが、これで九王を除けばヴォルクスの中でも最強クラスの実力者らしい。とて もそうは見えないが。

「あ、あの! 祐漸様!」

食堂を後にしようとする祐漸に、ネリネが何かを決意したような表情で声をかける。

「何だ?」
「祐漸様達は、これからも稟さまをお捜し続けられるんですよね?」
「ああ、当面はそういうことになるな」
「では、私も連れて行ってください」

その表情から、言おうとしていたことは予想がついていたのか、祐漸は驚いた様子はなかった。純一にさえ、その申し出は予測できた。
祐漸とネリネは、しばらく真っ直ぐ互いに見詰め合う。

「・・・俺の信条はわかってるな?」
「はい。力を示せと言うのでしたら、お望みのままに」

顔を窓の方へ向けて、祐漸は少しの間考え込む。
弱い奴は仲間と認めない、というのが祐漸の信条だった。ネリネの実力を計る方法を考えているのか思ったが、祐漸が発した言葉は誰にとっても予想外のものだった。

「歌を聴かせろ。それで決める」
「え?」



壁にめり込んだままのバークと、後片付けをするというセージを残し、純一達は庭に出た。この庭がまた普通の家が数件並んでも全然余裕があるほど広く、そこに色とりどりの様々な花が植えられており、魔王邸のスケールの大きさと華々しさを感じさせた。
ネリネは祐漸の顔をちらっと見てから、庭の奥へ向かって数歩進み出た。
歌えと言われた本人にも、また見ている側の皆にも、祐漸の意図が見えなかった。ただことりやさやかは、何故かネリネが歌うと聞いて楽しそうな顔をしていた。

「なぁ、ことり。何でそんなに楽しそうなんだ?」
「あれ? 朝倉君知らないの? 天使の鐘」
「何だそりゃ?」
「リンさんの歌、有名なんだよ。その美声を称えて、天使の鐘って呼ばれてるくらい」

世情に疎い純一にとっては初耳だった。だが事は歌に関することであり、ならば歌が好きなことりが知っているのは普通なのだろう。
けれど純一にしてみれば、ことりの歌声も十分称賛に値するものであり、それ以上のものがあるというのはちょっと信じられなかった。

「私もはじめて聞くから楽しみッス」
「カエちゃんは聞いたことある?」
「はい。リンちゃんの歌、とっても綺麗ですよ」

女性陣が期待の眼差しを向ける中、ネリネは少し離れた先で振り返って、目を閉じ、深呼吸をする。そうして気持ちを落ち着けているのだろう。
数回呼吸を整ええると、ネリネが両手を胸の前で組む。それで見ている側も静かになった。
しばしの静寂。


そして、天使の鐘が鳴り響いた。


一瞬で心を奪われる。
歌などに大した興味もなく、ことりが歌っているのを聞くのは好きという程度の純一だったが、そんな彼でもはっきり素晴らしいものだとわかるほどに、それは天上から聴こえてくる美声だった。
横を見ると、ことりは既に虜になったように目を輝かせている。楓は目を閉じて聞き入っており、さやかは両手の指で作った枠に歌っているネリネの姿を納めている。連也までもが、その歌声に聞き惚れているように見えた。
人だけではない。庭先には鳥達が集まり、一部は耳を澄まし、一部は踊るように飛び回っている。花々までもが、その歌を聞くために花弁をネリネに向けているような錯覚さえ覚えた。人も、動物も、草花も、木々も、大地も、大気も、全てがネリネを祝福しているかのようだった。それらを一心に受けて、ネリネは堂々とした姿で歌う。
まさしくそれは、天使の鐘と呼ぶに相応しい。

「・・・・・・吹っ切れたようだな」

その歌声に聞き惚れる中、純一は祐漸のそんな呟きを聞いたが、その意味を問い質すよりも今は、ただ心地よい音色に耳を傾けていたかった。



歌い終わると、またしばしの静寂。
次いで、拍手の音が響く。ことり、楓、さやかはもちろん、純一も惜しみない拍手を送った。
こうまで素直に素晴らしいと思えるものに出会ったのは、一生の内でも数えるほどしかないのではないかと思えた。
拍手に対して一礼をしてみせたネリネは、その視線を祐漸へと向ける。他の皆もその視線を追い、祐漸の言葉を待った。

「ネリネ」
「はい」

祐漸は踵を返しながら声をかける。そして――。

「好きにしろ」

そう言った。

「はいっ、ありがとうございます!」

ネリネは満面の笑顔で頭を下げた。それを見ることなく、祐漸はその場から歩き去った。

「ぶらぼー! これで一緒に旅する仲間だね、リンちゃん♪」
「いつ聞いても、リンちゃんの歌は素敵です」
「リンさん、よかったらあの歌、私にも教えてもらえませんか?」
「じゃあ、今度は一緒に歌ってみませんか、ことりさん?」

ことり達はネリネの元に駆け寄って、一緒に喜んだり、歌を褒めたりしている。どうやら次はネリネとことりが一緒に歌うようで、それはそれで非常に魅力的な話ではあったのだが、純一は 聴いていきたい気持ちをぐっと堪えて祐漸の後を追った。
建物の中に入ると広く長い廊下が拡がっており、見失ったら探すのが大変そうだったが、幸い祐漸の後姿はまだ近くにあったので小走りに追いかける。

「おい、祐漸」
「何だ? 俺は夜まで一眠りするつもりなんだが」
「ああ、それは俺もそのつもりだ。じゃなくてだな、あれだけでいいのか?」
「ネリネのことか」
「実力を見たりしないのか? これからソレニア行くんだとしたら、これまで以上に荒事になる可能性もあるだろ」
「何を今さら。俺はあいつが生まれた時から知ってると言ったろう。あいつの実力くらい百も承知だ。あの歳で既に魔力は九王に匹敵してる。申し分はない」
「じゃあ、さっきのは何なんだ?」

弱い奴とはつるまないのが祐漸である。ことりに関しては、純一が面倒を見るということで問題はないが、ネリネを守るべき人間はこの場にいない。だからこそ祐漸は、自分の面倒は自分で見られるということを示せ、という要求をしたのだとばかり思っていたが、あれだけのことで本当にそれがわかったというのか。
それに歌っている途中に呟いていた「吹っ切れた」という言葉の意味も気になる。
祐漸は少しの間窓の外を見ながら、言葉を選ぶように考え込む。

「・・・個人的なことだから細かい部分は端折るぞ」
「ああ」
「人工生命体の話はしたな? 神王家、魔王家が共同で行っていた研究の産物だというやつだ」
「聞いたな。確か、土見稟と一緒に捜してるプリムラって子がそれだって・・・」
「正確には人工生命体は三体いた。プリムラは三人目だ。一人目の話は省くとして、二人目ってのがネリネのクローンだった」

生まれつき強大な魔力を持っていたネリネの遺伝子を利用することで、より強力な魔力を有する固体を生み出そうとしたのだそうだ。無から生み出されたプリムラといい、この人工生命体の話を聞くと、あまり純一はいい気がしなかった。

「名をリコリスといった。天使の鐘というのは元々あいつのものだ。あいつは病弱だったネリネの影武者のようなこともしていたから、そうした役目で出席していた式典の類で歌ったのがきっかけで、魔王家の王女の歌声が素晴らしいという話が広まったのさ」
「けど、ネリネ本人の歌はあの通り、すごかったじゃないか?」
「本題はここからだ。幼い体が強大な魔力に耐え切れず病弱だったネリネと、自然の摂理に反して生み出された命だったリコリスは、どちらも余命いくばくもなかった。そこで試みられたのが、肉体的にも魂的にもほぼ同一の存在であった二人を融合させて一人を生き永らえさせよう、というものだった。どちらを・・・というのは論じるまでもないことだ」
「じゃあ、ネリネとリコリスは・・・」
「一つになった。ベースはネリネだが、リコリスの記憶や経験、能力はほとんどそのままネリネに同化している。天使の鐘の歌声もな。そのことに、ネリネはずっと負い目を感じていた。だがあの様子を見る限り、もうそれはないようだ」
「そんなことがあったのか・・・・・・って、やっぱりわからないぞ。それがさっきの話とどう繋がるんだ?」
「そんなこともわからんからおまえはたわけだと言うんだ」
「何だとてめぇ、かったりぃな」

真面目な話をしながらも人をバカにすることをやめないこの男は本当に性格が悪いと純一は思う。
だが祐漸の言動には常に、この男なりの深い考えがあることも知っていた。

「純一、おまえ、力のあるだけの奴が強い奴だと思うか?」
「は?」
「もちろん力もあるに越したことはないが、本当の強さってのは心にあるものだ。心の弱い奴はどんなに大きな力を持っていても強い奴にはなれん。例えば、望んで一つになった奴から全てを奪ったなどと思ってるような奴には、な」
「それがネリネ、か・・・」
「随分時間がかかったようだが、ようやく本当の意味でリコリスと一つになれたようだな。あれならついてきても邪魔にはならん」

祐漸は適当な部屋で休むと言って立ち去っていった。純一はそれを見送りながら、さすがに元婚約者だっただけによく見ているのだな、と思った。けれど、おそらくネリネが変われたのは土見稟という男のお陰なのだろうということは容易に想像できる。つまり祐漸は、あれだけネリネのことをよくわかっていながら、大事なところを他の男に持っていかれたわけだ。
実は女運のない奴なのではないかと、純一は祐漸の背中を見ながらしみじみと思った。
やはりその点においては、ことりがいる自分の方が勝っている、と軽い優越感を覚えもした。














次回予告&あとがきらしきもの
 シャッフル!の、というよりはチック!タック!のキャラ達が登場する回であった。セージとバークの間柄って魔王妃になってからはどんな感じになったのかな、と考えて、たぶんあまり変わってないのだろうと思いあんなやり取りに。チック!タック!を知らない人、バークの声は某勇者王な人なのでそのつもりで叫んでみるべし。あの人は熱いキャラからクールなキャラ、ギャグキャラまで幅広くこなすよの〜。
 祐漸とネリネ・リコリスを絡めようというのは最初からあった考えで、リコリスを復活させてあれこれというのもアイデアとしてあったのだけど、やっぱりこの二人は完全に一つになっているもの、と思いこのくらいの話に収めておいた。それにしても「女の数は男の器も大きさ」と言う祐漸、では稟はどうなのかという話。元婚約者は取られ、実は楓も口説いていながら稟がいるからときっぱり断られている祐漸と、いずれ出てくる稟と 祐漸との絡みは作者的に今から楽しみな部分だったりする。
 さて、旧作ファンの方は或いはお待ちかね、次回はついに“あのキャラ”が登場。
 恒例の能力紹介は三人目――。

芙蓉 楓
   筋力 C   耐久 B   敏捷 A   魔力 D   幸運 D   武具 D
 最大の長所はスピード。密かに耐久が高いのは、まぁ我慢強い性格ゆえであろうか。魔力は低く、幸運が低いのは推して知るべし・・・。武器はそれなりの業物なれど普通のものなのでランクは低い。

 次回は、ソレニア領へ向かう途中にヴォルクスとヒュームの両軍が睨み合う戦場へやってきた純一達、そこへ驚くべき第三の軍団が乱入してくる。